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第3章 立花道雪

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 天正9年(1581)8月18日、朝から太陽が筑紫の空を焦がしている。岩屋城を包む木々の蝉は最後の命の焔を燃やし、力の限り泣き続けている。朝からの稽古を終えた高橋統虎は岩屋城と高橋家を去る挨拶をする為、父紹運の部屋を訪ねた
「父上、ごあいさつに参りました。」
「うむ、本日より統虎は立花家。これより、高橋家のことは捨て置くがよい。立花家の事のみを考えよ。」
「はい。高橋家の事は全て直次に託します。」
「うむ、それでは・・・これを持て。」
 紹運は、黒い鞘の刀が置かれた桐の三方を統虎の前に押し出した。紹運が高橋家の名を継ぐ前の吉弘家家宝の脇差備前長光である。
「統虎よ、抜くがよい。」
 鞘から刀身を抜くと、約一尺(約30cm)弱の鋭く光る小刀が現れた。鎌倉時代より3百年を経た剣は、今も一切変わらぬ乱れた刃紋が華やかである。じっと刀を見ていると、剣先と刃紋に引き込まれるような凄味がある。
「立花家と高橋家が袂を分かつ日が来たら、立花軍を先頭で率い、挑んでくるがよい。それが出来ねば、この剣で潔く自害するがよい。」
「はい。」
 紹運はすっと立ち上がると、部屋の障子を開いた。真夏の明るい光が部屋に差し込んできた。紹運の眼の前には岩屋城と向かい合う山々が広がっている。無言のまま、景色を眺めていた紹運は、統虎の方を振り向いて、一言だけ発した。
「男の筋を貫け。」
 統虎は伏して、父の言葉を受け取った。 紹運も統虎もこの後、この言葉通り己の仁義と意地の為に自分の生死を賭すこととなる。そして、紹運は母宗雲へ挨拶するよう命じた。
「さあ、母に最後の挨拶をしてくるがよい。」
 統虎が深々と一礼して部屋を出ると、廊下には立花城へ共に伺候する世戸口十兵衛と太田久作が控えていた。この二人の家臣にも妻子はいるが、既に家族との最後のあいさつは済ませている。
「すまぬ。最後に母への挨拶がある。」
 3人が宗雲の館に入るとすぐに座敷に案内され、彩り鮮やかな心尽くしの膳が運ばれてきた。
“ああ、おそらくは母が造りし料理であろう。”
 統虎は一口ごとに噛みしめ、母の匂いを感じた。膳を食べ終わると母が下女を伴って3人の前に姿を現し、ひとりずつに直垂と小袖を手渡した。これも母が仕立てたものであろう。小袖はこの時代朝鮮国との貿易でしか手に入らない高価な木綿で出来たものである。
 思いもよらぬ心配りに世戸口十兵衛と太田久作は共に頭を下げた。すると、母も座敷にこすりつけるように頭を下げた。
「どうぞ、統虎を支えてやってください。」
 頭を上げ、痘瘡痕が残る母の顔には涙を滴っている。統虎は潤む母の瞳を見つめ、振り絞るように言葉を発した。
「母上、これより立花家へ参ります。今まで、ありがとうございました。」
 母は万感の思いが詰まった顔で頷いた。統虎、世戸口十兵衛、太田久作が館を出ると、今度は高橋家のほとんどの家臣たちが見送りの為に岩屋城城門に集まっている。
 皆、統虎を高橋家の跡継ぎと思い仕え、また統虎も岩屋城の家臣たちを心優しき忠臣と思い慈しんできた。多くの家臣たちの瞳は潤んでいる。家老の屋山中務が一歩前に出て、統虎に最後の挨拶をお願いした。
「皆の者、どうか高橋家は頼んだぞ。直次を支えてやってくれ。」
 統虎が頭を下げると家臣たちも一斉に頭を下げた。嗚咽する声が漏れてくる。その涙を振り切るように3人は馬を連れ、城門の外に出て、城内に残る侍たちを見据えた。
「それでは、門を閉じよ。」
 屋山中務が門番に命じると城門はゆっくり閉じられていく。侍たちが並ぶずっと向こうの軒先に世戸口十兵衛と太田久作の家族の姿も一瞬見えたが、閉ざされた城門でもう見えない。これで3人は皆高橋家を離れ、立花家として生きていくことになる。

 馬上の統虎は北を見据え、進んでいく。世戸口十兵衛と太田久作は荷物を載せた馬と共に無言で附いていく。統虎は今まで過ごした岩屋城での日々を思い出している。世戸口十兵衛と共に修練し、弟直次と切磋琢磨した日々、優しい母の宗雲、寡黙で強い姿を見せた父紹運、全てが自らの糧となって今の自分がある。
 後ろを振り返り、十兵衛と久作に目を向けると、二人とも立花城の方角へ眼を見据え、黙々と歩いている。この2人は自分の家族を捨て、立花城で仕えてくれる大事な家臣である。先ほど、城門から一瞬見えた家族が恐らく二人の家族であろう。遠目にも、妻と子供が号泣している姿が見えた。2人とも後ろ髪惹かれる思いを全て断ち切り、立花城へ向かっている。
 世戸口十兵衛と太田久作が再び家族と会うことが出来るかどうか、今は全く分からない。だが、いつか必ず2人の家族が一緒に暮らせるようにすると心に決めた。

 高橋紹運が統治する岩屋城周辺の農民たちは青々と伸びた稲の間から、黙々と進む3人の姿を覗きこんでいる。
“あれが統虎様の婿入りであろうか・・・。”
“御伴が少ないのう・・。”
 農民らが噂する中、3人は黙々と立花城までの歩みを進める。既に日も傾き始めている。

 その頃、篝火が焚かれた立花城城門では、立花家家臣らが統虎の到着を待ち詫びている。遠い彼方に目を凝らすと松明が近づいてくるのが見えてきたが、松明が2本しか見えないことを皆訝しんだ。近づいてくるとわずか3名ばかりであることが分った。2人の供が松明を持ちながら荷物を載せた馬を曳き、おそらく高橋統虎1人が馬に乗って、こちらへ向かってくる。
“供が全くおらぬではないか。”
 小野和泉は篝火が燃え盛る立花城門前で統虎一行を迎え入れた。
「統虎様、お久しぶりでございます。それから、十兵衛殿、これよりお願いいたします。」
 返礼をしようとする統虎に対し、小野和泉は眼で制し、小声で話をした。
“統虎様、これよりは小野殿とお呼びください。”
 合点がいった統虎は自分の従者を皆に紹介した。
「小野殿、わしの供で一緒に参ったのが、ここにいる世戸口十兵衛、太田久作である。」
 供の二人が頭を下げると立花家の家臣たちも倣って、頭を下げた。何とも意気が上がらぬ婿入りである。
「それでは統虎様、まずは道雪様への御挨拶でございます。ご案内いたしましょう。」
 小野和泉に連れられ、道雪の部屋に3人は案内された。蝋燭の灯りが揺れる部屋には道雪と由布雪下が待ち構えていた。統虎は供の二人を紹介した。
「道雪様、由布殿、こちらが我が供の世戸口十兵衛、太田久作でございます。」
 道雪は平伏する二人を見つめ、声を発した。
「二人とも顔を上げるがよい。」
 小野和泉、由布雪下に促され、世戸口十兵衛、太田久作が顔を上げると、柔らかな笑顔を見せる道雪の顔があった。
「十兵衛殿、久作殿、よう立花家へ参った。お主らは統虎殿の御供で参ったが、わしの家臣になる。どうか主家大友家の為、そして立花家の為に力を貸してくれ。よろしく頼む。」
 思いがけない道雪の言葉に、世戸口十兵衛、太田久作は震えた。道雪から男冥利に尽きる言葉を貰った。続いて統虎にも声が掛けられた。
「統虎、良く参ったな。これよりわが息子じゃ。」
 道雪は統虎の瞳を見つめている。統虎も道雪の瞳を見ている。たった一瞬であったが、濃密に男の契りを交わした瞬間であった。
「誾千代を頼む。」
「はい。」
 短い対面であったが、至誠が通い合う新しい父子の誕生であった。残すは妻となる誾千代姫との対面である。

 統虎ら3人は小野和泉と共に立花城内の誾千代姫の館へ向かった。館には統虎も一緒に住むことになる。門には作法通り篝火が焚かれ、門の奥の両側には松明をかざした女中たちの列があった。
「本日は初めての夜でございます。十兵衛殿と太田殿は私の屋敷に泊まらせます。それではここから御一人でどうぞ。」
 小野和泉は世戸口十兵衛と太田久作を引き連れ、去っていった。一人残された統虎が門内へ足を踏み入れるとかすかな香りが鼻を刺激した。
“女子の館は初めてであるな。”
 女中たちがかざした松明の列をゆっくり抜けると一人大柄な女子が立って、神妙に頭を下げてきた。
「女中頭の静でございます。誾千代姫様がお待ちです。さあ、どうぞこちらへ。」
 静に促されるままに統虎は館内を進み、香が焚かれ甘い香りに満ちた部屋へ案内された。部屋には祭壇が組まれ、三々九度の為の御神酒と杯も置かれている。
“作法通りであれば、間もなくであるな。”
 統虎は口が渇いてしょうがなかった。世戸口十兵衛から男の作法をさんざん聞かされていたが、まもなくと思うと気後れしてしまう。そのまま統虎は一刻ほど待たされる。頭が煩悩で満ちた頃、衣擦れの音が近づき、襖が開くと白い小袖に打掛をまとった誾千代姫の姿があらわれた。その姿は今まで見知った女棟梁の権高な姿ではない。ただただまばゆいほどの美しい姿であった。
“ああ、このような姿を見たことが無かった。これが誾千代姫なのか。”
 統虎の心が傾きかけたところで、誾千代姫に冷や水を浴びせられた。
「統虎様は私の婿になりますが、家臣たちは私の方が立花家棟梁に相応しいと思っております。」
 冷たく言い放った誾千代姫はやはり昔から知る女城主であった。統虎は婿入りすると決まった時より腹を決めている。立花城の家臣たちを本当の自分の家臣にするには、長い歳月と自らの武威が必要である。その為に武技を磨き、心を鍛え、これからも精進を重ねるつもりである。
“言わなくても良いことを言う女であるな。その覚悟を持って、今私はここにいる。”
 無言で誾千代姫を見据える統虎に対し、誾千代姫は祭壇から3組の盃と銚子が乗った三方を両手で持ち上げた。そして、統虎の前に三方を置き、そのまま一つの盃を統虎に厳かに渡した。誾千代姫は手に持った赤い銚子から盃にゆっくり酒を注いだ。最初に統虎は盃の酒を一口、次は誾千代姫が一口、最後に統虎が盃を飲み干す。二つ目の盃も三つ目の盃も同じように回し飲みをして、天・地・人に対して誓う“三々九度”の儀式は終わった。
 
 あとは夫婦初めての契りである。誾千代姫は無言で絹布団が敷かれた奥の部屋へ入っていった。統虎はそのまま少し待たねばならない。気を落ちつけ、半々刻ほど待った後に奥の部屋へ入ると深遠で雅な香木の匂いが満ちている。部屋の奥にある燈明皿にはゆったりとした炎が揺れている。絹布団の上には誾千代姫が正座をしていた。
 誾千代姫の背後にある燈明皿の灯りで誾千代姫の表情は全く見えない。誾千代姫には自分のこわばる顔が見えているはずであるその後の統虎はがむしゃらであった。正座をする誾千代姫に覆いかぶさり、世戸口十兵衛の教え通り、唇を合わせた。
 着物をはぎ、誾千代姫の身体をまさぐり、まぐわった。別に何の気持ちもない、ただ教えられた通りの動きを終え、果てた時にお互い愛おしい気持がないことがはっきりと分った。
「ふっ。」
 一瞬鼻で笑った統虎を誾千代姫は咎めた。
「何が可笑しいのでございますか。」
 統虎は天井を仰ぎ見ながら、答えた。
「何やら、初めてというのは臆するものであることが分った。ただ終わってみて、このようなものであるのかと思ったばかりじゃ。」
「そのようなことが可笑しいのでございますか。失礼ではございませんか?」
「いや、そのようなつもりはない。ただ、我らはこれより夫婦として過ごさねばならぬ。其の為にはやはり気持ちを込めねばならぬ。それがわかったのだ。」
 同じような感情を抱いた誾千代姫も頷いたが、女棟梁として過ごしてきた自尊心が統虎への気持ちの芽生えを阻んでいく。

