溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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8.平穏と不穏

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「……ッ、かァー! うまいっ!!」

 『銀色に輝く双龍の泪亭』で、男は豪快にこの宿の名物であるトマトスープを掬っては口に運び、掬っては口に運びを繰り返している。

 ホカホカとまだ湯気のたっている赤いスープからは、美味しそうな香りが漂っている。香味野菜とハーブ、肉の脂から出る旨味が溶け込んだ絶品のスープを、木の匙でたっぷり掬って口の中に運べば、じわりと口の中に広がるトマトの程良い酸味が、疲れた身体に染み渡るようだった。具材も肉や大量の野菜がゴロゴロとたっぷり入っているから、若い男性にも食べ応えがある。店の奥で作る焼き立てのパンが添えられて出てくるので、これを浸して食べると、パンの甘味や香ばしさも加わり、更に美味い。
 長旅の間は干し肉や保存の効く堅く焼いたパンを齧り、たまに道中の狩り場で狩りをした時に、塩と森などで見つけて自生している薬草やハーブなどで味を付けたスープを啜るくらいの質素な食生活が続いていた。
 温かく、どこか懐かしい味と、具材の沢山入った栄養たっぷりの家庭的な食事は、随分と久しぶりだった。

 皿まで舐めそうな勢いで貪り、夢中で食べ終えると、コーウェンは宿の主人に声をかけた。

「オヤジさん、美味かったぜ。ご馳走さま!」

「……おぅ」

 店の奥から白髪の身体の大きな男が無愛想に返事をする。コーウェン自身も身体が大きいが、彼も年齢の割にはしっかりとした身体つきだ。

「おやおや! もう食べ終わったのかい?! お客さんもせっかちだねぇ……それとも、よっぽどお腹空いてたのかい?」
「はっはっは。まぁな。いやぁ……美味かった」

 クスクス、と言葉とは逆にどこか嬉しそうな声が聞こえて来た。厨房の脇にある二階に続く階段を降りてくる白髪の女性が、笑顔でコーウェンの方へと向かってゆっくりと歩いて来る。彼女は、先程の厨房の親父の奥さんだ。

「悪いねぇ……うちの人と来たら、いつだって無愛想でさ。それよりも、しっかりお腹は膨れたかい?」
「ああ。美味かったし、腹もしっかり膨れたし、嬢ちゃんが絶賛していただけあるな」
「そうかい! そりゃあ、よかったよ。うちの人も朝早くから仕込んで作った甲斐があるってもんさ」

 コーウェンは大きな口を緩め、白い歯を見せて笑う。

「ところで……あんた、さっき“嬢ちゃん”とか言ったね。もしかして、うちの娘と知り合いだったのかい?」

「ああ……ま。簡単に言えば旧い友人だ。評判は随分と前から聞いていたから、ずっとここに泊まってみたかったんだ」
「おや。そうなのかい……あの子には会ったかい?」
「ああ。相変わらず、べっぴんだったぜ」

 からからと口を大きく開けて屈託無く笑うコーウェンに、ライラは目を細めた。

「そうかい。あんたみたいな若い男にそんな風に言われて、あの子も悪い気はしないだろうねぇ」

 この『銀色に輝く双龍の泪亭』は、今、目の前に居るライラと、先程厨房に居たディーノと言う老夫婦が営む宿屋で、一階が昼は食堂で夜は酒場、二階は宿になっている。二階に泊まる客は、一階の酒場兼食堂で食事を摂ることもできるのだ。

「……はは……ああ、そうだ! 女将さん、今日は用があるから泊まれ無いが、明日からここに泊まらせてくれないか。食事がこれだけ美味いんだ。ツマミもさぞ美味いだろうから、酒も飲みてぇ」
「あいよ。部屋を用意しとくよ。気をつけてね」

「おぅ。頼んだぜ」

 後ろ手に手を振りながら、コーウェンは宿屋を出た。


 “あんたみたいな若い男”か……

 宿屋の外へ出ると、今まで浮かべていた笑みを消す。

「若い。か……んー……ま、見た目だけはな」

 赤茶色の髪を掻きながら、ため息混じりにぽつりとそう呟くと、アルディアの賑やかな街の雑踏へと消えて行った。









.

「……アイリス嬢との縁談……エーディス公爵に直接断られたよ」

 クラウス・ノーマン・フォン・ガンドルフは、自室の窓際でそう口を開いた。

「……じゃじゃ馬娘が」

「へぇ? クラウス殿との縁談を断るとは……しかし、噂では、あの娘は嫁ぎ先が決まらぬ行き遅れでしょう。でしたら、寧ろ、クラウス殿の方から願い下げなのでは? ……それとも、何か不都合がお有りで?」

 窓の外を見つめながら吐き捨てる様に話す彼に、少し慌てたような素ぶりで背後からそう答えるのは、若い男だ。
 砕けた物言いからすると、彼等の間柄は対等で、随分と親しいように思われる。

「……ふん。俺の求婚を真正面から断るとは……おかげで、当家と俺の面目は丸潰れだ。王家の血筋とはいえ、辺境伯である俺に泥を塗るとは……飼い慣らして、俺に跪かせて、屈服させて、躾けてやろうと思ったが……父親が邪魔だな」

