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第40話 もう一人の聖女

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 この地域は山脈が多く、縦横に連なる山々が点在する。この地域は温泉が多数湧き、比較的平坦なフォレス公国側は栄えているが、バンドーム王国側は斜面が多く、栄えることがなかった。

 しかし、温泉は多く湧いていて、天然の露天風呂が多く、そのほとんどは猿などといった動物が利用しているのである。この地域に足を踏み入れたフィリア一行の鼻に硫化水素の匂いが漂う。

「臭いな。まるで鶏卵の腐ったような……」
「はい! この地域の温泉はこのような臭いなのです」
「王宮の統治場はこんな臭いしないのにな」
「泉質に違いがあるのですよ。クルード殿下。この地域の温泉も、とってもいい効能だときいいております」
「そうなのか。体が臭くなりそうだな」
「あはは、この臭いは、硫黄の……そうだわ硫黄!硫黄があれば濃硫酸が作れるじゃない」
「なんだ? それは」
「濃硫酸とエチルアルコールで麻酔が作れるんです! すごい!」
「フィリア、一体、何を言っているんだ」
「意識を失う薬です! これさえあれば、手術の時の痛みを感じないのです」
「そんな物が……すごいぞ! 我が国の医療が更に進歩するということだな」
「はい! 皆さん採掘を手伝ってくれませんか?」

 濃硫酸の精製なんて、勿論やったことがない。しかも精製にどんな器具や容器が必要なのかもわからないが、研究してみる価値はある。麻酔さえあれば、皮膚縫合どころか、もっと難しい大手術だって可能になるのだ。

 かつて、前世の水沢あいは、自分の不器用を補うために勉学には励みに励んだ。かつて、死にものぐるいで勉強した、薬学や化学に関しての知識はここに来て花開いたのだった。
 
 幸い、この地域は鉱物や鉱石の採掘が盛んであり、近くの村には採掘に必要な道具が揃っている。一行はその村へと向かうことにした。

「フフン、今日はこの村の宿で柔らかいベッドを堪能できますね」
「ああ、ありがたいね。岩場のゴツゴツした寝心地は最悪だったよ」
「ふん、兄上、平民風情が贅沢をおっしゃいますな」
「おい! クルード! もっと国の民を大切にしろよ」
 
 さすが鉱夫たちの村だ。村に戻ってきた筋骨隆々の男たちが続々と酒場へとなだれ込む。一通り、村を見て回った一行は、食事のために酒場へと入っていった。

「採掘道具を揃るために店を回ったが、この村にも聖女印の特効水が売っていたな」
「ですね、ニコラス先生……どれだけ儲けているんだろう」
「なあ、フィリア医官。この村、温泉があったぞ!」
「ルーディアス様、本当ですか! 嬉しい! 食事が終わったらみんなでいきましょうよ」
「いいね。そうしよう。ちゃんと男女に分かれていたぞ。クルードは残念だろうけど」
「な! この平民め!」
「おいおい、ひどいな、確かに平民だけど、私はお前の兄なんだぞ」
「ふん」
「温泉か。良いではないか、クルード。友である私が、背中を流してやろう」
「ロワン、お前とは風呂に入らん!」
「なぜだ! 折角の裸の付き合いなのだぞ」
 
 酒場の外が騒々しい。酒を飲んでいる客たちが野次馬となり、店の外に出ていく。フィリアたちも一緒に見に行くと、背中から血を流す鉱夫が、仲間たちに抱えられている。

 この村に医者はいないらしい。医者に診てもらうには、隣の町まで行かなければならない、そのせいでこの村は鉱山の事故で死ぬものが多いのだとか。フィリアは怪我をした人に駆け寄り、抱えている鉱夫に尋ねる。

「何があったのですか?」
「狭いところで、採掘していてな……俺が振り上げたつるはしが、こいつの背中に刺さってしまったのだ。ああ、俺は……すまない」
「取り敢えず、酒場に運んでください! 私は医者です」
 
 傷は深いが、問題ない。フィリアであれば、この程度の傷は簡単に治せるのであったが、このあと、縫合するときに、驚愕することになる。

 手術台がわりに、酒場のテーブルを使わせてもらった。負傷した鉱夫をうつ伏せに寝かせ、服を切り、上半身を裸にする。つるはしのような、鋭くない鈍器特有の傷跡は難しい。ずたずたにになった皮膚を切り取らなければならないが、数々の手術を経験してきたフィリアは、迷いなく処置を進めていくのであった。

 野次馬たちはフィリアの周りを囲み、驚きの声をあげたり、興奮して叫んだりしている。それを注意するクルードだが、人間の皮膚を縫っていくという行為に歓声があがる。手術を無事終えると、フィリアは額の汗を拭った。
 
「おおおおおお!」
「すごいな! まるで聖女様だったな」
「こいつ、二度目だぞ! 聖女様に救ってもらって以来だな」
「ああ、本当に運が良いな」
(二度目? 聖女?)
「二度目とはどういう事だ?」

 クルードが、鉱夫に聞くと、その鉱夫が自慢げに話始める。

「半年くらい前かな、こいつ、酔っ払って喧嘩してな。その時にナイフで腹をブスっと刺されちまったんだよ」
「ほう、それで?」
「結構、深々と刺さっちまってな、流石に助からないと思ったんだけどよ、そこに現れたのが聖女様さ! こいつに何かを吸わせると、あんだけ痛みで暴れてたのに、大人しくなってな。このお嬢ちゃんみたいにな、針とハサミみたいなやつで、腹をちょちょっと縫い付けちまったんだ」

 フィリアが鉱夫の腹部を見ると、縫合した傷跡があった。しかもそれはフィリアの縫合技術より高度なものであった。「何かを吸わせると、大人しくなった」これは、多分麻酔のことであろう。この世界に、こんな技術があるとは思えない。「ハサミのみたいなやつ」というのも、現代医学を学んでいなければ知るはずもないのだ。

(私以外にも、この世界に転生した医者がいるのかもしれない)

 ニコラスならば、縫合はできるが、聖女といわれるわけはないし、フィリア以上の縫合技術があるとも思えない。それに、麻酔。一体の何者なのであろうか。もしかしたら、自分と同じように転生して来たものなのか。それとも……。

「その聖女。今はどこにいらっしゃるのですか?」
「どうだろうな。流れ者のように、ふらっと現れて、すぐに村をでていってしまったからなぁ……確か北に行くと行っていたが」

 その夜、フィリアはずっと件の聖女の事を考えていた。事実、フィリアはこの世界に転生してきたのだ。他にも同じような人がいてもおかしくはない。それに、研修医であったフィリアより、高い技術と知識を持っている可能性も高い。できれば、協力者になってくれれば、この国の医療は確実に進歩するのだ。今すぐにでも、その聖女を探しに行きたい気持ちでいっぱいであった。
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