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第3章 宿敵の家と宿敵でなくなってから

第230話 彼女にやらせない、俺がやる

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~少し前~

「頼む……頼むっ……」

俺は廊下に設置された長椅子に座り、ひたすらに祈っていた。それはシアの暴走しかけの魔力を抑えるためでもあるが、それ以上にユティさんの安否を祈ってでもある。

『アークゲート家先代当主、エリザベート・アークゲートがレティシア様を狙っている』

カイラスの兄上よりもたらされた情報。それは俺を驚かせるには十分すぎるもので、思わずシアを見てしまったくらいだった。シアにより、彼女の母であるエリザベートは亡くなった筈。しかしカイラスの兄上はエリザベートに実際に会ったという。しかもライラックの伯父上まで寝返ったと。

信じられない気持ちでいっぱいだった。シアの母親が生きていたことも、ライラックの伯父上が裏切ったことも。特にライラックの伯父上に関しては相容れない部分があるとは思っていたが、まさか寝返るなんて思ってもみなかった。

カイラスの兄上からもたらされた情報で、俺達も手を打ち始めた。シアの出産タイミングを狙ってくるのなら、それに対してやりようはある。分かっていれば問題ない、というのがシアの考えだ。そのために彼女は、この屋敷の狭い範囲を覆う結界型の魔法を使用することを提案した。

出産開始から終了まで持つ、強固なる守り。その中に俺達が居れば、いくらエリザベートでも手出しが出来ない、そう考えたようだ。彼女の出産で魔力が暴走する可能性はあれど、事前にそれだけは絶対に作り上げると彼女は言ってくれたし、実際、出産間際に手を動かして準備していた結界を作り上げてくれた。

今もなお、俺はその中に居る。シアに護られているし、この守りは絶対だと確信できる。どんな敵がやってきても砕けることはない。

「っ……ユティさんっ……」

けれど今、ユティさんはその中に居ない。俺達はカイラスの兄上からこの話を聞いたときに、エリザベートの事をユティさんやオーロラちゃんに共有しようか迷った。

シアと同じようにユティさんやオーロラちゃんの過去にも大きな影響を与えたエリザベート。そんな人物が生きていたという事を伝えるのが忍びなかったというのが主な理由だが、それでも俺はこの件を二人には共有するつもりだった。

けれどシアはそれに断固反対した。

『……母は強者です。あの人に勝てるとしたら私くらいしか居ません。そして今なお尻尾を掴めていない。もしもユティとオーラに情報を共有すれば、それを母が悟り、襲撃しない可能性があります。もしそうなれば私は彼女を捕捉し、倒すことが出来なくなる』

裏で暗躍し、ティアラやライラックの伯父上まで味方につけたエリザベートを野放しには出来ない。だからこの機会を利用して確実に倒したいというのがシアの考えだった。

『もしも母を逃がせば、次も必ず私の出産や病気などのタイミングで再び仕掛けてきます。今は私のみを見ているからまだいいですが、そのうち私以外にも手を出し始めるでしょう。……それこそ私達の子供にさえも。お願いしますノヴァさん、ここで討ち取るための契機を作らせてください。一度でも母の今の魔力の痕跡を捕捉さえできれば、必ず私が責任をもって何とかしますから』

最後の懇願ともとれるような言葉と強い眼差しで、シアの意見を否定することが出来なかった。結局俺は彼女の意見を受け入れた。シアが屋敷に結界を張ってくれるから、その中にユティさんとオーロラちゃんが居れば問題はないとも考えた。

オーロラちゃんが屋敷に姿を見せていないのが不安材料だったし、シアもそのことを不安に思っていたけれど、俺達はオーロラちゃんならこの日は来てくれると信じてもいたから。

けれどユティさんに関しては完全に予想外だった。こんなことになるなら伝えておけばよかったと改めて思った。彼女が何か嫌な予感を感じ、この場を去るなんて思ってもいなかったから。

シアの言葉を思い出す。エリザベートの力は他と隔絶していて、シアのみしか対抗できない。それが本当なら、ユティさんはエリザベートには勝てない。

彼女が危ない。けれど今俺はこの場を離れることが出来ない。もしも離れれば、金色の山は崩れ、シアの魔力が暴走するのが目に見えている。

だから、祈るしかなかった。

「……あ」

そしてその途中で、感じてしまった。シアの魔力を制御しようと祈りを捧げ、感じ続けていたからこそ感じ取ってしまった。もう一つのアークゲートの魔力。見知らぬもののほかにもう一つ、最近は感じていなかった懐かしいものがある。

