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19.コーウェンの過去 (2)
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魔術研究院は将来の魔術師育成と魔術の更なる発展を目指して研究をする機関ではあるが、そこへ見習いとしてやってくるのはまだ十を少し越えたばかりの少年少女達である。
まだまだ遊びたい盛りとも言える年齢の子供達ではあるが、ティバリーは魔術師の国だ。魔術研究院で学ぶということは、魔力が無い子供には出来ない。
ティバリーの主産業の多くに魔術師の力が必要なくらいなのだから、魔術師として大成することは、彼らにとって非常に重要であり、魔術研究院に学ぶことは、子供の将来が約束されたようなもので、この国では非常に名誉なことなのだ。
研究院に学ぶこととなった魔力持ちの魔術師の卵達は、寝食を共にしながら自分達の魔力の傾向に合った師に付き従い、魔術師として必要な知識を蓄えていく。
だから、コーウェンの師は、実は父親のアルクゥエイドでは無い。
「お師匠様、魔道具の素材運んで来ました」
「ああ。ノインか……そこへ運んでくれ」
魔術師は若い頃に力のピークを迎える為、高齢の者は少ない。
そんな中、コーウェンを彼の二つ目の名前である「ノイン」と呼んだ彼の師は、数少ない齢七十を数えるヘルムートと言う名の魔術師だ。
ノインとは、9。
1から始まる数字が9で熟成すると言う数秘術の考え方に基づいている。コーウェンの二つ目の名前をヘルムートが好んで呼ぶのは、その数字の意味を知っているからだ。
かつては優れた魔術師として名を馳せたが、彼も年を重ねるに従いその力を失っている。しかし、それでも尚、コーウェンと同程度の魔力を有しているのだから、力のピークであった若い頃の彼が、いかに強かったかが推し量られる。
「……お師匠様」
「なんじゃ?」
魔方陣を描く為に必要な道具を揃えながら、ヘルムートは彼の弟子を振り向かずに返事をする。
薄暗い魔術師達の部屋には陽の入る窓も無く、古い木製の棚には薬草が並んでいる。床には積み上げられて埃を被った古い本の山と、何らかの薬品の入ったガラス瓶の山、そして、魔道具となる素材が床にぞんざいに置かれ、それを端に寄せて空けた空間の床に、ヘルムートは指先で複雑な模様を描いている。
「…………」
自分で師匠に話しかけておきながら、コーウェンはその先を口に出来ずにいた。
「アルクゥエイドのことか?」
けれど、そんな彼の様子にヘルムートは気付いていた。
コーウェンの方へ向き直る様子は無いが、その表情を確かめるまでも無かったようだ。
「…………はい」
「ノイン、いつも言っているだろう? お前はお前じゃ。アルクゥエイドのやっていることを気にする必要は無い」
「しかし! 父は……研究の……不死の研究を成功させたと聞きました。父は……代償を何で贖ったのでしょうか……」
魔方陣を描き終え、魔道具の素材となる鋼の塊のようなそれを、複雑な模様を描く陣の上に置くと、ヘルムートが不思議な発音の言葉を呟き始める。
コーウェンも師の隣りで同じようにぶつぶつと呟いている。
ぶわり、と空気が揺れ、耳鳴りと共に魔方陣から白っぽい光が狭い部屋へ爆ぜるように広がり――やがて、沈黙した。
「…………」
「……やれやれ。年寄りにはこの仕事はキツいのぅ……」
ヘルムートはそうぼやきながら、呪の付与された魔道具の様子を確認する。
「ふむ。今回も呪と素材が良く練られて噛み合っている。……よく出来ておる。ノイン、お前は本当に優秀だのぅ」
ヘルムートはそう言いながら、初めて振り向いた。
笑みを浮かべると、白く長い眉を下げ、皺の刻まれる目尻は下がり、一見、好々爺のようだが、じっとその瞳に見つめられると底知れぬ畏怖覚える。
「ノイン。アルクゥエイドは、人の心を忘れつつあるのだよ。あれは、死と言うものの恐怖に取り憑かれておる」
アルクゥエイドとこのヘルムートとの関係は、実は師弟である。
アルクゥエイドの師がこのヘルムートであり、コーウェンにとって、アルクゥエイドは父親でありながら、兄弟子と言う立場なのだ。
「……では……」
「人の生と言うのは、限りあるからこそ意味あるものにしたいと願い、懸命に生きることが出来る。それなのに、あれは人で非ざる何になりたいのだろうな」
くらりと目の前が暗くなった気がした。
その言葉の重さがわかるのは、コーウェンが魔術師の卵だからだ。
