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13.逆プロポーズには、キスの応酬
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風呂から上がって、ラフな服装に着替えたコーウェンは宿の自室に戻り、簡素なテーブルの上に、冷えた水を湛えた水指しがあることに気付く。
どうやら風呂上がりに宿の主人とすれ違った際、暑い暑いと独り言を言っていたのを聞かれていたらしい。女主人が気を利かせてくれたようだ。
「気を遣わせちまったか……しかし、ありがてぇ」
コーウェンは夜目が利く。暗闇の中で器用に、一緒に用意されていたグラスに冷たい水を注ぎ、ごくごくと喉を鳴らして一気に煽る。
「さて、と……」
飲み切れなかった水の雫が顎から首筋を伝って滴ったのを、飲み終えてからぐいと右手で拭う。
「何で、俺の部屋の前でそんな“懐かしい”外套着て突っ立ってんだ。アイリス」
「!」
コーウェンは背後を振り向く事も無くその人物に声をかけた。
「……何で……」
「そりゃ、お前……姫さんのだろ? それと、俺は魔術師だぞ。そう言う目眩し系の魔術ってのは、その魔術をかけた人間より力が強い魔術師には効かないんだ」
「! じゃあ……」
「お前、俺が女将さんとすれ違った時から俺の背後をずっと尾けてただろ……そんなもんまで着て……アイリス、お前は何をしようとしてるんだ?」
*****
「……で?」
コーウェンは目の前に座る白金の髪の娘に向かい合うように椅子の背を手前に向け、それに跨るように座ると、その上に頬杖をついた。
部屋を出る際に消したランタンに再び明かりが灯り、部屋をほの明るくゆらゆらと照らされると、二人の影も歪に揺れた。
「アイリス。わかってんのか? お前のやってること無茶苦茶だぞ。ユーリとエメリア心配させてまで、お前はここへ何しに来たんだ」
眉間に皺を寄せながらも、コーウェンは極力声を抑えてアイリスに問うた。
「…………」
「……黙ってたらわかんねぇだろ?」
アイリスは椅子に座ったまま下を向き、唇を引き結んだままだんまりだ。何か言いたいことがあるのだろうに、アイリスは目線も合わせず、考え込むように下を向いている。
何をどう話すか、言葉を選んでいるのかもしれない。
少し元気が無いように見えるのは、気のせいだろうか?
「アイリス? 何かあったのか?」
男物の服に、術の縫い込まれた外套。元気の無いアイリス。
明らかに、何かある。
……コーウェンは、アイリスの柔らかな白金髪の頭にそっと手を載せた。
幼い時も、こうやって泣いているアイリスの頭を撫でてやったことを思い出す。
「……どう……していいか、わかんない……の……」
「ん?」
やっと小さな声を絞り出したアイリスに、コーウェンは辛抱強く、その言葉の続きを待った。
ややあって、アイリスは下を向いていた顔を上げ、ぎゅっと眉を寄せながら少しカサついた唇を舐めると、切実な表情で口を開く。
「……コーウェン、私と結婚して」
「……は?」
「子供の頃、約束したでしょ? 私、コーウェンのお嫁さんになるって……」
「なっ……お、お前、突然何言い出すんだ……そりゃ、年端もいかない子供の頃の話だろうが! ユーリに聞いたぞ。縁談はいくつも来てるんだろう? 何も俺じゃ無くたって……」
コーウェンが驚いて、アイリスの頭から手を離すと、今度はその手を彼女の両手ががっしりと掴んだ。
こちらを見つめる紫瞳は、真っ直ぐにコーウェンの瞳を捉えて離さない。
「だからなのよ……コーウェン」
「……何がだよ……」
「……ッ、だから、結婚するなら、私はコーウェンがいい……って……ッ」
言い終わらぬうちに、アイリスは次第に自分が口にしている言葉の意味を噛み締めたのか、顔を真っ赤に染めて、それ以上の言葉を飲み込んだ。
「アイリス、お前はクラウスとの結婚が嫌で、ここに来たんだろ?」
やがて、コーウェンが徐ろに椅子から立ち上がり、アイリスの方へ近付いて来る。自分の言った言葉に真っ赤になって顔を逸らしたアイリスの頬に手をやり、自分の方へ向かせると、静かな声で言った。
「……なぁ、アイリス。そりゃ、クラウス以外の男なら誰でもいいってことじゃねぇのか?」
「ち、違ッ……!?」
コーウェンの言葉に反応し、思わず振り返った彼女の唇に、何かあたたかい感触が触れる。
「――っ、んぅッ!?」
アイリスは目を大きく見開き、硬直した。
