溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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14.理性の狭間

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 唇が離れると、そのまま無言で見つめ合う。
 話さなければいけないことがあるのに、二人は動けない。

 鼻が触れるほど間近に、コーウェンの顔がある。
 思ったよりも長い睫毛の下から覗く琥珀色の瞳は、獲物を狙う獣のように爛々と輝いている。その様子が少し怖くて、綺麗で……でも、何故か魅力的で。ずっと見ていると吸い込まれそうな気分になる。
 やや硬質の彼の髪が頬に触れ、擽ぐったくて思わず目を瞑り、身じろぎをした。

 ……なんだか、大型犬に伸し掛かられてるみたいだ。

「……アイリス、抵抗しないのか?」

「……だって、私、嫌じゃないんだもの。でも、多分コーウェンは……私が嫌がるようなこと、しないでしょ? 昔からそうだったよね。意外と紳士だもの」


「――ッ、たくっ!!」

 アイリスの上で、コーウェンは片手で顔を覆ってボヤいた。

「お前は……っ!」
「コーウェン、私をお嫁さんにしてよ」

 アイリスは、鼻白んだコーウェンに畳み掛けるように彼を真っ直ぐに見つめたまま、そう口にする。

「私、何にも出来ないけど、今から出来るようになる……何でもする! また旅に出るって言うなら、足を引っ張らずについて行けるように努力するから!」

 コーウェンはゆっくりと身を起こし、ベッドの縁に彼女に背を向けて座り直した。

「……ダメだ」
「何故?!」

「何故って……お前にならわかるだろ?」
「関係ない!」
「ダメだ!」

 ベッドの上でのやりとりは、唐突に終わった。コーウェンの突然の大声に、アイリスが怯んだからだ。
 彼女の方からは、彼の表情は見えない。

「……俺は年を取らない」

 コーウェンが、ぽつりと呟いた。
 しん、と静まり返った夜の宿屋の一室で、その声は妙にはっきりと響く。
 アイリスがベッドで身を起こすと、それに呼応するかのように、コーウェンが立ち上がった。

「なぁ。アイリス……お前は、昔の俺を知ってる。分かるだろ? お前が小さい頃から、俺の容姿は変わったか?」

 アイリスは戸惑いながらも、ゆっくりと首を振る。

「皺の一つでも……白髪の一本でも増えたか?」

 もう一度、アイリスは静かに首を振った。

「……わかっただろ? 俺は『死ねない魔術師』なんだ……」


 『死ねない魔術師』

 ――そう、コーウェンは言った。それから、呆然としているアイリスを見て、眉根を寄せて困ったような、少し悲しげにも見える表情を浮かべた。
 この世界に於いて、魔術師には、いくつかの種類がある。

 多大な贄を用いて魔術師の扱う術を扱う禁術師。

 何らかの媒介を用いて自らの魔力を展開させる魔術師。

 ――そして、不老不死の肉体を持つ莫大な知識と強い魔力を扱う魔術師。
 この魔術師は、俗に賢者とも言われる部類の人間だ。多種多様な知識を持ち、強大な魔力を扱う者――謂わば、魔術師の頂点に立つ実力者達を人々は畏怖を込めながら、総称して彼らをそう呼ぶ。

 コーウェンは、この『死ねない魔術師』達の一人だ。
 

「俺は老いもしなければ、ちょっとやそっとじゃあ死にもしない……分かるか? 俺は、お前と同じ時間を生きられないんだ」







*****


 『結婚して』と、言われて、嬉しく無い男は居ない。彼女はそう思うくらいに魅力的だし、本音は嬉しかった。

 アイリスが幼い頃、交わした約束を思い出す。


『……アイリス、コーウェンとずっと一緒に居るんだもん!』

『アイリス、コーウェンのお嫁さんになるの!』

『アイリス、コーウェン大好き!!』

 ――あの時、自分はどう答えた?

『お前さんが年頃になっても、俺を選ぶなら考えてやるよ』


(……あれが、あの冗談みたいな幼い約束を、アイツは覚えていたってのか?)

「……っ」
 
 少し脅せば、目の前の、あの気丈な娘でも身を引くはずだと思っていた。
 だから、ベッドに押し倒して、その唇を奪った。

「…………」

 ただ、それだけのはずだった。

 幼い頃から知っている、数少ない友の娘。
 生まれたばかりの彼女と出会って、その成長を、まるで家族のように見守って来た。

 ――いや、正しくは、コーウェンはずっと側に居た訳では無い。
 長くこのアルディアと言う国を離れて旅をしていた。だから、実際には、ずっと隣で見守って来た訳では無い。
 それでも、少なくともコーウェン自身は、兄のように……血の繋がった親族のように、彼なりの愛情をアイリスに向けていた。

 それなのに。
 組み敷いた彼女は、完全に成熟した大人の女性だった。
 その唇は甘く、漏らす吐息は切なくて、熱に潤んだ瞳に煽られて、少し脅すつもりだったはずの口付けに、次第に自分の方がのめり込み、気付けば、夢中になって貪っていた。
 その首筋に鼻を埋めると、微かに果実のような甘い匂いがした。若く瑞々しい肉体に理性を奪われ、まろやかな身体の線に手を伸ばしかけて、やっと我に返った。

「……くそッ」

 あの紫水晶の瞳が、自分を狂わせる。

 あの瞬間――間違い無く、自分はアイリスに欲情していた。

(親友の娘に……)

 くしゃくしゃと半乾きの髪を掻き回す。

(本当に、何……やってるんだ……俺は……)

 この前から、ペースを乱されてばかりだ。
 いつのまにか心の中まで掻き乱されて、落ち着かない。

「仕事に集中出来ねぇ……」

 自分には、やるべき事がある。

 それは、自分以外の誰も知らなくて、いつ終わるのかさえ分からない。
 終わりがあるのかすら、分からない。

(色事にかまけてる暇はねぇってのに)

 コーウェンは、愛おしい存在の出て行った元のガランとした宿屋の一室で、一人……立ち尽くしていた。
 
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