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4巻
4-3
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「念のため、お前らの体にも香を付けておいた。香炉から離れて川の近くに行く場合でも、ある程度の効果があるだろうが……だからって、気を抜くんじゃねーぞ」
カオツさんの言葉に、僕はポカンと口を開けてしまった。
だって……カオツさんが今僕に言ったことって、僕の身の安全を思って処置をしてくれたってことだよね?
あのカオツさんが? 僕のことが嫌いなカオツさんが!?
天変地異の前触れかと思いながらも、「はいっ、ありがとうございます!」と感謝の言葉を忘れずにしっかりと述べるのだった。
カオツさんは僕に対して、それ以上何も言うことはないといった感じで離れると、辺りにあった椅子の代わりになりそうな倒木を持ってきて香炉の近くに座り、剣の手入れを黙々と始めた。
風がやみ、香を纏ったハーネとライが楽しそうに偵察へ出動してしまったので、シーンとした沈黙が僕達の周りに流れる。
「あ、あのぉ……カオツさん」
「…………」
「夕食はどうしますか?」
「……持ってきた干し肉を食う」
「あ、それなら僕が今から作りま――」
手持無沙汰になった僕が、お礼も兼ねて夕食を作りますと提案しようとした時、カオツさんの靴が汚れているのがふと目に入った。
黒い編み上げブーツだから気付き難かったけど、ピンク色の魔獣の血が付着している。
だいぶ乾いているが、ところどころに残っていた。
「カオツさん、ブーツに魔獣の血が付いてるじゃないですか!」
「あ? ……んなもん、どうってことねーよ」
「いいえっ! ここで魔獣の血を付けっぱなしにしていたら、下手すると獣系の魔獣が近寄ってくるかもしれません。それに、血が乾いちゃったら綺麗にするの大変なんですよ!?」
この血が乾いて変色してしまえば、頑固な汚れとなって取れにくくなるのだ。
その大変さは龍の息吹にいた時、全然汚れが取れなくて、僕の中で嫌いな汚れナンバーワンとして君臨し続けるほどだ。
僕がまくし立てるように話すと、そんな僕の様子を初めて見たカオツさんは一瞬驚いた顔をした。
「別に予備の靴があるから、問題ねー」
「もったいないですよ! それに汚れるたびに替えるわけにもいかないでしょう」
「…………」
僕の勢いに圧され、無言になったカオツさんは、嫌そうな顔で汚れたブーツを見つめながら何かを呟いているようだった。
ただ、声が小さ過ぎて内容は聞き取れない。
なんとなくだけど、カオツさんはブーツを脱ぎたくなさそうな雰囲気を出しているように見えた。
なんでだろう? と気になりはしたが、ひとまず僕は水を汲むために川辺に駆け寄る。
腕輪から木の桶を出し、水をその中に入れるとそのままカオツさんの元へ戻る。
そして、カオツさんの足元に膝を突いた。
「さっ、カオツさん。汚れを取っちゃうのでブーツを脱いでください」
「…………くっ」
カオツさんは苦渋の決断を迫られたような表情をしてから、ブーツの紐を緩め――目にも留まらぬ速さでブーツから足を引き抜いた。
そのまままあぐらをかいて、足をその中へ仕舞い込む。
「…………」
「……なんだよ」
「い、いえ、それじゃあ洗いますね!」
ギロッと睨み付けられ、僕は慌てて視線を下に向ける。
足を見られたくないのかな? と思いつつ、僕は汚れを落とすべくブーツを手に取った。
腕輪の中から重曹と、この世界にある粉石鹸を取り出す。
重曹を血の部分にすり込むようにしっかり付け、その上に粉石鹸を塗してから、桶の中にある水を手で掬って少しずつ重曹と粉石鹸の上に垂らし、指先で優しく撫でる。
龍の息吹時代、いろいろなモノを使って洗ってみたんだけど、この組み合わせが一番よく汚れを綺麗に取り除くことが出来るのだ!