「魔術師など長くやっていても、何にも良いことなどありはせぬ」
ポツリとそう漏らし、ヘルムートは沈黙した。
表情は……無い。無表情だ。
「さぁ、ノイン。これを道具屋へ持って行ってやってくれ」
先程出来上がった魔道具の素材を纏め、丈夫な袋に入れて来た時と同じように肩へ担ぎ上げると、静かに師匠の部屋を後にした。
出来上がった魔道具の鋼が重く肩に食い込む。その重さを感じることも無く、薄暗い石で出来た階段を降りて行く。
ざっ、ざっ……
一歩踏み出す度に、心も重くなる。
薄暗い階段は、ゆらゆらと蝋燭を立てて置いただけの頼りない灯りが全てで、下へ下へと緩やかな螺旋を降りて行く度に、自分が暗闇に呑み込まれて行くような感覚を覚える。
(“人に非ざる者”……親父は、人の血を啜ったのか……)
不老不死になる為の研究は、古代から人間によって行われている。
東の方では不死となる為に水銀を呑む者まで居たとか。
魔術師達が不死となるには、不死となる為の呪を発動する膨大な量の魔力――或いは、多大な代償が必要である。
「シュウ……」
身体の弱い弟。
年は離れていたが、コーウェンは彼を可愛がり、コーウェンが魔術研究院に進んだ為にシュウと一緒にいる時間は少なかったが、兄としては彼なりに弟を愛していた。
身体が震える。
胸の奥がツンと冷たくなる。
魔術の大き過ぎる代償には、人の血が必要となる場合がある。
その血は、術師本人の血に近く、また魔力を持っていればその方がより力を発揮する。
身体が弱かった弟は、生まれながらに身体が弱かったのでは無い。
アルクゥエイドの不死の代償は、恐らく――コーウェンの弟、シュウだ。
「……ッ」
ギリリ……と、奥歯を噛み締める。
身体が震え、握った右手の拳が力一杯握られて白くなっていた。
(俺は……何て無力な子供か)
卑劣な父に歯向かう力も、術も、この手には無い。
身体の弱い弟の、無邪気な笑顔を思い出すと胸が苦しく、目頭が熱くなってくる。
自分を慕い、てとてとと後をついてまわる弟はいじらしく、そして、可愛いかった。
(何故、自分では無くて、シュウなのか……)
代償を強いられた人間には、恐らく時間があまり無い。
特に、不死などと言う、巫山戯た魔術の代償には。
……それを止めるにはどうすればいい?
「…………ッ、クソっ」
コーウェンは重い荷物を肩に抱えたまま、急いで階段を降りた。
(絶対に間に合わせる! 待ってろ……シュウ!!)
まだまだ遊びたい盛りとも言える年齢の子供達ではあるが、ティバリーは魔術師の国だ。魔術研究院で学ぶということは、魔力が無い子供には出来ない。
ティバリーの主産業の多くに魔術師の力が必要なくらいなのだから、魔術師として大成することは、彼らにとって非常に重要であり、魔術研究院に学ぶことは、子供の将来が約束されたようなもので、この国では非常に名誉なことなのだ。
研究院に学ぶこととなった魔力持ちの魔術師の卵達は、寝食を共にしながら自分達の魔力の傾向に合った師に付き従い、魔術師として必要な知識を蓄えていく。
だから、コーウェンの師は、実は父親のアルクゥエイドでは無い。
「お師匠様、魔道具の素材運んで来ました」
「ああ。ノインか……そこへ運んでくれ」
魔術師は若い頃に力のピークを迎える為、高齢の者は少ない。
そんな中、コーウェンを彼の二つ目の名前である「ノイン」と呼んだ彼の師は、数少ない齢七十を数えるヘルムートと言う名の魔術師だ。
ノインとは、9。
1から始まる数字が9で熟成すると言う数秘術の考え方に基づいている。コーウェンの二つ目の名前をヘルムートが好んで呼ぶのは、その数字の意味を知っているからだ。
かつては優れた魔術師として名を馳せたが、彼も年を重ねるに従いその力を失っている。しかし、それでも尚、コーウェンと同程度の魔力を有しているのだから、力のピークであった若い頃の彼が、いかに強かったかが推し量られる。
「……お師匠様」
「なんじゃ?」
魔方陣を描く為に必要な道具を揃えながら、ヘルムートは彼の弟子を振り向かずに返事をする。
薄暗い魔術師達の部屋には陽の入る窓も無く、古い木製の棚には薬草が並んでいる。床には積み上げられて埃を被った古い本の山と、何らかの薬品の入ったガラス瓶の山、そして、魔道具となる素材が床にぞんざいに置かれ、それを端に寄せて空けた空間の床に、ヘルムートは指先で複雑な模様を描いている。
「…………」
自分で師匠に話しかけておきながら、コーウェンはその先を口に出来ずにいた。