 翌日より統虎は立花城に伺候し、道雪・由布雪下・小野和泉らと時を過ごした。道雪はこの新しい婿の為に輿に乗ってよく見廻りをして、領国を案内した。すると行く先々で道雪に挨拶しようと農民たちが集まってくる。統虎は農民たちが心から道雪を敬慕しているのが分った。若い頃の道雪は強い武者になることだけを望んでいたが、落雷で足が不自由になってからは、世に流されるしかない農民を何よりも哀れに感じている。自らの力で何とかこの弱き農民たちを救いたいと思い、自らを鼓舞して戦い、領地を拡げ、仁政を施してきた。その心が農民たちに十分に伝わっている。
 統虎も道雪のように農民たちに慕われる領主になりたい、また道雪の心を受け継ぎ、農民たちを戦火から守り、生活を豊かにしたいと強く考えるようになった。

 統虎は道雪と善き父子の関係を築きつつある。小野和泉や薦野三河は色々相談に乗ってくれている。だが、多くの家臣が自分に全くなじまないのを辛く感じていた。特に由布雪下は昔のいがぐりの件から、ずっと冷たく自分をあしらってくる。おそらく昔から誾千代姫を慕ってきた義理もあり、自分に心を開く気が全くないのであろう。
 先月の10月25日には立花統虎として披露される正式の宴があり、主家の大友宗麟、義統の使者もお祝いに駆けつけてくれた。統虎は立花道雪や使者と共に上座に座り、博多練酒を飲み交わしたが、宴席の家臣たちの雰囲気が楽しげではないのがありありと伝わってきた。由布雪下は所在無げに酒を飲み、その他の家臣たちはただただ早く宴席が終わるのを望むような雰囲気であった。立花家全てが歓喜した誾千代姫の披露の宴席と今日の宴席の空気は全く違う。これが家臣たちの本当の気持ちであることを統虎は痛いほど分っている。
 だが、統虎は家臣に自分から話をして、歓心を買ったりするようなことはすべきでないと思っている。家臣達の心を掴むのはただ合戦での武勇のみである。九州一の戦巧者立花道雪の婿に相応しい武功を挙げねば、家臣は誰も心から服さない。統虎は戦を待ち、世戸口十兵衛と共に稽古に励んだ。

 天正9年(1581)11月、立花統虎が待ち望んでいた初陣の機会がやっと訪れた。耳川の戦いの後、大友家の領国を略奪してきた秋月種実が井上城の問注所鑑景とともに兵を挙げたとの知らせが入ってきたのだ。
 大友宗麟はすぐに加判衆の朽網宗歴と3千の兵を井上城に送ったが、秋月軍もすぐに6千の兵を率い、井上城の救援に向かった。朽網勢は大軍の秋月勢を怖れ、すぐに退いてしまう。大友宗麟は大友軍最強の立花道雪と高橋紹運に出陣を命じたのだ。立花道雪と高橋紹運はすぐに秋月勢へ反撃する為の軍を編成した。まずは先遣隊の由布雪下が朽網勢に合流すべく、井上城近くの石坂へ向かった。統虎は勇んで初陣の準備を進める中、立花主力軍を率いる小野和泉が統虎を訪ねてきた。
「統虎様、お待ちかねの初陣でございます。道雪様が、私の軍で初陣を務めるがよいと言っておりました。本日の羊の刻(午後1時頃)に城門にお越しください。」
「和泉殿、初陣であるがわがままを言いたい。2百の兵を借りたい。」
 統虎は小野和泉の眼を見つめた。
「・・よろしいです。統虎様、もし仕損じたら、後々色々言われましょうが、覚悟はおありですか?」
「うむ。慎重にやってみせるつもりである。」
 統虎は唇を絞り、この初陣に懸ける決意を瞳に宿した。

 統虎は2百名の兵を借り受け、街道を進んだ。騎馬兵が90、鉄砲勢が60、弓勢が50である。先遣隊の由布雪下が待つ筑後の石坂へは半日余りの行軍である。統虎は煌びやかな鎧と勇ましい兜、腰には父から譲り受けた備前長光を差し、長い強弓と矢筒を担ぎ、黒毛の駿馬にまたがって進んでいる。威儀溢れる統虎の若武者姿に、兵たちは頼もしそうな印象を持った。
“誾千代姫の婿様は強そうでございますな。”
“うむ、さすがは高橋紹運様の御長男、15歳には見えぬ落ち着きようである。”
“一緒にいる世戸口十兵衛も稀代の弓名人であるそうな。早く腕を見たいもの。”

 1581年(天正9年)11月5日夕刻、統虎隊は石坂に到着した。そのあとに続いて、立花道雪の本隊や高橋紹運の軍、総勢3千の兵が到着した。既に宗麟の下命で朽網宗歴は本国へ戻っている。すぐに秋月軍が籠る井上城を攻める軍議が開かれた。
「秋月は6千の兵で井上城に籠っております。」
 先遣隊の由布雪下が報告をすると、黒衣に略袈裟の道雪は閉じていた眼を見開き、話を始めた。
「耳川の戦で敗れて以来、主家大友家を見限り、多くの国人・家臣たちが敵と内通するようになった。この戦はそういった不義理な者達を懲らしめねばならぬ戦である。そして、我が立花と高橋家に戦を挑む者は必ずや倒さねばならぬ。」
 道雪は今回の出陣前、耳川の戦で多くの戦大将を失い、離反に揺れる大友家の国人衆に檄文を送っている。大友家への忠節、重臣への戒め、政治への具申や諫言などを訴えた9項目にわたる長文の手紙である。立花道雪は今回の戦いに勝ち、大友家諸将への奮起を促すと考えである。この思いを受け、高橋紹運は以前道雪が話したことを思い出した。
“道雪様は以前、豊後の大友家を支えるために筑前の我々があるとおっしゃった。皆もそう思っている。この戦はわが軍の武威を見せねばならぬ戦である。”
 軍議に出席する諸将が頷く中、紹運の眼は小野和泉の傍らに座る息子統虎の姿を捉えていた。立派な武将姿であり、婿入り後初めて見る姿である。
“統虎よ、初陣であるな。今まで鍛えてきた技を存分に見せるがよい。”
 高橋紹運は息子の武運を秘かに祈った。

 秋月勢が籠る井上城は堅牢な城ではない。だが、むやみに攻めて兵を損なう愚は避けたい。軍議は進み、井上城に籠る秋月の兵を何とか野戦に引きずり込む策と決まった。まずは秋月の領地である飯塚、嘉麻一帯を襲撃し、相手を挑発することとした。

 秋空が広がる翌朝、由布雪下率いる2百の騎馬兵が草原を駆けていく。狙いは飯塚と嘉麻にある秋月種実の陣屋であり、次々と火を掛けて回った。幾筋もの黒煙が井上城から見える頃には、道雪軍が放火をしているという急報が秋月勢に報らされた。秋月種実はこの急報に出陣を決意する。自分の領国を攻められて、反撃せぬようでは今後統治することもままならない。相手は勇将名高い立花道雪であるが、自軍の半分3千の兵しかいない。秋月種実は全軍に準備を命じた。

 同じ頃、石坂と連なる八木山では秋月軍を野戦に引きずりこむ準備が進んでいる。高橋紹運は自軍を弓・鉄砲・長槍隊の三段に布陣し待ち受け、その左右の雑木林の中には道雪・小野和泉の軍が埋伏している。この戦場に秋月の軍を誘いこみ、三方から攻める算段である。立花統虎は2百の兵を率い、道雪・小野和泉の本軍から3町(3百m)ほど離れた小さな尾根に潜んでいる。
 一刻ほど前、統虎は小野和泉に本軍から離れることをお願いしたのだ。
「和泉殿、またお願いがある。我が軍勢はあの尾根の林に潜んで、別行動したい。」
「統虎様、本軍から離れてはなりませぬ。それに我らは相手より小勢、固まって戦うに利がございます。敵が一気に攻めたら、統虎様の2百の兵は破られます。」
「和泉殿、皆と一緒にいれば、進退は皆同じである。大功を得る為に私は自らの軍扇で敵と勝負をしたい。そして、必ず勝ってみせる。」
 気魂溢れる統虎の思いを汲み、小野和泉はしぶしぶ了解した。その代わり、有馬伊賀という勇猛な近侍を軍目付兼伝令として、統虎の傍に附けたのである。

 その頃、秋月軍も井上城を出て、秋月陣地を蹂躙した由布雪下の軍を追っている。秋月軍が追いついたのは八木山の前に位置する石坂、荒れ果てた石ばかりの緩やかな坂である。秋月軍が背走する由布雪下の軍に一当てすると、野戦に強いはずの敵が緩やかな坂をどんどん駆け上がり、後退していく。
 誘いとは知らない秋月軍は全軍鬨の声を上げ、石坂を上がり、敵を追いかけた。秋月種実も一気呵成に勝ち戦に持ち込みたいという気持ちに流され、後軍2千を残し、先軍と中軍の4千の軍に追撃を命じた。
 4千の兵の喊声は八木山に響き、石坂を上がる土煙も舞い上がっている。統虎は、世戸口十兵衛・太田久作・有馬伊賀と林に潜み、秋月4千の大軍を窺っている。もう間もなく、自分たちが潜む林の前を秋月の大軍が通り過ぎるはずである。
「統虎様、いつ仕掛けますか?」
 世戸口十兵衛が口を開くと、統虎は柔らかな声で答えた。
「十兵衛、あせるでない。まだまだ先、石坂に残った秋月の後軍2千が動いてからだ。まだ、待つが良い。」
 初陣とは思えぬほど落ち着いた所作に、皆安堵した。もうすぐ、秋月の先軍と八木山中腹の高橋紹運の軍がぶつかるはずである。
 戦端を開いたのは秋月軍の先軍であった。前方に布陣する高橋紹運の軍勢を見つけるとすぐさま弓組が一斉に弓を射た。すると、高橋軍の兵たちは背中を向け、後ろに下がり始めた。囮とは知らず、秋月軍先鋒が必死に後を追いかける。紹運は秋月軍を近くまで引き寄せた後、法螺貝を吹かせた。
“ぶふぉーー。”
 林に伏せていた鉄砲隊と弓組は一斉に秋月軍へ攻撃を仕掛けた。大音響が八木山に響き、秋月軍の先鋒が次々倒れていく。そして鉄砲の音が合図となって、高橋紹運の兵と埋伏していた立花道雪・小野和泉の兵が三方から秋月軍を包囲し、一気に攻めていった。特に道雪自慢の8百の鉄砲隊の威力は凄まじい。前がかりになっていた秋月軍を薙ぎ払う様に一閃していく。そしてすぐ、お互いの雌雄を決する肉弾戦となった。
 高橋紹運も前線で自ら太刀を振るい、道雪も輿に乗って前線の味方を鼓舞した。潜む統虎軍にも両軍の戦う喊声が聞こえている。手柄を狙うのであれば、今しかないと世戸口十兵衛と有馬伊賀らが焦る中、統虎は全く動く気配すら見せない。大将である統虎が軍扇を振らぬ限り、待つしかない。
 坂を下り急襲した道雪・紹運の軍であったが、秋月勢の先軍・中軍も踏ん張って、次第に乱戦となっていく。石坂に留まる秋月軍の後軍2千が坂を進み、救援に向かうと、秋月勢は息を吹き返したように兵威を上げた。そして、秋月軍が再び坂を上り始めた頃合いで、統虎は軍扇を前に振った。
「行けー、我に続け!」
 統虎は全軍に眼下に迫る秋月軍中軍への突撃を命じた。目の前には敵しかいない。馬に跨った統虎が弓を放つと敵が一人ずつ倒れていく。世戸口十兵衛が放つ強弓の音と速さは凄まじく、秋月軍の騎馬兵が次々倒れていく。また、鉄砲の発射音も響き、秋月軍中軍は楔のようにえぐられた。秋月軍は突如横っ腹に現れた新たな敵に狼狽した。その混乱の中で、統虎はひときわ派手な兜の騎馬武者を狙った。
“あれは名ある武者に違いない。あやつを必ず倒す。”
 勇将と名高い堀江備前である。統虎は馬を操りながら、兜の騎馬武者を狙い、弓を射る。すると長刀を振るう堀江備前の左腕に矢が刺さり、長刀は地面へと落ちた。憤怒で顔が真っ赤になった堀江備前は、若武者姿の立花統虎と眼が合った。怒り狂った堀江備前は統虎に向け、一気に馬を寄せてきた。迫る騎馬に世戸口十兵衛と太田久作、有馬伊賀が身構える中、統虎は一言言い放った。
「手出し無用だ。」
 迫ってきた堀江備前は馬に乗りながら、奇声を発している。
「きぇーい。」
 怒りに任せ、堀江備前は統虎の馬に自分の馬をぶち当ててきた。両方の馬が激突し、堀江備前と立花統虎は地面に叩き落ち、すぐに地面に転がりながらの組討となった。圧倒的な体格の堀江備前は、“この小僧め!”と言いながら、体を押さえつけたと思った刹那、統虎の尋常ならざる力を感じた。統虎は弓が刺さった堀江備前の左腕を掴み、一瞬で体は入れ替えた。そして、上半身を相手の胸板に合わせると、相手の身動きを封じ大声で叫んだ。
「首を討て!」
 敵の乱れに乗じ、高橋紹運の軍も秋月中軍に攻め入っている。たまたま、出くわした紹運の家臣萩尾大学が統虎の言葉を聞き、一気に首めがけて懐刀を振り下ろした。
“うぉーー。”
 堀江備前の身体は無残に波打ち、一挙に血が噴き出し、統虎の顔は鮮血で染まった。

