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第4章 魔王の影を払う少女
第109話 全てを失った少女
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エリシアはアトに体を奪われていても意識はあると、勝手にそう思い込んでいた。
だから目を覚ましたときには、どうしようもなかったとはいえ、自分の体があの災害を引き起こしたことで自暴自棄になるかと心配していた。
けれど、彼女はそのことをまるで覚えていなかった。
アトが活動している間は、エリシアは眠りについているようなものだったのだと、知った。
目の前で起きているのに止められない災厄を見ることはとても辛いことだろう。
それを経験しなかったのは不幸中の幸いともいえる。
けれどすべてが終わった後に第三者から取り返しのつかない事をした結末を聞くことは同じくらい辛いことなのではないのかとレオは思ってしまった。
「……どう……いうこと?」
説明を切り出せずにいるレオの耳にエリシアの声が届く。
自分の体を見下ろしていた彼女は目を見開いて驚いていて、自分の中にアトが居なくなったことを知ったのだとレオは気づいた。
自分の体を抱きしめ、やや震えながらエリシアは顔を上げてレオを見る。
その瞳にはいつもの無機質さはなく、恐怖の感情がありありと浮かんでいた。
「エリーは……エリーは……なにを……」
「……っ」
話さなければならないのか。何も知らない、この少女に。
言わないといけないのは分かっている。けれどなかなか言葉が出てこない。
これから言うことが彼女を深い絶望に追いやると、レオは思ったから。
目を瞑り、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
話しにくい事だ。叶うなら、このまま何も知らないのが幸せだろう。
「この街の塔の前で、エリシアはアトに体を奪われた」
それでもレオは話すことを決めた。
エリシアを救うと決めて皆を巻き込んだのは自分で、救ったのも自分だから。
だから今この場でエリシアに話すべきなのは他でもない自分だとレオは思った。
「アトは……街中に魔物を放った。小さな魔物から大きな魔物まで本当に多く。
魔物によって被害が出る中、俺達は塔の前に行ってアトと戦った」
「…………」
服が皴になる程腕を強く掴み、エリシアは震えている。
見ていて痛々しくなるくらいに絶望の最中に居る彼女を見れば、多くの人は話すことを辞めるだろう。
けれどレオは話を止めなかった。
彼女の手は腕を必死に押さえて震えてはいるが、耳を塞いではいなかったから。
「戦いの決着はつかなかった。けどある助けがあって、エリシアは封じられた状態になった。
封じられたからだと思うけど、街の中に居る魔物の姿は消えた。
これが昨日の夜中にあったことだ。だから街の被害は、比較的抑えられた」
「…………」
アルティスの街の被害が最小限だったことを説明しても、エリシアは顔を上げない。
俯いた顔は血色が悪く、瞳は滅茶苦茶に揺れ動いていた。
彼女は最初から知らされていたのだろう。
今の説明がアトによる災厄の始まりに過ぎないことを知っているようだった。
「その後、プリオル山脈まで封印されたアトを連れてきた俺達はそこでアトを壊した。
だからアトが死に際に爆発したときは周りに人は居なかったし、俺達も無事だった。
黒い華には驚いたけど、押し寄せる魔物は全部倒したからその後の被害者は居ない」
極力言葉を選んで、ぼかしつつレオは説明を終えた。
彼の説明は間違っていない。
アトは確かに強大であったが、シェイミの協力があったおかげでレオ達の被害はゼロだ。
ただしそこには致命的な過程が潜んでいる。
そしてそれを一番わかっているのは、他ならぬエリシアだった。
「……エリーは……なんで……生きているの?」
被害者は居ない。だが、被害を被った人は居る。
彼女が死ななければアトは爆発しないし、黒い華が咲くこともない。
だからその後の唯一の被害者の言葉は、当然のものだった。