完全に乾ききってしまった場合は、重曹と粉石鹸を水に溶かしたものの中に漬け込み、一晩置けば汚れが剥がれるようにして落ちる。
根気よく撫で続けていると汚れが浮いてきて、最後に綺麗な水をかければ――血は綺麗サッパリと消えていた。
「はい、綺麗になりました! ただ、僕……乾かすことが出来ないんで、ハーネが戻ってきたら乾かしてもらえると思います」
「いや、それくらい自分でやる」
そう言うと、カオツさんはブーツに手を翳して魔法を発動させ、一瞬にして乾かしたのだった。
そして乾かし終えると、左足のブーツを掴み、脱ぐ時と同じ速さで足を入れる。
続けて右足のブーツを手に取る際、ぶつかったはずみで右足のブーツがパタリと地面に倒れた。
カオツさんは倒れたブーツを手に取り、先ほどと同じように素早く足を入れようとしたが――
「いってー!」
急なカオツさんの大声に僕はビクッとしてしまう。
「カオツさん、大丈夫ですか!?」
右足の小指を押さえるようにして痛みに耐えているカオツさんを見ながら、僕はおろおろすることしか出来ない。
そんな時、ハーネとライが偵察から戻ってきた。
痛みに呻くカオツさんを見て、ライは僕の隣に座りながら不思議そうな顔をし、ハーネはカオツさんの頭の上に乗って心配そうな表情で《だいじょうぶ~?》と声をかけていた。
普段のカオツさんならハーネに対してブチギレていただろうけど、今は足の痛みが酷いらしくて気にならないようだ。
いったい何があったのか気になり、「ちょっと失礼しますね~」と声をかけながら、カオツさんが手で押さえている方のブーツを恐る恐る脱がす。
足先を見れば、靴下が切れていたり血が付いていたりする様子はなかった。
そうなると、ブーツの中に何かが入っているのかな? いつの間に中にモノが入ったんだろう?
疑問に思いながらブーツを逆さにすると――少し先の尖った小石が中からコロリと出てきた。
その小石を忌々しげに睨みながらカオツさんが吼える。
「くっそー……っ、毎日毎日、どんなに気を付けてもなぜか小指に激痛が襲ってきやがる!」
歯を食いしばり、痛む小指部分をサスサスと撫でるカオツさんを見て――僕は、とあるやり取りを思い出していた。
『ふふん♪ アイツには、毎日足の小指を物にぶつけて悶絶する呪いをかけておいたわ』
いつだったか忘れたけど、クルゥ君とグレイシスさんと一緒に買い物に行っていた時、偶然カオツさんと再会したことがあった。
その時、バッタリ出会ったカオツさんに悪口を言われた僕の姿を見て、別れ際にグレイシスさんがカオツさんに向けて呪いをかけたんだよね。
あの時は、色々カオツさんにボロクソにけなされて、ちょっとは痛い目に遭えばいいんだくらいに思っていたんだけど……
しばらくしてから、グレイシスさんに呪いを解いてもらうよう頼もうと思っていたはずが、いろんな出来事が重なってすっかり忘れていた。
でも、グレイシスさんだって絶対忘れてるでしょ……
そう思いながら、改めてカオツさんを見れば、かなり痛そうにしているし、それなりに長い時間痛みが続くようだ。
今は目の前で痛みに悶えるカオツさんを見て、ざまぁ! とは思えないし、あれから長い期間呪いによって苦しめられてきたと思うと、心苦しい。
そこで、なんとなく今の状況を聞いてみたところ、ダンジョン内で起こる魔獣との戦闘、それに命にかかわるような仕事をしている時は痛みが襲ってこないんだとか。
ただ、それ以外の時は毎日小指をぶつけるので、これは何かの呪いか状態異常の一種だと思い、解呪屋や治療院に通ってみたそうだ。
でも、どこに行っても自分達では治すことが出来ないと言われたらしい。
暁に戻ったらグレイシスさんに解呪してもらおうと決心しつつ、僕は腕輪の中から一口で飲みきれるサイズの魔法薬の瓶を取り出した。
「カオツさん、よければコレ……痛み止めの魔法薬です。使ってください」
「…………悪い」
一瞬手に取るかどうか迷うような素振りをしたカオツさんであったが、ボソッと小さな声でそう言うと瓶を受け取り、素直に飲んだ。
「あ? なんでこんなすぐに……って、この魔法瓶!?」
魔法薬を飲んだ瞬間に痛みが引いたのだろう、不思議がっていたカオツさんだったが、魔法薬の入った瓶を見てさらに驚いたような声を上げた。
「おっ、お前!」
「うわっ!? は、はい、なんでしょう?」
「なんでお前がこの魔法薬を持ってるんだよっ!?」
カオツさんが僕に見せるように指し示したのは、魔法薬の瓶に刻印された僕の紋章だった。
「この魔法薬師が調合した魔法薬は、高品質で即効性があるのに良心的な価格で販売しているってことで、今冒険者の間で飛ぶように売れてて、入手困難になってきてるんだぞ!?」
「はぁ……」
「つい最近、ようやくその魔法薬師が直接卸している店を見付けて定期購入にしたはいいが、数に限りがあるから大量に買うことも出来ないって言われたんだ。それくらい人気の魔法薬師だぞ」
カオツさんの言葉に、そこまですごいことになっていると思いもよらなかった僕は、「ほえ~」と気の抜けた声を出してしまった。
もしかして、リジーさんのお店の大口契約者ってカオツさんなのだろうか?