 既に戦場は立花道雪・高橋紹運の軍が一方的に追撃する戦となっている。立花統虎率いる一軍の強襲で、秋月軍全軍が大混乱となって勝敗が決まった。夕闇が迫ってくると、道雪は全軍を収容し、勝鬨を命じた。
 勝ち戦とは云え、2倍の敵との合戦の代償は大きかった。戦死者は約3百名、秋月軍は約7百名、併せて約1千名の戦死者を出した壮絶な合戦となった。道雪はこの戦の後に千人塚を築き、八木山で亡くなった戦死者を丁重に弔った。

 統虎の初陣での武勇は有馬伊賀と萩尾大学が広めていった。
“統虎様は初陣と思えぬ落ち着いた采配、勇将名高い堀江備前との組討を力で破った器量、噂と違わぬ弓の腕前、さすがは立花家を継ぐ婿様である。“
“武勇もさることながら、2百で5千の軍の横っ腹に挑む肝が太い。それに待って待ち抜いて、突撃を命じた戦機が勝ちを導いた。さすがは道雪様が婿に選んだ高橋紹運様のご長男である。”
 この戦に参戦した立花家の兵は統虎の武勇に心服し、高橋家家臣たちは立花家の婿となった統虎の武勇を誇った。またこの戦で統虎の軍目付兼伝令となった有馬伊賀は小野和泉に頼みこんで、統虎の家臣になったのも立花城の噂となった。立花城にもすぐ統虎の武功は伝わった。

 夜、誾千代姫が布団に入っていると廊下を足早に近づいてくる音が聞こえてきた。
「静ですか。」
「はい、失礼します。」
 障子が開き、上気した静の顔が覗き込んできた。
「姫様、吉報でございます。統虎様が初陣で大きな武功を上げました。」
 静は皆から聞いた統虎の武功話を身振り手振りで、誾千代姫に話をした。誾千代姫は心の中で統虎を蔑んでいたが、思いも寄らぬ胆略、敵の勇将を一人で倒した武功に目を見張る思いであった。
 改めて、稽古に精進する男の器を見せつけられた気がした。ただ、自分の婿を素直に誇る気持ちと、未だに自分の方が棟梁に相応しいという気持ちが同居している。誾千代姫も本当は統虎を立て、心から支えねばならないという理屈は分っている。
 だが、自分の中の矜持は未だ消えない。葛藤する誾千代姫は、静の話が意識の中から遠のいていく。
「姫様、姫様、聞いておいでですか。」
 静の声で、誾千代姫は我に返った。
「そんなにもお喜びになっておいででしたか。」
 都合の良いように解釈した静に申し訳ないと思いながら、誾千代姫は微笑んだ。
「静、統虎様の凱旋が楽しみでございます。祝い膳を用意してください。」
 無邪気に喜ぶ静は部屋を後にした。誾千代姫は揺れる心を憂いたまま、一夜を過ごした。

 数日後、立花城に道雪軍本隊が凱旋した。由布雪下率いる別働隊は未だ戦地で敵の反撃に備えている。今回は立花軍の勝利であったが、約100名もの戦死者が出る厳しい戦いであった。夫と子供の帰りを待ちうけていた女たちの中には嗚咽し、泣き崩れる女も多くいる。帰還した統虎は女たちの姿を見ながら、これから立花家が迎える厳しい現実を肌で感じている。
“これより大友家の威信は低下し、敵は結束し、次々と戦を仕掛けてくる。大友家の後詰は期待できない故、これからの戦は更に厳しくなるであろう。”
 
 悲しむ女たちの脇をすり抜け、統虎は小野和泉と一緒に立花道雪の部屋を訪ねた。先に帰還していた道雪は、統虎の訪問に全く気づかずに臥せったままである。輿に乗って戦場を移動し、声を枯らして叫び続ける道雪には並外れた気魂がある。だが、69歳の道雪の肉体は、戦が終わると激しい疲れで抜け殻のようになる。統虎は戦が終わった後の道雪の姿を見るのは初めてである。小野和泉が道雪にそっと声を掛けると、道雪の眼はゆっくり見開き、臥せたまま統虎の方を向き、視線を合わせた。
「統虎、よく我慢できたな。仔細は聞いておる。大功であった。」
 疲れでかすれた声であったが、道雪からの褒め言葉は何よりもうれしかった。素直に頭を下げた統虎に道雪は言葉を続けた。
「雪下も統虎の戦には感心しておった。初陣とは思えぬ落ち着き、堀江備前の如き剛の者を組討とはな。」
 統虎は由布雪下の反応を素直に喜んだ。この戦を機に由布雪下は統虎に対しての態度を改めるようになった。こうして、道雪との挨拶を終えた統虎は誾千代姫が待つ館へ急いだ。

 統虎が館の門をくぐると、暗い入口の奥に誾千代姫が伏して待っているのが見えた。今まで無かった光景に驚いた統虎は入り口に立ち尽くした。誾千代姫は平伏しながら、統虎に言葉を贈った。
「統虎様、初陣お疲れ様でございました。」
 妻として初めての殊勝な言葉であったし、戦の疲れが一気に晴れる瞬間であった。
「うむ。水浴びをする。」
 館の裏の井戸で水浴びをしていると壮絶な組討が脳裏によみがえる。堀江備前を自分の膂力で組み伏せた瞬間、堀江備前は驚愕し怯えた表情に変わり、すぐさま自分の右腕にかみつこうとしてきた。近くにいた萩尾大学に何とか首を討ってもらい、堀江備前を討つことができた。
 統虎は、堀江備前の血を浴びた首を何度も水でぬぐいながら、生死はまさに紙一重であることを実感している。井戸のすぐ横で誾千代姫が統虎の脱ぎ捨てた鎧と兜を見つめている。どす黒く変色した血の塊が鎧にも兜にもこびりついている。おそらくは敵の勇将堀江備前を討った時の血であろう。凄まじい組討で勝利した証と思うと、統虎への畏敬の念が素直に芽生えてくる。
“ああ、この人は私が思う以上に強い殿であったのか。”
 誾千代姫は今日ばかりは統虎を労いたいと素直に思い、統虎の横で控え、心尽くしの夕餉を給仕した。初めて誾千代姫が自ら望み、統虎の世話をした日である。
 統虎はそんな誾千代姫のしおらしい姿をまばゆいように見ている。立花家の婿になってから、統虎は誾千代姫と気持ちを込めて結ばれたいと願っていた。だが、誾千代姫にはずっと棟梁であった矜持が垣間見え、正直どうしたらよいのか持て余していた。ただ、今日の誾千代姫は心から自分に尽くしてくれている。そう思うと端正な顔立ちの誾千代姫が心狂おしいほど愛らしく感じる。
 その夜、二人は初めて心動かされるままお互いを求め合った。統虎も命を削った昂ぶりを思い出し、激しく誾千代姫を責めた。
 初めてお互いの心が通い合った夜となった。そして、睡魔が統虎を襲った時、誾千代姫が発した一言が全てを虚しくさせた。
「統虎様、お休みなさいませ。戦では本当によくがんばりました故・・・。」
 何気ない誾千代姫の労いの言葉であったが、統虎には癇に障る言葉であった。統虎は背を向けて、冷たく言い放った。
「お主は言わなくても良いことを言う女子であるな。お主の言葉の底には自分が上という思いが見える。私はお主の家臣ではない。」
 誾千代姫はすぐに言葉を返そうとしたが、身体がすくんで言葉が出てこない。何の言葉も返せぬまま、統虎の辛い一言が放たれた。
「お主の不遜な心をずっと我慢しておった。何時かは変わるであろうと思っておった。心を込めれば何時かはと思っておった。初陣で武功を上げれば必ずや・・・と思っておったが、無理なものは無理であったな。わしはもうここを出ることにする。」
 統虎はそう宣言すると部屋を去り、世戸口十兵衛の部屋へ去っていった。
 
 誾千代姫は遠くなる足音を聞きながら、動けずにいる自分に愕然としている。こんなに心が動揺し、悔恨の念で胸が一杯なのに体が動かず、言葉も出ない。二人の睦まじい関係の始まりは自分の一言で閉ざされてしまった。
 翌日から二人の関係は劇的に変わった。今まで何とか会話をしてきた二人であったが、全く会話が無くなってしまった。一緒に床を共にすることも無くなった。
 
 この2人の冷めた関係は皆に少しずつ知られるようになっていった。最初に気づいたのは誾千代姫の女中頭の静であったが、誾千代姫が何も語らぬ以上、何も出来なかった。岩屋城から統虎に附いてきた世戸口十兵衛は、自分の部屋で寝起きするようになった主君の理由を聞くような下世話な男ではない。それ以上に立花家の敵の動向が重要である。

 筑前、筑後では“肥前の虎”龍造寺隆信や秋月種実が大友家の敵となっている。中国地方の毛利家に煽られ、大友家に対し反旗を翻す国人衆が増えてきた。筑前の原田氏、筑後の筑紫広門・宗像氏・黒木家らは連携を取り、立花道雪と高橋紹運が守る筑前・筑後の大友領に攻め込んできている。
 その都度、道雪と紹運は各地を転戦し、統虎に立花城を任せた。たまに統虎が出陣するときには、道雪は武将としての駆け引きを教えた。味方をどう扱えばよいのか、如何に戦うか、自分がどう処すればよいのか、自分が戦で知り得た全てを統虎に注ぎ込んでいく。
「統虎、如何にしたら、戦場で味方は強くなると思うておる。」
「道雪様、臆せず、自ら敵陣内へ攻め込むことでございます。」
「うむ、前に出ると、味方の兵の動きがよく見える。首の数の報告などあてにするでない。自分の見たものが全てである。死に物狂いで戦っておる味方の兵の顔を覚えて、必ず褒めてやることだ。」
「自分の勇気を示すだけではないのでございますね。」
「うむ、皆が命を懸けて、戦っておる。命を落とす者も多くおる。私が今ここにいるのは、死んだ者たちのお陰・・・。統虎よ、おぬしも私と同じように皆の命を背負って生きてゆかねばならぬ。辛いことであるぞ。」
 道雪は合戦が終わると、死んだ者たちの魂を必ず懇ろに弔う。また生き残った家臣たちを死んだ者の分まで優しく扱った。統虎は日々教えられる道雪の教えを宝物のように守っていく。

 1582年(天正10年)筑前と筑後で立花道雪と高橋紹運は奮戦しているが、それ以外の大友領は領国を削られる苦しい戦いとなっている。大友家の凋落で領国を拡げたのは“肥前の熊”龍造寺隆信である。2年前の1580年(天正8年)難攻不落の柳河城を持つ蒲池鎮漣を宴会に招いて謀殺した後、蒲池一族を皆殺しにして、柳河城を手に入れている。その後も肥後の国人衆を攻め、肥後国を領国とした。
 1583年(天正11年)、反抗した赤星家の人質の子供を殺すなど、冷徹に謀殺と粛清を繰り返し、大友家の領土も奪っていった。既に6万もの大軍を有するようになった龍造寺軍と戦うのを避け、大友家は立花道雪・小野和泉を介して和議を結ぶこととした。この和議で筑前東北部の6郡は大友方、西南の9郡は龍造寺の支配となり、龍造寺隆信は肥前、筑後・肥後・筑前・豊前・対馬壱岐の大部分を領国とした。これより、龍造寺隆信は自らを“五州太守”と呼ばようになり、大友氏に代わって九州の盟主となったのだ。
 