「壊れたエリシアに、俺が命を分け与えて蘇らせたんだ」
そう告げた瞬間、エリシアの震えが急に収まった。
顔を上げたエリシアを見て、レオは心臓が止まる錯覚に陥った。
彼女は蘇ったことに喜ぶでもなく、目を見開き、信じられないものを見る目でレオを見ていた。
そしてレオの左右を、悲痛の表情で話を聞いていたアリエスとリベラを見て、次に自分の体を見下ろした。
そこにあるものが自分のものでないとしても、アトと違う温かいものであると分かり、自分が何を犠牲にして生きているのかを悟ってしまったことをレオは知る由もない。
「エリーは……エリーは……」
うわごとのように呟いたエリシアは布団を強く握りしめている。
「ひとりに……して……」
震える声で絞り出したのは、あまりにも弱々しい言葉。
そんな状態のエリシアを放っておくことなどできるはずもなく。
「エリシ――」
「ひとりにして!!」
それは悲鳴のような、叫びのような。
今まで聞いたこともない大声に、レオは唖然として押し黙るしかなかった。
「……皆さん、ここはひとまず。バラン様もです」
沈黙の下りた部屋にメイドの冷静な声が嫌に響いた。
視線で扉を指し示した彼女は、真っ先にレオを部屋から出そうとした。
有無を言わさぬ視線にレオはひとまず頷き、部屋を後にするしかなかった。
後についてくるアリエス達の足音を聞きながら、後ろ髪を引かれる思いながらも扉を開いて部屋を出た。
「念のため私は扉の前に残ります。皆さんは一旦解散でお願いします」
「……そうだな、任せる」
扉の前に番人のように待機するメイドの言葉に、バランはそう返す。
レオ達としても、反対することはできなかった。
×××
誰も居ない部屋でエリシアはベッドの布団を強く握りしめ、俯く。
レオ達に強く当たってしまったという事は分かっているが、そうでもしないとおかしくなりそうだった。
「エリーは……エリーは……」
エリシアはアトから全てを聞かされていた。
自分が死ねば災厄が起きることも、いつか自分がアトに奪われることも、そしてそれを誰にも話してはいけないことも。
だからエリシアは自分の事を人形だと思うようにした。
アトに操られるだけの、意思の持たない人形だと。
「エリーは……どうすれば……」
レオから事の顛末は聞いた。
アトは失敗し、災害は起きたものの被害は最小限に抑えられ、自分は蘇った。
だが、だからといってエリシアの心が晴れるわけではない。
災害はアトがやったことだ。だがそれは自分がやったことでもある。
それにエリシアはそうなることを知っていた。知っていて何も手を打たなかった。
話せなかった。手の打ちようがなかった。それは事実だ。
だが、それでもエリシアは何かできたのではないかと思ってしまう。
そして仮に、もしも仮に打つ手が全くなかったとしても、それでも自分を責めるのを辞められなかった。
「それに……エリーは……」
それ以上にエリシアの心に重くのしかかっていたのはレオに多大な迷惑をかけたという事だった。
彼は何でもない事のように告げたが、近くに居た彼の大切な人達の姿を見ればよく分かる。
自分はレオから奪ってしまったのだと。
憧れていた。尊敬していた。
そんな彼から奪ったということが、エリシアの心を激痛が走るくらいに締め付けていた。
「はぁ……っ……くぁ……」
胸を右手で押さえ、エリシアは不自然な呼吸を繰り返す。
目の前がチカチカと点滅し、上手く息が出来ない。
視界がぼやけ初め、頭が重くなってくる。
「う……ぁ……」
居てもたってもいられなくなり、エリシアは脱力した。
押さえていた手がだらりとベッドの布団の上に落ち、頭を冷たい感触が包んだ。
(エリーは……空っぽ……)
そう思い込んできた。そうだと信じてきた。そうすることでしか心を保てなかった。
(本当に……空っぽだった……)
けれどもアトが居なくなった今、エリシアはそれが思い込みではなく事実であることを知った。
自分には何もない。夢にまで見ることすら諦めた生と自由を手に入れたのに、心の中を巡るのは暗く重いものばかり。
なぜ自分が生きているのか分からない。
これから先どうすればいいのか、分からない。
