上 下
30 / 39
わんわんわん(3章)

てん・わんわんわん

しおりを挟む
 おやつとして差し出された一口サイズの果物。佐藤さんは桃だと言っていたな。そう言えば前世今世合わせても桃は食べたことは無かったかもしれない、とふと気がついた。

 何せ最低限生きていく上で、デザート的存在だった果物の優先度は低かった。だから食べたことは無かった。

 まあ、仮に以前食べていたとしても、佐藤さんに出会うまでは食に美味しさなんて求めていなかったから何を食べていたかすら思い出せない。

 あの時は最低限生きるために食べ物という異物を取り込む作業をしていただけに過ぎないのだから。

 だから美味しさを求める、という意味では初めて食べると言えそうだ。

 桃はどんな味なんだろう、と少し警戒しながら匂いを嗅ぎ──とても甘そうで良い匂いだった──、ハクリと食べた。

 こ、これは……!!

 カッと目を見開き、それの瑞々しい美味しさにまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。

 桃、美味い!!!

 なんだこの美味しいものは! もっと食べる! と思っていたのに佐藤さんは手を引っ込めようとしていて、もうくれないのかと抗議する。

 桃、桃、桃!!!

「な、なんだ? ……もっと食べるのか?」

「キャン!!!!」

 桃がもっと食べられると思ったら嬉しくて、尻尾はぶん回し、なんならグルグルとその場で回ってそれを表現する。自分でもそれは止められなかった。

…………

 それからは『もう終わり』と言われるまで一心不乱に桃を食べ続けた。

「もう終わり。その姿で食べ過ぎは良くないからな。また明日。」

「クゥーン……」

 三食桃でも良いくらいには気に入った。だからストップをかけられて落ち込んでしまう。何なら尻尾と耳はダダ下がりである。

 どうも犬になると感情の制御が人間の時よりも難しいらしい。食べ過ぎが良くないという言い分も分かるが、それでもやっぱりもう少し食べたいという欲が勝つ。

 食い意地だなんだと言われようが知ったことではない。だって桃は美味しいのだから……!!

「人間に戻ればもう少し食べても良いかもしれないがな。」

「っ……!!」

 そう提案され、それなら一刻も早く人間の姿に戻らなければ、とワタワタと焦る。桃のため、桃のため!

 佐藤さんにもその焦りは悟られてしまったらしい。クスッと笑ってポンポンと頭を撫でられた。

「まあ、桃の旬は始まったばかりだし、焦ることはないさ。」

…………

 あれからも随分と構われ、夕飯も食べ、只今ブラッシングの最中。今日も佐藤さんのブラッシングの腕は素晴らしく、僕はその気持ち良さにテロンと溶けてしまう。

 食後ということもあり、眠気がものすごい。このまま眠れてしまいそうだ、だなんて考えながら、でも寝てしまってはこの素晴らしいブラッシング時間を堪能できないと眠気と戦う。

 何度寝落ちそうになったか。十を数えた辺りからはもう眠すぎて、その数すら数えられない状況になっていた。

 そして佐藤さんにもそれは気付かれていて。

「サキちゃん、眠っても良いんだからな。」

 佐藤さんのその穏やかな声が一押しとなり、スッと心地よい眠りへと誘われたのだった。





──楓真side

 サキちゃんの好物、桃。自分の脳内メモにそう書き残し、サキちゃんにブラッシングをかけながら今日一日を振り返る。

 今日はなんだか長かったような気がする。サキちゃんが書いた本を読み終え、サキちゃんの好意に喜びを感じ、それをお互いに伝え合って、突然やって来た山葵田にそれを報告して。あとはサキちゃんの好物が桃だと知ったこともか。

 これ全てが一日でなされたと考えると、随分濃い大変な一日だったとある意味感慨深い気持ちにすらなる。

 愛情を向ける対象がいること、そしてそれを認めてくれる第三者がいること。それらが揃うということは、とても幸せなことである。そう実感した日でもあった。

 まあ、他の誰からも認められなくてもサキちゃんが俺の隣にいてさえくれれば、俺は何も言うことはないがな。

「フッ……」

 と、サキちゃんへの執着を自覚すればするほど苦笑が漏れ出てしまう。俺はこんな人間だったのか、と。

 知らない自分を知ることは、存外面白いものだ。そう思えたのもやっぱりサキちゃんがいたからだった。

 ぷうぷう鼻息を鳴らしながら隣で眠るポメサキちゃんは大層可愛らしい。勿論今日も無音カメラで写真を撮りましたとも。

 スマホのアルバムにサキちゃんの写真が溜まるほど、サキちゃんとの生活が長くなっていくことを表しているようで。幸せが降り積もっていくような感覚が俺を満たす。

 この幸せが続くためなら、どんなことでも頑張れるような気がした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたアルフォン伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 アルフォンのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...