 一方、薩摩・大隅・日向を領国とする島津義久は、龍造寺隆信と雌雄を決するための合戦準備を進めた。頼りとする鉄砲隊を修練させると共に、龍造寺隆信の支配を嫌う大名や国人衆と誼を通じて、戦機を窺っている。こうして、九州は龍造寺家と島津家、そして凋落の一途を辿る大友家との三つ巴の争いになっていく。大友家にとって、龍造寺家・島津家と戦う為の最期の頼みは、同盟を結んだ織田信長である。
 畿内を平定した織田信長は各地で戦を進めている。武田信玄亡き後の武田勝頼を倒し、上杉謙信と雌雄を決する合戦の準備を進めている。四国へ進軍しつつ、播磨から西へ向い、中国地方の毛利氏との決戦も急いでいる。いずれ、織田軍は毛利家を倒し、九州へ渡ってくるはずである。その時には、大友宗麟は織田軍の軍門に潔く下り、九州の案内役に徹するつもりである。織田家の力で龍造寺軍と島津軍を討伐してもらい、勢威を保つ考えであった。
 
 大友宗麟は耳川の敗戦で動揺する国人たちの要請を受け、隠居した臼杵城から、義統の政治に繰り返し口出ししている。父宗麟の横やりに耐えきれなくなった義統は、宗麟に対峙していく。そして、宗麟と再婚した伴天連との子供の暗殺を義統が画策しているという噂が広まり、大友家の求心力はますます弱くなっていった。
 
 主家の衰退に悩む立花道雪の下に博多の豪商島井宗室からの急報が届いたのは天正10年(1582)6月中旬である。既に九州全土には“6月2日朝、明智光秀が本能寺で織田信長への謀反を起こした。”という話は拡がっている。だが、織田信長の生死は不明で、織田全軍が進めていた中国・四国・越前越後の戦もどうなっているのか全く分からぬ状況であった。
 道雪の部屋には統虎、由布雪下、小野和泉が詰めている。外は3日も降り続く雨音が止まず、部屋には暑苦しく重い雰囲気が漂っていた。手紙を読み終えた道雪は統虎、由布雪下、小野和泉にも手紙を回した。全員が読み終わるまで、沈黙の時間が続いた。

 島井宗室は博多の豪商神屋宗湛とともに、本能寺で行われた信長肝煎りの名物お披露目の会に呼ばれ、そのまま神屋宗湛と本能寺に泊まった。信長は近い将来の九州征伐に向け、博多の豪商2人を歓待し、武器の用意・船の確保・戦の補給などを手伝わせるつもりであった。
 だが、信長は本能寺を囲む朝方の喧噪で異変を知る。小姓の森蘭丸が外を窺うと桔梗紋の幟が本能寺を囲んでいる。信長はすぐに織田家以外の客を逃がすよう、森蘭丸に命じた。
“明智光秀の謀反でございます。信長様がすぐ落ちるようにとの仰せでございます。今ならば、法体の商人は助かるであろうとのことです。さあ!”
 島井宗室と神屋宗湛は促されるまま、部屋を出るともう森蘭丸の姿は無かった。このまま廊下を進めば屋外へ出るが、宗室は奥の部屋の障子を開けた。
「早く出ねば、戦に巻き込まれるぞ。」
「宗湛様、戦で焼かれる前に名物を持ち出しましょう。」
 卑しい企てに神屋宗湛も乗った。島井宗室は信長が所蔵していた弘法大師の真筆を持ち出し、本能寺を脱出し、そのまま博多に帰ってきたのだ。

 今回の手紙には信長の死と織田信長の家臣羽柴秀吉が交戦中の毛利氏と和睦をして、畿内にわずかな日数で戻り、光秀軍を破ったということ、同じく京にいた徳川家康が何とか岡崎城までたどり着いた報せが書いてある。道雪は皆が手紙を読んだ後に重い口を開いた。
「大友家はこれで頼る相手がいなくなった。」
 由布雪下はしたたる汗をぬぐいながら、羽柴秀吉を褒めた。
「羽柴秀吉・・・、よくぞ、主君の仇を討ったな。」
「うむ。大事なのは織田家がこの後どうなるかだ。柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、織田信雄・信孝様、そして今回功を挙げた羽柴秀吉、三河には徳川家康もいる、誰が織田家をまとめるか。織田家が九州に出てくるのは当然先送りとなる。我らの味方はもういないと考えるべきであるな。」
 道雪は大友家を取り巻く環境はさらに厳しくなる覚悟を持った。織田家の脅威が無くなった龍造寺隆信と島津義久、そして毛利家は、大友家の領土を奪う算段であろう。道雪はすぐに大友宗麟と談合するよう、小野和泉に命じた。

 小野和泉は大友宗麟の居城臼杵城へ向かった。小野和泉は3日間街道を歩き通し、臼杵湾を見渡せる丘に立った。
“すさまじき城であるな。”
 初めて見る臼杵城は湾内に浮かぶ丹生島に造られた城である。丹生島の周りは絶壁であり、陸より繋がった1本の吊り橋を渡らねば、城に入ることは出来ない。何とか絶壁を登りきったとしても、白い城壁が島を守るように囲んでおり、海からは全く攻められないことが分る。島の中央には三層の天守の櫓も見える。
 今まで九州の城は望楼を除き、全て平屋建てが当たり前であった。最近の畿内の城は何層にも連なる天守閣と聞いていたが、初めて見る天守閣の美しさに圧倒された。同時に府内の義統にとって、さぞ目障りな城であろうとも思った。

 小野和泉は使いを送り、吊り橋手前で待っていると、すぐ宗麟の近習が迎えに来た。橋を渡り、下を覗きこむと、絶壁に打ち寄せる波の細かなしぶきが舞い上がってきた。丹生島に聳える城門に入ると、大きな砲台が鎮座しているが見えた。ポルトガルから取り寄せた“国崩し”と名ばれる大砲である。この長い砲身から放たれる弾を防ぐ術はないであろう。この臼杵城に近づくことはほぼ無理なように思われた。
 宗麟は自分の行く末を案じ、南蛮貿易などで得た多くの財を費やし、臼杵城を作ったのであろう。小野和泉は宗麟の心を探った。
“今まで宗麟様は家臣を慰撫して、領土を拡げてきた。だが、領土を拡げる気持ちはもうないのであろう。この先、この城に籠り、自らを守るお考えであろう。”
 
 大友宗麟に小野和泉が仕えていた頃は九州の盟主として最も力を持っていた。今までの大友家棟梁は加判衆の取りまとめに腐心し、領国を拡げることまで手が回らなかった。宗麟は加判衆を大友一族の同紋衆ばかりにして、国内をまとめ、その後領国を拡げ、九州の盟主にまで登り詰めた。だが、今は往時の覇気を失い、耳川の敗戦から国を立て直せていない。部屋で待っていると、すっかり温和な顔となった宗麟が現れた。
「久々であるな、和泉。龍造寺との和議はご苦労であったな。」
「いえ、今日は畿内の話をする為に参りました。」
 締まった表情を浮かべる小野和泉に宗麟は微笑んだ。
「仔細はわしも聞いておる。羽柴秀吉が中国の大返しで光秀を討ったそうだな。」
 さすが大友宗麟は畿内の情報を手に入れている。
「はい、織田家は誰が束ねるのか、見当も尽きませぬ。」
「和泉、秀吉の器量が抜きん出ておる。秀吉の仕掛けの速さが明智を討ったのだ。いつも加判衆の合議のせいで、動きが遅かったからよく分る。いずれ、秀吉に誼を通じようと思っている。」
 さすがは九州の激しい領国争いを戦ってきた宗麟である。
直属の兵を持たぬ故、宗麟の戦いはいつも後手となったが、それでも戦を凌いできた。その宗麟の見立て通り、羽柴秀吉が後継争いを少しずつ制していく。
「秀吉でございますか。まだ時間がかかるはず。それまでは如何様に致しましょう。」
「義統と田原親賢が思案しておるが・・・、うまくゆかぬな。」
 宗麟は少し投げやりな感じである。再び大御所として大友家の政治を後見するようになった宗麟であったが、相変わらず義統と田原親賢の関係はよくない。今までの宗麟を支えてきた田原親賢は、今は義統に仕えている。その田原親賢と談合を繰り返してきた小野和泉は宗麟に申し出た。
「わたくし、田原様にお会いしてまいります。」
 小野和泉は臼杵城を後にし、半日かけて府内へ向かった。

 翌朝、小野和泉は義統を後見する田原親賢の館を訪ねた。相変わらず、府内の町の喧騒は変わらない。この賑わいの中に身を置くと耳川の敗戦や大友家の凋落など一切感じない。遠い筑前で大友家の為に戦う立花家や高橋家、前線で戦っている国人衆の苦労などが分るはずが無いと小野和泉は思えた。風情ある池と庭が見える部屋で小野和泉は半刻ほど待たされた。そして田原親賢が現れた。
「和泉殿、宗麟様はすっかり伴天連に狂っておる。伴天連を南蛮へ送ったのは知っておろう。」
 全て宗麟一人で進めた話である。宗麟はイエズス会の日本巡察師であるヴァリニャーノの勧めに応じ、龍造寺隆信に服している有馬晴信・大村純忠とともに少年使節4人をローマ教皇へ派遣することと決めた。1582年(天正10年)1月、伊東マンショ、千々岩ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアンら4人は長崎からポルトガル船に乗って、“天正少年遣欧使節”としてヨーロッパを回り、歓待された。       
 小野和泉に田原親賢は感想を求めた。
「大友家が苦しく、また一枚岩にならねばという時に・・・・何とも・・・・。」
 言葉を濁す小野和泉に田原親賢は畳みかけた。
「和泉殿、耳川の戦は伴天連の国を作ろうなどと言った宗麟様に神罰が下ったのだ。それも分らずに南蛮へ少年の使者を送るなど・・・この話で宗麟様に愛想を尽かした国人が多くいる。わしも含めてであるがな。」
 奈多八幡宮大宮司の家で生まれた田原は、宗麟の寵臣であったときにも伴天連を嫌悪していた。だが、今回の独断に呆れ、決別を期したのだ。
「田原様、頼りとしていた織田信長も討たれました。今後、大友家は一枚岩になって、龍造寺家と島津家と対決せねばなりませぬ。」
「和泉殿の言う通り。義統様を道雪様と高橋紹運殿のお二人で支えて頂きたい。特に筑前・筑後は大友家の要、道雪様と高橋紹運殿のご武勇を願っております。さすれば、こちら府内は島津家のみ備えればよい。」
 親賢の言い草に小野和泉は呆れながら、返答した。
「おっしゃること、誠にごもっともでございます。」
「分ってくれるか、さすがは和泉殿、頼みます。」
 小野和泉には失望感だけが残った。宗麟と義統の和解はないと悟った小野和泉は府中を後にした。
 
“肥前の虎”龍造寺隆信は大友家が二元政治で迷走しているのを掴んでいる。
“大友家はいずれ自滅する。島津家などは所詮、敵ではない。”
 もはや九州に敵はいないと自信を深めていった。そうなると同盟を結ぶ大名や国人衆たちを段々と粗略に扱うようになっていったのだ。もともと、龍造寺隆信は酷薄な男で仁義が薄い。主家を滅ぼした上に、多くの国人や人質を殺すなど残忍な仕置きをしている。やむなく同盟を結び、自分の娘を龍造寺隆信の嫡男政家に嫁がせた肥前島原の有馬晴信は、どうしても龍造寺家の増上慢を我慢することができずに離反を決意した。今まで誼を通じてきた島津家と同盟を結び、天正12年(1584)3月、龍造寺隆信に兵を挙げた。
 
 3月19日、この報せを聞いた龍造寺孝信はすぐ5万の軍勢を率い、海路で島原へ向かった。
“有馬如きが反旗とは・・・。皆殺しにして、島原を手に入れる”
 龍造寺軍が動くと島津義久は肥後八代まで進出して、弟の島津家久を総大将とする3千の援軍を船で送った。
 
