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第十二章 ボルトン伯爵家

140 農業代官ルナールド

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 ボルトン伯爵領に到着した翌日。俺は応接室にいた。実は昨日、夕食を済ませてから書類の仕分けでこの部屋に詰めていた。途中、そのままソファーで寝てしまい、目が覚めた後、再び仕分け業務を行った為に、用意してくれた寝室の中に入らぬまま朝を迎えてしまったのである。

「おい、グレン! もう仕事を始めているのか!」

 応接室の様子を見に来たアーサーがビックリしたようで詰め寄ってきた。

「これ全部やったのか・・・・・」

 アーサーは机に仕分けられた書類を見て唖然としている。これをやってしまっておかなければ、代官らとの協議ができない。またフレディとリディアへの仕事の割り振りもできない。だからやってしまわなければならなかったのである。

 俺のプランとしては、この応接室で俺とアーサーが協議を行い、客間でフレディとリディアに計算をしてもらおうと思っていたのだが、この応接室の隣室で仕事をしてもらったらいいだろうということで、急遽アーサーが準備をしてくれた。扉一枚隔てた先で二人とやり取りできるので、より合理的に仕事を進めることができる。

 朝食を摂った後、フレディとリディアに作業内容を説明していると、ルナールド男爵がやってきた。農業代官らしく朝は強いようだ。俺はアーサーと共にルナールド男爵と話そうと思っていたら、ここで椿事が発生した。ボルトン伯も話し合いに立ち会いたいと言い出したのである。

「我が所領のことでもあり、話を聞くだけでも叶わぬものかと」

 ボルトン伯は生来真面目なのだろう。遠慮がちに自分の願いを伝えてきた。当初の予定では俺とアーサーで代官らと協議するつもりだったのだが、当主の願いとあらば聞き入れなければならない。急遽ボルトン伯にも話し合いに加わってもらうこととなった。

 いきなり三人に取り囲まれた形となったボルトン伯爵家農業代官のルナールド男爵。白髪混じる、経験豊富そうな初老の陪臣は、緊張した面持ちで協議に臨んでいた。応接セットに座った俺はそのまま本題に入る。

「小麦の出来はいかがですか?」

 ルナールド男爵はハッとした表情で俺を見た。この初老の陪臣、薄々は気付いている。

「今一つではないかと。私が見る限りですが・・・・・」

「ルナールドよ。それは一体どういうことか」

 ボルトン伯はいきなり質問した。話を聞くだけじゃないのか伯爵。俺は内心苦笑したが、いきなり出た作物の不良話に我慢できなくなったのであろう。当主としての自覚があるということだ。俺は黙って事の流れを見ることにした。

「はぁ。実がふくらんでいない物が多く、例年に比べ収穫は落ちるのでは、と」

「どのくらいだ」

「実際収穫してみないと・・・・・」

 断定はできない。というところか。ルナールドは慎重居士だ。俺は農業代官に時間を与える選択をした。

「推量でも良いので、明日の朝改めて教えていただきませんか」

「分かりました。過去に照らし合わせたものを元に明日に報告致します」

 既に概算はしているということだな。ルナールドの表情から見て、そう推測した。俺は話題を変える。

「今、伯爵家の収支を見ておるのですが、農業収入は全体の二割を占めております。この二割の内訳は?」

「小麦が三割弱を占めております。後は大豆が四割。後は牛肉や乳製品、栗や柿、林檎等の果樹であります」

 主力は大豆か。しかし確か連作障害があるはず。問題は起こらないのか? 俺はルナールドに問い質した。するとよくご存知で! と言った感じで身を乗り出しながら説明してきた。

「それはイネという作物と輪作することで解決しております」

「コメ!」

 ルナールドによるとイネは大豆を作るための休耕対策の作物という位置づけ。なので米の収穫は領内で賄う程度の量であるということ。まさかエレノ世界に米があるとは思いもしなかった。

「栽培法は?」

「水を溜めて栽培します」

「水田栽培だな」

 俺がコメに興味を持っているのを驚くルナールドであったが、明日お持ちしましょうと言ってくれた。まさか異世界でコメと出会えるなんて予想外の出来事。俺に農業知識があると見たのか、ルナールドは農作物について色々話し始めた。元々小麦主体だった農業に大豆を導入したのは、小麦よりも価格が高く、飼料としても価値が高かったからだという。

 大豆のおかげで牛の成長が早く、高値で取引できるようになったそうだ。一方、果樹は有力な商品作物だが、収穫を上げるには相応の投資が必要との事で、そこに悩みがあると嘆いたりと、ルナールドは熱心に農政について語った。その話を聞いていたボルトン伯が口を開く。

「そのような話、初めて聞いたぞ」

「はい。費用がかかりますこと故、話しづらく・・・・・」

 厳しい財務事情を臣下の者も察しているのは当たり前の話。ルナールドは収入増の為には資金が必要というジレンマを抱え、主に言い出しにくかったのであろう。

「伯爵閣下。商品作物の話は、高度な農業知識が必要なのでルナールド男爵は遠慮されていたものと思われます」

「アルフォード殿はどこでそのような知識を」

「我が家は商家ですので、農作物に関する知識も一定水準は持っておりませぬと商いはできませぬ」

 なるほど、とボルトン伯は頷いた。実際には現実世界における研修で知り得たものであるのだが、こういう役の立ち方を見ると、もっとキチンと勉強すべきだったと後悔してしまう。ルナールドとの今日のやり取りは、ボルトン伯爵領の農政について考えるには有意義なものだった。

