溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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序章

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 昔々、あるところに気が強くて可愛らしい貴族の娘が居ました。


 娘の母親は、オスタリア大陸の北側に位置する古い歴史を刻む国の皇女様でした。
 彼女の父君であるその国の皇帝が身罷みまかった後、彼の君を謀殺した首謀者は国中を捜し、皇女様の行方を追いました。そこで、皇女様は大国である隣国アルディアへと、頼り無き若い娘の身で一人、命からがら逃げ延びたのです。

 国主の一族の大半は命を落とし、残りの者は散り散りとなって離散した為、国の舵取りをする者を失ってしまったその国は次第に荒れて行きました。

 皇女様は国の有り様を大変憂いました。とは言え、彼女は当時、まだ十五、六になったばかり。
 その上、母君である皇妃殿下が亡くなられた後、成人の日を迎える十五の年を数える前に、斎宮のお務めを果たさんが為、塔の中で祈りを捧げる為に世俗から離れた、世間知らずのか弱き存在です。

 皇女様は塔に籠り、俗世と離れ、国家の安寧を静かに祈る斎宮神子として、ただ一人、静かにお務めを果たしておいででした。

 彼女の力一つでは、最早内乱状態と成り果てた祖国を、すぐにどうにかすることも出来なかったのでございます。

 そこで彼女は、国の再興を何とか実現する方法が無いかと知恵を巡らせ、目立たぬよう姿を変え、アルディアの市井に紛れて情報を集めつつ、宿屋の養女として働きながら機会を伺うようにして、数年の月日を過ごしました。

 そんな彼女が二十歳になる頃、これもまた運命の悪戯とでも申しましょうか……とある偶然から――さる御身分の、若く美しい青年と出会い、恋に落ちました。
 皇女様と彼女の夫君となった美しき青年ユーリは、アルディア王国の王弟殿下であり、また大層腕の立つ騎士でもありました。
 彼らは、旅の途中で出会ったとある高名な魔術師と共に、その叛逆者たる皇帝殺しの首謀者と対峙し、見事に打ち勝ちました。

 皇女様と夫君のふたりは、そうして、様々な難題や困難の末に結ばれ、皇女様はやがて、子供を宿します。

 十月十日の月日が満ち、皇女様は彼女によく似た可愛らしい娘を産み落とし、その数年後には、弟君も生まれました。

 二人の子供達に恵まれ、幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。と、物語の最後に申しますのが、常。決まり文句でございます。


 ――ですが、二人の子供のうち弟君には無いものが一つだけございました。つまりは、姉君であるその娘だけが持って生まれて来たのです。

 そう。その娘は生まれつき……少々変わった力を備え持っていたのでございます。

 娘の母親である皇女様の名はエメリア。
 かつて『砂漠の至宝』と謳われた美しい姫君で、神の系譜とされる国主の一族の末裔でした。
 そして、彼女もまた、一族に受け継ぐ力を引き継いでおりました。


 エメリア様の祖国であったこの国は一度滅亡し、新たな統治者が治める新たな国が建国されることとなります。

 その亡国の名は、タイラント。




 今はもう無いタイラントの、古代より神と同一視された国のあるじである血族には、特殊な能力ちからが受け継がれていました。

 その能力ちからを、『先見の力』と申します。

 皇女エメリア様の娘であるこの物語の主人公――アイリスには……生まれながらにして、亡国の血に脈々と受け継がれて来た未来を視るが備わっていたのです。
















 少し硬質な赤茶の長い髪が、夜風に吹かれてふわふわと揺れた。

 今夜の月は大きくて、明るい。

 背の高い、しっかりとした体躯に、長い足。
 薄い褐色の肌は月明かりに照らされて普段より濃く見え、真っ黒な人物のシルエットを浮かび上がらせた。
 その様子は、人の形をしているにもかかわらず、何故か狼か何かの獣のようにも見えた。

「……ふぅ」

 タイラントとアルディアの国境にそびえる険しい峰を持つ山脈は、慣れないものには厳しい。しかし、深い緑色の外套と剣を携え、旅装束に身を包んだ男は、旅の疲れとも溜め息とも取れる息を吐いた。常人ならば既に息が浅くなるであろう、空気の薄い山越えをして来たと言うのに、息が乱れる様子も無く、ただ眼下に広がる街を見ている。

「……やぁぁっと、見えてきたか。随分とだなァ」

 ……と、感慨深げに呟くが、その声を拾う者は周りに一人も居ない。それでも御構い無しに、ニンマリと釣り上げられる口元。

「あー、早くこんなとこ降りて、美味い酒飲みてぇ……」

 薄暗い月明りの中で煌々と輝く、街の灯り。流石はオスタリア随一の規模を誇る街だ。その様子は真っ暗な明かりの少ない田舎の町や村の比では無い。まるで、空の星を映したかのようだ。
 見下ろした先にある夜の街を見つめ、ふと、あるひと所の光に目を留めると、男の飴色の瞳に好奇の色が宿った。 
 確か……古い知り合いが、昔、世話になっていた宿屋が王都の外れにまだあったはずだ。
 あの辺りだろうかと、薄闇の中で目を凝らす。

(……夜も更けて来たし、今夜はここで野営することになるが、明日はその宿へ向かうとしよう)

 そんなことを考え、男は身を翻した。

 風が強い。


 バサバサと音を立ててはためく外套の前を掻き寄せ、旅の荷物や路銀の入った皮袋を肩に担ぎ上げると、男は雲に光りを遮られて薄暗くなった闇の中に消えて行った。


 

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