 龍造寺軍が島原半島に到着し、雲仙を抜け島原へ向かっている。援軍の島津軍3千は島原雲仙岳と連なる眉山で有馬晴信軍7千と合流を果たした。有馬軍、島津軍合わせて1万の兵に対し、龍造寺軍は5万の兵である。5倍の敵に対し如何に戦うのか、有馬晴信は島津家久と軍議を諮った。有馬晴信が眉山で敵を迎えることを主張する一方、島津家久は眉山の前に拡がる沖田畷と呼ばれる泥田を見つめている。泥田の東側は海の見える浜辺、泥田の西側は眉山から連なる小山の坂が続いている。泥田の真ん中には眉山へと向かう1本道が南北に走っている。
 島津家久は龍造寺軍を迎え撃つ為の仕掛けを思いつき、朴訥に語った。
「眉山の前に砦を築き、龍造寺を誘います。龍造寺は恐らく泥田・海側・山側の3方より攻めてくるでしょう。この戦はこの沖田畷が戦の要となります。」
 7千の兵を率いる有馬晴信であるが、激戦を何度も勝利に導いてきた島津家久に全幅の信頼を寄せている。そのまま、島津家久の策が採られることとなり、泥田真ん中の1本道を抜けた眉山のふもとに龍造寺軍を誘いこむ砦が急遽造られた。同時に有馬晴信は同じ伴天連で龍造寺軍に参陣する甥の大村純忠に密使を送った。大村純忠は鉄砲を空鉄砲として、勇んで戦わぬことを内諾した。
“遣欧天正少年遣欧使節”を長崎から一緒に送り出した同じ宗門の繋がりを心強く感じながら、有馬晴信は戦に挑むこととなった。
 既に龍造寺軍は眉山が見える正面の丘に布陣し、明日から始まる戦の軍議を行っている。龍造寺隆信は眉山前に陣取る砦に向け、海側と泥田の中央、そして山側の3方向から攻め込むこととした。この決定に対し、龍造寺隆信の合戦を支えてきた鍋島直茂は、島津軍の強さと眼前に拡がる泥田に一抹の不安を感じている。
「上様、あの沖田畷はやっかいでございます。やはり敵を攻めるは山側より攻めた方が・・・。」
「黙れ、直茂。有馬・島津の数は知っておろう。我が方が5万、やつらは1万。たかが、1万の相手に真正面の泥田を怖れ、山より攻めるなどという愚かな策を申すでない。明日の戦に水を差すな。」
 龍造寺隆信は声を荒げ、鍋島直茂を叱咤した。軍議は気まずいまま終わり、3月24日決戦の朝を迎えたのだ。
 
 圧倒的優勢を誇る龍造寺隆信は、3軍の陣立てを急遽変更した。昨日叱責した鍋島直茂を山側より攻めさせることとし、浜側を次男で江上家に養子入りさせた江上家種、そして自らが中央1本道を攻めることとしたのだ。5万の軍勢が出陣の法螺貝で動きだす光景は圧巻である。1本道に布陣する鍋島・島津軍は龍造寺軍の圧倒的な圧力を受け、背走を始めた。これを島津軍得意の“釣り野伏せ”と知らない龍造寺隆信は突撃を命じた。
 
 だが、3人も並べば道から転げ出てしまう狭い道だけに思うように進まない。大軍を尻目に鍋島・島津軍が砦にどんどん逃げ込んでいく様を見ながら、龍造寺隆信は叫んだ。
「敵は逃げている。早く前へ出よ。」
 全軍に前がかりとなるよう命じた。一方、島津家久は龍造寺軍先軍が1本道を渡りきるのを砦で待っている。1本道の途中で反撃しても、後退されては全く意味がない。砦前に龍造寺軍が攻めかかるまで、島津家久は逸る気持ちを抑えた。そして、龍造寺軍の先軍が泥田の道を渡りきったところを狙い、島津家久は砦の上の鉄砲隊に一斉射撃を命じた。
“ばぁーん!。”
 大音響が山と海に鳴り響き、龍造寺軍最前線の足軽がばたばたと倒れた。今まで修練を積んできた島津軍鉄砲隊の放つ弾に外れは無かった鉄砲で致命傷を負った龍造寺軍足軽を鍋島・島津軍が次々止めを刺していく。1本道を進む龍造寺軍中軍は一方的な殺戮を見せられ、立ち往生してしまう。この混乱を察した龍造寺隆信は軍扇を前にかざした。
「進め!死体を越えて進め!命惜しむ輩は斬れ!」
 龍造寺隆信は自ら乗る輿をどんどん前へ進めた。龍造寺軍は主君の乗る輿にあおられ、足軽などは次々1本道から泥田に入り、前を目指したが、思ったよりも深い泥でたちまち泥田にはまってしまう。この時を狙って島津家久は潜ませていた伏兵を一気に中央の一本道へ突出させた。すると龍造寺軍は完全に後手となって、次々と有馬・島津軍の鉄砲と弓の餌食になっていった。
 
 乱戦模様となった中央の一本道であったが、山側と海側では数で勝る龍造寺軍が鍋島・島津軍を押している。鍋島直茂は昨日の汚名を注ごうと軍を進めたが、膠着状態となった沖田畷の戦が気になって仕方がない。
“我が軍が進んでおらぬ。早く山より攻め落とし、上様を助けねば・・・。”
 鍋島直茂が必死に前へ押し込む一方、島津軍の川上忠堅は泥田に入りながら、龍造寺隆信の姿を探している。この川上忠堅、出陣の際に“龍造寺隆信の首を獲る”と皆の前で広言し、不興を買った男である。自分の面目を守る為、敵陣に郎党と潜り込んでいたが、思わぬ僥倖が転がり込んできた。突然、8人の武者が担ぐ輿の中から、怒号が飛んできたのだ。
「隆信はこの輿にあり。お主らは敗走するでない。」
 龍造寺隆信の輿と確信した川上忠堅は槍を手に持って近付き、輿の中に槍を突き入れた。川上の郎党は輿を担ぐ武士や足や腹を槍でなで斬りにした。すると輿は大きく崩れ、そのまま泥田に横倒しになってしまった。川上忠堅は槍で突き刺した龍造寺隆信の身体を輿から引きずり出し、見事首を掻き切ったのだ。
“龍造寺隆信の首、討ち取った。”
 大声で叫ぶと、龍造寺本軍は大混乱となって、潰走を始めた。龍造寺隆信が討ち取られたことは全軍にすぐ広まった。龍造寺軍が背走する中、鍋島・島津軍は追撃戦で龍造寺家の一族と重臣を次々と討ち取り、勝鬨の声を上げた。こうして5万の龍造寺軍に対し、1万の鍋島・島津軍は大勝利を収めたのであった。
 
 家老鍋島直茂は何とか敗軍をまとめ、海路で肥前佐賀城へ戻っていった。だが、本当の苦難はここからであった。龍造寺隆信という酷薄な大名の下で、いやいや傘下に下っていた肥後国の隈部氏、筑前国の秋月種実などは、次々と龍造寺家を去っていった。そして島津家に臣従し、次々と龍造寺家の領土を奪っていく。
 
 戦に勝利した島津家は、首実検した龍造寺隆信の首を律儀に家老鍋島直茂に届けている。本来、領主であり主家の首を受け取るのが戦国の習わしであるが、鍋島直茂はあえて受取りを拒絶した。
“このような運がない髑髏など受取りはせぬ。我が国より、直ちに出よ。”
 鍋島直茂は強い態度で偵察を兼ねた島津家の使者を追い返し、これからも島津家に徹底的に敵対する意志を見せつけたのだ。鍋島直茂の態度に島津家は相当な抵抗と犠牲が出ることを怖れ、逆に和議を結ぶことと決した。こうして、鍋島直茂は有利な和議を結んで、龍造寺隆信の嫡子政家を支えていくことに専心したのだ。
 
“肥前の虎”龍造寺隆信の死はすぐ大友家にも伝えられている。
 大友家に代って九州一の盟主となった龍造寺隆信が敵の5倍の兵力を有しながら、大将自ら討たれる敗戦を喫してしまった。思いがけぬ朗報に大友義統は、寵臣田原親賢を呼んで、すぐ祝宴を開いた。
「親賢、来たか。いやーめでたい。このようなことがあるのだな。」
 緩んだ表情の義統は自ら酒を田原親賢に振る舞った。
「それはもう上様の御武運でございます。」
 田原親賢のお追従に義統は更に表情を崩した。
「そうであろう、そうであろう。それで相談がある。龍造寺隆信が死んだ今、恐らく領国は切り取り次第であろう。すぐに軍を出そうと思うが如何であろうか。」
 親賢は平伏しながら、新しい主君大友義統を称えた。
「ご賢察でございます。上様の言う通り、すぐに軍を出すべきだと思います。」
「そうであろう。まず奪うべきは黒木氏の猫尾城だ。あやつは許せぬ。」
「何せ耳川で敗れてすぐに龍造寺に通じた輩でございます。お任せ下さい。大友軍の強さを再び九州に知らしめましょう。」
「それでは準備は明日にして・・・今日は夜通し付き合うがよい。」
 大友家の政治は全て大友義統・加判衆筆頭の田原親賢、この2人で決められている。大御所となった大友宗麟の意見は完全に黙殺されるようになってしまった。この蜜月の関係がある故、田原親賢は耳川敗戦の責任を取らされていないし、1か月もの間、雲隠れした逃亡を不問とされている。一族を亡くした多くの国人は不満を抱えていたが、田原親賢は耳川の敗戦は加判衆の朽網氏・志賀氏の責任であると主君大友義統に耳打ちしている。
 
 実際、大友軍後軍を率いていた朽網氏・志賀氏は肥後国を経由し、日向国に出陣してきた島津軍の横っ腹に攻め込むはずであった。だが、田原親賢に反発し、軍の出発を意図的に遅らせた結果、耳川の戦に間に合わず、無傷のまま帰還したのだ。田原親賢はこの政敵朽網氏・志賀氏に強い憎悪を燃やしている。何とか、今回の遠征軍大将を朽網氏・志賀氏とし、両氏を疲弊させる考えである。
 田原親賢は大友義統に懇願すると同時に、龍造寺隆信を耳川の戦で敗った島津家に誼を通じることとした。大友義統は田原親賢が進めるがまま、島津家に藤原定家真筆の新撰和歌集を送り、島津家の武勇を愛でる書状を送った。

 宝物を贈られた島津義久は、鹿児島の内城に家久を招き、軍議を練った。
「家久、これを大友義統が送ってきた。どういうつもりであろうか?」
 三方の上には、藤原定家真筆の新撰和歌集が置かれている。古典芸能に興味が全くない島津家久は新撰和歌集を手に取って本をめくり、少し眺めた後に三方にぽんと置いた。そして、傍らに置いてある大友義統の書状を読むと笑いながら叩きつけた。
「我らを褒めれば、大友家を攻めぬと思っているのでございましょうか?」
「ふん、頂くものは頂く。龍造寺家の領国を奪った後はすぐ大友家へ攻め入ろう。」
「はっはっ、兄者も人が悪い。新撰和歌集の返礼が合戦とは。」
「早くせねばならぬ。徳川家康との争いが片付けば、羽柴秀吉は九州へ出てくる。」
 1583年(天正11年)4月羽柴秀吉は政敵柴田勝家を葬り、畿内を制し、大阪に城を築いている。翌年の1584年(天正12年)3月より、尾張で織田信雄と徳川家康の連合軍2万と合戦中であるが、6万もの兵力を有する羽柴軍の敗戦は到底考えられなかった。羽柴秀吉は紀州の雑賀衆や四国の長宗我部氏との合戦も優位に進めている。話を聞いていた島津家久は威儀を正し、兄の方を向いて答えた。
「兄者の言う通りでございます。羽柴秀吉は四国を攻めた後、九州へ進軍してくるはず。」
「うむ、それ故早く大友家を叩き潰し、九州全てを手に入れねばならぬ。」
「兄者、厄介なのは立花道雪と高橋紹運。」
「そうであるな。2人には力攻めで挑まねばならぬと思っておる。」
 島津家の今後の方針が定まった。

 一方、立花道雪と高橋紹運は龍造寺隆信亡き後の島津家を注視している。必ずや龍造寺家の領国を攻め取りながら北上し、ここ筑前の立花城・岩尾城・宝満城を攻めてくるはずである。立花道雪と高橋紹運は3つの城の軍備を固めると共に、筑後の堅城柳河城を何とか手に入れる考えである。四方を幾重にも重なった水濠が取り囲み、特に本丸を守るように造られた内濠は幅20~40間(36m~70m)と広く深く、難攻不落の堅城であった。龍造寺隆信が2万で力攻めしても1年間落城せず、城主の蒲池氏一族を謀殺してやっと手に入れた城である。この城を攻め取り、進軍してくる島津軍の備えとするつもりである。
 
 戦の準備を進める立花道雪と高橋紹運の下に、大友軍が筑後の猫尾城を攻めるという報せが入ってきた。耳川の敗戦以来、久々の約1万を超える大友軍である。1万の大軍ならば、すぐに猫尾城ごときは落城するであろうと立花道雪と高橋紹運は目算を立てた。猫尾城を大友軍が占拠した後ならば、柳河城を攻めやすくなる。立花道雪と高橋紹運は出陣の準備を進めたが、気がかりは72歳となった道雪の身体である。積み重なった合戦の疲れで、臥せることが多くなっている。