「ッ、おいおい……やめておけ。父親はエーディス公だぞ」

「ふん……アレは……あの女は、特別だ。あれは良い女だぞ。気が強くて、少々薹が立ってはいるが、あれほどの美姫だ……この俺の傍に置くに相応しいだろう。それに、あの目。堪らんな……鼻っ柱をへし折ってやりたくなる」

「……お前も大概、趣味が悪いな」

(俺の腕の中で啼かせて、善がり狂う様はさぞ愉しかろう)

 知らず口元が釣り上がる。それを背後から見ていた男は、呆れた様子で溜め息を吐いた。

「……はぁ……エーディス公には気をつけろ。あの男は油断ならぬ」

 男は身を以って知っている。あの男……エーディス公の恐ろしさを。

「わかっている……」

 エーディス公は現国王の王弟殿下である。国境にある領地を守る為、独自の兵を持つ辺境伯は、それなりに力はあるが、王の前ではやはり臣下である。王弟殿下エーディス公爵は臣下にくだってはいるが、それでも王族は王族である。
 下手をすると反逆罪の罪に問われ、失脚する可能性だって出て来る。

 クラウスが王族であるエーディス公の娘に近付いた理由は、ガンドルフの唯一の弱点である王族との「血縁」が無いことを克服したいが為だ。
 王族の血を引く女を一族に迎えようと考えていた。そうすれば、このアルディア国内のみならず、間違い無く、大陸でも有数の一族になるだろう。
 よくある話だ。つまりは、政略結婚を目論んでいたのである。

 それに、あの娘――アイリスは外見も美しい。外見や体裁を特に気にするクラウスと言う男の隣には、あの華やかな美姫を置くことが、それだけでもステータスになると考えていた。
 しかし、クラウスの予想外だったのは、アイリスと言う女が、その楚々とした公爵家の令嬢らしい外見に似合わず、彼の予想を上回る気の強い娘であったことだ。

 先日の宮廷舞踏会を含めて、夜会にはあまり積極的で無い。 
 たまに出て来た際に、こちらから近付けば、言葉では優しく、態度では失礼が無い程度に冷たくあしらわれる。

 クラウスが彼女に微笑めば、彼の周りに居る取り巻きの女性達は羨望の眼差しを向けた。だが、そんな彼女達の視線などアイリス嬢は物ともせず、ダンスを申し込めば、表面上は穏やかに、そして、角が立たない絶妙な具合で丁重に断られる。  

 クラウスは知っている。
 アイリス嬢が、その穏やかな言葉のやり取りの間中、扇子の下で少しも笑っていないことを。
 寧ろ、その瞳は軽蔑するように冷めた色でこちらを見つめて来るのだ。

(……くそッ……)

 思わず、ギリリと歯を噛み締める。
 思い浮かべる冷たく凍った紫水晶の瞳は、会話の間中、こちらを見ているのに、意識はどこか遠くを見ていて、クラウスをまともに見ている様には見えなかった。丁寧な口調の中にあるよそよそしさと、クラウスの取り巻き達のように熱のこもっていない冷ややかな視線に、表面だけ取繕われた素っ気ない話ぶり。
 そんな風にあしらわれたのは、初めてだ。

「熱くなると、火傷するぞ」
「…………」

 急に黙り込んだ親友に、背後の男――メンフィス・カルトナーは忠告をする。

(聞いてないな……)

 やれやれと息を吐き、メンフィスはテーブルの上の冷めた紅茶を口に含んだ。

 メンフィスの親友クラウスは、昔から一度言い出すと聞く耳を持たない性質である。女好きの自分と、この男は気が合うし、世に言う所の“悪い遊び”をすることも多い。顔の良いクラウスは女に困らないから、時折自分に女を都合して貰うこともあった。
 彼は女に対して支配的で、良くも悪くも考え方が前時代的だ。
 その上、プライドが高い。自尊心を傷つけられるようなことがあると、相手に報復するまで手がつけられ無くなる悪癖がある。いつだったか……自分が手懐けた女が他の男と駆け落ちをしようとした時は、相手の男の前で泣き叫ぶ女を雇ったならず者達に暴行させ、自分はその間中二人の様子をずっと笑いながら見物していた。
 自分が彼と同じ寄宿舎学校に居た際も、その後も、女絡みでは随分と尻拭いをさせられた。

(まぁ、その貸しのお陰で、俺は甘い汁を吸うことも出来るわけだが)

 しかし、今回は相手が悪い。
(……血迷ったことをしでかさなきゃいいがな……)

 彼の背中越しに窓の外を見つめながら、メンフィスはめんどくさそうに眉間に皺を寄せる。

 先程から気になっていた。
 クラウスが覗く、窓の外。

気配かは分からないが、術の匂いがするんだよなぁ……)

 魔術師の端くれであるメンフィスは、その術の気配に集中しながらすっと目を細めると、窓の外へ、もう一度、目を凝らす。

「…………」

 冷たい秋雨がしとしとと音を立てて降り続けていた。

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