罪喰い獣は夜だけを恋え

山の端さっど

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蜜の甘さを花は知れ

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「ぼくがやろうかー?」
「いや、お前より僕の方が良いだろ」

 暗銀髪の少年妖怪、ノナはかなり細かったが、「あたい、重いから背負って登るのは無理だ」と申し訳なさそうにしたアガサを、なんと、軽々と背負いあげた。

「軽いじゃん。しっかり掴まってろよ」

 アガサが胸を押しつぶして首に手を回すと、ノナは念押しして、地面を、蹴った。

 ダァンッ、と、猟銃を撃つような音がして、アガサは下に強く引っ張られた。ノナが地面を蹴って宙に跳んだ反動を受けたのだ。その一蹴りで恐ろしいことに身長の何倍もの距離に二人は上がり、岩穴の入り口よりも上に一瞬浮く。衝撃でアガサの髪を結わえていた紐はすっぽ抜けていった。

「ひっ、ひゃあっ!!」
「口閉じてろ」

 上がって止まれば、次には落ちてしまう。アガサは口といっしょにギュッと目をつぶったが、思ったような落下はやってこなかった。
 代わりに、全身がふわりと持ち上げられる。

「へ……?」

 アガサの全身を、真っ黒な大量の蝶が包みこみ、羽ばたいていた。小指の爪ほどのものから手のひらほどの大きさまで、何百匹という数がアガサの服を掴み、ゆったりと運んでいく。そして、優しく地面に降ろすと、黒い霧となってノナの体へと消えていった。

「今のは……」
「ただの闇のカケラだよ」

 つまらなさそうにノナが言った直後、岩穴から、赤髪の少年、トリが飛び出してきた。何故だか腰を落としてアガサの腹に抱きついてきたので、アガサはぽさぽさの赤髪を撫でてみた。

「えへへー」

 満足したのかトリは離れる。やっぱり犬をあやす気分だ。

「ありがとうね、妖怪さんたち。代わりと言っちゃなんだけど、今あたいに手伝えることがあったら言っておくれ。火を起こすくらいならできるよ」

 山では誰だって助け合いだ。本当はすぐ近くに村が見えたらお礼に一晩泊めるくらいするのだが、あいにく周りには何も見えない。いつも火をひとつ灯しているので、夜でも遠くから見えるはずなのに。
 とすると困ったことに、ここがどこなのか全くアガサには分からない。

「火? 火ならすぐ起こせるよ、ぼく」

 トリがにっこりと笑って、乾いた木の枝を拾った。

「おいトリ、やめと……」

 ノナが止めるが、間に合わない。トリは木の枝をポンと上に投げて――指から黒く長く鋭い爪を生やし、切り裂いて細かく砕いた。

「っ?!」

 驚きで声も出ないアガサの目の前で、あまりにも素早く砕かれた木片は摩擦熱で燃え始める。

「ね?」

 獣のような爪をむき出しにしたまま、トリは無邪気にアガサに笑いかけた。

「は、はぁー……山の妖怪さんってのは、やっぱり、怖いもの持ってるんだねえ……」

 山村に住むアガサは、獣に対する恐怖がどうしても強い。蝶を使うような不思議は妖怪だからと受け入れられても、熊のような爪を見るとどうしても身がすくんでしまう。

(犬じゃなくて子狼だったかね?)

 山火事にならないよう火種のまわりをまあるく空けて、火には枯れ枝を放り込んで、アガサはふうと息を吐いた。ポンポンと服のすそで汚れた手を払ったとき、ポケットにさっき拾った丸いものを入れていたのを思い出す。

(さて、何だろうね)

 燃え始めたばかりのたき火に、アガサはそれをかざしてみた。それは、炎にも似た赤い不透明な石だった。

「これ……アーティに前あげた飾り玉じゃないか!」
「アーティ?」
「あたいの幼馴染なんだよ。この辺り、アーティの狩り場なのかね。なら、そう村から遠くないはずなんだけどねぇ」
「……そのアーティって、どんな男なんだ?」
「え? そうだね、真面目な男だよ」