 天正12年(1584)7月、大友義統の弟で田原家へ養子に入った田原親家・親盛は朽網氏・志賀氏の軍を率い、筑後の猫尾城征伐に出陣した。この猫尾城は筑後の東西を流れる矢部川と笠原川の合流地点の東、高さ2町余り(240m余り)の猫尾山に築かれた山城である。黒木家棟梁の家永は、この山城を守る為に龍造寺家から約百名ばかりの鉄砲隊の援軍を授かった。これで猫尾城を守るのは約2千の軍勢となった。
 一方の大友軍は約1万、約5倍の軍勢であるが、何せ合戦の経験が乏しい。
 何の策もないまま猫尾城を包囲し、攻め立てるが、鉄砲隊の餌食となる兵が続出した。1カ月を過ぎても、猫尾城は陥ちる気配すらなかった。
 
 猫尾城落城の報せを待っていた大友義統は、弟の田原親家・親盛率いる朽網・志賀軍を諦めた。義統は田原親賢と相談し、立花道雪と高橋紹運2人に出陣を願うこととした。立花道雪は大友義統からの手紙を受けとると、主家大友家への最期の御奉公という思いで出陣を決した。

 出陣する前日、立花道雪は何ら連絡も入れずに、愛娘誾千代姫の館を訪ねた。誾千代姫は突然の父の訪問に驚きながら、自室に道雪の輿を招き入れた。
「誾千代、久方ぶりであるな。」
 眼底がくぼんだように疲れ切った顔を見せる道雪の姿に、誾千代姫はかってない父の衰えを感じた。
「父上、御身体は大丈夫でございますか?明日、出陣と聞いておりますが・・・。」
「身体か・・・、誾千代に隠しても仕方がない。・・・もう長くはないことは自分が一番分っておる。」
 道雪は澄んだ瞳で真直ぐ誾千代の眼を見ている。誾千代姫は重い言葉とその瞳を真正面で受け止めた。
「父上の御覚悟・・・分っております。詮無き事は申し上げません。御武運をお祈り申し上げます。」
 誾千代姫は瞳を潤ませながら、父の覚悟を受け取った。これがおそらく父との最後の時間となるはずである。そう思うと、誾千代姫は父に対し申し訳なく思っていることを吐露し始めた。
「父上、統虎様との折り合いが悪くて申し訳ございません。私が生意気な事を云って、統虎様を怒らせてしまっております。」
「誾千代、そもそも悪いのは私だ。誾千代に家督を譲ると皆の前で話をしたにもかかわらず、私が家督を婿の統虎に渡した。誾千代にも統虎にも悪いと思っておる。」
 思わぬ父道雪の言葉に誾千代姫は眼から涙がどっと噴き出した。
「父上、全ては私が悪うございます。」
 泣き続ける誾千代姫に、下半身が不自由な道雪は両手を這って輿を降りて、誾千代姫に近づいた。
「誾千代、そう泣くでない。心配で明日出陣出来ぬではないか。」
 誾千代姫の手をさすり続ける道雪に誾千代姫が顔を上げた。
「申し訳ございませぬ。これからは統虎様を支えて参ります。」
「うむ、誾千代、ゆっくり、ゆっくりでいいのだ。」
 道雪は笑って手をさすり続けた。そして近習を呼び、近習に抱き抱えられて輿に乗ると、そのまま誾千代姫の部屋を出た。誾千代姫の館を出ようとするとき、門の前まで見送りに出た誾千代姫に輿の上の道雪が振り向いた。
「誾千代、さらばだ。」
 西日で輝いた父道雪の顔は合戦に臨む気魂溢れる顔であった。誾千代姫はいつも出陣する父の姿を見送ってきたが、これが今生の別れである。父への万感の想いを込めて、誾千代姫は真直ぐに道雪の瞳を見つめた。一瞬の間が永遠に続くような濃密な時間であった。道雪は誾千代姫に沁みるような笑顔を見せた後、背を向けた。
 道雪の輿はゆっくりと進み、竹林の中に吸い込まれていった。

 翌日の朝、出陣前に道雪は統虎を館に呼び出した。今回は家老の由布雪下・小野和泉が道雪と共に出陣し、統虎・薦野三河・十時摂津が立花城に残ることになっている。統虎は道雪の身体が弱り切っていることを見抜いている。何としてでも出陣を思い留まらせるつもりであった。
「道雪様、お呼び頂きありがとうございます。今日はどうしても申し上げたい議がございます。」
 前のめりとなる統虎に対し、道雪は柔らかに応えた。
「統虎、言うがよい。」
「道雪様は既に体が病んでおられます。何卒、出陣は御控え下さい。何卒、御静養ください。道雪様あっての立花城でございます。」
 統虎の至誠こもった言葉である。統虎はこの立花城へ婿として来てから、この九州一の猛将道雪の心根にある仁義溢れる侠気、家臣を慈しむ心、農民たちの暮らしを考える優しき心、そして命を懸けて主君に尽くす士道に心酔している。統虎は父高橋紹運への畏敬と全く同じ感情を道雪にも抱いている。
「統虎よ、自分の身体はもう長くない。わしはこの合戦で命を燃やす。島津家を食い止める為の柳河城を手に入れる。絶対に柳河城を手に入れる。絶対だ。」
 静かで重く、自らに言い聞かせるような言葉であった。統虎はもう道雪の決意が一切揺るがぬことを悟った。
「道雪様、立花城は私にお任せ下さい。御心配なく、御出陣ください。」
「統虎、お主には全く心配しておらぬ。わしが見込んで婿にお願いした男である。後は己が思うままに振る舞うがよい。下手に立花家の名を残そうなどと考えずとも良い。お主は大友家の為に戦わずとも良い。己の仁義の為に男は戦う。わしも己の仁義で死ぬ。それだけのことだ。」
 統虎は道雪の心の奥底にある真っ赤にたぎった男の性分を受け取った。
“立花家の名を残そうなどと考えずとも良い”という潔い言葉に、逆に受け継ぐ立花の名を絶対に汚すまいと心に誓ったのだ。
 最後の別れを告げ、部屋を退こうとした時に、道雪がぽつりと一言漏らした。
「誾千代を頼む。」
 生々しい義父からの言葉に統虎は消え入りたいような激しい羞恥を感じた。自分が誾千代姫を遠ざけているのを道雪は当然知っているはずである。最後に命懸けで出陣する大事な日に心配を掛けさせるなど、自分の愚かさと心の狭さが堪らなかった。統虎は自分の顔が紅潮していくのがすぐに分かった。
「統虎、わしは責めておらぬ。全ては自分が悪いと思っておる。わしが誾千代を家督にすると決めた後、お主を婿としてお願いした。2人には申し訳ないと思っておる。」
 道雪の言葉に、統虎の誾千代姫への辛辣な気持ちは全て霧散氷解した。
「道雪様、今までは私が全て悪うございました。これよりは大丈夫でございます。御心配をお掛けいたしました。」
「こればかりはわしもどう云っていいものか、分らなかった。良かった、良かった。」
 明るく笑って去る道雪の顔が、統虎が見た最後の姿であった。

 道雪が出陣した翌朝、統虎は意を決し、修験坊の滝を訪れた。誾千代姫が毎朝修験坊の滝近くの大楠へ日参しているのを久秀は聞いたからである。
 修験坊の滝へ向かうと、脇に立つ木に誾千代姫の愛馬雷斬が結わえられていた。雷斬に気付いた統虎は意を決し、原生林を進んでいく。
 鬱蒼とした森に陽の光が降ってくる。わずかな小径を行くと幾百年もの時を超えた大楠が現れた。3人でも抱えきれないほどの大きな幹が地から空へと広がっている。
 その圧倒的な姿を見上げていると、後ろから誾千代姫の声がした。
「統虎様ですか?」
 統虎が振り返ると、馬乗袴姿の誾千代姫がいた。
 誾千代姫の言葉が、少しだけ抑揚が上がったように聞こえたのがうれしい。
「見事であるな。」
 統虎の言葉に誾千代姫が微笑んで、手を後ろの方へ向けた。
“ついてこいということなのか。”
 振り返って歩き出した誾千代姫についていくとすぐにまた大きな大楠が現れた。
「こちらが大楠、立花城の守り神でございます。」
 先ほどの大楠よりも一回り大きな幹が鎮座している。そして、上を見上げると他の楠の幹ほどの枝が四方へと広がっている。自らを包んで覆ってしまうほどの圧倒的な大きさである。
 この大楠の前にいるだけで全てが清らかになるような神々しさに、統虎は見上げて対峙した。
 どれぐらい時が経ったであろう。横に控えていた誾千代姫は統虎近くに寄って、声を振り絞った。
「毎日、この大楠に願をかけています。」
 誾千代姫は精一杯の言葉で、統虎が屋敷に戻ってくることを訴えた。この大楠の前にいると今までの凝り固まった誾千代姫へのしこりがゆっくりと解きほぐされていくようである。
「誾千代、戻ろうと思っておる。」
 誾千代姫はぶるぶると震え泣き始めた。統虎が初めて誾千代姫の涙を見た。統虎はそっと傍らに近寄り、誾千代姫の手を取ってさすった。誾千代姫は泣いた顔を見られまいとうつむきながら、震える声で訴えた。
「統虎様、私は統虎様の初陣でのご武勇を聞き、統虎様こそ立花家の家督を継ぐべきお人と思いました。今もそう思っております。これからは立花家・立花城の為に統虎様を支えたいと思っております。」
 統虎が今までずっと欲してきた言葉である。そして、全てを許せる言葉であった。
 その夜、統虎は誾千代姫屋敷を訪ねた。約1年余り溜めた想いを全て解き放とうとする統虎に、誾千代姫も全ての想いをほとばしらせた。
 1度ならず2度、3度若い2人の身体は躍動し、何度も絶頂を迎えた後に深い眠気に誘われたのであった。きほぐされていくようである。
 
 2人の再会を邪魔せぬように女中頭の静が誾千代姫の部屋への出入りを禁じたこともあり、2人は昼まで眠りを貪った。誾千代姫がふと目覚めた目の前に、統虎が穏やかに眠っている。暫く眺めていると統虎の眼がゆっくり開き、焦点が少しずつ自分の瞳に合ってくるのを見ていると自然と可笑しくなった。
「何かおかしいか?」
「いえ、統虎様も私も朝稽古を怠けてしまいました。」
「ふっ、たまには良かろう。」
 誾千代姫は二人で見つめあう時間が愛おしくてたまらなかった。
「誾千代、子を為そう。」
「はい。」
 道雪の出陣がきっかけとなって、道雪の心残りであった2人のよりは戻った。

 立花道雪はそんな2人の仲直りは知らずに、猫尾城へ向かい進軍した。高橋紹運も岩屋城に屋山中務、宝満城に統虎の弟・高橋統増を残し、立花軍と合流した。立花軍は総勢4千の軍勢である。猫尾城へは15里、辿りつくには秋月種実・筑紫勢の敵領を通り抜ける峠道ばかりの難路である。特に難所は耳能連山の鷹取山を越す九十九折の険しい山道であった。
 立花軍は敵の鉄砲隊の襲撃を受けたが一気に退け、休むことなく行軍を続け、たった1日で猫尾城を囲む大友軍と合流を果たした。立花道雪は一睡もしていなかったが、すぐに大友軍と軍議を行うこととした。
 軍議に参列したのは大友家名代である田原親家・親盛と、軍を率いる朽網氏・志賀氏、そして立花道雪と高橋紹運である。最初に朽網氏と志賀氏が猫尾城の陣取る黒木氏の話をしたが、全く要領を得ない話ばかりであった。そもそも、この2人は耳川の敗戦にも絡んだ怯懦の将である。敵2千の籠城兵に対し、約1万の兵で猫尾城を囲みながら、未だ戦も仕掛けずににいる軍監である。この2人が大友軍の指揮を握っていることが黒木城を落とせぬ原因と立花道雪はたちまち看破した。
「して、志賀殿と朽綱殿、これより如何に猫尾城を攻めるおつもりか?」
「我らはもう・・・・。道雪様、道雪様ならばどのように攻めますか?」
「では、お二方は私と共に前に出て戦うがよい。目の前でわれらの戦い様を見よ。」
 翌日の9月25日より、道雪は高橋紹運と共に鉄砲隊を前面に押し出し、猫尾城を攻めたてた。