ちなみに、初級までの魔法薬師であれば、自分が調合した魔法薬のひと月分の売上金は、卸している魔法薬店から直接受け取るのが普通だ。
ただ、中級以上の実力があったり、自分の紋章を持つようになったりすると、一度魔法薬師協会が売上金を回収して、その後魔法薬師に支払われる仕組みに変わるのだ。
だから僕も、今まではリジーさんに売れた魔法薬の売り上げを直接、ひと月に一回まとめて貰っていたけど、今度からは魔法薬師協会から受け取るようになる。
ともあれ、この薬瓶のことを知ってるとは思わなかった。
でも僕の薬だとは気付いてないみたいなので、教えることにする。
「あの、カオツさん……よかったら、その瓶の紋章をしっかり見てもらえます?」
「あぁ?」
僕が自分の言葉で伝えるよりも、瓶に刻印されている紋章を見てもらった方が話は早いと思って、カオツさんが持っている瓶を指さす。
カオツさんは不審そうな顔をしながら瓶を見ていたんだけど、ふと、僕の名前を見て動きを止める。
「……は? い、いやいやいや……んなまさか……」
「これ、僕が調合した魔法薬なんですよ。あ、信じられないなら……このエメラルドを見たら分かっていただけるかと」
僕が腕輪にあるエメラルドをカオツさんに見せたら、愕然としていた。
「……お前、あの時から魔法薬師だったのか?」
「いや、違いますよ! 魔法薬師になったのは暁に入ってしばらくしてからです。同じパーティ内に魔法薬師の方がいて、その方と師弟関係になったことによって魔法薬師になることが出来たんですよ」
「……そうかよ」
カオツさんは何か言いたげな感じだったけど、結局何も言わなかった。
カオツさんに魔法薬を渡した後は、お互い持ってきていた軽食を食べ、明日も早いからと就寝の準備をする。
寝ずの番は、長い時間の睡眠をあまり必要としない魔獣であるハーネとライがしてくれていたので、僕とカオツさんはしっかりと睡眠をとることが出来たのだった。
タブレットの秘密がバレる!?
それからの二、三日は、カオツさんと一緒に襲ってくる魔獣の討伐をしたり、依頼にある魔草や魔獣の素材集めを黙々とこなしたりしていた。
ここ数日の間で、カオツさんの態度がだいぶ柔らかくなったような気がする。
名前を呼んでも返事してくれないのは今までと変わらないけど、僕の方を見てくれることが増えたし、少し距離が空いたらちゃんと待っていてくれる。
いや、他のメンバーとなら普通のことなんだけど……龍の息吹で今まで散々舌打ちされて怒鳴られて無視されてきたことを考えれば、大きな変化である。
それに……と少し前にいるカオツさんを見る。
ここ数日カオツさんと行動を共にして、その実力の高さにも気付かされた。
今だって、三つの頭を持つ巨大な魔獣と対峙しているんだけど、その様子を見てもそれは分かる。
魔獣はチーターのような見た目で、シマウマ模様。顎下まで伸びている牙を、カオツさんを捕食すべくカチカチと鳴らしている。
ハーネとライも警戒していたし、『危険察知注意報』のアプリを開けば、画面は真っ赤で【『危険度70~89』命の危険が迫っています。即刻逃げましょう】と表示される。
だけど、その魔獣と戦っているカオツさんの表情はすごく落ち着いたものであった。
咆哮しながら素早い動きで襲ってくる魔獣に対して、カオツさんは最小限の動きで鋭い爪を躱すと、腰に佩いていた剣を抜き放ってその体へ斬り付けていく。
僕には腕を一振りしただけのように見えたんだけど、魔獣の体には三本、四本と傷が付いていった。
しかもカオツさん、難易度がかなり高いと言われている拘束系の魔法も行使出来るのだ!