ユティさんのものじゃない。これはオーロラちゃんのものだ。オーロラちゃんが戦っている。いや、オーロラちゃんも危険に晒されている。

「嘘……だろっ……くそっ!」

そのことで俺はますます焦り、強く自分の膝を手で叩いた。このままじゃ俺は大切な人を二人も失うことになる。そんなの、許されるわけがなかった。

「っ……誰かっ……誰か――」

声を荒げて誰かを呼ぼうとして、周りには人が居ないことを思い直す。それに、もう遅い。今更人にユティさんとオーロラちゃんを呼んでもらったところで、現に今戦っているなら間に合わないと、気づいてしまったから。

「……え」

そんなとき、不意にシアの魔力の揺れが一気に収まった。これまで必死に祈ることでようやく収められていたのに、それが嘘みたいに静かになった。もう祈る必要が無いくらい、静かに。

「あ……」

そして魔力を通じて声が聞こえた気がした。それは耳に届いたわけでもない、頭に響いたわけでもない。けれど確かに聞こえた。

『ごめんなさい……ノヴァ……さん……魔力はなんとかしますっ……だからっ……』

シアの苦しそうな声を、けれど強い声を、聞いた。

『だからっ……ユティとオーラを……助けて』

信じているという気持ちが痛いほどに乗った声を、聞いた。

「……ああ」

姿は見えないけれど、扉に向けて声を出して俺は強く頷く。もう祈る必要はない。シアが力を貸してくれたから。彼女は動けない。にもかかわらず、死力を尽くして魔力を抑えつけてくれている。出産の激痛に耐えながらそれも行うのは彼女からしても相当な負担だろう。

けれどそれをするほどに、シアはユティさんとオーロラちゃんを思っていて、そして彼女達を俺に任せた。任せて、くれた。俺の……俺達の間違いを取り戻す機会を、俺に託してくれた。

なら、俺がすることは。

駆け出し、シアの執務室に飛び込む。執務室を駆けながら、三つの笑顔が俺の脳裏を通り過ぎる。ユティさんのもの、オーロラちゃんのもの、そしてシアのもの。いずれもフォルス家の出来損ないだった俺に親切に、そして優しくしてくれた大切な人達。

彼女達から色々なものを貰った。腰にある剣だってそうだし、なにより今の俺を作ってくれたのが彼女達だ。だから今度は、俺が彼女達を助ける。過去を断ち切り、彼女達の未来を明るく、輝かしいものにするために。

窓を開き、その縁に飛び乗って足に力を入れる。感じる、魔力が溢れている場所を。その場所は確かに少し遠い。だが、それがどうした。今、俺は急いでいる。あの場に間に合うために、今できることは。

曲げた足を一気に開放して伸ばす。二階からの跳躍で一気に雑木林まで飛んだ俺は地面に着地。足から伝わった衝撃で痛みが走るが、無視してすぐに駆ける。速く、速く、そう念じ続けて走り続ける。もっと速く動けと体に命令する。そしてその命令に、体は答え続ける。

そうして強い魔力が感じ取れる場所まで一気に駆け抜けたとき。
目の前には、一人の女性に首を掴まれ持ち上げられるオーロラちゃんの姿があった。それを見て、胸の奥底から熱くどろどろとしたものがあふれ出す。

地面を蹴り、剣を引き抜いて肉薄。燃料は、強すぎる程の怒り。それらをもって乱暴に、しかし正確無比に女性を狙う。その体を全力で斬り裂かんと、剣を振るう。

女性はそれに気づき、オーロラちゃんから手を離して横に跳んだ。地面に落ちて咳き込みながら肩で息をするオーロラちゃんを一瞥して無事を確認。良かったと安堵のため息を心の中で吐くも、そのため息は途中で強い怒りにかき消された。

「お前……何してる?」

目の前の女性……おそらくはエリザベート・アークゲートに対して殺気の籠った目を向けつつ告げる。彼女が眉を顰めるのが視界に映った。少しだけ顔を動かせば、地面に倒れて小さく息をするユティさんも目に入った。

「よくもユティさんとオーロラちゃんを……」

剣の切っ先を向け、低い声を出す。俺の大切な人を二人もこんな目に合わせたんだ。到底許すことなど出来る筈がない。

「……初めましてだな、ノヴァ・フォルス」

「そういうお前は、エリザベート・アークゲートだろ? カイラスの兄上から話は聞いているよ。あとはシアからもな。……どうしようもない屑な母親だと思っていたけど、まさかここまでだなんて」

「……カイラスか……奴の裏切りが無ければ、計画は上手く行っていたのだがな」

悔しそうに舌打ちをするエリザベートに対して、俺は鼻で笑う。こいつは何も分かっていない。俺の妻でユティさんの妹で、オーロラちゃんの姉であるシアがどれだけ凄いかを、何一つ分かっていない。