 猫尾城を守る黒木氏の軍は攻めよる軍の幟を見て愕然とした。九州一の猛将大友道雪と高橋紹運が現れた。黒木城の支城は鉄砲隊で攻めたてる大友家最強の兵にすぐさま降伏し、残るは本丸のみとなってしまった。道雪の軍は死力を尽くし抵抗する敵兵を次々と討って本丸を包囲する。
 観念した城主黒木家永は自害し、たった1日で黒木城は落ちてしまった。立花道雪・高橋紹運が大友軍に参陣した話はすぐ筑後に広まり、今まで大友軍に抵抗してきた山下城の蒲池氏はすぐに降伏した。その後も龍造寺と同盟を結んだ城を次々と落していく。そして、残った柳河城を攻めるべく、大友軍は標高312mの高良山に陣を構えた。この高良山は古より続く高良神社があり、当時は比叡山よりも多くの僧兵を抱える九州一の社であった。この高良山の僧兵全てが立花道雪と高橋紹運の味方をすることとなった。
 
 だが敵対する柳河城の北・東・南は水濠と運河が幾重にも囲む堅城である。柳河城の西側はそのまま有明の海であり、味方の鍋島直茂のいる佐賀城まで行き来する安宅船が何艘も繋がれている。道雪も紹運も何度も柳河城を攻め寄るが、広く深い水濠を越える術は無く、柳河城城主の龍造寺家晴も鍋島直茂の指南通りに水濠から決して出ず、防戦に努めるのみであった。  
 既に秋は終わりに近づき、高良山には寒い風が吹きすさぶようになってきた。
 
 すると島津軍がまもなく北上し、筑後へ攻め入るという噂が流れてきた。この噂を聞いた大友軍は不安に駆られるようになってしまった。大友軍率いる朽網氏・志賀氏は府内に戻りたい気持ちばかりとなっている。
”このまま戦い続けても、全て立花道雪と高橋紹運の手柄になる”
 朽網氏・志賀氏は田原親家に耳打ちすると、田原親家もすぐ話に乗った。
“さにあらん。府内へ戻ろう。”
 なんと全軍1万を率い、勝手に府内へ引き上げてしまったのである。立花道雪と高橋紹運にとっては、酷過ぎる仕打ちであった。
 
 この酷い撤退が更に大友家の評判を下げ、島津家へ加担する国人衆を増やしていった。鍋島直茂は佐賀城から援兵を次々と柳河城へ送っている。道雪と紹運は主家からの援護は期待せず、何とか4千の軍勢で柳河城を攻め滅ぼす決意である。
 年は明け、天正13年(1585)、柳河城の戦いは完全に膠着状態となった。道雪と紹運がいくら柳河城を牽制しても、柳河城は全く動かない。逆に柳河城に籠る龍造寺家晴は筑前の秋月種実に書状を送り、道雪不在の立花城を攻めるよう勧めている。秋月種実は立花城留守の将が婿の立花統虎と聞き、すぐに出陣を決意する。井上城の初陣で大功を挙げた立花統虎には借りがある。
 3月になると秋月種実はこの立花統虎を何とか成敗したいと考え、立花城の城兵2千に対し、約8千の軍勢で立花城に迫っていった。

 秋月軍出陣の報せはすぐに立花統虎の耳に入った。立花統虎は、薦野三河、十時摂津、そして世戸口十兵衛と軍議を開いた。既に薦野三河は物見を出し、秋月軍の動きを探っている。
「統虎様、秋月軍は香椎の浜に集まっております。数は八千でございます。」
 香椎の浜は立花城の南西1里、既に立花城を攻める為のはしごや弾除けの竹束などが用意されているとのことであった。薦野三河、十時摂津は若き城主がどのような采配をするのか、統虎の言葉を待っている。眼を閉じて薦野三河の報告を聞いていた立花統虎はゆっくり眼を見開いた。
「三河、摂津共に籠城を考えているであろうが、私は出陣する。」
 意外な言葉に反応したのは十時摂津である。
「統虎様、相手は8千。我らは2千、野戦で我ら鉄砲隊がいくら頑張ったとしても、引き分けに持ち込めるかどうかでございます。そう考えれば、やはり立花城で守るが上策かと。」
「摂津、引き分けるつもりならば、城を守るがよい。私はこの戦を勝つ。今、道雪様が柳河城で戦っている。もし、立花城が秋月軍に攻められ、戦いが長引いたら、周りの敵はどう動くであろう。考えるがよい。」
 統虎の言う通りである。立花城の戦が長引けば、柳河城で戦う道雪軍への影響は避けられない。
「統虎様、それでは如何にして秋月軍と戦うおつもりですか。」
 薦野三河が膝をにじりよせ、統虎に問うた。
「出陣は本日の子刻、5百を残し出陣する。必ず勝つ。案ずるな。」
 統虎が自信に満ちた顔で言い渡した。薦野三河、十時摂津共に平伏せざるを得ない。両者ともに一抹の不安を感じながら、準備を進めた。

 統虎は世戸口十兵衛と共に先軍を率いている。薦野三河は統虎を何とか中軍に押し留めようとしたが、統虎は一切首を縦に振らず、逆に薦野三河は中軍、十時摂津は後軍を指揮することとなった。
“必ず、秋月軍は明日から始まる戦に備え寝ているはず。寝ておらねば、私の采配の誤り、その時は私が盾となり、全軍を守って見せよう。“
 統虎の決意を察する世戸口十兵衛は無言で付き従っている。万が一には命を懸け、統虎を逃がすつもりである。
 
 統虎軍が香椎の浜手前に到着し物見を出すと、秋月軍は僅かな兵を除いて、全軍が冷えた霜月の浜風を避けるように眠りを貪っていた。
“よし、統虎様の策は成った。後は私が・・・・。”
 世戸口十兵衛は弓を持ち、鉄砲の一斉射撃の合図を待った。香椎の浜には統虎の中軍・後軍も到着し、秋月軍を包むように鉄砲隊と弓組を布陣した。統虎は手に持った軍配を浜に向け、大声を発した。
「撃て!」
 鉄砲の発射音が香椎の浜に響いた。一斉射撃に驚いた秋月軍の兵が立ち上がると一斉に弓が放たれる。世戸口十兵衛の放つ矢は次々と篝火の周りに群れる兵たちの首を捉えていく。秋月軍はどこから敵兵が攻撃しているか、全く分からぬまま、同士討ちが始まった。暗闇の中、統虎の槍隊も乱れる秋月軍に忍び寄って、背後から力攻めする。
 秋月軍に恐怖が伝播し、同士討ちにますます拍車がかかっていく。秋月軍の武将たちが同士討ちを避ける為、声を出して兵を集める度に、統虎の鉄砲隊と弓組は容赦なく弾と弓を浴びせ続けた。統虎は半刻(1時間)ほど秋月軍を攻撃したが、全軍に戦場を後にするよう命じた。誰もが圧倒的な優勢で戦う香椎の浜を離れることを訝しんだが、統虎は有無を言わさず全軍を香椎の浜の南の森へ移動させ、兵を埋伏させた。
 
 秋月軍は銃声がしなくなったことで同士討ちが収まった。浜の周りに物見の兵を出すと既に敵軍の姿はなく、秋月種実は全軍に撤退を命じた。
“一旦、この香椎の浜を離れ、立て直した後、明日立花城を攻めることとしよう。”
 秋月軍の兵たちは、この香椎の浜から離れられることを喜び、身の回りを片付けた。全軍が引きずるような足取りで浜を離れ、森の中を進んでいると再び敵の鉄砲の音が鳴り響いた。統虎の軍は背走する秋月軍の兵を狙い、鉄砲と弓を放ち続ける。秋月軍はもはや軍の姿を為さず、大将の秋月種実も近習と共に馬を乗り捨て、ただ走って逃げることしか出来なかった。
 こうして、秋月軍は散々な目に遭って、3百人余りが戦死、数多くの兵が怪我を負って、領国へ帰ることとなった。この敗戦で秋月種実は立花城を攻める考えは一切無くなった。統虎軍は3人が怪我したのみの大勝利となった。

 翌日の早朝、統虎は一人立花城見張り台から昨日激戦となった香椎の浜を望んでいる。敵兵の死体が転がり、篝火が昨日の戦のまま、いくつも残っている。統虎が佇む見張り台に薦野三河、十時摂津がともに上がってきた。
「統虎様、昨日の策、私は正直疑っておりました。」
 薦野三河が頭を下げると、十時摂津も一緒に頭を下げた。
「いや、戦は紙一重。もし、敵に備えがあれば、我らは全滅であった。」
 統虎は戦勝に奢ることなく、淡々と話をした。
「三河、摂津、再び兵を出す。明後日早良に出陣である。」
 統虎の思わぬ言葉に薦野三河は絶句し、十時摂津は統虎に問うた。
「統虎様、昨日は兵数の少ない我らが8千を相手に一方的な戦、見事な戦でございました。ただ、早良への出陣は・・・いささか無謀かと。お控えなさった方が・・。」
 統虎は十時摂津の苦言に対し、真摯に説明を始めた。
「摂津、早良の龍造寺方の飯盛城は我らが攻め寄るとは思っておらぬ。何故か分るか?」
「我らは道雪様の留守部隊である故、立花城を守るのみと思っております。」
「そうであろう。我らが秋月を退け、飯盛城を攻めれば、周りは如何様に思うであろうか?」
「立花城は城から出て戦う兵力があると思います。迂闊に立花城へは攻めては来ぬはず。」
「うむ。今、道雪様は柳河城で戦っておられる。われら立花城にはまだ多くの兵がいると思わすことが出来れば、道雪様も戦いやすくなるであろう。」
 道雪の名を出されると薦野三河、十時摂津は抗えない。半信半疑で統虎の命令に従い、出陣の準備を進めた。

 出陣した統虎軍がまず向かったのは博多の町である。博多商人の店が立ち並ぶ通りを練り歩き、立花城の軍が健在であることを博多商人に見せ付けた後、一気に柳河城北西に位置する早良へ軍を進めた。早良の飯盛城は全く予期せぬ統虎軍の攻撃を受け、防戦一方となった。統虎軍は鉄砲と弓で飯盛城の守兵を討っていくが、城を占拠するつもりは毛頭無い。圧倒的な戦で2刻ほど飯盛城を攻めたてた後、全軍に撤退を命じたのだ。
 この統虎軍の攻撃は、主家大友家を包囲しつつある島津・龍造寺・秋月軍の意表を突く出陣であった。改めて、立花道雪と高橋紹運の軍には充分な余力があると思わせたのだ。
 
 この統虎軍の奮戦は柳河城を攻める道雪と紹運の軍を十二分に勇気づけた。道雪はこの統虎軍の出陣を聞き、軍陣を張る高良山より下山した。
“婿の援軍に応えねばならぬな。”
 高良山から立花軍が全軍下山すると、柳河城に籠る龍造寺軍も筑後川を挟んで対峙し、道雪の出方を窺った。だが、下山した道雪は気苦労も重なってか、そのまま陣中で倒れてしまったのだ。高橋紹運はすぐに陣払いして、再び高良山に軍陣を移し、道雪の回復を待つこととした。“道雪倒れる。”
 この報せはすぐ立花城の統虎と誾千代姫に知らされた。統虎も誾千代姫も動揺したが、道雪はこの戦に命を懸けて臨んでいることを知っている。それだけに何も動くことはできなかった。ただただ、道雪の回復を祈ることしか出来なかった。

 道雪はすぐ小康状態となったが、自分に死期が近づいているのをはっきりと悟った。もともと、最後の戦という覚悟で戦に臨んでいる。道雪は最後の気力を振り絞り、高良山を下って、北野に陣を構え、龍造寺軍を誘った。だが、出陣してから1年余り、2度目の夏を過ごした道雪の体はすっかり弱って、陣中で完全に臥せってしまった。
 自分の命と引き換えに何とか柳河城を落そうと道雪は思ったが、柳河城は援軍を含めると自軍の5倍、2万の大軍に膨れ上がっている。それでも道雪と紹運を怖れ、堅牢な柳河城から出てこない。道雪と紹運には、戦の仕掛け所が全く無かった。ひたすら戦機を窺う道雪であったが、徐々に体は痩せ細り、食欲もなくなっている。
 道雪の眼だけが、最後の命を燃やしている。道雪は近習を呼び、従軍する高橋紹運、由布雪下、小野和泉を呼び寄せた。
 