「アルクゥエイドのことか?」
けれど、そんな彼の様子にヘルムートは気付いていた。
コーウェンの方へ向き直る様子は無いが、その表情を確かめるまでも無かったようだ。
「…………はい」
「ノイン、いつも言っているだろう? お前はお前じゃ。アルクゥエイドのやっていることを気にする必要は無い」
「しかし! 父は……研究の……不死の研究を成功させたと聞きました。父は……代償を何で贖ったのでしょうか……」
魔方陣を描き終え、魔道具の素材となる鋼の塊のようなそれを、複雑な模様を描く陣の上に置くと、ヘルムートが不思議な発音の言葉を呟き始める。
コーウェンも師の隣りで同じようにぶつぶつと呟いている。
ぶわり、と空気が揺れ、耳鳴りと共に魔方陣から白っぽい光が狭い部屋へ爆ぜるように広がり――やがて、沈黙した。
「…………」
「……やれやれ。年寄りにはこの仕事はキツいのぅ……」
ヘルムートはそうぼやきながら、呪の付与された魔道具の様子を確認する。
「ふむ。今回も呪と素材が良く練られて噛み合っている。……よく出来ておる。ノイン、お前は本当に優秀だのぅ」
ヘルムートはそう言いながら、初めて振り向いた。
笑みを浮かべると、白く長い眉を下げ、皺の刻まれる目尻は下がり、一見、好々爺のようだが、じっとその瞳に見つめられると底知れぬ畏怖覚える。
「ノイン。アルクゥエイドは、人の心を忘れつつあるのだよ。あれは、死と言うものの恐怖に取り憑かれておる」
アルクゥエイドとこのヘルムートとの関係は、実は師弟である。
アルクゥエイドの師がこのヘルムートであり、コーウェンにとって、アルクゥエイドは父親でありながら、兄弟子と言う立場なのだ。
「……では……」
「人の生と言うのは、限りあるからこそ意味あるものにしたいと願い、懸命に生きることが出来る。それなのに、あれは人で非ざる何になりたいのだろうな」
くらりと目の前が暗くなった気がした。
その言葉の重さがわかるのは、コーウェンが魔術師の卵だからだ。
「魔術師など長くやっていても、何にも良いことなどありはせぬ」
ポツリとそう漏らし、ヘルムートは沈黙した。
表情は……無い。無表情だ。
「さぁ、ノイン。これを道具屋へ持って行ってやってくれ」
先程出来上がった魔道具の素材を纏め、丈夫な袋に入れて来た時と同じように肩へ担ぎ上げると、静かに師匠の部屋を後にした。
出来上がった魔道具の鋼が重く肩に食い込む。その重さを感じることも無く、薄暗い石で出来た階段を降りて行く。
ざっ、ざっ……
一歩踏み出す度に、心も重くなる。
薄暗い階段は、ゆらゆらと蝋燭を立てて置いただけの頼りない灯りが全てで、下へ下へと緩やかな螺旋を降りて行く度に、自分が暗闇に呑み込まれて行くような感覚を覚える。
(“人に非ざる者”……親父は、人の血を啜ったのか……)
不老不死になる為の研究は、古代から人間によって行われている。
東の方では不死となる為に水銀を呑む者まで居たとか。
魔術師達が不死となるには、不死となる為の呪を発動する膨大な量の魔力――或いは、多大な代償が必要である。
「シュウ……」
身体の弱い弟。
年は離れていたが、コーウェンは彼を可愛がり、コーウェンが魔術研究院に進んだ為にシュウと一緒にいる時間は少なかったが、兄としては彼なりに弟を愛していた。
身体が震える。
胸の奥がツンと冷たくなる。
魔術の大き過ぎる代償には、人の血が必要となる場合がある。
その血は、術師本人の血に近く、また魔力を持っていればその方がより力を発揮する。
身体が弱かった弟は、生まれながらに身体が弱かったのでは無い。
アルクゥエイドの不死の代償は、恐らく――コーウェンの弟、シュウだ。
「……ッ」
ギリリ……と、奥歯を噛み締める。
身体が震え、握った右手の拳が力一杯握られて白くなっていた。
(俺は……何て無力な子供か)
卑劣な父に歯向かう力も、術も、この手には無い。
身体の弱い弟の、無邪気な笑顔を思い出すと胸が苦しく、目頭が熱くなってくる。
自分を慕い、てとてとと後をついてまわる弟はいじらしく、そして、可愛いかった。
(何故、自分では無くて、シュウなのか……)
代償を強いられた人間には、恐らく時間があまり無い。
特に、不死などと言う、巫山戯た魔術の代償には。
……それを止めるにはどうすればいい?
「…………ッ、クソっ」
コーウェンは重い荷物を肩に抱えたまま、急いで階段を降りた。
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