「いかねえよ。カイラスの兄上の密告が無くても、お前はシアに傷一つ付けられなかった」

「……なに?」

シアと本気で戦っておきながら、そのすごさを何一つ分かっていないなんて、馬鹿だなと内心で蔑む。頭の中にシアの言葉を思い出しつつ、彼女の言葉を再現した。

「最初に怪しいと思ったのは、トラヴィス・フォルスが体調不良だったことを知ったとき。フォルス家に関するあらゆる情報を得ても、誰も、何物も彼に悪影響を与えていないことが判明した。だから考えたんです。あれは……アークゲート家の者による体調不良なのではないかと」

「…………」

「さらに疑惑を深めたのは、王城でノヴァさんが魔力を感じたとき。僅かな時間で私の魔力と勘違いしてしまったようですが、ひょっとしたらそれは私のものではなく、そのアークゲート家の者の魔力なのではないかと」

シアの言葉を再現すればするほどに、エリザベートの表情は険しいものになっていく。

「もしもそのような芸当が出来て、しかもアークゲート家の情報網に引っかからない者……けれど私ならそんな相手でも捕捉できない筈がありません。ならその者は私からは意図的に距離を取っている。それは私相手では正体が露見する可能性が高い事をよく知っているから。この条件に当てはまる人が、一人だけ居ます」

シアは既に、その答えに遥か前に至っていた。ただ確信に至ったのがカイラスの兄上の密告だっただけ。

「それがお前だよ、エリザベート・アークゲート」

彼女は、全てを読んでいた。

「だからカイラスの兄上の密告が仮になかったとしても、そもそもお前の計画は成功しない。シアの手によって最初から崩されているから。ただまあ、予想外なことがあったとしたら……」

遠くに倒れるユティさんと目が合う。彼女は、俺を見て小さく微笑む。
次に背後のオーロラちゃんに目を向ける。彼女もまた、膝を突きながらも俺を見上げて微笑んでくれた。

「シアや俺の予想を越えるくらい、ユティさんやオーロラちゃんの思いが強かったってことかな。だからこの状況を作り出したのはお前じゃない。お前は何一つ成功していない。最初から失敗してたんだよ」

冷たく、鋭い視線をエリザベートに向ける。全てはシアが考えたこと。もしもユティさんが結界の中に留まってくれたら、そこにオーロラちゃんが合流したら、そもそもエリザベートはユティさんやオーロラちゃんに指一本触れられていない。

「……不愉快だな」

それが分かったのか、エリザベートもまた俺を睨み返してくる。怒りが滲む表情で、強く濃い魔力を放出し、叩きつけてくる。けれど、それはシアの物に比べれば大したことはない。
一歩も引かない俺に対して、エリザベートは鼻で笑った。

「……まあ、カイラスが裏切ったときか、あるいは本当にあの化け物に見抜かれていたのかはこの際どうでもいい。けれど」

彼女もまた剣の切っ先を俺に向け、そして笑う。

「ユースティティアにオーロラ、そして小僧……あの化け物が大事にしている存在がここには三人もいる。そしてあの化け物はあと数時間は動けまい。時が来るまでにお前たち三人を惨殺し、その首を化け物の前に投げてやるのも一興だ。その結果私が死ぬとしても、復讐としては十分だ」

酷く歪んだ、けれど狂ってはいない、悪という言葉が似あう笑み。
シアやユティさん、オーロラちゃんとは似ても似つかない、邪悪な笑み。

「楽しみだなぁ小僧? あの化け物はユースティティアの首を見て泣くか? オーロラの首を見て取り乱すか? 貴様の首を見て喚くか?」

それまでの熱が一気に引き、自分が氷になったのではないかと錯覚するほど体が冷たくなる。
その一方で胸の奥からは依然としてとめどなく熱い怒りがわき出していて、人はここまで怒りを露わにできるのだな、と少しだけ冷静に分析したりした。

――ああ、これはダメだ。こいつは生きていたらダメな人間だ

そう頭が答えを出す。例え神が許したとしても、俺は絶対に許さない。エリザベートを、この女が生きているという事が許せない。

シアは優しいから、自分の母を殺めることが出来なかった。そんなシアを、彼女自身は甘いと自嘲するかもしれないけれど、俺は誇りに思う。

そしてシアはそれが間違いだったと思い、今度こそ母を始末する決意を見せた。けれど、シアにその任を負わせるべきではないと、強く思う。彼女は優しさゆえにそれが出来なかった。かつての母に焦がれ、苦しみながらした選択に間違いなんてない。だから。

「出来るものなら、やってみろ」

だからこそ俺がやる。だからこそ大切な人達を守る為にこの女を殺める。

切っ先を向け、剣を構え直す。
最後の死闘が、始まろうとしていた。
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