溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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4.赤茶髪の男、再び。

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 目の前に居る人物を見て、アイリスは硬直した。

 華やかな紳士や淑女達の集う今宵、薄汚れ、所々擦り切れた外套と旅装束に皮袋を担いでこの場に立っている男の姿は、明らかに浮いている。
 しかし、肝心の本人ときたら……そんなことを気にする素振りは全く無く。自分に向かってにかっと笑って見せたその笑みは、あの時と全く変わらなくて、正直、少し憎たらしいくらい眩しい。

 どくん。と、鼓動が跳ねた。

 懐かしい顔。
 懐かしい笑顔。
 懐かしい、声。

 父上よりも低いけど、青年らしいその声が私を『アイリス』と呼ぶのが、大好きだった。

「アイリス……すっかり大人になっちまって、まー。姫さんに似て美人になったなぁ」

 コーウェンは、そう言ってそっと私の隣りに歩み寄り、ぽん、と大きな手のひらを頭に軽く載せる。

「き、君は誰だ? 僕達は、彼女に用があるんだ。邪魔をしないでく――」
「――ぁあン? 俺の大事なアイリスちゃんに何の用事があるって?」

(……俺の大事な?)
 その言葉を聞いて、僅かに肩が震えた。

 人懐こい笑顔で笑ったこの人の顔を呆然と見上げながら、私はまだ動けずにいた。

 私の前で声をかけて来た二人組は、最初は突然やって来た男に向かって食ってかかろうとしていたが、コーウェンが笑顔の奥から這い上がるような低い声を出した途端、怯んだ。

「あ、ああ……いえっ……その……」

 私はこの頃になって、やっと正気を取り戻した。

「お二方共、御機嫌よう。私、この方と約束をしておりましたの。遅れてごめんなさい。コーウェン。行きましょう?」
「え……ちょっ――」

 正気を取り戻した私は、いまだ動揺している自分を何とか抑えて彼らを見て微笑む。勿論、これはなるべく、余裕があるように見せる為にだけれど。
(隙を見せたら負けよ。私は怖がってない……怖がってなんか……)

 憐れな男二人は、まだ何か言い足りないのか、未練がましくその場に留まっている。
 もしかしたら、私に本当に何か用事があったのかもしれない。正直、そうだったとしても、さっきはちょっと真剣に身の危険を感じてしまったから、ノコノコ付いていくつもりは無いけども。

「……まだ、何か用があるのか?」

 ああ……コーウェン。全く変わって無いわ。怒ると昔から怖いの。
 だから、目の前の二人組には、さっさとこの場から立ち去るように促したつもりだったのだけど、上手く伝わらなかったみたい。残念。

 まぁ、何はともあれ今のうちだ。

(相手が怯んでいる間に、さっさと立ち去っておきましょう)

「コーウェン、行きましょう。母上達にはもうお会いになったかしら? きっと、会いたがっているわ」

「あー……姫さんに会うのも久しぶりだなぁ。ユーリは元気か?」
「父上は……相変わらずよ。二人とも相変わらず、私の前でもいちゃいちゃしてるわよ」
「ははっ……流石ユーリ。そりゃすごいな。見事な溺愛ぶりは健在か」

 コーウェンを促し、毒気を抜かれて呆然とする二人組の彼らにも小さく挨拶をすると、私達はそっとその場を後にした。


「……助けてくれて、ありがとう。後一歩、貴方が遅かったら、私、助けを求めて叫んでいたかもしれないわ」
「はははっ……いいってこった。それよかアイリスが“叫んで助けを求めるようなこと”にならなくて良かったぜ。無粋な奴らは……どこにでも居るからな」

「……そうね。でも、貴方もこの場では……随分と浮いているわよ」

 私は彼の身を包む旅装束に目を走らせながら、そう言うと、彼は少々バツの悪そうな顔をして、頬をポリポリと掻いた。

「あー、こんな格好で悪いな。ユーリが俺が立ち寄ることを伝えてくれてて、正直、助かったぜ。城の門番も最初は不審そうな顔をしてたけど、何とか通してくれたんだけどな……」

 この人はコーウェン。
 昔からの父と母、共通の友人。
 そして、実は私の初恋の相手だったりする――のだけれど……

 随分、長い間会っていなかったにもかかわらず、彼の言葉は何の隔たりも無い。昨日別れた友に翌日会いに来た……みたいな雰囲気だ。
 こう言う……人見知りし無い、誰とでも気さくに話せるのはこの人の特技だと思う。どこでも、誰とでも、不思議とすぐに打ち解けている。その場に馴染んでしまうのだ。

(それなのに、急に姿を消してしまう……“あの時”も……まるで初めから居なかったみたいに)

 二人並んで、昔のことを思い出しながら懐かしい思い出話をしつつ、母上の元へ向かう。

「ねぇ。ところで……」

 先程の二人組から少し離れた頃、私は彼が現れた時から気になっていたことを聞こうと口を開いた。

「コーウェン、聞きたいことがあるんだけど」

「……うん?」

 コーウェンの琥珀の瞳が私の視線と絡んで、少したじろいでしまう。
 幼い頃、この優しい飴みたいな色の目が大好きだったな。
 彼は本当に、何にも変わらない。

(変わったのは、私だけ……)
 今の私を彼はどう思ったのだろう。

 唇を湿らせ、恐る恐るその目を見つめ返しながら尋ねた。



「どうして、貴方……年を取らないの?」






 
 
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