あのグレイシスさんでも難しいと言っていた種類の魔法で、暁内で言えば、魔法に精通しているフェリスさんくらいしか使いこなせないものだ。
そんな魔法を涼しい顔で使っているし、剣を使った戦い方も隙がないし……ケルヴィンさんと同等の実力があるように思える。
そんなことを考えていると、体のあちこちに傷を付けられて体力を消耗してきたのか、魔獣の動きが鈍っていた。
カオツさんが剣を持っていない手を魔獣に向けると――地面から光の束が現れる。
そして、体や三つの首、手足へと絡まると、魔獣の動きを封じた。
僕やハーネはそれを見て、「うわぁっ、カッコイイ!」と興奮していたんだけど、ライは首元を後ろ脚でかいていて興味がなさそう。
カオツさんは地面に縫い付けられるような形で動けなくなった魔獣に近付くと、持っている剣を振り上げて――一気に三つの頭を切り落とす。
魔獣を難なく倒したカオツさんに僕やハーネが賞賛の眼差しを送っていると、カオツさんは僕達の方へ振り向いて口を開く。
「……いいか? 今後のためにも覚えておいた方がいいから教えておくが、こいつを確実に仕留める方法は、全ての頭を切り落とすことだ。一つでも残っていたら、他の頭が再生して、厄介な仲間を呼びやがる。分かっ……た、な……」
カオツさんの言葉が途中で途切れたのでどうしたのかと首を傾げていると、カオツさんは僕達に向かって右手を向けた。
直後、灼熱の炎が、僕の頭上ギリッギリを通り過ぎる。
び……っくりしたぁ。
咄嗟にしゃがんで炎を避けたけど、バクバクと鳴り響く心臓に手を当てながら、そ~っと後ろを振り向く。
見れば、真っ黒焦げになったひょろ長いモノが一つ、地面に落ちているのが目に入った。
形を見るに、ハーネが進化する前のお仲間さん……かな?
でも、辺りを見回しても他の魔獣は見えないのに、なんで葉羽蛇一匹にあんなすごい威力の魔法を放ったんだろうか。
もしかして、僕が分かっていないだけで、脅威となりうる魔獣が潜んでいたとか!?
そう思ってアプリを確認しても、画面は警告が消えていたし、近くに魔獣の表示はなかった。
首を傾げながらも立ち上がり、まずは助けてもらったことに対する感謝を述べねば! とカオツさんがいる方へ振り向いた瞬間、ガシッ! と顔を鷲掴みにされた。
あれ? ちょっと前にも似たようなことがあったような……?
「……おぃ、テメェ」
「ほぁ!? か、カオツさ――」
「お前、ダンジョンにいるのに、なに気を抜いてやがる」
「え? あの、その……いだっ!? ちょ、ちょっとカオツさん、痛いっ! いた、いだだだだっ!」
徐々に指の力が加えられてギチギチと鳴る骨に悲鳴を上げる。
カオツさんの腕や顔を掴む手をペシペシ叩いてギブアップを告げると、最後にグッと力が加えられた後に指が離れていった。
地面にしゃがみ込み、掴まれた箇所を両手で擦っている僕の側に、ハーネとライが《だいじょうぶ?》と心配そうに近寄ってきた。
そんな僕達をカオツさんは苦虫を噛み潰したような表情で見下ろしていたんだけど、一度溜息を吐くと何も言わずに踵を返し、自分が倒した魔獣の元へ行き、解体を始めていた。
その額や首筋には、先ほどまでの涼しげな様子と違い、汗が浮かんでいる。
僕を助けるために動いたあの一瞬で、あんなに汗だくになってしまったのだろうか。
かなり焦っていたようだったけど……
それからの僕達の行動は、とても静かなものだった。
ハーネとライも無駄口は一切叩かず、僕やカオツさんに指示された通り忠実に動く。
そんな風に作業を進めていると、時間があっという間に過ぎていき……本日の分は終了した。
今日休む場所は、周りに大きな木が並んだところだ。
カオツさんは地面に香炉を置いて香を焚くと、周辺の木と木の間にロープを張り……簡易ハンモックを作った。
そして、そこに腰かけながら、黙々と武器の手入れを始める。
僕は腕輪の中から地面に敷くマットと布を取り出して座る場所を作ってから、ハーネやライと夕食をとることにした。
ダンジョンに入って以来、就寝までの時間は各自好きに過ごしていたので、僕はハーネやライにおやつをあげたりブラッシングしてあげたりしている。一方でカオツさんは、寝る前の少しの時間、少量のお酒を嗜む習慣があった。
今日もいつものようにジャーキーのような干し肉を口に咥えながら、お酒が入ったミニボトルを出そうとして――ずっとポケットの中を探っていた。
「チッ、飲み切っちまったか……」
カオツさんは眉間に皺を寄せながらそう呟くと、そのままふて寝するように、片足だけ地面に付けてハンモックに横たわった。
そんなカオツさんを見て、本日の失敗を挽回するべく、僕はあることを考え付いた。
まず、少しだけ地面に穴を掘ってもらうようライにお願いする。
その間に腕輪の中から『ショッピング』で以前購入しておいた固形燃料と炭、その他にライター代わりとなる炎導石火という道具や焚火テーブル、鍋などを出す。
《ごしゅじん、これくらいでいい?》
腕輪から取り出したものを地面に置いていると、穴を掘り終えたライが声をかけてきた。
カオツさんの言葉に、僕はポカンと口を開けてしまった。
だって……カオツさんが今僕に言ったことって、僕の身の安全を思って処置をしてくれたってことだよね?