「俺は領内のことを全く知らなかった・・・・・」

「いや領主であるワシも知らぬ話。お前が知らぬのは当然じゃ」

 農業代官ルナールド男爵の退室後、ルナールドの話を聞いたボルトン親子は共に知らないことを恥じていた。ルナールドは自分の為せる範囲でボルトン領内の農政転換を行い、独力で収益性を追う農業を目指していた訳で、それを知らなかったのは仕方がない。

「ここはルナールド男爵の、考えの一端を知る機会に恵まれたと考えるべきでしょう」

「ワシはもっと知るべきであるな」

 自責の念を込めてであろう、ボルトン伯はそう呟いた。

 ――フレディとリディアは計算で奮闘していた。二人共相当量の計算をこなしている。

「グレン。君は家でこんな事をやっていたのかい」

「全く同じではないが、似たようなことをやっていたよ」

 今回、二人に頼んでいるのは金利再計算。実家でやっていた契約書のチェックやその契約に基づいた納品請求の確認業務とは少し異なるが、チマチマした机作業であることに変わりはない。

 フレディとリディアがやっているのは、実際に払った金額を元本と金利に分け、金利を現行上限である二八%で計算し、払った金利と計算した金利の差額を年単位で記載する作業。これを契約口数ごとに表を作り、業者単位で一覧を作る。表計算ソフトがあれば一発終了するのだが、そんなものはないので人海作戦の手作業だ。リディアに泣きが入った。

「数字ばかりを見ているとおかしくなりそう」

 そりゃ慣れていないことをやっているんだから仕方がない。しかも確認のため、相手のやっていた計算を検算するのだから二度手間となる訳で、やり続けていたら気も滅入る。二人に仕事を止めるように言って、一緒に休憩をとった。

「この作業。重要なの?」

「一番重要だ。交渉のキモだからな」

 リディアの疑問に俺は答えた。払った金利額と現行上限金利で計算した額の差。これが貸金業者との交渉で重要な意味を持つ。もちろん飲む飲まぬは相手次第だが、場合によっては奥の手がある。

「この計算表は貸金業者と交渉する武器なんだ。だから重要なんだよ」

「全業者と交渉するの?」

「もちろん。問題は王都の業者じゃなく、近隣の業者だが・・・・・」

 そうなのだ。王都の業者は問題がない。シアーズの威光がデカイ。俺の案を聞かないわけがないからだ。だから書簡で十分。問題は近隣業者の方。ここにはシアーズの威光は届かない。ただ勘定方のケンプが出してくれた近隣業者のリストで、皆が金融ギルドの加盟業者であることから、交渉は十分にできると見ている。

「グレンと貸金業者との交渉が見てみたいなぁ」

 リディアが突飛なことを言ってきた。リディアは本当にピョンピョン跳ねる子だ。時折ビックリさせられることがある。それにつられてかフレディも見たいと言い出す。二人のモチベーションを考えると受け入れなければいけないだろう。但し条件を付けなければならない。

「よし分かった。交渉を見学できるようにしよう。ただ条件がある。一つはボルトン伯の了承。もう一つは計算の仕事を終えること。これが出来たら見せるようにしよう」

「やったー! 頑張るわ」
「じゃあ、ボルトン伯との話し合い、頼むよ」

 二人は目を輝かせて、計算作業に入った。あまりに張り切っているのでこちらの方が心配になってくる。

「まぁ、休憩を入れながらやってくれ」

 俺はそう言うと、応接室の方に戻った。

「俺にできるのか・・・・・」

 戻ってきた応接室にはアーサーが一人深刻そうな顔をしていた。ボルトン伯も退室したようだ。アーサーはルナールド男爵の話を聞いて、自身の身分に対して身構えてしまっている。そこで俺は一つの故事を引き出した。

「早かれ遅かれやらねばならぬ事。なってから向き合うよりもなる前に向き合ったほうがいい。ドーベルウィン伯も言っていた」

「ドーベルウィン伯が?」

 アーサーの疑問に俺は答えた。ドーベルウィン伯は家の事が煩わしく騎士団に没頭していたが、伯爵家を継承しなければならなくなってしまってから領国経営と向き合わなければならなくなってしまったので、そこから領国を把握するのは大変だと言っていたのである。その事実をありのままに伝えた。

「・・・・・そんなことが・・・・・」

「まぁ、だからアーサー、お前だけじゃないんだ。この話は」

 アーサーは自分の家を「貧乏貴族」の家だと思い込んでいる。しかしボルトン家は、本当のところ鉱山資源に恵まれた豊かな家なのだ。むしろ名門に相応しい好待遇を受けている。ところがカネの周りが悪すぎるが故に、そのように勘違いしてしまったという訳だ。だからこれを家の実情と可能性を知る好機とすべきなのである。だから言ってやった。

「良いことを先に知って悪いことを後に知るより、悪いことを先に知って良いことを後に知ったほうがいい」 
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