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 いざ奉納神楽の練習が始まってみると、やはり村の人々にとって俺がその役割を務めることは本意ではないのだ、とすぐに分かった。
 振りつけや音楽や衣装や化粧や……奉納神楽に関することの全ては、前回の祭りの時にそれを担当した者から引き継ぐというのが恒例らしい。
 20歳に満たないことや男であることなど、条件がついているのは主役だけなので、その他の分担は思いのほかすんなり決まった。
 前回から7年も経つというのに、前任者もほぼ全員が揃っているので、大きな問題はない。
 高校を卒業したタイミングで村内に残ることを選んでしまえば、後になって村を出て行く人はほとんどいない。言うまでもなく、入って来る人は、もっと珍しい。
 そんな停滞した人間関係の中で、引き継ぎを行わなければ与えられた役割を最後まで果たしたことにならないと皆が承知しているのだろう。
 暗黙の了解で物事が進んでいくあたりは、田舎の長所でもある。しかし、俺にとってはここがいかに閉鎖的かを見せつけられた感覚しかなく、ただただ息苦しさを覚えた。

 引き継ぎは、仕事が終わった後、祭りに関わる人たちが一斉に村の集会所に集まって行われる。それぞれの役割に分かれて、前任者から手ほどきを受けるのだ。
 集会所の入り口からまっすぐ伸びた廊下の突き当たりにある、一番大きな和室。よく知った者同士、楽しげな雰囲気で引き継ぎや練習が行われている傍らで、俺は一人、冷たい視線や皮肉や言いがかりや……そんなものに晒されていた。
「何だってこいつにこんなに大事な役を任せなきゃならないんだ」
 神楽の統括者が忌々しげに吐き捨てる。
(……別に、俺がやらせてくれと頼んだわけじゃないのに)
「こんなことも覚えられないなんて、観光客の前で村に恥をかかせるなよ」
 舞い手の前任者が周りに聞こえるように言い、同調する声が続く。
(……伝えられてもいないことをどうやって覚えろというんだ)
「小さい頃から頭がおかしいって評判だったけど、まだイカレたままなのかよ」
 誰が言ったかも分からないそのセリフに、どっと笑いが起きる。
(……どう思おうと勝手だけれど、俺は頭がおかしいわけじゃない)
 髪を伸ばせば、彼らの視線からは逃れられる。ある程度育ってからは、ずっとそうしてきた。
 目が合わないようにするためには前髪だけ長ければ十分なのだけれど、それだとバランスが悪くて、結局全体的にやや長めの髪型にし続けている。しかし、髪を伸ばすことで視線は避けられても、目の前で投げつけられる言葉に耳をふさぐわけにはいかない。
 浴びせかけられる心ない言葉と大げさなため息に、俺はいちいち心の中で言い返す。それでも、だったら降りてやると啖呵を切ることができないのは、あの日の言葉を今も忘れられずにいるからに他ならなかった。
“機が熟せば、また会えるから”
 それがいつのことかも分からず、時間が経つにつれて、そもそもあれは本当にあったことだったのかと疑わしく思うほどに、記憶が曖昧になってくる。
 それでも神社から離れずにいれば、神社と関わりを持つことができれば、いつかは会えるんじゃないかと、期待を捨てきれずにいるのだ。
 数え切れないくらい頭の中で繰り返したあの日のあの場面は、大切にしていたはずなのに、少しずつ薄れていく。とても綺麗だと思ったあの人の顔すら、もうはっきりとは思い出せなくなってしまった。
 何度も何度も反芻し、必死であれは現実なんだと自分に言い聞かせる。
 そんなことをしてまで思い出に縋るなんて馬鹿じゃないか、と思ったことも、一度や二度じゃない。
 それでも、間近で見た整った顔、頬に優しく触れた冷たい指先、村で必要とされない自分を“待っていた”と言ってくれた言葉、それを告げる柔らかい声。それらに支えてもらっていたから、こんな村でも生きて来られたのだ。
 自分のよりどころとなっている大切な記憶を、他人からの優しさに飢えていた自分が作り出した幻だと思いたくはない。
 いつかは、あの人に会えるだろうか。その時には、今と何かが変わるだろうか。
 いつか会えたら、きっと……。きっと……。

 もう一度最初から舞ってみるよう前任者に指示され、小道具である扇子を手に、片膝と両手を床についた。閉じられた扇子を握った手に視線を落とすように顔を伏せる。神楽は、この体勢から始まる。
 ス……ッと顔を上げると、集会所の大部屋を突っ切って、廊下から玄関までが一度に視界に入った。
 その廊下の玄関に近い方、薄暗い場所に人影がある。チカチカと点滅する切れかけた蛍光灯が点灯している間だけ闇から浮かび上がるその人影は、廊下の壁に寄りかかり体の上半分を捻るようにしてこちらを見ていた。
「……?」
 あんなところで何をしているのだろう。
 そもそも今日ここにいる人たちは皆、教えるにしろ教えられるにしろ、何らかの役割があるはずだ。誰かの家族が練習を見に来たのだろうか。
 目をこらすけれど、その人の姿かたちをしっかりと認識するには、距離がありすぎたし暗すぎた。
そして俺が開いた扇子で隠れてしまったその姿は、くるりと体を一周させて戻った時には消えていた。

 ——あの日を境に、俺は頻繁にその人を目にするようになった。
 俺が練習している間、その人影はいつも同じように、廊下からこちらを眺めている。しかし、舞っている最中では身動きが取れない。近づいて確認することもできずにいるうちに、気が付くといなくなっているのだ。
 そもそも俺が練習で使っているのが大広間の一番奥のスペースで、その人が立っている場所まで距離があること、廊下が薄暗いせいで姿がはっきり見えないということもあって、性別すら把握できていない。こういう人なのだけど、と誰かに説明して尋ねることができるほどの情報は残念ながら得ることはできなかった。
 ……そもそも、そんなことを聞ける相手など、ここにはいないのだけれど。
 
 練習は春から少しずつ始まって、夏の暑い間も、週に一度のゆるい頻度ではあるものの、休みなく続けられた。居心地の悪さと戦いながら必死に練習を重ねるうちに、いつの間にか季節は秋へと移っていた。
 朝晩漂うようになったひんやりとした空気は、季節の変化を知らせると同時に、いよいよ本番が近いことを実感させる。
 顔を合わせるたびに理不尽に貶され、嫌味を言われる日々。それがあと少しで終わるのだと思うと、緊張やプレッシャーを差し引いても、安堵感の方が勝る。
(早く、その日が来ればいい)
 どうせ何をしたって難癖をつけられることは分かっていたけれど、付け込まれる隙はちょっとでも少ない方がいい。そう考えて、俺は懸命に練習を重ねてきた。
 少し前からは、練習中にも本番で着るのと同じ衣装を身に着けている。
 この衣装がまた大変で、慣れない和装な上に、布が何枚も重なっているせいで重量もあり、とにかく動くのに苦労する。俺も華奢な方ではあるけれど、体のできあがっていない中学生では無理だっただろうと思う。
 練習自体も、当日に近い形になってきた。脇役を中学生や小学生が務め、和楽器の担当者たちによる演奏も入って、前回の関係者たちが観客役としてそれを眺めて。
 誰もが最後の仕上げに余念がない。
 最初は気になって仕方なかった、廊下からこちらを眺める人影も、いつの間にかいるのが当たり前に感じられるようになって、気に掛けることもなくなっていった。
 事態が動いたのは、そんな風に俺の警戒心がすっかり緩んでいた日のことだった。
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