 3人が寝床に揃って現れると、道雪はずっと横たえていた身体を気力で起し、最後の矜持を見せた。
「紹運殿、この戦の後始末を頼み申す。大友家の先は関白秀吉公に頼むがよい。」
 か弱い声であったが、道雪は戦の全てと大友家の将来を高橋紹運に託した。既に羽柴秀吉は四国の長宗我部元親を退け、土佐1国のみを長宗我部氏に与え、四国を平定している。朝廷はその偉業を称え、関白の位を秀吉に授けている。織田信長に代って全国統一を目指す羽柴秀吉を頼り、島津家に対抗しようという考えである。道雪は病で臥せる間も大友家の未来を思案していた。
「雪下、和泉。わしが亡き後は統虎を支えてくれ。」
 由布雪下も小野和泉も頭を下げて、道雪の想いを受け取った。そして静寂が満ちる中、道雪は命を振り絞って、柳河城への思いを吐露した。
「最後に柳河城を落すことが出来なかった・・・・無念である。わしが死んだら、わしに甲冑を着せ、柳河城へ向けて埋めよ。分ったか。」
 柳河城に対して凄まじい執念を見せた後、道雪はそのまま臥せてしまい、9月11日道雪は73歳の命を燃やし尽くしたのであった。生涯37回の合戦を戦い、全ての戦で勝ちを収めた九州一の猛将であったが、柳河城を落すことだけは叶わなかった。
 
 道雪の死はすぐに立花城へ知らされた。道雪の死を覚悟していた統虎であったが、改めて畏敬する道雪が亡くなった虚しさと、道雪に代わって立花家を率いなければならぬ重責で胸がふさがる思いであった。心の中が熱く苦しく、重く暗く、押しつぶされそうな中、統虎は体の力を振り絞り、誾千代姫の館へ向かった。館手前の竹林の中でふと誾千代姫の屋敷をみると、門前に誾千代姫の姿が見えた。
 近づくと、誾千代姫が統虎を不安そうに見ているのが分った。
“ああ、察しているのか。”
 既に誾千代姫は道雪が倒れて伏せているのを知っている。誾千代姫は心休まらず、心ざわめくままに館前でずっと何かを待っていた。それは一体何なのかは、統虎の表情で全て察した。統虎は誾千代姫の眼を見つめ、父の死を告げた。
「誾千代、道雪様は北野で亡くなられた。雪下と和泉が知らせてきた。」
 誾千代姫を支えてきた力が一気に弛緩し、その場で崩れ落ちた。涙は自然と溢れ出てくるが、涙をふく気力はない。そんな姿を見た統虎は崩れ落ちた誾千代姫を抱きかかえ、頭をさすり続けることしか出来なかった。
 
 高良山に残る立花家遺臣の由布雪下・小野和泉は、道雪の遺言で悩んでいる。
“私が死んだら、柳河城に向け、甲冑を着せて埋めよ。”
 生前の立花道雪の言葉は絶対であったが、さすがに敵陣に埋めて去るのは抵抗がある。由布雪下は道雪の最期の言葉を尊重している。
「道雪様の最後の仰せ、聞くべしである。」
 小野和泉は道雪の遺体を持ち帰り、菩提寺で弔うべきと考えている。
「雪下殿、殿を敵陣に埋めて、もし墓が荒らされたら如何なされますか。」
 2人は悩んで、高橋紹運にどうすべきかを尋ねると即座に答えを返してきた。
「そうか、全ては立花城の殿に伺うべきではないか。」
 二人はもっともな言葉に納得し、すぐ立花城へ急使を送った。統虎は十時摂津に返答を託し、高良山の陣に送った。

 休みをとらず汗だくとなった十時摂津が高良山に到着した。
「統虎様の言葉を持ってまいりました。」
 由布雪下・小野和泉は高橋紹運の他、主だった武将を集め、すぐに十時摂津を応接した。
「摂津殿、早速返事を聞かせてほしい。」
 十時摂津は立花統虎の書状を開いて、読み始めた。
「長き滞陣、痛み入る。道雪様の御意志にそむくことになるが、道雪様には立花に御帰り頂く。道雪様と皆を立花城が待っている。」
 由布雪下は顔をしかめ、言い放った。
「何を言っておる。殿の御遺言を守ることが出来ぬなら、我らが腹を斬って、殿にお詫びせねばならぬ。」
 いきり立つ由布雪下に対し、誰も言葉を挟めずにいたが、末席に座る原尻宮内という変わり者の国人衆が、憮然とした態度で言い放った。
「由布雪下様、皆で腹斬ることを大殿様はお望みであったでございましょうか。お詫びに腹を斬るのであれば、立花の若殿に腹を斬ってもらいましょう。」
 この一言で皆黙ってしまったのを受け、高橋紹運は遠征軍の撤退を宣言した。
「道雪様の御意思は皆、心に刻もう。明日朝、陣を払う。」
 道雪と紹運の遠征軍は約1年ぶりに自領へ帰ることとなった。柳河城の龍造寺軍、秋月種実ら筑紫勢は突然陣を払った道雪軍に驚き、斥候兵を出した。斥候兵を見ても、道雪軍は全く反応しない。斥候兵は道雪軍を窺うと、道雪の輿の中央に柩が据えられているのが見えた。
 この柩で九州一の猛将立花道雪の死を知ったのだ。道雪の遺骸を運ぶ軍を追撃し、遺恨を買うようなことを避けるべきと龍造寺軍と筑紫勢は追撃軍を出すのを自重した。
 
 道雪の家臣たちは立花城へ帰る道中、道雪の柩を見上げる度に哀哭した。仁義溢れる道雪は家臣を常に可愛がり、失敗をかばい、手柄を褒めて育ててきた。戦が終わるごとに戦で亡くなった家臣を菩提寺で懇ろに弔い、その家族や一族に面目を施してきた。戦で死んだ家臣の家族からも慕われる主君であった。
 立花城への道中、道雪の死を知った多くの農民たちが軍列に群がった。道雪のおかげで戦火を避け、施された仁政で生活が豊かになった農民たちは、道雪の柩に向かって手を差し伸べるように慟哭した。
 
 立花城門前で待っていた統虎・誾千代姫・留守の兵たちも、道雪の柩が見えてくると道雪の死を悼んでむせび泣いた。
“必ずや、道雪様が落とせなかった柳河城、手に入れて無念を晴らします。”
 立花家を背負う統虎は、柩の中の道雪に一人誓った。

 道雪の遺骸はそのまま立花城西南に位置する梅岳寺に運ばれ、葬儀が行われた。多くの人に見守られて、福厳寺殿梅岳道雪大居士という法名で葬られた。その後、立花城は道雪の四十九日まで喪に服した。

 九州一の猛将立花道雪の死はすぐ九州中に広まった。大友宗麟は今まで遠ざけてきた立花道雪の死で一族の衰退を覚悟した。武威を誇った道雪の死で、必ず敵勢が博多を手に入れようと筑前に攻めいるはずである。
 第16代島津義久はこの報せを聞くと、すぐ遠征軍の準備を始め、帰服した龍造寺家と鍋島家にも準備を促した。島津家の遠征軍の話はすぐ九州中に広まり、多くの国人たちは大友家を見限って、島津家に誼を通じていった。

 道雪が亡くなった9月11日の翌日、統虎の弟高橋直次が守る宝満城のすぐ西、勝尾城の城主筑紫広門は一族を集め、宝満城へと進軍した。もともと龍造寺家や秋月家と結ぶなど向背定まらぬ国人であったが、道雪の死に乗じて宝満城を乗っ取る算段である。思いも寄らぬ攻撃に浮足立った高橋直次は、母を抱えながら何とか城を脱出し、父高橋紹運の居城岩屋城へ逃げ込んだ。
 節操のない筑紫広門の攻撃を高橋紹運は怒ったが、今は道雪の喪に服すことの方が大事とばかりに完全に黙殺した。
 
 実は、高橋紹運は密かに反目を続けてきた筑前国の秋月種実と婚儀の話を進めている。秋月家は畿内を制した秀吉の力を知り、島津家を見限り、娘の秋月龍子を高橋直次の嫁にという話を持ちかけてきたのだ。秋月家の盟友筑紫広門はこの事を知り、大いに心揺らいだ。
“もし秋月が高橋・立花が結べば、勝尾城が攻められるのは必定。当家の命運は尽きるであろう。“
 そこで挙兵した筑紫広門は勝尾城に一族郎党と重臣を集め、思案したが妙案は全く出てこない。すると一族の筑紫六左衛門が立ち上がり、自ら考える策を話し始めた。
「当家は島津家に味方するか、高橋家に味方するかどちらかでございます。高橋家と結ぶには、婚姻しかございません。ただ、高橋家は秋月家と婚姻の準備を進めております。」
 皆が熱く語る筑紫六左衛門を見ている。
「私がかね姫様を岩屋城へお連れし、直訴するしか道はございません。高橋紹運様は情け深き仁将と聞いております。秋月家との約束を反故にして頂くにはお願いするしかございません。もし紹運様にご承知頂けなければ、その場でかね姫様を刺し、私も腹を斬って、あの世へお供いたしましょう。」
 筑紫広門はもうこの策しかないと思っている。必死の思いは一族に通じ、早速翌日にかね姫は勝尾城から送り出されることになった。
 
 翌朝、岩屋城へ向かう筑紫六左衛門とかね姫は城主筑紫広門夫妻の前で挨拶をした。
「我が子を敵の岩屋城へ送るなど・・・。」 
 涙を流す筑紫広門にかね姫が気丈に返した。
「私が男であれば、戦で命を懸けたでしょうが、女故そんなことも無く生きて参りました。それがこのような機会を頂き・・・・、これで私は女の戦に臨むことが出来ます。岩屋城は私の戦場、紹運様の御承知を頂けなければ、潔く自害いたします。成るも成らぬも、私の本懐でございます。」 
 向背定まらぬ筑紫広門とは一線を画すかね姫の言葉であった。潔い挨拶の後、六左衛門とかね姫一行は岩屋城へ向かった。
 
 一方、高橋紹運は敵対する筑紫家の使いと娘が岩屋城を訪ねてきたという報せに驚いた。
“宝満城を不意打ちで奪っておきながら、何の使いであろうか?”
 高橋紹運は訝しながらも、会うこととした。岩屋城の客間からは宝満城、眼下には大宰府を見下ろすことが出来る。客間で筑紫家の使いと娘は、身じろぎせず高橋紹運の登場を待った。半刻ほど経ち、高橋紹運が上座に現れると唐織の小袖を羽織った見目麗しい娘が両手をついて、挨拶した。
“筑紫広門娘のかねでございます。”
 このかね姫は高橋紹運の妻宗雲の実妹の娘、すなわち姪であることに紹運はすぐに気づいた。続いて、決死の覚悟の表情をした男が名乗りを上げた。
“筑紫六左衛門でございます。”
 挨拶が終わるとかね姫が前へ膝を進めた。
「紹運様、ご対面誠に有難うございます。本日はお願いに参上いたしました。女からは申し上げ難き事ではございますが・・・。」
 そこまでかね姫は言葉にすると、後は言葉が出てこず、はらはらと泣き出した。すぐに六左衛門が膝を進めた。
「紹運様、かね姫様は直次様に御輿入れしたいという一途な思いでお伺い致しました。何とも御無体なお願いとは存じております。紹運様の御当惑も御尤もなことでございます。ですが、何卒、何卒お願いしたいと思い、お伺いいたしました。」
 全く予期せぬお願いにさすがの紹運も呆気にとられた。前代未聞の押しかけ婚に戸惑い、また秋月家と進む婚姻話もあり、紹運は何も言葉を発することも出来ない。再び六左衛門が膝を進め、言葉を発した。
「秋月家との婚姻の話は聞いております。それでも、お願いしたいと思い、お伺いしました。もし、この話を御断りになれば、かね姫様を刺し、私も切腹いたします。」
 それでも紹運は何も言葉を発せず、黙りこくったままである。かね姫は六左衛門に目配せをし、切腹の身ごしらえに入った。本気と察した紹運は、気丈な姪とこの忠臣の命を落とすのを忍びないと思案し、かね姫の手を握った。
「承知致しました。元々、当家と広門家は縁戚、これよりは御縁を固く結び、共に島津家と戦いましょう。」
 紹運の覚悟の言葉に、かね姫も六左衛門も突っ伏して泣き崩れた。この婚姻を機に筑紫広門が奪った宝満城も高橋紹運の下へ返されることとなった。
 
 天正14年(1586年)2月吉日、17歳のかね姫は宝満城の15歳直次へ輿入れを果たした。この婚姻で宝満城は高橋家と筑紫家で一緒に守ることとなった。もともと両家は隣国であった為、縁戚・友人・知人が多く、この婚姻が両家にとって最良の策と皆が認めた。
 ただ、面目を潰された秋月家は高橋家と筑紫家に対して、激しい憎悪を募らせた。復讐に逸る秋月家は薩摩の島津氏に筑紫攻めをお願いした。すぐに島津家からの返答が秋月家に届けられた。
“来年に軍を出発させる。必ずや高橋家と立花家を倒して見せよう。”
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