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第4章 魔王の影を払う少女
第110話 エリシアの幸福な夢、そして未来
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昼下がりの午後だった。
太陽の眩しい、雲一つない晴れ渡った日だった。
柔らかな風が背の低い草木を揺らす、見渡しの良い丘だった。
エリシアは、この場所を知っている。
懐かしい場所。何度も来た場所。そして人形になってからは、一度も訪れていない場所。
――なんで
そう思うと同時に、視界は動き出す。
低い視界が次々と光景を変えていくのを見て、エリシアは自分が走っているのを知った。
短い手足とかつて着ていた服が視界にちらほら映る。
エリシアの意思とは関係なく視界は移り変わり、丘を登りきる。
そしてその先に、今はもう見ることの叶わない小屋を見つけて泣きそうになった。
誰のものか分からぬ息が聞こえ、呼吸を整えたのが分かる。
ゆっくりと扉が大きくなるのを見て、自分が扉に近づいているのだと気づいた。
ドアノブを握るのは子供の手。どこか懐かしさのある、手のひらだった。
待ちきれないとばかりにその手はノブを回し、扉を勢いよく開く。
小屋の中は、小さな鍛冶場だった。火のくべられた炉に、乱雑に置かれた多くの刀剣が目に入る。
そしてその奥で、槌を振り上げた男性が振り返った。
「エリー?」
開いた扉の音に気づいたのか、首だけで男性が振り返る。
今はもう誰も呼ぶことのなくなった名前を告げて。
――あぁ
顔を見て、エリシアは泣いた。涙は流れなかったけれど、確かに泣いた。
記憶の中の姿と少しも変わらぬままで、最愛の父は振り返った。
今はもう記憶の中にしか居ない、会えない人。
「パパ! やっぱりここに居た!」
甲高い子供の、嬉しそうな声が響き渡った。
目を見開き、エリシアは気づく。いや、本当は最初から気づいていた。
自分が見ている光景が、過去の出来事の焼き回しであることを。
――これは、夢。幸せなころの、夢
アトを身に宿してしまい全てを壊してしまったあの日を迎えるまでの、とても穏やかで、今はもう取り戻せない幸せな日々。
なぜこんなものを見なくてはいけないのか。自分の居場所は夢の中にしかないのか。
そう思い始めた時。
「パパ! 稽古して! エリー、すっごく強くなったんだよ?」
「本当かい? それは楽しみだ」
――あぁ
懐かしい、そうエリシアは思った。
父は刀鍛冶でありながらも、剣の腕も立つ人だった。
そんな彼に憧れ、そして強さにエリシアは焦がれた。いつか父に追いつきたいと、そう思って。
「これはもうパパ追い抜かれちゃうかもなぁ」
彼はどちらかというと鍛冶に注力していて、剣術はおまけのような扱いだった。
エリシアにいつか抜かれることが分かっていたからこそ彼はそんなことを言ったのだろう。
今のエリシアならばそれが分かるが、幼い頃は父が何でも出来る英雄のように思えた。
腰に下げた黒い刀を振るう姿は輝いて見えて。
空を切る刃の音が心地よくて。
魔物に襲われたときも、母と自分を護って戦ってくれた。
「そしたらエリーがパパを護ってあげる!」
「本当かい? これは楽しみだ」
そんな未来など訪れないのに。
訪れるのは父を、母を、良くしてくれた人を斬殺する最悪の地獄だというのに。
エリーと父は笑いあっていた。
――でも、もうここでいい
もう、夢でいいと思った。辛い未来の事が過ぎってしまうけど、今この場は幸せだ。
ならずっと、幸福の中で過ごしていきたい。
たとえそれが終わりのない、エリシア自身を殺す檻になってもそれでもよかった。
むしろ代わりの檻としてはちょうど良い。檻は檻でも、心地よいのだからいいじゃないか。
「パパ、それなに?」
エリーの言葉にエリシアは顔を上げ、炉の中に視線を向ける。
赤く光り輝いている鉄。まさに今父が打っているそれを、エリシアは知っている。
彼女が知っているのは、未来において白い柄を備える一振りの刀だが。
「これはまだエリーには早いよ。近づいてはいけない」
「えー、なにそれー。いいもーん、じゃあこっちみるー」
父に注意され、不貞腐れたエリーは既に完成している刀の方に向かってしまう。
そう、幼い時は父の武器に夢中だった。
自分用の武器が欲しくて欲しくてたまらなかった。