あのカオツさんが? 僕のことが嫌いなカオツさんが!?
天変地異の前触れかと思いながらも、「はいっ、ありがとうございます!」と感謝の言葉を忘れずにしっかりと述べるのだった。
カオツさんは僕に対して、それ以上何も言うことはないといった感じで離れると、辺りにあった椅子の代わりになりそうな倒木を持ってきて香炉の近くに座り、剣の手入れを黙々と始めた。
風がやみ、香を纏ったハーネとライが楽しそうに偵察へ出動してしまったので、シーンとした沈黙が僕達の周りに流れる。
「あ、あのぉ……カオツさん」
「…………」
「夕食はどうしますか?」
「……持ってきた干し肉を食う」
「あ、それなら僕が今から作りま――」
手持無沙汰になった僕が、お礼も兼ねて夕食を作りますと提案しようとした時、カオツさんの靴が汚れているのがふと目に入った。
黒い編み上げブーツだから気付き難かったけど、ピンク色の魔獣の血が付着している。
だいぶ乾いているが、ところどころに残っていた。
「カオツさん、ブーツに魔獣の血が付いてるじゃないですか!」
「あ? ……んなもん、どうってことねーよ」
「いいえっ! ここで魔獣の血を付けっぱなしにしていたら、下手すると獣系の魔獣が近寄ってくるかもしれません。それに、血が乾いちゃったら綺麗にするの大変なんですよ!?」
この血が乾いて変色してしまえば、頑固な汚れとなって取れにくくなるのだ。
その大変さは龍の息吹にいた時、全然汚れが取れなくて、僕の中で嫌いな汚れナンバーワンとして君臨し続けるほどだ。
僕がまくし立てるように話すと、そんな僕の様子を初めて見たカオツさんは一瞬驚いた顔をした。
「別に予備の靴があるから、問題ねー」
「もったいないですよ! それに汚れるたびに替えるわけにもいかないでしょう」
「…………」
僕の勢いに圧され、無言になったカオツさんは、嫌そうな顔で汚れたブーツを見つめながら何かを呟いているようだった。
ただ、声が小さ過ぎて内容は聞き取れない。
なんとなくだけど、カオツさんはブーツを脱ぎたくなさそうな雰囲気を出しているように見えた。
なんでだろう? と気になりはしたが、ひとまず僕は水を汲むために川辺に駆け寄る。
腕輪から木の桶を出し、水をその中に入れるとそのままカオツさんの元へ戻る。
そして、カオツさんの足元に膝を突いた。
「さっ、カオツさん。汚れを取っちゃうのでブーツを脱いでください」
「…………くっ」
カオツさんは苦渋の決断を迫られたような表情をしてから、ブーツの紐を緩め――目にも留まらぬ速さでブーツから足を引き抜いた。
そのまままあぐらをかいて、足をその中へ仕舞い込む。
「…………」
「……なんだよ」
「い、いえ、それじゃあ洗いますね!」
ギロッと睨み付けられ、僕は慌てて視線を下に向ける。
足を見られたくないのかな? と思いつつ、僕は汚れを落とすべくブーツを手に取った。
腕輪の中から重曹と、この世界にある粉石鹸を取り出す。
重曹を血の部分にすり込むようにしっかり付け、その上に粉石鹸を塗してから、桶の中にある水を手で掬って少しずつ重曹と粉石鹸の上に垂らし、指先で優しく撫でる。
龍の息吹時代、いろいろなモノを使って洗ってみたんだけど、この組み合わせが一番よく汚れを綺麗に取り除くことが出来るのだ!
