先輩がパパ活を始めたらしい。

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第2話

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「え?」

目の前に広がる光景に、思わず自分の目を疑った。
普段は生徒が来ることがない図書室の一角。
そこにいたのはトレンドに疎い俺でも知っている有名雑誌Popoteenの専属モデルである花岡はなおか美咲みさき
しかもどういうわけか弁当を広げてミートボールを食べている。
その姿はまるで映画のワンシーンのようで、つい見惚れてしまう。
俺が声を出してしまったせいか、花岡先輩はこちらの方を向き、本の間から覗き見ている俺の存在に気づく。
完全に目が合った。
この状況だと俺が変質者だと思われてしまう。
非常にまずい。

「ご、ごめんなさい。図書室でご飯を食べるなんて。すぐに片付けますね」

予想していたものとは違う反応をされたことに驚きつつも、俺はすぐさま本棚から顔を出して花岡先輩を制止する。

「いや違うんです! 僕はただ図書室に人がいるのは珍しいなと思って、どんな本好きが現れたのかと少し気になっただけで、全然ご飯は食べてもらって構わないです。注意をしに来たとか、全然そんなんじゃないです、ほんとに」

咄嗟に出た言い訳のため、『僕』なんて一人称を久々に使ってしまった。
それにさっきまで注意をしに行こうか迷っていたくせに、いざ花岡先輩を前にすると逆に食べることを勧めてしまっている。
我ながらどうも情けない。

「僕の方こそ、その、覗き見るようなことして、ほんとすいません」

「いえ私は全然、気にしてないです」

「そ、そうですか」

「……」

「……」

沈黙が起きる。
それも無理のないことだ。
俺と花岡先輩は初対面かつ、図書室に二人きりという異様な状況。
会話が弾むことの方がおかしいのだ。

「……あの、花岡先輩ですよね」

俺は居た堪れなくなり沈黙を破る。

「は、はい。えっと……」

「僕は二年の中川です。よくここで本を借りてます。今日は、本を返しに。……先輩は、今日はどうして?」

「それは……」

花岡先輩は視線を下に落として口ごもる。
……もしかして地雷を踏んでしまっただろうか。
花岡先輩も自分の噂のことを知っているのかもしれない。
それを気にしてのことなら、俺は今一番聞いたらダメなことを……。

「……居場所が、なくて」

花岡先輩はポツリと呟く。
その表情はどこか寂しげである。

「教室にいると、みんなからの視線が気になっちゃって。それで、ここなら誰もいないかなと思って……。見られることは、慣れてるはずなんだけどね」

きっとこのタイミングで視線が気になるということは、やはり噂が影響しているんだろう。
みんな見て見ぬふりをしながら、陰では先輩の噂をして勝手に盛り上がる。
受け取る側にとっては、噂の真偽などたいして重要ではない。
話題になるか、ネタになるか、面白いか、祭りになるか、ざまぁみろと思えるか。その程度でいい。

「慣れてたって、何かはり減るもんですよ」

思いがけない言葉だったのか、花岡先輩は瞳の奥にわずかな驚きを示した。

「……君は、私のこと避けないの?」

「こんな綺麗な人が目の前にいたら目を離せません」

花岡先輩は反応に困るといった表情をして苦笑いをした。
結構本音だった。
ほんとにこんなに綺麗な人がいるんだな、という感想。
全ての顔のパーツがまるで彫刻で形作ったかのように整っており、中でも長いまつ毛と吸い込まれそうになる大きなアーモンド型の目は彼女に美しさと可愛らしさの両方の印象を与えさせる。
ロングの黒髪には眩しいほどの艶があり、肌には毛穴ひとつ見つからない。
間近で見るとその凄さがよりわかる。
圧倒的な美を前にすると、嫉妬心なんて浮かびやしない。

