1 / 22
01*これが罰なのかな
しおりを挟む
「はぁ、はぁ、はぁ……うっ!」
赤い着物の少女は石につまずいて大きく前のめりに転んだ。足首をひねってしまう。今転ばなくても、履き物もなく足袋で広いお屋敷の砂利だらけの庭を走り続けるのは限界だった。
「う、ああっ、おやか、た様、」
うめく彼女の後ろに追っ手が迫る。
「あそこだ!」
「絶対に逃がすなよ!」
「死んでたって顔が分かりゃあいいんだ!」
少女は力なく首を振った。そんなことは、させてはいけない。
暗い瞳に蘇るのは、たった十分前、屋敷を襲撃されたと気づいた時の「お館様」の言葉。
『こういう時の為のお前だ。椿、早くその「襟巻き」を巻いて、私の身代わりになれ』
襟巻きという名の首輪は、今もしっかりと少女――椿の首に嵌まっている。しかし捕まれば、身代わりなど簡単にばれてしまうだろう。
「申し、訳、ありません、お館、様」
椿は震える手で、着物の合わせから古びた木製の札を取り出す。札にはぐにゃぐにゃとした文字が墨で描かれていた。
「つばきは、役たたず、の、悪い、子、でした――ぐぅなるぬぅ」
震え声は急にかき消えて、どろりとした声が喉の奥から流れ出す。
「ああや、ろうやあ、まぁかるぅしき、ぬぅらるまぁのろぅ、のろぅ――」
木の札がかたかたと震え、そこから闇が噴き出した。
「何だあれは?!」
「呪いだ! 何か唱えてるぞ!」
「早く止めさせろ!」
「――きゅうきゅうにょまりしぃてん」
闇が彼女を包みこむ。一瞬後には、黒い大蛇の形をとり、頭をもたげ、ずるずると這い出した。大きく、大きくとぐろを巻いて、慌てふためき逃げる男たちも、屋敷も、全て飲み込んでいく。
「『つばきは、おやかたさまを、呪いません。つばきは、自分の命だけを代償に、します』――」
何万回と唱え続けてきた誓いの言葉を口にして、蛇の尻尾を口に咥えて。
巨大な渦の中心で、少女は静かに息絶えた。
そのはずだったのに。
「――えっ?」
気づけば椿は暗い部屋でふかふかのベッドに寝ていた。
「なんで、わたし、なんで――いき、てるの?」
飛び起きた拍子に、ベッドから柔らかい絨毯の上に落ちてしまう。柔らかな布の多いスカートを履かされていたせいか、脚がもつれて尻もちをつく。
「から、だ、重い、」
うまく話せない。全身に違和感がある。
でもそんな事はささいな事だった。
「――わたし、失敗、した? お館様を、お助け、できなかった?」
あの呪いの代償に、死ぬはずだったのに。
だからあそこで、死ななければいけなかったのに。
「そんな、わた、わたし、どうすれば、お館様は、どうか、ご無事、で、」
手探りでつるりとした硝子に手をつき、なんとか立ち上がる。
「ここ、は、どこ?」
滑った指が何かを押す。
ぱちん。鏡台の灯りが目の前で灯り、豪華な屋敷の一室と「椿」の姿を映し出した。
「――ひっ」
特徴のない黒目とおかっぱの黒髪が映るはずの鏡に映し出されたのは――ぞっとするほど青い目、貝の粉をまぶしたような長い真っ白髪、そして、そこから突き出た、鬼を思わせるゴツゴツとした暗い緑の角、だった。
「ば、ばけも、の――「あれ? あたし、どうして起きて……」!」
驚きで言葉を失った少女の口が、勝手に動いた。勝手に身体を動かそうとする。慌てた椿は腕を胴に巻きつけて身を固めた。
「だ「れ?」!」
二つの声が喉の主導権を奪い合う。二つのバラバラな動きが身体を軋ませる。うまく息すらできない。苦しくなって椿が力をゆるめると、もう一人が「はぁ、はぁ」と息継ぎをした。
(一つの体に、二つの意思がある――?)