唇と唇が合わさっている。
つまりは、自分は今……コーウェンとキスをしている。
突然のことに思考停止に陥った頭で、呆然としたまま、彼の唇に求められるがままに唇を貪られる。
顎を掬い取られるように大きな手に固定され、腕を突っ張って逃れようともがいても、がっしりとした身体はびくともせず、身を引くことも出来ない。すぐ真近に美しい飴色の瞳があり、柔らかな感触からは確かな体温を感じる。
人の唇が、こんなに柔らかいなんて思わなかった――なんて、ぼんやりとしてきた頭の片隅で、そんな場違いなことをちらりと考えた。
アイリスが、それが何を意味するのか認識する前に、身体が温かなものに包まれて、ふわりと浮く。
身体が浮いて……そして、背中からどこかへ降ろされた。背中に当たる柔らかな感触から、自分が寝台に降ろされたのだとわかる。首筋を擽ぐるように生温かい息を感じて、思わず身体がピクリと跳ね、そうして、やっと……自分の置かれた状況に気付く。
「!?」
見上げた先にあるのは、宿屋の古ぼけた天井。そして――ランタンの明かりのせいで、より赤く見える髪のこの男、コーウェン。
「コーウェン?!」
「アイリス、お前、男の部屋に夜更けにノコノコとやって来るなんざ不用心だぞ。こうなるって、少しも考え無かったのか?」
コーウェンが嘲笑うように、その小さな耳朶を食みながら囁く。その吐息が吹きかかる度に背筋を甘い戦慄が走る。
「……それとも、俺なら安全だって本気で思ってた……とか?」
「――ッ、ち、違っ……ん、ちょっ……ちょっと! ……ん、やぁっ……ッ?!」
痺れるような甘い感覚に、思わず甲高い声を漏らしてしまい、アイリスは慌てて自分の口に手をやった。
今、自分の身に何が起こっているのか……
湯上がりのコーウェンは、妙に艶めかしいし、暑かったせいで開けられたままの白いシャツから覗く、褐色の筋肉質な身体に汗が浮いていて……その様子が、男性なのに妙に色っぽい。
知らず、ばくばくと身体の中で心臓が大きな音を立てる。彼の熱が伝染したのか、身体は触れている部分から熱くなり、震えて力が入らないから、呼吸も浅くなっているかもしれない。
バクバクバクバク……
「……アイリス」
「ッ……?!」
低く甘いコーウェンの声が、アイリスの名前を、まるで音を一つずつ確かめるように優しく呼ぶと、身体の奥がジンジンと熱く疼くような感覚に満たされた。
その声は、そっと耳から侵入し、思考まで甘く……それでいて、どこか切なげに侵していく。
(コーウェンのこんな声、反則……っ)
どうやら風呂上がりに宿の主人とすれ違った際、暑い暑いと独り言を言っていたのを聞かれていたらしい。女主人が気を利かせてくれたようだ。
「気を遣わせちまったか……しかし、ありがてぇ」
コーウェンは夜目が利く。暗闇の中で器用に、一緒に用意されていたグラスに冷たい水を注ぎ、ごくごくと喉を鳴らして一気に煽る。
「さて、と……」
飲み切れなかった水の雫が顎から首筋を伝って滴ったのを、飲み終えてからぐいと右手で拭う。
「何で、俺の部屋の前でそんな“懐かしい”外套着て突っ立ってんだ。アイリス」
「!」
コーウェンは背後を振り向く事も無くその人物に声をかけた。
「……何で……」
「そりゃ、お前……姫さんのだろ? それと、俺は魔術師だぞ。そう言う目眩し系の魔術ってのは、その魔術をかけた人間より力が強い魔術師には効かないんだ」
「! じゃあ……」
「お前、俺が女将さんとすれ違った時から俺の背後をずっと尾けてただろ……そんなもんまで着て……アイリス、お前は何をしようとしてるんだ?」
*****
「……で?」
コーウェンは目の前に座る白金の髪の娘に向かい合うように椅子の背を手前に向け、それに跨るように座ると、その上に頬杖をついた。
部屋を出る際に消したランタンに再び明かりが灯り、部屋をほの明るくゆらゆらと照らされると、二人の影も歪に揺れた。
「アイリス。わかってんのか? お前のやってること無茶苦茶だぞ。ユーリとエメリア心配させてまで、お前はここへ何しに来たんだ」
眉間に皺を寄せながらも、コーウェンは極力声を抑えてアイリスに問うた。
「…………」
「……黙ってたらわかんねぇだろ?」
アイリスは椅子に座ったまま下を向き、唇を引き結んだままだんまりだ。何か言いたいことがあるのだろうに、アイリスは目線も合わせず、考え込むように下を向いている。
何をどう話すか、言葉を選んでいるのかもしれない。
少し元気が無いように見えるのは、気のせいだろうか?
