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第十二章 ボルトン伯爵家

135 気付かされた想い

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「じゃあ貴方も、アイリスかレティシア、それとクリスティーナのうち一人を選んだらどうなの?」

 コルレッツが放った言葉が、頭から離れない。放課後、図書館でアイリと会っているときにも、脳裏からコルレッツの言葉が離れることはなかった。だからアイリとの会話も上の空。アイリには本当に申し訳ないことをしてしまった。結局、俺の頭から離れないため、早々に寮の部屋に引きこもり、ワイン片手に孤独な戦いを強いられたのである。

(どうして。どうしてなのだ・・・・・)

 あのとき、俺は選べなかった。本当ならアイリ一択の筈なのに選べなかった。クリスの顔が浮かんで選べなかったのだ。だからそこで思考が止まってしまい、コルレッツに対して付け込まれ、押されてしまったのだ。あのとき、カインとフリックが助勢してくれていなかったら、間違いなく俺の手が出ていただろう。

(俺はクリスのことを・・・・・)

 ショックだった。選べと言われて選べなかった事。それがクリスの事を思ってのことであるという事実に愕然とした。俺は自分の事なのに何も知らなかったし、気付かなかったのだ。確かにクリスは美人だ。亜麻色のロングヘアーにキリッとした琥珀色の瞳、人形のような端正な顔立ち。まさしく真正のお嬢様。だが、クリスの本当の魅力はそこではない。

 俺の話す突拍子もない話を瞬時に呑み込む利発さ。こうと思ったことにひたすら邁進する一本気な性格。孤高という扱いをされているが故に他の人が気付いていないクリスの能力。だがその一方、場所を知らせるのに胸を張って全国地図を示す大ボケぶりや、自分の思いつきをさも以前から考えていたかのように振る舞う無茶振りもクリスの魅力だ。

 見た目美人でツンツンしているが、内実可愛らしく甘えん坊。従者に対して見せる思いやりや気遣い。だからトーマスとシャロンは、どこまでもクリスについていく。二人は命令されて仕えているのではなく、クリスが好きだから仕えているのだ。俺はそれを知っている。そして俺自身、知らず知らずのうち、そんなクリスに惹かれていた。

 それを全くの他人。それも、よりにもよってコルレッツなんかに気付かされてしまった! あんなヤツにだ。人に言われるまで気付かない俺も情けないし、あんな奴に気付かされる事そのものが屈辱。なにより選べと言い放たれて、言い返せなかったのが悔しい。

 俺が今、現実世界に帰るとき、つまりアイリと佳奈を選ばざる得ない状況が生じたときにどうすればよいのか、と頭を抱えているのに、その上でクリスまでがその中に入っていく状況が生まれている事に愕然としている。我が身の不始末、と言えばそれまでだが、無自覚が故に発してしまったことに、どうすればよいのか全く分からない。

 レティはいい。俺とは気心がしれた仲。お互い察しが付く大人の関係だ。相性がすごくいいのは、おそらくレティが大人だからだろう。俺がそれに頼っていると言えばそれまでだが、誼を結び、お互い相互補完している部分がある訳で、この辺りのバーターはしっかりと取れていると思う。だからアイリとレティなら躊躇なくアイリを取る事ができる。

 ところがアイリとクリスならどうか。さっきから何度も考えているのだが無理だ。どういう訳だか分からないが選べないのだ。クリスと佳奈であるならば、スパッと佳奈を選ぶ事が出来たので、どうして迷ってしまうのか。自分の心なのに理由がサッパリ分からない。

 グラスのワインを飲み干した俺はクリスの事について考えている。クリスは公爵令嬢、対して俺は商人の次男。接触が多いため感覚が麻痺しているが、本来身分の差は限りなく大きい。今のような付き合い自体ありえないのだ。だから今日気付いたことを、俺の心の奥底にしっかりと封印すればよいだけの話。

