溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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5.約束の記憶

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『……アイリス、コーウェンとずっと一緒に居るんだもん!』


 コーウェンは、ぽかんと口を開けて、抱き上げた腕の中にすっぽりと収まっている目の前の幼い子供を見た。

『アイリス、コーウェンのお嫁さんになるの!』

 紫水晶の瞳はキラキラと輝いて、真剣な様子で真っ直ぐに自分を見つめている。

 ――まさか、こんな子供に結婚の約束をされるとは。

 コーウェンは予想外の、この幼子の申し出に内心困惑していた。
 彼女はまだ幼いとは言え、王家の血筋を引く公爵家の令嬢だ。彼女の両親を見れば、彼女の美貌も将来有望なことが分かる。
 コーウェン自身もこの友と言える唯一の友人エーディス公爵夫妻の娘は、自分の妹だか姪っ子のような感覚で、目に入れても痛くない程可愛がっている。

 将来、彼女がどんなに美しい娘になるか、それはそれは楽しみにしているのである。
 ……楽しみではあるのだが、そんな小さな淑女レディは、あろうことか、将来の伴侶に自分を指名した。
 目の前で今、自分の花嫁になると駄々をこねるこの愛くるしい公爵令嬢は、である自分には眩しい。

 朗らかな、太陽の光のように無邪気で無垢な少女を目の前にして、コーウェンは困惑していた。

(……よりによって、この俺の『花嫁』になりたい……だと?)

 コーウェンは彼女の両親エーディス公爵夫妻と親しい。

 彼女の母親は『砂漠の至宝』と謳われた亡国の姫君で、父親は現アルディア国王の王弟である。
 その亡国の名は『タイラント』と言う。それは古い古い……歴史のある国だった。
 しかし、その名を持つ国は今はもう無くなり……現在の名を『ファルマール』と言う。

 ファルマール国が建国する際、アルディアはその後ろ盾となった。それに至った経緯の詳細は割愛するが、アイリスの両親の結婚がアルディアと言う大国を動かした大きな理由なので、アルディアとファルマールの両国は今も切っても切れない間柄なのである。
 そして、そのファルマールが建国される際に尽力したのが、亡国タイラントの元宰相であったコーウェンの祖父であり、現在のファルマールの新しい王であるレヴィだ。レヴィ国王は、タイラントの血を引く正当な後継者であり、目の前の娘アイリスの実母エメリア皇女の弟だ。
 時折、こうしてコーウェンが新しく生まれ変わった祖国の特使として、アルディアの王宮に訪れるようになったのもその為で、そのついで……と、言う訳でも無いが彼の友人でもあるエーディス公爵夫妻と、その娘であるアイリスにも顔を見せに来るのだった。

 幼い頃から知っているアイリスとは、こうやってコーウェンがやって来た際にはいつも遊んでやっている。
 大きな上背を活かしてあやすときゃいきゃいと高い声を上げて喜んでくれるのが嬉しくて、肩に乗せてやったり、腕に抱いて庭を連れて歩いたり、よく可愛いがっていた。

 しかし、こんなことを言い出したのは今日が初めてだ。

『アイリスは、コーウェンと結婚するー』

『ははは……あー、ま、お前さんが年頃になっても、俺を選ぶなら考えてやるよ』

 この時の言葉自体が嬉しくて、幼い子供の戯言だと思いながら、ママゴトに付き合ってやるような軽い感覚でそう答えたのであって、コーウェン自身はこれを本気にして答えた訳では無かった。 
 苦笑を浮かべながら頬を掻き、少々複雑な気持ちで軽くそう少女に返すと、先程から真剣な表情で自分を見つめていた小さな少女が、ようやく表情を和らげ、嬉しそうに花が開くような満面の笑みを浮かべる。


 だが、抱き上げていた腕から下ろした後、まだ六つになったばかりの幼い少女は、自分にこう言ったのだ。










『これからもずっと長い時間を過ごすから、私が隣りに居るの。だから、寂しく無いよ』


と。


















 コーウェンは、目の前の若く美しい娘を見た。

 彼女が六つの年に会って以来、十四年の間二人は会ってはいない。

 その間に、あの陽だまりのように笑う愛くるしかった幼い少女は、大人の女性へと成長し、誰もが想像していた通りの美貌の令嬢となっていた。

 父親譲りの白金の髪は、薄紅色の薔薇の花のようなたっぷりとしたドレスに合わせて緩く巻かれて纏めてあり、その上に小さくても細やかな細工を施された髪飾りを着けている。
 ドレスのデコルテからは、ぬけるように白い滑らかな肌が覗いていて、華奢な首元には控え目ながら珍しい石を埋め込んだ首飾りが輝いている。
 年の割に少々幼く見えるけれど、清楚で端正な面立ちの彼女が、瑞々しい中にもどこか艶めかしいのは年相応の色気が備わって来たからだろうか。その頬も、この場の熱気の為か上気している。震える長い睫毛に縁取られた紫瞳はきらきらとあの頃のように輝きながら、意思の強そうな双眸がコーウェンのを捉えている。
 ぽってりとした柔らかそうな唇には、薄く艶やかな紅が引いてあり、その唇からは滑舌の良い涼やかな声が自分に向けて言葉を紡ぐ。

 彼女の一つ一つの造作が目を惹き、コーウェンは思わず彼女から目を離せなくなった。


 これは、もう少女では無い。
 大人の女だ。

(……ホントに……大人になったなぁ)


「どうして、貴方……年を取らないの?」


 そう尋ねた彼女に、咄嗟に言葉が返せなかったのは自分がこの娘に見惚れてしまっていたから……なのかもしれない。




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