完全に乾ききってしまった場合は、重曹と粉石鹸を水に溶かしたものの中に漬け込み、一晩置けば汚れが剥がれるようにして落ちる。
根気よく撫で続けていると汚れが浮いてきて、最後に綺麗な水をかければ――血は綺麗サッパリと消えていた。
「はい、綺麗になりました! ただ、僕……乾かすことが出来ないんで、ハーネが戻ってきたら乾かしてもらえると思います」
「いや、それくらい自分でやる」
そう言うと、カオツさんはブーツに手を翳して魔法を発動させ、一瞬にして乾かしたのだった。
そして乾かし終えると、左足のブーツを掴み、脱ぐ時と同じ速さで足を入れる。
続けて右足のブーツを手に取る際、ぶつかったはずみで右足のブーツがパタリと地面に倒れた。
カオツさんは倒れたブーツを手に取り、先ほどと同じように素早く足を入れようとしたが――
「いってー!」
急なカオツさんの大声に僕はビクッとしてしまう。
「カオツさん、大丈夫ですか!?」
右足の小指を押さえるようにして痛みに耐えているカオツさんを見ながら、僕はおろおろすることしか出来ない。
そんな時、ハーネとライが偵察から戻ってきた。
痛みに呻くカオツさんを見て、ライは僕の隣に座りながら不思議そうな顔をし、ハーネはカオツさんの頭の上に乗って心配そうな表情で《だいじょうぶ~?》と声をかけていた。
普段のカオツさんならハーネに対してブチギレていただろうけど、今は足の痛みが酷いらしくて気にならないようだ。
いったい何があったのか気になり、「ちょっと失礼しますね~」と声をかけながら、カオツさんが手で押さえている方のブーツを恐る恐る脱がす。
足先を見れば、靴下が切れていたり血が付いていたりする様子はなかった。
そうなると、ブーツの中に何かが入っているのかな? いつの間に中にモノが入ったんだろう?
疑問に思いながらブーツを逆さにすると――少し先の尖った小石が中からコロリと出てきた。
その小石を忌々しげに睨みながらカオツさんが吼える。
「くっそー……っ、毎日毎日、どんなに気を付けてもなぜか小指に激痛が襲ってきやがる!」
歯を食いしばり、痛む小指部分をサスサスと撫でるカオツさんを見て――僕は、とあるやり取りを思い出していた。
『ふふん♪ アイツには、毎日足の小指を物にぶつけて悶絶する呪いをかけておいたわ』
いつだったか忘れたけど、クルゥ君とグレイシスさんと一緒に買い物に行っていた時、偶然カオツさんと再会したことがあった。
その時、バッタリ出会ったカオツさんに悪口を言われた僕の姿を見て、別れ際にグレイシスさんがカオツさんに向けて呪いをかけたんだよね。
あの時は、色々カオツさんにボロクソにけなされて、ちょっとは痛い目に遭えばいいんだくらいに思っていたんだけど……
しばらくしてから、グレイシスさんに呪いを解いてもらうよう頼もうと思っていたはずが、いろんな出来事が重なってすっかり忘れていた。
でも、グレイシスさんだって絶対忘れてるでしょ……
そう思いながら、改めてカオツさんを見れば、かなり痛そうにしているし、それなりに長い時間痛みが続くようだ。
今は目の前で痛みに悶えるカオツさんを見て、ざまぁ! とは思えないし、あれから長い期間呪いによって苦しめられてきたと思うと、心苦しい。
そこで、なんとなく今の状況を聞いてみたところ、ダンジョン内で起こる魔獣との戦闘、それに命にかかわるような仕事をしている時は痛みが襲ってこないんだとか。
ただ、それ以外の時は毎日小指をぶつけるので、これは何かの呪いか状態異常の一種だと思い、解呪屋や治療院に通ってみたそうだ。
でも、どこに行っても自分達では治すことが出来ないと言われたらしい。
暁に戻ったらグレイシスさんに解呪してもらおうと決心しつつ、僕は腕輪の中から一口で飲みきれるサイズの魔法薬の瓶を取り出した。
「カオツさん、よければコレ……痛み止めの魔法薬です。使ってください」
「…………悪い」
一瞬手に取るかどうか迷うような素振りをしたカオツさんであったが、ボソッと小さな声でそう言うと瓶を受け取り、素直に飲んだ。
「あ? なんでこんなすぐに……って、この魔法瓶!?」
魔法薬を飲んだ瞬間に痛みが引いたのだろう、不思議がっていたカオツさんだったが、魔法薬の入った瓶を見てさらに驚いたような声を上げた。
「おっ、お前!」
「うわっ!? は、はい、なんでしょう?」
「なんでお前がこの魔法薬を持ってるんだよっ!?」
カオツさんが僕に見せるように指し示したのは、魔法薬の瓶に刻印された僕の紋章だった。
「この魔法薬師が調合した魔法薬は、高品質で即効性があるのに良心的な価格で販売しているってことで、今冒険者の間で飛ぶように売れてて、入手困難になってきてるんだぞ!?」
「はぁ……」
「つい最近、ようやくその魔法薬師が直接卸している店を見付けて定期購入にしたはいいが、数に限りがあるから大量に買うことも出来ないって言われたんだ。それくらい人気の魔法薬師だぞ」
カオツさんの言葉に、そこまですごいことになっていると思いもよらなかった僕は、「ほえ~」と気の抜けた声を出してしまった。
もしかして、リジーさんのお店の大口契約者ってカオツさんなのだろうか?