 思いのほかノナが食いついてきたので、アガサは面映ゆい気持ちでアーティの事を話す。

「家が隣でね、あたいは小さい頃は体が丈夫だったもんだからよく男どもと一緒に遊んだよ。その中でも一番張り合ってたのがアーティだった。可愛い子だったよ、昔は。あたいが大きくなって出るもん出てくるようになってからは(言いながらアガサは自分の胸を持ち上げてみせた)、走っても敵わなくなるし、色気付いて『女のくせに転んで怪我したらどうするんだ』なんて言うようになっちまってね! 乳飲み子の頃から一緒なのに女も男もあるもんか。でも、すぐに弓の練習始めてたし、あたいはあたいで計算なんか大おばばから習ってたから会う暇もなくなってね。気づいたらアーティのくせにあたしより頭二つも大きくなって可愛くないのさ」

 アガサは小さい頃のアーティを思い出して手を組み合わせた。今は男らしい顔つきになったが、昔は本当に可愛かったのだ。

「……で、色々あって今度結婚するのさ。女に何を求めてるんだか、アーティが他の女との話を全部断っちまって、あたいしか残ってなかったんだ。まあ、年が一番近いし妥当なところだね。結婚なんてぴんと来ないけど、家も長い付き合いだし、お義父ちゃんお義母ちゃんも家族みたいなもんだからねえ。あ、でも、アーティはあたいと二人の住む家をわざわざ建ててもらうって言ってたっけ。『邪魔が入らないように』なんて言ってたけど、そんなもの来やしないって」

(話しすぎたかね)と後から恥ずかしくなって少年たちを見ると、トリは全く話を聞かずに炎に手をかざしていて、ノナは微妙な顔をしてアガサを見ていた。

「……まあ、何というか。アーティって男には同情するよ」
「ええっ?」

 意味が分からず、アガサはまたまた首をかしげた。

「……まあ、こんな美人なら不安にもなるか」
「なんだい、褒めたって今のあたいは何もあげられやしないよ?」

 言うと、妖怪は「そうだね」とため息をついた。

「そういえば、あんたたちを引き止めちゃったかね、あたい。夜さえ明けりゃ何とか帰れるから、あたいの事は放っておいてもらって構わないよ。獣が出ても火がありゃなんとかなるだろうし」

 アガサは松明に似たものでも作れないかと長い枝を見回して探した。油と布があればもっと良いのだが見つからなくとも仕方がない。

「……道が分からないのに、明ければ帰れるのか?」
「うんにゃ、狩り場なら、そこらの幹にあちこち狩人は印をつけておくのさ。明るくなってあたりを全部見ていけば、道が分かる印がついてるだろうからね。暗い中見ていくと見逃すからね、おとなしく朝を待つさ」
「そうか。なら朝まで気をつけろよ。……トリ、行くぞ」
「えー、もう?」
「腹減ってるだろ。物探しに行くぞ」
「むー……分かった!」

 ぴょんと跳ねて立ち上がったトリは、「ばいばい」とアガサに手を振る。その手からはちゃんと爪は消えていて、アガサは人間にするように手を振り返した。

「じゃあね、ありがとうよ!」

 ノナの方は、さよならも言わず手も振らなかった。ただ全身が、アガサを持ち上げてくれた黒い蝶の群れに変わると、飛び去っていく。トリは最後まで手を振りながら、こちらはドロリと溶けたように輪郭を失い、黒い水となって流れていく。すぐに二つの異形の姿は、闇に紛れて見えなくなった。

「……お人よしな妖怪さんたちだったねえ」

 妖怪は人ではないし、そもそも妖怪なんてものを初めて知ったアガサには比べるものがない。とはいえ、ただ岩穴から助けてくれて火まで起こしてくれた妖怪たちはお人よしとしか思えなかった。アガサは妖怪たちの消えた方に手を合わせてから、のんびりとたき火を守り続けた。



 しかし、不思議なことに、いつまで経っても夜は明けなかった。それどころか、十回ほどもたき火に枝を足し、ちょっと周りに石を積み上げて風よけを作り、少し遠くに歩いて、やっと太い枝を持って帰っても、月すら北極星のように、ぴたりとも空の一点から動こうとしなかった。
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