やっと体に息が回る。椿と、もう一人は、その息をたまたま同時に吐き出した。大声で。
「「きゃあああああああああっ!!!」」
「どうなさったのですかお嬢様っ?!」
「「どうしたのキャメル?!」」
「何があったの?!」
「カメリア?!」
「敵襲か!」
「キャメちゃん?」
「何の騒ぎじゃっ!!」
「誰か! 起きなさい! お嬢様が!」
「何だ何だ?」
……直後、屋敷中から様々な人の叫び声が響いた。それはもう、少女の悲鳴をかき消すほどに。
赤い着物の少女は石につまずいて大きく前のめりに転んだ。足首をひねってしまう。今転ばなくても、履き物もなく足袋で広いお屋敷の砂利だらけの庭を走り続けるのは限界だった。
「う、ああっ、おやか、た様、」
うめく彼女の後ろに追っ手が迫る。
「あそこだ!」
「絶対に逃がすなよ!」
「死んでたって顔が分かりゃあいいんだ!」
少女は力なく首を振った。そんなことは、させてはいけない。
暗い瞳に蘇るのは、たった十分前、屋敷を襲撃されたと気づいた時の「お館様」の言葉。
『こういう時の為のお前だ。椿、早くその「襟巻き」を巻いて、私の身代わりになれ』
襟巻きという名の首輪は、今もしっかりと少女――椿の首に嵌まっている。しかし捕まれば、身代わりなど簡単にばれてしまうだろう。
「申し、訳、ありません、お館、様」
椿は震える手で、着物の合わせから古びた木製の札を取り出す。札にはぐにゃぐにゃとした文字が墨で描かれていた。
「つばきは、役たたず、の、悪い、子、でした――ぐぅなるぬぅ」
震え声は急にかき消えて、どろりとした声が喉の奥から流れ出す。
「ああや、ろうやあ、まぁかるぅしき、ぬぅらるまぁのろぅ、のろぅ――」
木の札がかたかたと震え、そこから闇が噴き出した。
「何だあれは?!」
「呪いだ! 何か唱えてるぞ!」
「早く止めさせろ!」
「――きゅうきゅうにょまりしぃてん」
闇が彼女を包みこむ。一瞬後には、黒い大蛇の形をとり、頭をもたげ、ずるずると這い出した。大きく、大きくとぐろを巻いて、慌てふためき逃げる男たちも、屋敷も、全て飲み込んでいく。
「『つばきは、おやかたさまを、呪いません。つばきは、自分の命だけを代償に、します』――」
何万回と唱え続けてきた誓いの言葉を口にして、蛇の尻尾を口に咥えて。
巨大な渦の中心で、少女は静かに息絶えた。
そのはずだったのに。
「――えっ?」
気づけば椿は暗い部屋でふかふかのベッドに寝ていた。
「なんで、わたし、なんで――いき、てるの?」
飛び起きた拍子に、ベッドから柔らかい絨毯の上に落ちてしまう。柔らかな布の多いスカートを履かされていたせいか、脚がもつれて尻もちをつく。
「から、だ、重い、」
うまく話せない。全身に違和感がある。
でもそんな事はささいな事だった。
「――わたし、失敗、した? お館様を、お助け、できなかった?」
あの呪いの代償に、死ぬはずだったのに。
だからあそこで、死ななければいけなかったのに。
「そんな、わた、わたし、どうすれば、お館様は、どうか、ご無事、で、」
手探りでつるりとした硝子に手をつき、なんとか立ち上がる。
「ここ、は、どこ?」
滑った指が何かを押す。
ぱちん。鏡台の灯りが目の前で灯り、豪華な屋敷の一室と「椿」の姿を映し出した。
「――ひっ」
特徴のない黒目とおかっぱの黒髪が映るはずの鏡に映し出されたのは――ぞっとするほど青い目、貝の粉をまぶしたような長い真っ白髪、そして、そこから突き出た、鬼を思わせるゴツゴツとした暗い緑の角、だった。
「ば、ばけも、の――「あれ? あたし、どうして起きて……」!」
驚きで言葉を失った少女の口が、勝手に動いた。勝手に身体を動かそうとする。慌てた椿は腕を胴に巻きつけて身を固めた。
「だ「れ?」!」
二つの声が喉の主導権を奪い合う。二つのバラバラな動きが身体を軋ませる。うまく息すらできない。苦しくなって椿が力をゆるめると、もう一人が「はぁ、はぁ」と息継ぎをした。
(一つの体に、二つの意思がある――?)
やっと体に息が回る。椿と、もう一人は、その息をたまたま同時に吐き出した。大声で。
「「きゃあああああああああっ!!!」」
「どうなさったのですかお嬢様っ?!」
「「どうしたのキャメル?!」」
「何があったの?!」
「カメリア?!」
「敵襲か!」
「キャメちゃん?」
「何の騒ぎじゃっ!!」
「誰か! 起きなさい! お嬢様が!」
「何だ何だ?」
……直後、屋敷中から様々な人の叫び声が響いた。それはもう、少女の悲鳴をかき消すほどに。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
旦那様、離縁の申し出承りますわ
ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」
大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。
領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。
旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。
その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。
離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに!
*女性軽視の言葉が一部あります(すみません)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる