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20.コーウェンの過去 (3)
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マクスウェルはふと、読みかけていた本を置いた。
誰かに呼ばれた気がしたからだ。
(……そんな訳無いのに)
マクスウェルは今、魔術研究院の図書室にいる。
ここには研究院のみならず、国中の魔術師達が訪れる場所だ。
図書室は常に解放されているが、研究院に所属する魔術師や見習い達以外の利用時間は限られているから、早朝のこの時間は穴場で、ほとんど人の気配が無かったりする。
活字中毒の気のある彼は、それを知ってこれ幸いに思いつつ、良く利用しているのだ。
ここは魔術師の集う国の、魔術師を育てる機関なのだから、その手の魔術絡みの文献や古書など、貴重な蔵書は他に類を見ない程に置いてある。
壁一面を古い本から新しい本まで、ありとあらゆるジャンルの本がずらりと覆っているだけではなく、図書室というには広い空間には端から端までいくつもの書架が並ぶ。
古びた本の黴臭さと、埃くささ、新しい紙の匂いのする空間。
本の日焼けを避けてか、申し訳程度にこの広い空間の窓側の一部には、本を読んだり調べごとをする為のスペースがあり、椅子とテーブルが並べて置いてある。
そこへ腰掛けて、本を広げるのがマクスウェルの日課だ。
静かな図書室の中に、マクスウェルの読む本を捲る乾いた音だけが響いている。
(……コーウェンのやつ、大丈夫かな?)
魔術師長様が例の研究を成し遂げたと言うのに、何やらコーウェンが考え込んでいたのが気にかかった。
アルクゥエイド様が昔から取り掛かっていた『不死たる魔術師の研究』のことは、ティバリーでは有名だし、それこそが国策の一つとも言える。それを息子であるコーウェンが知らない訳が無いのだから――
(じゃあ、何でコーウェンは驚いたんだ?)
マクスウェルは手元の分厚く古い書物を捲った。
元々読書をするのが好きなマクスウェルだが、あの日から彼なりにアルクゥエイドの研究について調べていた。
(そういえば、不死たる魔術師の研究って、ティバリーの人間は皆喜んでいるけれど、具体的には何をしているんだろう?)
魔術師の力のピークは青年期にある。それを食い止める為に不死となって力の弱体化を防ぐのが、この研究の目的だ。
では、何故、コーウェンはその成功を素直に喜べなかったんだろうか?
(魔術師の力の根源は、魔力だったり……何らかの『代償』だったりする訳だけど――)
『代償』?
「……なんだか、嫌な予感がするな……」
「……気付いてしまったのか」
「!?」
「気づかぬうちに済ませた方が、楽だったのだがな」
(?! この人……)
時刻は、朝日が昇ったばかり。
朝の清冽な光を背に背負って、その男はいつのまにかマクスウェルの前に立っていた。
稀に人が居ることも有るのだが、今朝はまだ図書室には誰も居なかったはず――だった。
窓から射し込む日差しを遮った男の影が長く伸びて、本を広げたまま、驚いて目を見開いてその男を見上げるマクスウェルに影を落とす。
「マクスウェル・ハーランド」
この低い声には聞き覚えがある。
「アルクゥエイド……様?」
*****
「………………」
ガタン。と、大きく身体が揺れて、コーウェンは立膝をしていたまま瞑っていた目を開けた。
……随分と昔の夢を見ていたようだ。
久々に見た夢はあまり良い夢ではなかったが、人並みにまだ夢を見ることが出来ることに、奇妙な安心感を覚える。
そっと身体を起こすと、身体中が嫌な汗に塗れ、べったりと服が張り付いていて気持ちが悪かった。
アイリスを行方を追っているうちに、ティバリーとアルディアの国境の町へと向かう怪しげな男達の噂を聞いた。
アイリスはあの外套を身に付けていたのだろうから、滅多なことでは目を付けられることは無いはずだった。にも、かかわらず、彼女を攫ったのだとすれば、意図的に彼女がエーディス公爵令嬢であることを知っていて攫ったはず。
少々距離がある為に、途中で馬車を拾って揺られているうちに眠ってしまっていたようだ。
周囲は闇が覆い、馬車の御者の前にある灯りが唯一の光源だ。
しかし、コーウェンは元々夜目が利くので、例え馬車の荷台で灯りが無くとも、特に不便は感じなかった。
(夜も更けて来たな)
ホゥ、ホゥ……
どこか遠くから梟の声が聞こえてくる。
「……俺は、今度こそ守れるだろうか?」
ぽつりと漏らされた言葉を拾う者は居ない。
(いや。ダメだ。こんな弱気になるなんざ……らしくもねぇ! 今度こそ、守るんだ……俺は、アイリスを必ず見つけ出す)
コーウェンは口元をぐっと噛み締め、息を吐いた。
夜道を馬車が進むのは、国境の……かつてのコーウェンの故郷の方角だ。
『死ねない魔術師』であるコーウェンが生まれた国が近づいてくるから、あんな随分と昔の夢を見たのかもしれない。
ティバリーを出国して何年……いや、何十年になるだろうか?
アイリスの行方を追うほどに、コーウェンの過去が近づいて来ていた。
誰かに呼ばれた気がしたからだ。
(……そんな訳無いのに)
マクスウェルは今、魔術研究院の図書室にいる。
ここには研究院のみならず、国中の魔術師達が訪れる場所だ。
図書室は常に解放されているが、研究院に所属する魔術師や見習い達以外の利用時間は限られているから、早朝のこの時間は穴場で、ほとんど人の気配が無かったりする。
活字中毒の気のある彼は、それを知ってこれ幸いに思いつつ、良く利用しているのだ。
ここは魔術師の集う国の、魔術師を育てる機関なのだから、その手の魔術絡みの文献や古書など、貴重な蔵書は他に類を見ない程に置いてある。
壁一面を古い本から新しい本まで、ありとあらゆるジャンルの本がずらりと覆っているだけではなく、図書室というには広い空間には端から端までいくつもの書架が並ぶ。
古びた本の黴臭さと、埃くささ、新しい紙の匂いのする空間。
本の日焼けを避けてか、申し訳程度にこの広い空間の窓側の一部には、本を読んだり調べごとをする為のスペースがあり、椅子とテーブルが並べて置いてある。
そこへ腰掛けて、本を広げるのがマクスウェルの日課だ。
静かな図書室の中に、マクスウェルの読む本を捲る乾いた音だけが響いている。
(……コーウェンのやつ、大丈夫かな?)
魔術師長様が例の研究を成し遂げたと言うのに、何やらコーウェンが考え込んでいたのが気にかかった。
アルクゥエイド様が昔から取り掛かっていた『不死たる魔術師の研究』のことは、ティバリーでは有名だし、それこそが国策の一つとも言える。それを息子であるコーウェンが知らない訳が無いのだから――
(じゃあ、何でコーウェンは驚いたんだ?)
マクスウェルは手元の分厚く古い書物を捲った。
元々読書をするのが好きなマクスウェルだが、あの日から彼なりにアルクゥエイドの研究について調べていた。
(そういえば、不死たる魔術師の研究って、ティバリーの人間は皆喜んでいるけれど、具体的には何をしているんだろう?)
魔術師の力のピークは青年期にある。それを食い止める為に不死となって力の弱体化を防ぐのが、この研究の目的だ。
では、何故、コーウェンはその成功を素直に喜べなかったんだろうか?
(魔術師の力の根源は、魔力だったり……何らかの『代償』だったりする訳だけど――)
『代償』?
「……なんだか、嫌な予感がするな……」
「……気付いてしまったのか」
「!?」
「気づかぬうちに済ませた方が、楽だったのだがな」
(?! この人……)
時刻は、朝日が昇ったばかり。
朝の清冽な光を背に背負って、その男はいつのまにかマクスウェルの前に立っていた。
稀に人が居ることも有るのだが、今朝はまだ図書室には誰も居なかったはず――だった。
窓から射し込む日差しを遮った男の影が長く伸びて、本を広げたまま、驚いて目を見開いてその男を見上げるマクスウェルに影を落とす。
「マクスウェル・ハーランド」
この低い声には聞き覚えがある。
「アルクゥエイド……様?」
*****
「………………」
ガタン。と、大きく身体が揺れて、コーウェンは立膝をしていたまま瞑っていた目を開けた。
……随分と昔の夢を見ていたようだ。
久々に見た夢はあまり良い夢ではなかったが、人並みにまだ夢を見ることが出来ることに、奇妙な安心感を覚える。
そっと身体を起こすと、身体中が嫌な汗に塗れ、べったりと服が張り付いていて気持ちが悪かった。
アイリスを行方を追っているうちに、ティバリーとアルディアの国境の町へと向かう怪しげな男達の噂を聞いた。
アイリスはあの外套を身に付けていたのだろうから、滅多なことでは目を付けられることは無いはずだった。にも、かかわらず、彼女を攫ったのだとすれば、意図的に彼女がエーディス公爵令嬢であることを知っていて攫ったはず。
少々距離がある為に、途中で馬車を拾って揺られているうちに眠ってしまっていたようだ。
周囲は闇が覆い、馬車の御者の前にある灯りが唯一の光源だ。
しかし、コーウェンは元々夜目が利くので、例え馬車の荷台で灯りが無くとも、特に不便は感じなかった。
(夜も更けて来たな)
ホゥ、ホゥ……
どこか遠くから梟の声が聞こえてくる。
「……俺は、今度こそ守れるだろうか?」
ぽつりと漏らされた言葉を拾う者は居ない。
(いや。ダメだ。こんな弱気になるなんざ……らしくもねぇ! 今度こそ、守るんだ……俺は、アイリスを必ず見つけ出す)
コーウェンは口元をぐっと噛み締め、息を吐いた。
夜道を馬車が進むのは、国境の……かつてのコーウェンの故郷の方角だ。
『死ねない魔術師』であるコーウェンが生まれた国が近づいてくるから、あんな随分と昔の夢を見たのかもしれない。
ティバリーを出国して何年……いや、何十年になるだろうか?
アイリスの行方を追うほどに、コーウェンの過去が近づいて来ていた。
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