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第2話 転生した研修医の記憶

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 前世の私は、カーテンの隙間が明るくなることに怯えていた。

 また、昨日と同じように今日が来てしまう。来るな。今日なんて来るな。明るくなる世界は私に影を作る。居ても立っても居られない気持ちと、動けない自分が戦っている。その戦いは、どちらが勝っても、どちらが負けても、結局私を惨めにさせた。

 身支度を済ませ、家を出るための軽いはずの扉が重たく開く。その瞬間、体内に棲み着く手のような物が、私の胃袋をグッと握る。同時に発せられる嗚咽の声は、到底二十代のうら若き女の声とは程遠い。

 研修医として向かう大学病院は、患者の診療と、医学の発展と、私に地獄へと突き落とすために存在している。地獄に落ちる者は何かしらの罪を犯したからだ。私の罪は何かと問う。勤勉である。利他的である。献身的である。これらは罪ではない。

 私の罪は、『不器用』である。

 救急診療科。私の罪を剥き出しにした場所。スーパーローテート方式によって、この数ヶ月、私の医者になる夢を貪り食うこの場所。私の罪である不器用が皆の足を引っ張り続ける。

 とにかく時間との戦いの救急医療で、絶え間なく押し寄せる患者。咄嗟の判断と素早い処置が要されるここでは、私の罪は大罪へと変化する。

 「水沢! 邪魔だ」という罵声と、分速三回の私に向かっての舌打ちは、溶けかけたアイスクリームを乱暴にスプーンで抉るように、私の自尊心を穴ぼこだらけにしていく。

 膀胱炎になりかけるほど時間に追われた私にとって、貴重なトイレ休憩。鏡に映る自分の顔をみると、どちらが患者だかわからないほど、顔面が蒼白としている。

 その日も体力と精神力を削り、勤務時間が終わる。すると、再度、明日の朝を怯えるために自宅に帰っていく。
 歩道の信号が青へと変わる前に歩き出した、眼の前の歩行者が車に撥ねられた。

 キキィィィ。ドン――。

 車は急ハンドルを切り、街路樹に衝突した。後続車がそれを避けるためにハンドルを切った先には私がいて、車のバンパーとボンネットは私を数メートルだけ吹き飛ばした。

 一瞬、思考回路が止まる。
(え? うそ。私、轢かれ……た?)

 衝撃はあったものの、頭部へのダメージはない。徐々に意識がはっきりしてくる。
 そうだ、撥ねられた歩行者の応急処置をしなければ。私は力強く起き上がり、集まる野次馬に救急車の手配をするように叫ぶ。久しぶりに出す、自分の大きな声に驚きながらも、撥ねられた歩行者に駆け寄る。

「大丈夫ですかー? わかりますかー?」

  負傷者の顔に自分の顔を近づけ話しかける。毎日救急診療でやってきたことだ。冷静に対処できていた。と、思う。
 負傷者の意識はない。呼吸はある、太腿の裂傷と頭部及び頚椎への損傷も可能性あり。目を閉じて、一呼吸。

(迅速に判断しろ! 私! よし!)

 救急医療の優先度を決めるトリアージでいうところの、赤。最優先治療群だ。私は直接圧迫による太腿の止血をしながら、救急隊員の到着を待つ。無限の時間を感じる。早く。早く来て。心で叫びながら近づくサイレンの音が大きくなるのを待っていた。

 救急車が到着し、隊員がストレッチャーを運んでこっちに来る。ここまでの対処は文句なしだ。自信を喪失していた私に、もうすぐ達成感が訪れるそうだ。
 患者の現状説明をしようとする私を抱える2人の隊員が、私を横向きにしてストレッチャーに乗せた。

「ちょ、私じゃない! 早くこの人を」

 混乱する。
(なぜ、負傷者ではなく私をストレッチャーに乗せるの?)
 
「何を言っているんですか! 動かないで!」

 救急車に乗せられ、車内光る白い光を目で追っていると、ズキンと、熱く、重い痛みが襲ってきた。自分の腹部を見ると、街路樹の支えていた二脚鳥居支柱が鋭く折れて、私の体を貫通していた。

 私は全然冷静でなんてなかった。興奮して、自分の方が重傷なことにも気づかなかった。
 
 車内を照らす白い光は、段々と暗くなっていき、やがて視界を漆黒へと塗り替える。

 私は、この記憶を最後に、水沢あいとしての人生に幕を降ろし、この世界のフィリアへと転生したのだ。

 
 ***

 
「フィリア先生。今日は診療所のお手伝いして偉かったな」
「うん! 私頑張ったんだよ!」

 ロベルトが、優しく、嬉しそうに話しかける。フィリアは、ロベルトのこの笑顔が大好きであった。鍛冶仕事をしているときの、真剣で、眉間に皺を寄せた怖い顔は、怒られているような感覚になるからである。

 ロベルトは、この村一番の鍛冶屋で、昔は王都で修行していたらしい。ロベルトの優れたところは、金属であれば何でも作ってしまうところである。村の農具や狩人の使う矢のやじり。リリアの裁縫で使う針のような細かいものも器用に作る。

 リリアの裁縫の腕もかなりのもので、服や刺繍、革細工までなんでも高い質でこなす。結婚前は王都の近郊の街で仕立て屋に勤めていたらしい。

「ねぇ、ママ」
「なあに? フィリア」
「私、お裁縫やってみたい」
「あら! いいわよ。今日お時間があるときにでも一緒にしましょうね」

 竹でできた刺繍枠に布を張り、刺繍糸と針で見事な模様ができていくリリアの手さばき。
 
(すごいなぁ。この器用さ。さすがは仕立て屋さんだっただけある)
「さ、フィリアもやってみなさい」

 リリアのやって見せた通り、フィリアが同じ刺繍をしてみる。果たしてフィリアにできるのか。不器用だった、このフィリアに。

(え? でき……てる。不器用な私が)
「フィリア! すごいわ! あなた天才?」

 フィリアの刺繍の出来は、リリアのそれとほぼ同レベル。驚くリリアより、フィリア自身が驚いている。それもそのはず、前世では、不器用の代名詞だったようなフィリアが高難易度の針仕事をやってのけたのだから。
 まるで、自分の手が精密機械のように思い通りに動く。両親ともに器用な遺伝子を受け継いだのだろうか。フィリアはしばらく自分の器用さに感動していた。

 不器用のせいで、どんなに惨めな思いをしたか。思い出すと涙がこぼれて刺繍を濡らす。
 
(あれ……)
「どうしたの? フィリア。針で怪我しちゃった?」
「ううん。ちがうの。上手くできたことが……うれしくて」

 次の瞬間、フィリアは、刺繍枠に張られた布をハサミで勢いよく切り裂いた。その行動を見たリリアは目を丸くして見ているが、それを無視して、針を持つ。

(ふぅ)
 目を閉じて、一呼吸。
 
 切れた布の端に針を通し『結紮けっさつ』する。続いて『皮膚縫合』の手順で裂けた布を縫っていく。前世、何千回練習しても、上手くできなかったこの運針が狙ったようにできるこの十歳の体。布の縫合が終ると、刺繍枠の布の上に涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。
 
 フィリアを抱きしめるリリアの腕は、とてもあったかく、全身に感動の熱が走る。不器用という罪の鎖から解き放たれたフィリアの気持ちは、前世の水沢あいの沈んだ魂を開放していくのだろう。

 この涙は、水沢あいの涙なのね。
(ありがとう)
 そう聞こえた気がする。

「ママ……ありがとう」
「フィリア……」

 リリアは何も言わず、ずっとフィリアを抱きしめていた。
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