空っぽな自分には、とてもじゃないが耐えられない。
薄れていく意識の中、まるでエリシアは親を見失った子供のように何かを求めていた。
だから目を覚ましたときには、どうしようもなかったとはいえ、自分の体があの災害を引き起こしたことで自暴自棄になるかと心配していた。
けれど、彼女はそのことをまるで覚えていなかった。
アトが活動している間は、エリシアは眠りについているようなものだったのだと、知った。
目の前で起きているのに止められない災厄を見ることはとても辛いことだろう。
それを経験しなかったのは不幸中の幸いともいえる。
けれどすべてが終わった後に第三者から取り返しのつかない事をした結末を聞くことは同じくらい辛いことなのではないのかとレオは思ってしまった。
「……どう……いうこと?」
説明を切り出せずにいるレオの耳にエリシアの声が届く。
自分の体を見下ろしていた彼女は目を見開いて驚いていて、自分の中にアトが居なくなったことを知ったのだとレオは気づいた。
自分の体を抱きしめ、やや震えながらエリシアは顔を上げてレオを見る。
その瞳にはいつもの無機質さはなく、恐怖の感情がありありと浮かんでいた。
「エリーは……エリーは……なにを……」
「……っ」
話さなければならないのか。何も知らない、この少女に。
言わないといけないのは分かっている。けれどなかなか言葉が出てこない。
これから言うことが彼女を深い絶望に追いやると、レオは思ったから。
目を瞑り、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
話しにくい事だ。叶うなら、このまま何も知らないのが幸せだろう。
「この街の塔の前で、エリシアはアトに体を奪われた」
それでもレオは話すことを決めた。
エリシアを救うと決めて皆を巻き込んだのは自分で、救ったのも自分だから。
だから今この場でエリシアに話すべきなのは他でもない自分だとレオは思った。
「アトは……街中に魔物を放った。小さな魔物から大きな魔物まで本当に多く。
魔物によって被害が出る中、俺達は塔の前に行ってアトと戦った」
「…………」
服が皴になる程腕を強く掴み、エリシアは震えている。
見ていて痛々しくなるくらいに絶望の最中に居る彼女を見れば、多くの人は話すことを辞めるだろう。
けれどレオは話を止めなかった。
彼女の手は腕を必死に押さえて震えてはいるが、耳を塞いではいなかったから。
「戦いの決着はつかなかった。けどある助けがあって、エリシアは封じられた状態になった。
封じられたからだと思うけど、街の中に居る魔物の姿は消えた。
これが昨日の夜中にあったことだ。だから街の被害は、比較的抑えられた」
「…………」
アルティスの街の被害が最小限だったことを説明しても、エリシアは顔を上げない。
俯いた顔は血色が悪く、瞳は滅茶苦茶に揺れ動いていた。
彼女は最初から知らされていたのだろう。
今の説明がアトによる災厄の始まりに過ぎないことを知っているようだった。
「その後、プリオル山脈まで封印されたアトを連れてきた俺達はそこでアトを壊した。
だからアトが死に際に爆発したときは周りに人は居なかったし、俺達も無事だった。
黒い華には驚いたけど、押し寄せる魔物は全部倒したからその後の被害者は居ない」
極力言葉を選んで、ぼかしつつレオは説明を終えた。
彼の説明は間違っていない。
アトは確かに強大であったが、シェイミの協力があったおかげでレオ達の被害はゼロだ。
ただしそこには致命的な過程が潜んでいる。
そしてそれを一番わかっているのは、他ならぬエリシアだった。
「……エリーは……なんで……生きているの?」
被害者は居ない。だが、被害を被った人は居る。
彼女が死ななければアトは爆発しないし、黒い華が咲くこともない。
だからその後の唯一の被害者の言葉は、当然のものだった。
「壊れたエリシアに、俺が命を分け与えて蘇らせたんだ」
そう告げた瞬間、エリシアの震えが急に収まった。
顔を上げたエリシアを見て、レオは心臓が止まる錯覚に陥った。
彼女は蘇ったことに喜ぶでもなく、目を見開き、信じられないものを見る目でレオを見ていた。