「それに、真実かどうかもわからない噂に流されて人を避けるなんて、僕は悲しいなと思います」

きっと花岡先輩は、パパ活なんてしていない。
これまでの言動や表情を見てもそれは明らかだ。
そもそも先輩がパパ活をする理由なんてないだろう。
お金に困っているわけでもない、テレビや雑誌に盛んに出ているのだから仕事に困っているわけでもない。
これはただの噂だ。
俺はそう確信したからこそ、一歩花岡先輩に踏み込んだ。

「あの噂、事実じゃないですよね?」

花岡先輩は驚いた表情をしながらも、何も言わず首を縦に振った。

「……私の隣にいたのは、雑誌の編集者なの。たまたまあの場面を撮られちゃって、それが今変な誤解を生んでる」

「そうだったんですか」

先輩の表情は暗い。
こんな表情を見せられると、自分も先輩に何かできないものかと考えてしまう。

「疑わないの?」

「本人がそう言ってるんだから、それ以上でもそれ以下でもないですよ。僕は先輩を信じます」

「……ありがとう。君みたいな人が世の中にたくさんいればいいのにね」

「僕が世の中にたくさんいたら、きっと世の中はハンバーグで溢れかえります」

「ふふ、何それ。どういうこと?」

「ミートボールがハンバーグになるんです」

「ちょっと待って、もっと意味わかんないんだけど」

先輩は初めて笑顔を見せた。
笑った顔はさらに魅力的で、この表情が隠れているのは勿体無い。
笑った時こそ、『花岡美咲』は輝くのだ。

「図書室に入ったとき、いつもとは違う匂いがしたので何かなと思って。僕の結論はハンバーグの匂いでした」

「はは、ごめんね、ハンバーグじゃなくて」

「どっちも肉の塊なんで、ミートボールも実質ハンバーグです」

「でも、基本的にハンバーグは『焼いた』ものだけど、ミートボールは『揚げた』ものなんだよ。知らなかったでしょ?」

「……常識ですよね」

「うそだ、嘘ついてる顔してる。君、すぐ顔に出るタイプなんだ?」

「まぁたしかに、友人の顔を見ると嫌な顔はするかもしれません」

「それ、友人なの?」

「れっきとした僕の数少ない友人です」

「……友人も気の毒ね」

「というか先輩、料理に詳しいってことは家で料理したりするんですか?」

「うん、今日のお弁当も私が作ったんだ。……両親二人とも、仕事が忙しいから」

一瞬先輩の顔が曇った気がしたが、すぐに曇りはなくなる。
俺の気のせいだろうか。

「偉いですね。素直に尊敬します」

仕事をしながら、料理もしているとは驚きだ。
なかなかこんなできた高校三年生いないだろう。
ますますパパ活なんて人生に関わりのない人に思える。

「あ、先輩、時間が」

時計を見ると、時刻は十二時五十八分。
あと二分でチャイムが鳴ってしまう。

「あ、急がなきゃ」

花岡先輩は弁当箱をすぐに片付け、席を立つ。

「中川くん、今日はありがとう。少し気持ちが楽になった」

そう言って先輩はにこりと笑い、甘い香りを残して図書室を去った。
俺はただ茫然ぼうぜんと先輩の背中が小さくなるのを見ていた。
もうすぐチャイムが鳴ってしまう。
それなのに俺の足が動かなかったのは、「中川くん」と呼ばれたことによる驚きと、にこりと笑った先輩の表情に胸が高揚していたからだ。
先輩が残していった甘い香りがどうも頭をぽわぽわさせる。うまく頭が働かない。
行かなければいけないことはわかっているのに、ついぼーっとしてしまう。
今まで味わったことのない感覚。
周りの音など一切聞こえず、胸の鼓動だけが自分の体の中に響く。
どうにか頭を働かせようと、次の授業は何だったか考える。
でも、頭に浮かんだのはさっきまで間近に見ていた先輩の笑顔だった。
あれ、おかしいな。
ああ、そうか。

────この瞬間、俺は先輩に恋をしたんだ。












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