「アイリス? 何かあったのか?」
男物の服に、術の縫い込まれた外套。元気の無いアイリス。
明らかに、何かある。
……コーウェンは、アイリスの柔らかな白金髪の頭にそっと手を載せた。
幼い時も、こうやって泣いているアイリスの頭を撫でてやったことを思い出す。
「……どう……していいか、わかんない……の……」
「ん?」
やっと小さな声を絞り出したアイリスに、コーウェンは辛抱強く、その言葉の続きを待った。
ややあって、アイリスは下を向いていた顔を上げ、ぎゅっと眉を寄せながら少しカサついた唇を舐めると、切実な表情で口を開く。
「……コーウェン、私と結婚して」
「……は?」
「子供の頃、約束したでしょ? 私、コーウェンのお嫁さんになるって……」
「なっ……お、お前、突然何言い出すんだ……そりゃ、年端もいかない子供の頃の話だろうが! ユーリに聞いたぞ。縁談はいくつも来てるんだろう? 何も俺じゃ無くたって……」
コーウェンが驚いて、アイリスの頭から手を離すと、今度はその手を彼女の両手ががっしりと掴んだ。
こちらを見つめる紫瞳は、真っ直ぐにコーウェンの瞳を捉えて離さない。
「だからなのよ……コーウェン」
「……何がだよ……」
「……ッ、だから、結婚するなら、私はコーウェンがいい……って……ッ」
言い終わらぬうちに、アイリスは次第に自分が口にしている言葉の意味を噛み締めたのか、顔を真っ赤に染めて、それ以上の言葉を飲み込んだ。
「アイリス、お前はクラウスとの結婚が嫌で、ここに来たんだろ?」
やがて、コーウェンが徐ろに椅子から立ち上がり、アイリスの方へ近付いて来る。自分の言った言葉に真っ赤になって顔を逸らしたアイリスの頬に手をやり、自分の方へ向かせると、静かな声で言った。
「……なぁ、アイリス。そりゃ、クラウス以外の男なら誰でもいいってことじゃねぇのか?」
「ち、違ッ……!?」
コーウェンの言葉に反応し、思わず振り返った彼女の唇に、何かあたたかい感触が触れる。
「――っ、んぅッ!?」
アイリスは目を大きく見開き、硬直した。
唇と唇が合わさっている。
つまりは、自分は今……コーウェンとキスをしている。
突然のことに思考停止に陥った頭で、呆然としたまま、彼の唇に求められるがままに唇を貪られる。
顎を掬い取られるように大きな手に固定され、腕を突っ張って逃れようともがいても、がっしりとした身体はびくともせず、身を引くことも出来ない。すぐ真近に美しい飴色の瞳があり、柔らかな感触からは確かな体温を感じる。
人の唇が、こんなに柔らかいなんて思わなかった――なんて、ぼんやりとしてきた頭の片隅で、そんな場違いなことをちらりと考えた。
アイリスが、それが何を意味するのか認識する前に、身体が温かなものに包まれて、ふわりと浮く。
身体が浮いて……そして、背中からどこかへ降ろされた。背中に当たる柔らかな感触から、自分が寝台に降ろされたのだとわかる。首筋を擽ぐるように生温かい息を感じて、思わず身体がピクリと跳ね、そうして、やっと……自分の置かれた状況に気付く。
「!?」
見上げた先にあるのは、宿屋の古ぼけた天井。そして――ランタンの明かりのせいで、より赤く見える髪のこの男、コーウェン。
「コーウェン?!」
「アイリス、お前、男の部屋に夜更けにノコノコとやって来るなんざ不用心だぞ。こうなるって、少しも考え無かったのか?」
コーウェンが嘲笑うように、その小さな耳朶を食みながら囁く。その吐息が吹きかかる度に背筋を甘い戦慄が走る。
「……それとも、俺なら安全だって本気で思ってた……とか?」
「――ッ、ち、違っ……ん、ちょっ……ちょっと! ……ん、やぁっ……ッ?!」
痺れるような甘い感覚に、思わず甲高い声を漏らしてしまい、アイリスは慌てて自分の口に手をやった。
今、自分の身に何が起こっているのか……
湯上がりのコーウェンは、妙に艶めかしいし、暑かったせいで開けられたままの白いシャツから覗く、褐色の筋肉質な身体に汗が浮いていて……その様子が、男性なのに妙に色っぽい。
知らず、ばくばくと身体の中で心臓が大きな音を立てる。彼の熱が伝染したのか、身体は触れている部分から熱くなり、震えて力が入らないから、呼吸も浅くなっているかもしれない。
バクバクバクバク……
「……アイリス」
「ッ……?!」
低く甘いコーウェンの声が、アイリスの名前を、まるで音を一つずつ確かめるように優しく呼ぶと、身体の奥がジンジンと熱く疼くような感覚に満たされた。
その声は、そっと耳から侵入し、思考まで甘く……それでいて、どこか切なげに侵していく。
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