そしてレオの左右を、悲痛の表情で話を聞いていたアリエスとリベラを見て、次に自分の体を見下ろした。
そこにあるものが自分のものでないとしても、アトと違う温かいものであると分かり、自分が何を犠牲にして生きているのかを悟ってしまったことをレオは知る由もない。
「エリーは……エリーは……」
うわごとのように呟いたエリシアは布団を強く握りしめている。
「ひとりに……して……」
震える声で絞り出したのは、あまりにも弱々しい言葉。
そんな状態のエリシアを放っておくことなどできるはずもなく。
「エリシ――」
「ひとりにして!!」
それは悲鳴のような、叫びのような。
今まで聞いたこともない大声に、レオは唖然として押し黙るしかなかった。
「……皆さん、ここはひとまず。バラン様もです」
沈黙の下りた部屋にメイドの冷静な声が嫌に響いた。
視線で扉を指し示した彼女は、真っ先にレオを部屋から出そうとした。
有無を言わさぬ視線にレオはひとまず頷き、部屋を後にするしかなかった。
後についてくるアリエス達の足音を聞きながら、後ろ髪を引かれる思いながらも扉を開いて部屋を出た。
「念のため私は扉の前に残ります。皆さんは一旦解散でお願いします」
「……そうだな、任せる」
扉の前に番人のように待機するメイドの言葉に、バランはそう返す。
レオ達としても、反対することはできなかった。
×××
誰も居ない部屋でエリシアはベッドの布団を強く握りしめ、俯く。
レオ達に強く当たってしまったという事は分かっているが、そうでもしないとおかしくなりそうだった。
「エリーは……エリーは……」
エリシアはアトから全てを聞かされていた。
自分が死ねば災厄が起きることも、いつか自分がアトに奪われることも、そしてそれを誰にも話してはいけないことも。
だからエリシアは自分の事を人形だと思うようにした。
アトに操られるだけの、意思の持たない人形だと。
「エリーは……どうすれば……」
レオから事の顛末は聞いた。
アトは失敗し、災害は起きたものの被害は最小限に抑えられ、自分は蘇った。
だが、だからといってエリシアの心が晴れるわけではない。
災害はアトがやったことだ。だがそれは自分がやったことでもある。
それにエリシアはそうなることを知っていた。知っていて何も手を打たなかった。
話せなかった。手の打ちようがなかった。それは事実だ。
だが、それでもエリシアは何かできたのではないかと思ってしまう。
そして仮に、もしも仮に打つ手が全くなかったとしても、それでも自分を責めるのを辞められなかった。
「それに……エリーは……」
それ以上にエリシアの心に重くのしかかっていたのはレオに多大な迷惑をかけたという事だった。
彼は何でもない事のように告げたが、近くに居た彼の大切な人達の姿を見ればよく分かる。
自分はレオから奪ってしまったのだと。
憧れていた。尊敬していた。
そんな彼から奪ったということが、エリシアの心を激痛が走るくらいに締め付けていた。
「はぁ……っ……くぁ……」
胸を右手で押さえ、エリシアは不自然な呼吸を繰り返す。
目の前がチカチカと点滅し、上手く息が出来ない。
視界がぼやけ初め、頭が重くなってくる。
「う……ぁ……」
居てもたってもいられなくなり、エリシアは脱力した。
押さえていた手がだらりとベッドの布団の上に落ち、頭を冷たい感触が包んだ。
(エリーは……空っぽ……)
そう思い込んできた。そうだと信じてきた。そうすることでしか心を保てなかった。
(本当に……空っぽだった……)
けれどもアトが居なくなった今、エリシアはそれが思い込みではなく事実であることを知った。
自分には何もない。夢にまで見ることすら諦めた生と自由を手に入れたのに、心の中を巡るのは暗く重いものばかり。
なぜ自分が生きているのか分からない。
これから先どうすればいいのか、分からない。
空っぽな自分には、とてもじゃないが耐えられない。
薄れていく意識の中、まるでエリシアは親を見失った子供のように何かを求めていた。
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