 クリスは賢い。覚悟一つで、令嬢としてキチンと振る舞うことができる子だ。小さい頃からそういう教育を受けているし、俺なんかよりずっと自制心もある。だから問題は俺の方で、封印が解けぬよう気を付けてさえいれば何の問題も発生しないはず。よし、これで乗り切ろう。何らかの結論を出さないと、正直やってられない。

(今、コルレッツと遭遇するのは得策じゃないな。俺の心が固まるまでは避けたほうがいい)

 ちょうどアーサーの件、ボルトン伯爵家の話がある。どちらにしても話には四、五日かかる。しばらくはこちらの方に専念して、心を落ち着かせた後に再び対峙しよう。次はこんな失態を演じないよう、強い態度に出なければいけない。

 ワインを飲みながら考えていると本当に酒量が多くなってしまう。前までなら「いかにして帰るか」で酒量が増えた事があったが、最近は「アイリのこと」で酒量が増えることが多くなってしまった。その上でクリスの事なんかが乗っかかりでもしたら、ワインの量が更に増えること確実だ。

(俺の心が落ち着くまでは、アイリとも話さないほうがいいな)

 ただでさえアイリの心が不安定なのに、その上で俺が揺らいでしまっていたら、アイリを不安にさせるだけだ。幸いアーサーの事で、しばらく学園から離れるという話は今日できた。だから、ボルトン伯爵領に向かう明後日まで、それを理由に合わないようにしよう。

(アイリにはキチンと言っておかないとな)

 アイリは本当に真面目な子だ。普段、我慢して辛抱するからなのだろう。俺が何も言わないと本当に心配して、突然想定外の行動を起こすことがある。だから俺は伝えるべき事をキチンと伝えてから会わないようにしないといけない。そんな事を考えながらグラスにワインを注ごうと思ったら、既に瓶は空いている。だから今日はそのまま眠りに就いた。

 ――翌日、幸いな事にコルレッツ一味とは遭遇しなかった。その代わり昼休み、廊下でスクロードと久々に出会った。こっちは「ドーベルウィンは元気か」と問い、あっちは「アーサーはどうしたのだ」と尋ねてきたので、『スイーツ屋』に入って話をした。

「実はジェムズ、叔父上の元で修行しているんだよ」

「ええええええ!」

 なんとあのドーベルウィンが父の元で修行している。大丈夫なのか? スクロードが言うには、シーズンの合間にドーベルウィンが父伯と鍛錬している間に、双方本気になってしまい、シーズンが終わってもそのまま屋敷で一緒に鍛錬を続けているらしい。

「母上が「気が済むまでやらせておきなさい」と呆れてしまって」

 勝ち気なスクロード男爵夫人までがお手上げというのであればどうしようもないな。まぁ、ドーベルウィン家も父子の疎通が図れていなかった訳だから、これはこれで良かったのかも知れない。最近届いたドーベルウィンからの封書には、あと一、二週間で学園に戻ると書かれていたとの事だった。

 ドーベルウィンの話を聞いたので、今度は俺の方がアーサーの話をした。話と言っても内容が内容だけに大まかな話しか出来なかった。

「いや、察しは付くよ。家は違うけれど立場は同じだし、話は聞いていたからね。少しだけれど」

 スクロードはボルトン伯爵家が借金で首が回らない状況になってきている、という話をアーサーから聞いていたらしい。しかし当たり前だが、話を聞くだけでどうすることもできなかった、と。

