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第4話 前線の村に運ばれる負傷兵

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 ――現在、バンドーム王国とフォレス公国の戦場の最前線は、フィリアの住むアルガス村の近くである。もしこの戦いに負けることがあれば、村はフォレス公国が占拠することになるだろう。幸い、村の男達の徴兵はなかったが、補給地点、治療拠点として、村の一部をバンドーム王国軍に明け渡すこととなった。
 
 村に運ばれる資材。村の大工を中心とした男たちが、兵舎を立てていく。続いて厩舎と食料庫が建てられ、負傷した兵士の治療のための広い処置室も増築された。 国の有事だ。これらの労働に対価が支払われることなんて無いと覚悟をしていた村の人たちは驚くことになる。

 労働の対価として、王国から支払われた金額はこの村の平均月収を遥かに上回る額であった。これは、多くの国民に支持される、バンドーム王国のライアス王が聖君と呼ばれる所以だろう。


 ちょうど、村が王国軍の補給所としての機能を揃えた日、前線から負傷した兵士が運ばれてきた。このとき、村の診療所から駆り出されていたフィリアは驚愕の光景を目の当たりにすることとなる。

「早速、運ばれてきたな。フィリア先生、今から大忙しになるぞ」
「ニコラス先生はこういう経験はお有りなの?」
「ああ、昔、王都にいた頃にな」

 運ばれてきた兵士は、前線特有の弓による刺傷や剣による切創を負っている。王国から来た医師団の医師が焼鏝やきごてを傷口に押し当てると負傷した兵士は絶叫する。
 
「よし、口に布を噛ませて押さえつけろ」
「ぐああぁぁ」

 兵士の傷口から煙がでて、肉の焦げた臭いが処置室に充満する。絶叫する兵士は苦痛の果に気を失った。相当な苦痛だろう。ただでさえ重症を負って体力が亡くなったうえに焼鏝やきごてによる拷問並みの激痛がかさなるのだから。
 
「そんな処置はだめよ!」

 その処置方法に驚愕したフィリアが叫ぶ。今回はあくまで負傷兵の手当の手伝いという名目で招集されただけなのだが、目に余る処置を目にすると、我慢ができなくなったのだ。

「なんだと、この小娘! 無礼な! 王国医師団の処置にケチをつけるとは何事だ」
「小さな刺傷ならまだしも、広範囲の傷に焼鏝やきごてなんて、熱傷が原因んで死んでいまうわ」
「なんだと? 素人に何がわかるか……王国最高峰の医療を否定するとは……」
「命が懸かっているのよ! 見過ごせないわ」
「ふん。そこまで言うならお前が治療してみろ。兵士を死なせたら処罰は免れぬぞ」
「いいわよ! では、あなた達は補助に回ってください」

 フィリアは手早く湯を沸かし、塩分濃度1%の生理食塩水を大量に作ると、ニコラスに指示を出す。

「先生は、この水で負傷した患者の傷口を洗浄して」
「あぁ、了解した。」
「それが終わったら、致命傷の患者から処置するから。緊急度の高い順位腕に赤緑黄の札を手首に巻いていって。……手遅れの患者は黒よ」
「医師団の方たちは、出血が多い患者の患部を直接圧迫して止血してください!」

 フィリアは手首に赤い札を巻いた患者を見つけ出し、患部を観察する。鋭い刃で斬られた傷は深く、このままでは完全に助からないと判断したフィリアが決断する。

 (傷が深いわね。……やるしかないわ)
 
 フィリアは革製の入れ物の紐を解き、作業台に広げると、その中からはメス、鉗子かんし鑷子せっし、持針器や縫合針がザッと並び光る。続いてこれらを鉄の面器にすべてを入れると消毒のために熱湯を注いだ。

 縫合糸をつけた縫合針を持針器じしんきで把持する右手。左手に鑷子せっしを持ち、一呼吸。

(これは人間。刺繍枠に張られた布でも、練習用の動物肉でもない)

