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第十章 晩夏の前

117 至上命題

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 レストラン『レスティア・ザドレ』において、凶作に対するアルフォード商会とアルフォード家の方針を決めた俺達は、揃って『グラバーラス・ノルデン』に宿泊した。俺も久々に温泉に入って逗留したのだが、実は『グラバーラス・ノルデン』に泊まるのはこれが初めて。睡眠を取りながら温泉に入ると緊張感も和らぐ。

「こういうのも悪くはないな」

 スイートルームで泊まる感覚はクラウディス城で充てがわれた部屋のそれに近かった。貴族はこういう部屋で普段暮らしているのだろう。寮の部屋に比べてずっと広く、ベッドの大きさも倍以上ある。

「レティもここで泊まれば落ち着くだろう」

 本人の希望もあって、複数の寝室があるスイートルームを取った。リサとザルツが泊まっている部屋と同じタイプだ。長らく合っていない弟とゆっくりと話したいのだろう。呑んだくれて、の間違いかもしれないが。一方、俺とロバートが泊まっている部屋は寝室が一つだけのもの。ロバートにはゆっくりとしてもらいたいところだが、そうもいかない。

 アルフォード商会の当主ザルツ・アルフォードはハードな男だ。家族会議でザルツは三つの方針を決めた。まず一つ目は毒消し草の買い占め。ジェドラ商会、ファーナス商会という同盟を結んだ二商会を介して実行する。この交渉は俺とリサが行う事となった。

 二つ目は疫病が流行っている地域との交渉。毒消し草と穀物のバーター取引の覚書を結ぶことである。ラスカルト王国にはザルツが、ディルスデニア王国にはロバートが赴き、出来得る限り有利な条件を結んでくる事が課せられた。

 そして第三は「凶作の秘匿」。関係の良好なジェドラ、ファーナス両商会にも知らせない方針を固めた。これは宰相閣下が秘匿をしているのに、アルフォード商会がバラせば信用が失墜すると、ザルツが皆に厳命したのである。もちろんザルツが言わなければ俺が言っていたのだが、ザルツがそれを言わない訳がないので、気にも留めていなかった。

 またザルツはジェドラ、ファーナス両商会との会合の席に出席することを拒んだ。ザルツ曰く「今、ラスカルト王国の内情を聞かれたら都合が悪いだろう」との事で、同様にロバートにも出席させない方針を示した。会わなければ秘密は完全に守られる。リスクを排したザルツ流の哲学なのだろう。

 ザルツとロバートは翌朝、それぞれの目的地に向かって出発した。ただ一つ違うことがあった。それはザルツが高速馬車を所望したことだ。

「高速馬車はいいぞ。とにかく早い。他国で使えぬのは残念だが、国内なら速さ自体が強力な武器になる」

 ザルツは俺達にそう言うと二人乗りの高速馬車にサッと乗り、ラスカルト王国に向かう前哨ぜんしょう拠点、第五の都市ムファスタに向かって走り去った。続いてロバートも馬車に乗り、こちらの方は王都南方にあるディルスデニア王国に向かう。

「頑張って交渉してくるよ。お前達も毒消し草、集めるだけ集めてくれ」

 そう言うと、リサがはいこれ、と【収納】で解毒剤を前より多い五ダース出して、ロバートに手渡した。

「お兄ちゃん、疫病にはかからないようにね。残った分は取引先の人の分よ」

「おお分かった。ありがとう。じゃあな」

 手を振って出発するロバートに、俺とリサも手を振って送り出した。すぐに解毒剤を用意できているリサは流石だ。しかも昨日の話で出てきた交渉相手の分まで用意するとは。俺が解毒剤を持っていたのか、と聞くと、あの話の直後、魔装具使って取り寄せたのだという。確かに席を離れていたが、凄いなリサ。その交渉力、俺なんかの比じゃないぞ。

 ザルツとロバートを見送った俺とリサは『グラバーラス・ノルデン』のフロント向かいにあるラウンジで朝食を摂った。実は今日、昼間にジェドラ親子と若旦那ファーナスがこちらにやってきて、『レスティア・ザドレ』の個室で会合を開く手筈となったのだ。