ちなみに、初級までの魔法薬師であれば、自分が調合した魔法薬のひと月分の売上金は、卸している魔法薬店から直接受け取るのが普通だ。
ただ、中級以上の実力があったり、自分の紋章を持つようになったりすると、一度魔法薬師協会が売上金を回収して、その後魔法薬師に支払われる仕組みに変わるのだ。
だから僕も、今まではリジーさんに売れた魔法薬の売り上げを直接、ひと月に一回まとめて貰っていたけど、今度からは魔法薬師協会から受け取るようになる。
ともあれ、この薬瓶のことを知ってるとは思わなかった。
でも僕の薬だとは気付いてないみたいなので、教えることにする。
「あの、カオツさん……よかったら、その瓶の紋章をしっかり見てもらえます?」
「あぁ?」
僕が自分の言葉で伝えるよりも、瓶に刻印されている紋章を見てもらった方が話は早いと思って、カオツさんが持っている瓶を指さす。
カオツさんは不審そうな顔をしながら瓶を見ていたんだけど、ふと、僕の名前を見て動きを止める。
「……は? い、いやいやいや……んなまさか……」
「これ、僕が調合した魔法薬なんですよ。あ、信じられないなら……このエメラルドを見たら分かっていただけるかと」
僕が腕輪にあるエメラルドをカオツさんに見せたら、愕然としていた。
「……お前、あの時から魔法薬師だったのか?」
「いや、違いますよ! 魔法薬師になったのは暁に入ってしばらくしてからです。同じパーティ内に魔法薬師の方がいて、その方と師弟関係になったことによって魔法薬師になることが出来たんですよ」
「……そうかよ」
カオツさんは何か言いたげな感じだったけど、結局何も言わなかった。
カオツさんに魔法薬を渡した後は、お互い持ってきていた軽食を食べ、明日も早いからと就寝の準備をする。
寝ずの番は、長い時間の睡眠をあまり必要としない魔獣であるハーネとライがしてくれていたので、僕とカオツさんはしっかりと睡眠をとることが出来たのだった。
タブレットの秘密がバレる!?
それからの二、三日は、カオツさんと一緒に襲ってくる魔獣の討伐をしたり、依頼にある魔草や魔獣の素材集めを黙々とこなしたりしていた。
ここ数日の間で、カオツさんの態度がだいぶ柔らかくなったような気がする。
名前を呼んでも返事してくれないのは今までと変わらないけど、僕の方を見てくれることが増えたし、少し距離が空いたらちゃんと待っていてくれる。
いや、他のメンバーとなら普通のことなんだけど……龍の息吹で今まで散々舌打ちされて怒鳴られて無視されてきたことを考えれば、大きな変化である。
それに……と少し前にいるカオツさんを見る。
ここ数日カオツさんと行動を共にして、その実力の高さにも気付かされた。
今だって、三つの頭を持つ巨大な魔獣と対峙しているんだけど、その様子を見てもそれは分かる。
魔獣はチーターのような見た目で、シマウマ模様。顎下まで伸びている牙を、カオツさんを捕食すべくカチカチと鳴らしている。
ハーネとライも警戒していたし、『危険察知注意報』のアプリを開けば、画面は真っ赤で【『危険度70~89』命の危険が迫っています。即刻逃げましょう】と表示される。
だけど、その魔獣と戦っているカオツさんの表情はすごく落ち着いたものであった。
咆哮しながら素早い動きで襲ってくる魔獣に対して、カオツさんは最小限の動きで鋭い爪を躱すと、腰に佩いていた剣を抜き放ってその体へ斬り付けていく。
僕には腕を一振りしただけのように見えたんだけど、魔獣の体には三本、四本と傷が付いていった。
しかもカオツさん、難易度がかなり高いと言われている拘束系の魔法も行使出来るのだ!