幼い自分には早いに決まっているのに、父の腰に差した刀が気になっていた。
結局は勝手に強奪するような形になってしまうのが心苦しくはある。
『お父さん、ごめんな――』
せめて夢の中だけでも謝ろうと思い、声を出した。
声など届くわけもないのに、謝らずにはいられなかった。しかし。
「……これは、未来のお前にな」
『――――』
父の想いを聞いてしまい、絶句した。
白い刀は父の二番目の刀だと聞いていた。
黒い刀がダメになるまで家の蔵に収めておくのだと。
けれどそれが本当は誰に向けられたものであるのかを、今初めて知った。
「なぁエリー、なんでエリーは強くなりたいんだ?」
「んー?」
父の問いかけに対して、刀を様々な角度から見ながらエリーが答える。
瞳は輝いていて、数多くの芸術ともいえる刀に夢中なようだ。
子供だから仕方ないと思うものの、昔の自分の姿なので少しこそばゆさをエリシアは感じていた。
「パパとママを護りたいからだよ?」
「ああ、それはよく分かるよ」
父は近づき、エリーの頭を撫でた。
「でも他にも護りたいものを作らなきゃな」
「んー? それがパパとママだって言ってるでしょー?」
子供なエリーは父の言うことが分からずにむーっと膨れている。
言っていることが伝わっていないと思っているのと、父の言っていることが分からないために不機嫌そうだ。
そんなエリーの頭を撫でながら父は穏やかに笑う。
――こんなこと、あった気がする。
先ほどの刀の下りといい、なんとなく覚えがある程度だが、今の話を父とした気がする。
ただ当時の自分は幼くて、それゆえに父の言うことが分からなくて。
「ははは、じゃあまずはエリーは護りたいと思える人を探すところからだな」
「だーかーらー! パパとママだってば!」
「パパとママが大好きなのはとっても嬉しいんだけどなぁ」
――あぁ、教えてくれてたんだ
けれど今なら父の言いたいことが分かる。
誰かを護るために剣を振るいたいという幼いエリーに、伝わらなくても彼は告げる。
そしてそれは、もう何もなくなった空っぽのエリシアに伝えてくれる。
「ちゃんとその人の事を知って、心から護りたいという人を見つけるんだ。
パパにだって出来たんだから、いつかエリーにもできるよ。
でも、ちょっとエリーには早かったかな?」
「むー、早くないですー! 分かりますー!」
「ははは、そうだな。これはまだまだ時間がかかりそうだ」
――パ……パ……
父も母も、優しい人だった。
自分の事を深く愛してくれて、いつも見守っていてくれた。
だからエリーの気持ちがまだ具体的なものでなくても、それでよかったのだろう。
ただその先に、いつか父と母ではない誰かを見つけられることを願ってくれた。
今なら父の言いたいことが分かる。
父や母ではなく、未来に共に居るであろう友や仲間を護るために剣を振るうこと。
そして自分がそれを心からできるように、しっかりとその友と仲間を見ること。
「さて、じゃあ行こうか。ママが待ってるよ」
「むー! また子ども扱いして!」
「お菓子あるよ?」
「お菓子!? ママのお菓子食べるー!」
先ほどのやり取りなどすっかり頭から消え去ってしまったエリーと手を繋ぎ、父は小屋を後にしようとする。
太陽の光が眩しいくらいに差し込んだ外へ、二人で出て行く。
扉が閉まるそのとき、父が首だけを振り向いた。
おそらく中を念のために確認したのだろう。
火は消しただろうか? そういった確認だったはずだ。
だがエリシアの目には、父が微笑んだように見えた。
それが自分が見せた都合の良い夢でも、エリシアにとっては十分だった。
×××
まどろみから覚め、深い海の水が抜けていくかのようにエリシアは目を覚ます。
辺りを見回してみれば部屋の明かりはついたままだが、窓から見える外は真っ暗になっていた。
どれくらい眠っていたのかは分からないが、夜にはなってしまっているようだ。
「…………」
気持ちは軽い程ではないが、不思議と眠りに落ちる前の息苦しさはなくなった。
というよりも、良いものも悪いものも全て体の中からなくなったような、そんな感覚だった。
「……あの」
居るかどうか分からなかったが、声をかけてみるとすぐに返事が返ってきた。
「エリシア様? どうかなさいましたか?」
どうやら扉の前でずっと待機してくれていたらしいバランのメイドに内心で礼を告げて、エリシアは言葉を紡ごうとする。
いつものように声を出そうとして、しかしふと思い直し、息を吐く。