「グレンはクラウディス地方に行ったの、本当に大変だったのね」

「大変だったんだよ。最後の方なんか会合だからな、貴族と」

「てっきりクリスティーナさんと楽しんでいるものとばかり思っていたから」

 なんでそうなるんだ! 日程を考えたら分かるだろ。通常なら往復だけで二週間かかるのに、用事を全て済ませて、それより早く帰ってきているんだぞ。みんなの負担も相当なもんだ。もうリサに言ってもしょうがない。俺はリサにやるべきことを伝えた。

「ドーベルウィン一門に穀物を売らないように伝えて欲しい。くれぐれも内密にと、な」

「ええ、分かったわ」

 ん。何かあったのか? 少しリサの反応が違うので問い質してみた。

「あのね、デスタトーレ子爵家からね、若い騎士がいないか頼まれたの。急がないからとは言われたんだけどね」

 デスタトーレ子爵家とはドーベルウィン伯爵夫人の実家のこと。リサの話では長年仕えた騎士が引退するので、後を引き継ぐ騎士を探しているのだという。おそらく引退する騎士が若い騎士に教えてから退くので「今すぐ」にはという話である事は分かった。

「私、人脈ないから・・・・・」

「俺もだよ。商人なんだから騎士や貴族に人脈なくて当然なんだ。気にすることはない」

「でもグレンのほうが私よりも可能性があると思う。当たってみて」

 珍しく弱気なリサに俺は「分かった。気に留めておく」と伝えた。リサはお願いね、と笑って返してきたので、ああ、この辺りはまだ十八歳の子なんだな、と思った。

「やあやあ、久しいな。シアーズからは話を聞いているぞ!」

 そう言いながら俺とリサが待つ『レスティア・ザドレ』の個室に上機嫌で入ってきたのはイルスムーラム・ジェドラ、ジェドラ父だった。その後ろで「まいどっ!」と声をかけてきたのは息子のウィルゴット。ジェドラ父は俺に「君のおかげで息子は大きく成長したよ!」と頭を下げながら、ウィルゴットの背中をパンパン叩いて喜んでいた。

 しばらくしてやってきたのはファーナス商会の若旦那アッシュド・ファーナス。「いやぁ、会いたかったよグレン」と入ってくるなり、俺に握手をしてきてくれた。俺はジェドラ父とファーナスにリサを紹介すると、二人共「話は聞いているよ。アルフォード家の才媛との声が高い。シアーズが絶賛していた」と褒めちぎるので、リサが困惑していた。

 商人に枕詞は要らない。今回は目的が決まっているので駆け引き無用。俺はラスカルト王国とディルスデニア王国で起こっている疫病の話から単刀直入に要件を説明した。

「つまりは毒消し草を買い集めろと・・・・・」

「根こそぎです」

 若旦那ファーナスの呟きに俺は一言添えた。そこが一番重要だからだ。今度はジェドラ父が俺に問うてきた。

「この件、宰相閣下はご存知か」

「いえ、存じ上げないと思います」

「どうして・・・・・」

「王国に『外交』は存在しません。証拠に周辺諸国の使節が王都におりませんし、海外に王国の大使も常駐しておりません。ですので王国は『外交不可侵』なのです」

 三人とも一様に呆れている。おそらく王国が勝手に周辺国と付き合っているのだろうと思っていたのだろう。実はノルデン王国の人々の殆どは自国が『鎖国状態』にあるとは思っていない。お目出度いと言ったらエレノ世界だからでおしまいなのだが、外国がなくても不自由がなく、特段問題がないので、その辺りの意識が皆無なのである。

「そう・・・・・ なのか・・・・・」

「ですので外交は商人が尖兵を担えばいいのです」

 ジェドラ父の呟きに俺はそう返答した。するとジェドラ父もファーナスも急に元気になって「よし、俺達も一肌脱ごうじゃないか」と声を掛け合っている。国への貢献とか国を担うというといった公益性という概念のない、このエレノ世界。そこで身分低き地位に置かれている商人が国の代わりを果たすという発想に二人は高揚感を抱いているのだろう。