あのグレイシスさんでも難しいと言っていた種類の魔法で、暁内で言えば、魔法に精通しているフェリスさんくらいしか使いこなせないものだ。
そんな魔法を涼しい顔で使っているし、剣を使った戦い方も隙がないし……ケルヴィンさんと同等の実力があるように思える。
そんなことを考えていると、体のあちこちに傷を付けられて体力を消耗してきたのか、魔獣の動きが鈍っていた。
カオツさんが剣を持っていない手を魔獣に向けると――地面から光の束が現れる。
そして、体や三つの首、手足へと絡まると、魔獣の動きを封じた。
僕やハーネはそれを見て、「うわぁっ、カッコイイ!」と興奮していたんだけど、ライは首元を後ろ脚でかいていて興味がなさそう。
カオツさんは地面に縫い付けられるような形で動けなくなった魔獣に近付くと、持っている剣を振り上げて――一気に三つの頭を切り落とす。
魔獣を難なく倒したカオツさんに僕やハーネが賞賛の眼差しを送っていると、カオツさんは僕達の方へ振り向いて口を開く。
「……いいか? 今後のためにも覚えておいた方がいいから教えておくが、こいつを確実に仕留める方法は、全ての頭を切り落とすことだ。一つでも残っていたら、他の頭が再生して、厄介な仲間を呼びやがる。分かっ……た、な……」
カオツさんの言葉が途中で途切れたのでどうしたのかと首を傾げていると、カオツさんは僕達に向かって右手を向けた。
直後、灼熱の炎が、僕の頭上ギリッギリを通り過ぎる。
び……っくりしたぁ。
咄嗟にしゃがんで炎を避けたけど、バクバクと鳴り響く心臓に手を当てながら、そ~っと後ろを振り向く。
見れば、真っ黒焦げになったひょろ長いモノが一つ、地面に落ちているのが目に入った。
形を見るに、ハーネが進化する前のお仲間さん……かな?
でも、辺りを見回しても他の魔獣は見えないのに、なんで葉羽蛇一匹にあんなすごい威力の魔法を放ったんだろうか。
もしかして、僕が分かっていないだけで、脅威となりうる魔獣が潜んでいたとか!?
そう思ってアプリを確認しても、画面は警告が消えていたし、近くに魔獣の表示はなかった。
首を傾げながらも立ち上がり、まずは助けてもらったことに対する感謝を述べねば! とカオツさんがいる方へ振り向いた瞬間、ガシッ! と顔を鷲掴みにされた。
あれ? ちょっと前にも似たようなことがあったような……?
「……おぃ、テメェ」
「ほぁ!? か、カオツさ――」
「お前、ダンジョンにいるのに、なに気を抜いてやがる」
「え? あの、その……いだっ!? ちょ、ちょっとカオツさん、痛いっ! いた、いだだだだっ!」
徐々に指の力が加えられてギチギチと鳴る骨に悲鳴を上げる。
カオツさんの腕や顔を掴む手をペシペシ叩いてギブアップを告げると、最後にグッと力が加えられた後に指が離れていった。
地面にしゃがみ込み、掴まれた箇所を両手で擦っている僕の側に、ハーネとライが《だいじょうぶ?》と心配そうに近寄ってきた。
そんな僕達をカオツさんは苦虫を噛み潰したような表情で見下ろしていたんだけど、一度溜息を吐くと何も言わずに踵を返し、自分が倒した魔獣の元へ行き、解体を始めていた。
その額や首筋には、先ほどまでの涼しげな様子と違い、汗が浮かんでいる。
僕を助けるために動いたあの一瞬で、あんなに汗だくになってしまったのだろうか。
かなり焦っていたようだったけど……
それからの僕達の行動は、とても静かなものだった。
ハーネとライも無駄口は一切叩かず、僕やカオツさんに指示された通り忠実に動く。
そんな風に作業を進めていると、時間があっという間に過ぎていき……本日の分は終了した。
今日休む場所は、周りに大きな木が並んだところだ。
カオツさんは地面に香炉を置いて香を焚くと、周辺の木と木の間にロープを張り……簡易ハンモックを作った。
そして、そこに腰かけながら、黙々と武器の手入れを始める。
僕は腕輪の中から地面に敷くマットと布を取り出して座る場所を作ってから、ハーネやライと夕食をとることにした。
ダンジョンに入って以来、就寝までの時間は各自好きに過ごしていたので、僕はハーネやライにおやつをあげたりブラッシングしてあげたりしている。一方でカオツさんは、寝る前の少しの時間、少量のお酒を嗜む習慣があった。
今日もいつものようにジャーキーのような干し肉を口に咥えながら、お酒が入ったミニボトルを出そうとして――ずっとポケットの中を探っていた。
「チッ、飲み切っちまったか……」
カオツさんは眉間に皺を寄せながらそう呟くと、そのままふて寝するように、片足だけ地面に付けてハンモックに横たわった。
そんなカオツさんを見て、本日の失敗を挽回するべく、僕はあることを考え付いた。
まず、少しだけ地面に穴を掘ってもらうようライにお願いする。
その間に腕輪の中から『ショッピング』で以前購入しておいた固形燃料と炭、その他にライター代わりとなる炎導石火という道具や焚火テーブル、鍋などを出す。
《ごしゅじん、これくらいでいい?》
腕輪から取り出したものを地面に置いていると、穴を掘り終えたライが声をかけてきた。
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○○○
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