「レオさんを呼んで。一人で来て欲しいって」
出た言葉はとてもまっすぐで、上げた顔にはいつもの空虚な瞳ではなく、幼い頃のエリーが宿していたような光が灯り始めていた。
太陽の眩しい、雲一つない晴れ渡った日だった。
柔らかな風が背の低い草木を揺らす、見渡しの良い丘だった。
エリシアは、この場所を知っている。
懐かしい場所。何度も来た場所。そして人形になってからは、一度も訪れていない場所。
――なんで
そう思うと同時に、視界は動き出す。
低い視界が次々と光景を変えていくのを見て、エリシアは自分が走っているのを知った。
短い手足とかつて着ていた服が視界にちらほら映る。
エリシアの意思とは関係なく視界は移り変わり、丘を登りきる。
そしてその先に、今はもう見ることの叶わない小屋を見つけて泣きそうになった。
誰のものか分からぬ息が聞こえ、呼吸を整えたのが分かる。
ゆっくりと扉が大きくなるのを見て、自分が扉に近づいているのだと気づいた。
ドアノブを握るのは子供の手。どこか懐かしさのある、手のひらだった。
待ちきれないとばかりにその手はノブを回し、扉を勢いよく開く。
小屋の中は、小さな鍛冶場だった。火のくべられた炉に、乱雑に置かれた多くの刀剣が目に入る。
そしてその奥で、槌を振り上げた男性が振り返った。
「エリー?」
開いた扉の音に気づいたのか、首だけで男性が振り返る。
今はもう誰も呼ぶことのなくなった名前を告げて。
――あぁ
顔を見て、エリシアは泣いた。涙は流れなかったけれど、確かに泣いた。
記憶の中の姿と少しも変わらぬままで、最愛の父は振り返った。
今はもう記憶の中にしか居ない、会えない人。
「パパ! やっぱりここに居た!」
甲高い子供の、嬉しそうな声が響き渡った。
目を見開き、エリシアは気づく。いや、本当は最初から気づいていた。
自分が見ている光景が、過去の出来事の焼き回しであることを。
――これは、夢。幸せなころの、夢
アトを身に宿してしまい全てを壊してしまったあの日を迎えるまでの、とても穏やかで、今はもう取り戻せない幸せな日々。
なぜこんなものを見なくてはいけないのか。自分の居場所は夢の中にしかないのか。
そう思い始めた時。
「パパ! 稽古して! エリー、すっごく強くなったんだよ?」
「本当かい? それは楽しみだ」
――あぁ
懐かしい、そうエリシアは思った。
父は刀鍛冶でありながらも、剣の腕も立つ人だった。
そんな彼に憧れ、そして強さにエリシアは焦がれた。いつか父に追いつきたいと、そう思って。
「これはもうパパ追い抜かれちゃうかもなぁ」
彼はどちらかというと鍛冶に注力していて、剣術はおまけのような扱いだった。
エリシアにいつか抜かれることが分かっていたからこそ彼はそんなことを言ったのだろう。
今のエリシアならばそれが分かるが、幼い頃は父が何でも出来る英雄のように思えた。
腰に下げた黒い刀を振るう姿は輝いて見えて。
空を切る刃の音が心地よくて。
魔物に襲われたときも、母と自分を護って戦ってくれた。
「そしたらエリーがパパを護ってあげる!」
「本当かい? これは楽しみだ」
そんな未来など訪れないのに。
訪れるのは父を、母を、良くしてくれた人を斬殺する最悪の地獄だというのに。
エリーと父は笑いあっていた。
――でも、もうここでいい
もう、夢でいいと思った。辛い未来の事が過ぎってしまうけど、今この場は幸せだ。
ならずっと、幸福の中で過ごしていきたい。
たとえそれが終わりのない、エリシア自身を殺す檻になってもそれでもよかった。
むしろ代わりの檻としてはちょうど良い。檻は檻でも、心地よいのだからいいじゃないか。
「パパ、それなに?」
エリーの言葉にエリシアは顔を上げ、炉の中に視線を向ける。
赤く光り輝いている鉄。まさに今父が打っているそれを、エリシアは知っている。
彼女が知っているのは、未来において白い柄を備える一振りの刀だが。
「これはまだエリーには早いよ。近づいてはいけない」
「えー、なにそれー。いいもーん、じゃあこっちみるー」
父に注意され、不貞腐れたエリーは既に完成している刀の方に向かってしまう。
そう、幼い時は父の武器に夢中だった。
自分用の武器が欲しくて欲しくてたまらなかった。
幼い自分には早いに決まっているのに、父の腰に差した刀が気になっていた。
結局は勝手に強奪するような形になってしまうのが心苦しくはある。
『お父さん、ごめんな――』