「よし、では手始めに毒消し草の買い付けだが・・・・・ ここはファーナス商会に一本化した方がいいと思う」

 お! っと発言したジェドラ父に皆の視線が集中する。ジェドラ父は構わず言った。

「もしジェドラとファーナス商会が共に買い付けを行えば必ず競争になる。競争になれば毒消し草の値が上がる。だからファーナス商会が一手に担った方がいい」

 なるほど。確かにジェドラ父の言う通りだ。買い付けを競えば必ず値が上がる。自由市場の原則だ。同じサービスを競えば価格競争しか起こらないのは必然。価格にしか差がないのだから。値を上げない為には、競争をしないに限るという訳か。流石はジェドラ父、経験数が違う。

「代わりにウチは倉庫と貨車を出す。特に貨車。二つの国に荷を送るには結構な量の貨車が必要だ。それで毒消し草を間断なく送り続ける。それでどうかな、ファーナス君」

「私の方は有り難いのですが、それでいいのですかジェドラさん。貨車を用意するのも大変でしょうに・・・・・」

「いいのだよ。そもそも薬草はファーナス商会が長けた分野。仕入れ術も身に付いている。ウチは輸送を一手に担う。こっちはウチに一日の長がある。祖業が運送だからな」

 薬草の扱いがファーナス商会の得意分野だとは知らなかった。それにジェドラ商会は運送業から身を起こしたのか。どこも特色があるな。

「そして売り捌くのはアルフォード商会。役割を完全分担すれば争うこともなく、確実に利益が上げられる」

 話はジェドラ父の提案に沿った形で纏まった。

「後は割合が少ないとはいえ、地方部の毒消し草をどう集めるかですね」

 若旦那ファーナスが説明してくれた。毒消し草は王都トラニアスの特産品であり、安値で手に入る。シェアは七割弱だそうだ。残り三割強が地方都市と貴族領。地方の分を手に入れることで全ての毒消し草を買い占めることになる。

「それはアルフォード商会に任せればいい。モンセルもセシメルもムファスタもアルフォード傘下だ」

「でもレジドルナが・・・・・」

 ジェドラ父の話を聞いたリサが呟いたことで会話が止まった。モンセル第二の都市レジドルナ。レジとドルナという川の対岸にある二つの街が一つになった都市レジドルナは、我ら三商会に対抗する、王都ギルド序列3位のトゥーリッド商会の本拠。ここにある毒消し草をどうするのか、という話だ。しかし手はある。

「何とかしよう」

「グレン、方法があるの?」

 驚くリサに「アテはある」と返す。但し「アテ」については説明しなかった。毒消し草の調達は王都周辺をファーナスが、地方都市をアルフォードが担当し、輸送はジェドラが担う事。モンセルとセシメルで調達した毒消し草は王都に運び、レジドルナの毒消し草はムファスタに集積する事が決定した。

 大まかな話となった後、雑談タイムとなり、ウィルゴットがリサと取り組んだ『学園懇親会』の話で場が盛り上がった。反応を見るに巨額のカネを投じた交流会という発想は、ジェドラ父や若旦那ファーナスの興味をそそるものがあったようだ。

「リサさん、あそこまで学校が好きなら学院に来ればいいよ。ウチの枠で即日入学できるし」

 おい、そんな無茶ができるのか。ご都合主義だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。エレノ世界はある面、なんでもありだ。

「お誘いは嬉しいのですが、学園の制服や施設が好きなだけで、学校そのものが好きというわけではないので・・・・・」

 ニコニコとした顔でウィルゴットの提案を断るリサ。その目を見ると本気でそう思っているようだ。確かにリサが学ぶべきものは学園にも学院にもない。しかし制服が好きだからって、コスプレ的に学生服着て学園内を徘徊しなくても・・・・・

「残念だなぁ。リサさんが学院に来てくれたら、みんな大歓迎なのに」

 ウィルゴットの言葉にジェドラ父も若旦那ファーナスも頷いた。みんな学院出身だったのね。その後三人は俺達そっちのけで学院の思い出話に花を咲かせた。
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