 右胸から腹にかけて二十センチメートルの切創を見下ろす。内臓に損傷はないようだ。フィリアは患部を消毒し、縫合していく。大丈夫だ、今のところは上手く行っている。
 縫合を終えると、後の処置をニコラスに任せて次の患者の縫合を始める。ニコラスは縫合を終えた傷口を再度消毒し、軟膏塗り包帯を巻いていく。
 
 フィリアとニコラスの連携スピードは、現代の救急診療と比べても遜色ない。今のフィリアは、前世、足手まといだった研修医ではなく、陣頭指揮を執り、この空間、ここにいる患者の運命を握っている。

 何時間経っただろうか、フィリアはすべての患者の処置を終えた。この日、幸い黒い腕の札は出番がなかった。これがなによりも嬉しく感じている。三〇名余りの負傷した兵士は、皆が一命を取り留め、回復に向かうであろう。フィリアの張り詰めていた精神は、緩やかに解かれていくのだった。

 処置が終わり、診療所へと戻る。今になってフィリアの膝が笑う。更に遅れて襲ってくる恐怖感。「大丈夫。もう終わった。私は上手くやり遂げた」という、初めて味わう達成感が鼓動を加速させた。その鼓動は首からも伝わってくる。そして、急に視界が広くなったような、急に視界が明るくなったような、そんな感覚に浸っていた。

「フィリア先生、それにしても先程の縫合の手際の良さ。流石だったな」
「コツコツと豚肉や鶏肉で練習していたの。上手く行ってよかったわ」
「わしも、昔、傷口を縫うことに挑戦したんだがな、どうも上手く行かなくてな。悪魔の医術だと言われ大変な目にあったしな。ハッハッハ」
「器械……道具が特殊なの。今度先生の分をパパに作ってもらうように頼んでおくわね」
「おお、わしにも縫合を教えてくれるのか」
「ええ。なんなら今からでも練習する?」
「勘弁してくれ、今日はもうヘトヘトだよ」
 
 夜中に家のベッドで横になり、目を瞑ると、負傷兵で敷き詰められた光景が鮮明に瞼に映される。まだ興奮が収まらない。今も前線で戦う兵士が血を流しているのだろう。でも、今は、今だけはこの余韻に浸っていたい。

 ***
 
「魔女め……」

 その夜、怒りを眼に宿した医師団の一人が、フィリアの村から王国へと馬を飛ばしている。鬱蒼とした夜の林道を超え、王都にある王宮医院へと駆け込んだこの医師は、医院長へと報告をする。

「戦線の村にある診療所の医師に魔女の疑いあります」
「どういうことだ。説明しなさい」
 
 怪訝な顔をした医院長は報告に参じた医師を睨みつけた。周囲にいる医師たちはどよめいている。この国の王宮医官は貴族に相当する官位を持つ。医学の研究というより、どの貴族の派閥に身を置くのが良いのかを研究していると言っても過言ではないだろう。
 
 欲と地位に塗れた医官たちは、自分たちの医療の枠からはみ出した医術を極度に嫌っていた。「悪魔」、「魔女」というのはその隠語であった。
 この国にも、星詠みという司祭がいて、政治の決定に大きく左右することがある。しかし、腐っても、医学を学んだこの者たちだ。魔術や呪いなどという類のものが存在しているとは毛ほどにも思っていないが、貴族たちの政治を利用するには都合が良かったのだ。もし、貴族の治療に失敗しても「呪いのせいでございます」と言えば事が簡単に済むこともある。
 
「この村の若い娘は、村の診療所で働いていますが、その処置は我々からすると異端です。刀傷を焼鏝で焼くのではなく、まるで衣服を縫うかのごとく針と糸で縫い合わせていきました」

「なんと、そんなことをすれば、傷口から腐り落ちるだろう。して、患者の容態は?」
「驚くことに、快方に向かっています」
「ありえん。そもそも傷口を縫うなんて事ができるのか?」
「見たこともない特殊な器具を使っておりました。それに、見たこともない液体も」
「まるで、魔術みたいではないか。まさか本当に魔女……なのか」
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