せめて夢の中だけでも謝ろうと思い、声を出した。
声など届くわけもないのに、謝らずにはいられなかった。しかし。
「……これは、未来のお前にな」
『――――』
父の想いを聞いてしまい、絶句した。
白い刀は父の二番目の刀だと聞いていた。
黒い刀がダメになるまで家の蔵に収めておくのだと。
けれどそれが本当は誰に向けられたものであるのかを、今初めて知った。
「なぁエリー、なんでエリーは強くなりたいんだ?」
「んー?」
父の問いかけに対して、刀を様々な角度から見ながらエリーが答える。
瞳は輝いていて、数多くの芸術ともいえる刀に夢中なようだ。
子供だから仕方ないと思うものの、昔の自分の姿なので少しこそばゆさをエリシアは感じていた。
「パパとママを護りたいからだよ?」
「ああ、それはよく分かるよ」
父は近づき、エリーの頭を撫でた。
「でも他にも護りたいものを作らなきゃな」
「んー? それがパパとママだって言ってるでしょー?」
子供なエリーは父の言うことが分からずにむーっと膨れている。
言っていることが伝わっていないと思っているのと、父の言っていることが分からないために不機嫌そうだ。
そんなエリーの頭を撫でながら父は穏やかに笑う。
――こんなこと、あった気がする。
先ほどの刀の下りといい、なんとなく覚えがある程度だが、今の話を父とした気がする。
ただ当時の自分は幼くて、それゆえに父の言うことが分からなくて。
「ははは、じゃあまずはエリーは護りたいと思える人を探すところからだな」
「だーかーらー! パパとママだってば!」
「パパとママが大好きなのはとっても嬉しいんだけどなぁ」
――あぁ、教えてくれてたんだ
けれど今なら父の言いたいことが分かる。
誰かを護るために剣を振るいたいという幼いエリーに、伝わらなくても彼は告げる。
そしてそれは、もう何もなくなった空っぽのエリシアに伝えてくれる。
「ちゃんとその人の事を知って、心から護りたいという人を見つけるんだ。
パパにだって出来たんだから、いつかエリーにもできるよ。
でも、ちょっとエリーには早かったかな?」
「むー、早くないですー! 分かりますー!」
「ははは、そうだな。これはまだまだ時間がかかりそうだ」
――パ……パ……
父も母も、優しい人だった。
自分の事を深く愛してくれて、いつも見守っていてくれた。
だからエリーの気持ちがまだ具体的なものでなくても、それでよかったのだろう。
ただその先に、いつか父と母ではない誰かを見つけられることを願ってくれた。
今なら父の言いたいことが分かる。
父や母ではなく、未来に共に居るであろう友や仲間を護るために剣を振るうこと。
そして自分がそれを心からできるように、しっかりとその友と仲間を見ること。
「さて、じゃあ行こうか。ママが待ってるよ」
「むー! また子ども扱いして!」
「お菓子あるよ?」
「お菓子!? ママのお菓子食べるー!」
先ほどのやり取りなどすっかり頭から消え去ってしまったエリーと手を繋ぎ、父は小屋を後にしようとする。
太陽の光が眩しいくらいに差し込んだ外へ、二人で出て行く。
扉が閉まるそのとき、父が首だけを振り向いた。
おそらく中を念のために確認したのだろう。
火は消しただろうか? そういった確認だったはずだ。
だがエリシアの目には、父が微笑んだように見えた。
それが自分が見せた都合の良い夢でも、エリシアにとっては十分だった。
×××
まどろみから覚め、深い海の水が抜けていくかのようにエリシアは目を覚ます。
辺りを見回してみれば部屋の明かりはついたままだが、窓から見える外は真っ暗になっていた。
どれくらい眠っていたのかは分からないが、夜にはなってしまっているようだ。
「…………」
気持ちは軽い程ではないが、不思議と眠りに落ちる前の息苦しさはなくなった。
というよりも、良いものも悪いものも全て体の中からなくなったような、そんな感覚だった。
「……あの」
居るかどうか分からなかったが、声をかけてみるとすぐに返事が返ってきた。
「エリシア様? どうかなさいましたか?」
どうやら扉の前でずっと待機してくれていたらしいバランのメイドに内心で礼を告げて、エリシアは言葉を紡ごうとする。
いつものように声を出そうとして、しかしふと思い直し、息を吐く。
「レオさんを呼んで。一人で来て欲しいって」
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