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『OPEN キッチンカー ジェット』

 快晴の中、僕は自前の真っ黒なキッチンカーから看板を出して地面に置いた。今日はこの街一番の広場に出店することになっていたのだ。

 申し遅れました。僕は須藤 歩、通称『ブドウ』。職業は弁当の移動販売屋。

 どこにでもいそうな、でも他とは違う、化け物なんかではなくでありたい者だ。

 さて、何故通称がブドウなのかと言われれば、小学の友人に自己紹介した際『え、ブドウ?』と聞き間違えられたからだ。深い意味はない。

 それから僕はだいたいどこでも須藤ではなくブドウと名乗った。まあ、それは要らない情報だったか。

 ズルッと落ちてきた大きな黒縁伊達メガネの位置をクイっと直し、ピンでかろうじて止められている黒く野暮ったい前髪とも併せて、今一度己が持つ緑色の目を隠していく。

 ああ、こんなことを考えている場合ではなかった。何たって今日は休日。平日より忙しくなるだろうからね。ちゃっちゃか開店準備と諸々の作業に移らなければ。

 真っ黒なキッチンカーの中に戻り、今一度気合を入れて手を動かしていく。

「あ、今日はここに出店していたんだね。ラッキー。」

「ああ、坂本さんでしたか。おはようございます。そうなりますね。今日はここで。」

 するとこのキッチンカーを見つけたら毎度お弁当を買ってくれる常連さんがいらっしゃったようだった。

 いつもは平日によくお会いする方が故に、今日、別のところに出店してお会いできるとは思わなかった。

 ちょっと内心驚きながらも炊き立てホカホカな白飯をプラスチックのトレイによそっていく。

「そっかそっか~。いつもの一つと、焼肉弁当一つと、焼き魚弁当を一つお願いね。」

「かしこまりました。」

 ご飯の後に取り掛かっていた野菜たっぷり弁当いつもののメインを軽く炒めていく。

 だいたいの工程は下準備の時に終わらせているが、最後の仕上げは頼まれてから、というのが僕のこだわりだ。なるべく温かいものを食べてほしいからね。

 他に頼まれた弁当の鮭と豚肉も隣のコンロを駆使して焼いていく。焼いている間にもう二つ分白飯をよそったり、付け合わせのカット野菜を詰めたり、パタクタとキッチンカーの中を動き回る。

 ここでお客様の情報をば。

 このお客様、坂本さんは推定四十代のオジサマで、十七回前のご来店時に『健康診断で引っかかっちゃって』と愚痴を零してからは健康志向で野菜が多い弁当を買ってくださるようになった。その前は断然焼肉弁当だったのは余談だ。

「今日は家族と一緒にピクニックしに来ていたんだけど、ブドウ君のお弁当屋さんがあったら、そりゃあ寄るよね。寄るしかないよね。だって美味しすぎるんだもの。」

「それはそれは。幸いです。」

 お弁当を買ってくださるお客様は皆口を揃えて『美味しすぎて他のが食べられなくなる』と仰る。そして九割以上の方がリピーターとなってくれる。それも結構な頻度で。

 繁盛という面では有難いが、そうなるとお客様の栄養の偏りが心配になってしまう。一応栄養は専門的に学んだのでね。……まあ、余計なお世話かもしれないが。

 余計なお世話だとしても、お弁当を買ってくださるお客様には健康でいて欲しいと願ってしまうのは許して欲しいと思う。

 まあ、だからこそ日替わり弁当なんてものを用意しているわけなのだが、皆様がそれを頼むわけではないから、ね。どうにもならんこともある。

 そしてこれを僕の恩人家族の方々に話すと、歩くんはお人よしですねと微笑まれるのは未だに理解し難い。僕は誰よりも自分勝手なのだ。お人よしとは正反対だろうに。……うーん、分からん。

「偶には焼肉、食べても良いよね……」

 そうこうしているうちに出来上がったお弁当と引き換えるように会計をしながらジュルリ、と涎を零しながらそう呟く坂本さん。

 きっと声に出ている自覚はないのだろうが、いや、ご家族さんの分のお弁当を横取りする気ですか! とツッコミを入れたくなった。なんとか頑張って言葉にはせず、内心で留めておいたが。

「あ、あはは……」

 秘技、愛想笑い! 大抵これでどうにかなってきた。これでどうにもならなければ、また違う手を使うだけなのだが。それはまた追々説明しましょう。

「じゃあブドウ君、また買いにくるからね~。」

「はい。またいらしてください。ありがとうございました。」

 お弁当を持ってルンルンとスキップしながら坂本さんは去っていった。僕の作ったお弁当を楽しみにしてくれるのは素直に嬉しい。少しだけ己の口角が上がったような気がした。

「あ、ブドウさん! 今日はここで出店ですか!」

「古寺さん、こんにちは。今日はここですよ。」

「わあ、最近ブドウさんのお弁当を食べられなくて調子が出なかったところなんです! やったぁ、今日はラッキーな日です!」

 そう言ってフワフワで長い茶髪を揺らしながら嬉しそうにしている古寺さん。この方も僕の真っ黒なキッチンカーを見かけたら立ち寄ってくれる常連さんだ。

 ここ二週間程見かけなかったから忙しいのかなと心配していたが、杞憂だったようだ。

「今日は日替わり一つお願いします!」

「はい、少々お待ちください。」

「いつでも待ちますよ!」

 古寺さんのいつものは三種のおにぎり弁当だ。

 しかし今回は気分を変えたいようで、一番人気の日替わり弁当を頼まれた。ちなみに今日の日替わりのメインはチキンのトマト煮。良いトマトを仕入れて思いついたメニューだ。

 冷蔵庫からカット済の材料を取り出して順番に火を通していく。その間にご飯をよそったりとこれまたパタクタと動き回っていく。

 火を通し終えたトマト煮をプラパックに詰め、出来立てのお弁当を渡す。古寺さんはそれをキラキラした目で受け取り、楽しそうに鼻歌を口ずさんだ。

「ありがたや~」

 古寺さんは受け取ったお弁当を一度頭の上に掲げてから、また来ますと言って去っていった。

 これは古寺さんのルーティンみたいなものなのだ。それを微笑ましく眺めながら僕はありがとうございますと感謝の言葉を伝える。

 さて、もうそろそろお昼時間になる。一番忙しい時間がやって来ると今一度気合を入れるのだった。

…………

「ふぃ~……」

 お昼、休日、ピクニックに良さげな場所。それらが合わさったらどうなるかなんて分かりきっていたと思っていたが、想像以上だった。

 あれから休む間もなく働き続け、ようやく一息つけるようになったのはほとんどのお弁当が売り切れた頃だった。

 今の所あと三種のおにぎり弁当の具材がお弁当一個分残っているくらい。このまま閉店まで残っていれば、僕の夕飯になるだろう。

 椅子に座って休みながら、今日はリピーターのお客様とお初のお客様と半々くらいだったな、と一日を振り返る。

 僕が作ったお弁当で誰かが幸せになれたのなら、どれほど嬉しいことだろう。

 今日来てくださったお客様の顔を一人一人思い出しては、その顔が笑顔になる様子を想像するのが最近の楽しみとなっている。

 え? 百人以上のお客様の顔をいちいち覚えていられるわけがないって?

 いやあ、それが僕にとっては容易いことなんだよね。僕は人間離れした能力を持っていて──簡単に言えば人に対して『忘れさせる』ことができるものでね──、それの代償が『僕自身は何一つとして忘れられない』ことなんだ。

 だから、どんなに些細なことでも忘れられない。今日の四十八番目に来たお客様のちょっとした雑談やら、何なら三ヶ月前に一度だけいらしたお客様が零した愚痴なんかも一言一句覚えているくらい。

 どんなに忘れたくても、何も忘れられない。自分に対して忘れさせる能力が使えたら話は別なんだろうけれども……それができない稀有な能力者エートスなんだ。

「あのー……まだやってますか?」

 おっと、ボーッとしていて新たにお客様がいらしていたことに気が付けなかった。失礼失礼。

「ええ。と言っても今はこの『三種のおにぎり弁当』以外は売り切れてしまいまして……それでもよろしければ。」

「ではそれを一つ。」

「かしこまりました。」

 駆け込んできたお客様はイケメンというよりは美人と言った方が良さそうな方だった。

 スッと通った鼻筋、バッサバサなまつ毛の下に覗く瞳は綺麗な薄茶色、薄い唇、どのシャンプーを使っているのか聞きたくなるサラサラなセンター分けのボブヘア、スラッとしていながら筋肉も綺麗に付いているようにも見える。

 その顔の中で唯一異様な死んだ目ですら、その良い顔を引き立てるものに見えてしまった。

 と、色々と言葉を並べ立てたが、つまり、彼は動く美術品なのでは? という結論に至った。内心見惚れながら、それを表に出さないように気をつけながらおにぎりを握っていく。

 それと少しの野菜をパックに詰めて、美術品さんに渡していく。

「どうも。」

 ピクリとも変わらない表情でお弁当を受け取って、美術品の彼はそのまま去っていった。

 僕としては新規のお客様の一人、という認識でしかなかった。それがまさかあんなことになるとは、この時つゆほど思わなかったのだった。
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