「グレンの名前を出すわけにもいかないし・・・・・」

 その通りだよな。他人に丸投げになってしまう。

「だからアーサーが俺に言ってきたんだ、「カネを貸してくれ」と。だが断った」

「!!!」

 スクロードは驚きながらもやはりそうだよな、という顔をしている。

「カネは出せないが知恵は出せるかもしれない。だから近々ボルトン伯爵家に行くんだ。アーサーは準備のため、先に向かっている」

「おお! それだったら分かるぞ。ウチも君の姉に救われたからな」

 スクロードの顔が一気に明るくなった。

「ウチなんか誰も家計が危機にあるなんて思っていなかったからね。あの母上でさえ。それを君の姉がズバッと示して、ズバッと変えて、ズバッと解決してくれたんだ」

 リサよ。お前はドーベルウィン一門のとこで何をやった。

「アルフォード家がボルトン家に乗り込むんだったら大丈夫だ」

 スクロードは安堵した顔を見せる。俺ら姉弟の行動がウチの家に対する信頼に変わっているのだな。

「ところでコルレッツなんだが・・・・・」

 あ、スクロードはコルレッツと同じクラスだったな。

「取り巻きが減ってるよ」

「やっぱりそうなのか」

「グレンとコルレッツとが衝突しているから、気付いた奴が離れてるんだよ。他のクラスのヤツと合わせても四、五人くらいしかいないと思う」

 十人以上いた取り巻きも半分以下になったとスクロードは言う。クラスの中では貴族組の女子を中心に、コルレッツに対する風当たりが強まっているらしい。

「クラートという子爵家の息女が中心なんだ。気が強いだよ」

 苦笑気味に語るスクロード。自分はひっそりとしてるのに、クラートという女子生徒は新学期に入ってガンガン圧力をかけているそうだ。なんでもパーティーを利用して貴族子弟組の「反コルレッツ戦線」を作り出したらしい。そう言えばディールが以前、似たような話を言っていたな。ディールの知り合いって、クラートという猛者なのか。

「しかし『打倒アルフォード』でコルレッツは煽って味方を増やしている筈なんだが」

「ああ、だけどカインがお前についたのが分かってから、クラート達が一気に盛り返した」

 つまりコルレッツは徐々に学園での居場所を失いつつあるということか。だからこの前のように対決色をより強めてきた訳だな。追い詰められているのは俺だけではないってことだ。またみんなが学園に戻ってきたら一席設けようじゃないかと声を掛けると、スクロードもそれに応じ、一緒に『スイーツ屋』を後にした。

 ――放課後、俺は馬車で繁華街へと向かった。新たに『投資ギルド』の責任者となったワロスから話を聞くためである。出発前アイリに事情を説明すると、少し寂しそうな顔を浮かべたが、終わったらまた『スイーツ屋』に行こうと誘うと、微笑んでくれた。

 ワロスが『投資ギルド』の事務所を構えたのは、グレックナー率いる自警団『常在戦場』の屯所近く。ここならばシアーズが責任者を務める『金融ギルド』の事務所からも近い。これならば『常在戦場』のパフォーマンスを存分に活かせるだろう。俺が馬車を降り、『金融ギルド』の中に入ると、悪徳商人臭を強めたワロスが出迎えてくれた。

「よぉ、ワロス久しぶりだな!」

「いやいや『おカシラ』!」

 ま、待てぃ! ワロス、今なんて言った?

「『常在戦場』の連中がアンタの事をそう呼んでいるので、シアーズ兄と話してそう呼ぼうって決めたのだよ」

 おいおいおいおいおい。俺の知らぬ所でどんどん話が進んでないか。

「まぁ『おカシラ』。奥へ、奥へ」

 俺は反論ままならないまま奥の応接室に案内され、上座に座らせられてしまった。ワロスはそのまま『投資ギルド』の話を始めたので、ワロスのペースで話が進んでいく。まぁ、俺も聞いておきたい話だったので、流れに身を委ねることにした。

「当初、思い描いていた形とは違った形で進んでいますが、収益は予想以上に上がっています」

「それは良かったな」

 ワロスによると見込んでいた貴族らの出資が少ない反面、一件あたりの投資額も考えていたものより少なく、結果として少ない投資で大きな利回りが実現できているのだという。

「それは良かったのか?」

「見込みと違ったという点については残念ですな。総評として言うと良くはない」

「なんでそうなったのだ?」

「思った以上に貴族らの資産がなかったんですよ。だから意欲もない」

 ワロスは蔑むというより自嘲するように言うと、大きく溜息をつき肩を落とした。ガックリしたという感じだ。余程の理由のようである。ワロスは俺に向かってその理由をゆっくりと話し始めた。
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