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海坊主妖刀造り

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【いもむしは胴までお目々みひらいてみかんばたけを呪いつづける】





「さあてさて、となったらまずは大物獲らなくっちゃね!」
「……なるほど、君が私に求めているのはこういう事か」

 少女スペクター・レディが私をまず連れてきたのは、かの白洲川が流れ込む海の際だった。浪漫ロマンスをお求めの方には大変申し訳ないが、次なる美食を狩る為だ。
 裸足では怪我をしそうな岩場には荒く激しい波が叩きつけ、飛び散る海飛沫に惑わされたかのように空は薄暗くなってゆく。無意識にとんびインバネス調のコートを掻き寄せていた事に気づき、私は「ふふ」と声を漏らす。

(目に映る景色に引き摺られていたらしい)

 実際、真冬の夜の海辺が寒くないはずがない。しかし、今の私の身体はほとんど全く寒気を感じることがなかった。
 異物なる身体も悪くないものだ。

 少女は高下駄で器用に暗い岩場を歩く。とうに日は沈んだというのに夕陽ブレイズのような輝きは健在だ。

「それで、次は何を?」
「海坊主。知ってるかしら、暗海にぷっかり浮かぶ幻の影」
「……いつ手に入れた知識か心当たりが無いが、知っているらしい」

 私の脳裏には既に、彼女の狙い定めたるものの姿がありありと浮かんでいる。
 大波よりも盛り上がった海が丸い頭のように膨れ、船を壊しては篝火かがりびを消す。和の国の妖怪。祖国で聞く海の怪物クラーケンと似た存在だろう。荒海を恐れる心が創り出した妖怪。
 だ。
 彼女にとって同種とも食いは特別なことではないらしい。

「馬鹿力だからなかなか狩れないの。でも美味しいわ、期待していて」
「楽しみにしておこう……」

 私は憂い息をいて、己の筋肉を確かめる。手先の器用さばかりが自慢の医者サージョンだ。頼りになるだろうか?







【もう二度と怯えて服は選ばねぇそのために何だってするから】





「さてジャック、準備はできた? ……」

 波打ち際に仁王立ちして少女は私を振り返る。そして吹き出す。「準備」を終えた私の姿が面白かったらしい。

「……やれと言ったのは貴女だろう?」

 たっぷり時間をかけて笑った少女は、謝る代わりに「じゃ行くわよ」と海へ向き直った。
 何をするのかと思えば、彼女は、とん、と宙に跳ねて、手を口の周りに構え、

「……やぁい出って来ーい、こっののっ坊ーーーっ!」

 細身のどこから出したのかという律動的リズミカルな大声で何も見えぬ海原を挑発したのだった。

 空が震える。
 地が震える。

 彼女を前に、後ずさるかの如くに震えて、円き声の波紋を沖まで広げてゆく。
 遥か遠くまで声がすうっと沁み通れば、海面は不気味なほどに静まり返る。
 いや。奇妙だ。引き潮の勢いが強すぎる――

 ――と海が持ち上がった。

 冷気が陸へと押し寄せる。波が面紗ベールのように幾重にも重なったまま、群れ、もつれ、波打ち重なり合い、鯨よりも大きな頭をもたげた。
 黒々とした潮水の塊が、宙へと浮き上がる。
 神性。
 死を知らぬ頃の私ならば、そのような幻想デリュージョンを感じたかもしれない。それほどまでに威厳ある光景だった。
 闇夜に残るかすかな光を食んで震える塊から翼のように波が突き出す。少女レディへと襲いかかるのはまごう方なく、怒りの形だ。私が画家ならば残り数秒の命としても、迷わず筆を手にしただろう。
 そして私は画家ではない。
 海藻と砂とで隠していた身を彼女の前へさらけ出し、力の限り網をすばかりだ。







【ヘアピンをピアスを鍼を磔りつけた体に挿して差して刺して】





 すり抜けるはずの荒波に、と網が絡みつく。細かな波が自在に網目を絡め取り、吸盤のように貼り付いて離さない。
 近くの漁師小屋から拝借したものだ、すぐさま千切れるようなことはない。しかしまあ、恐ろしい力だ。

「あぁらあら! すが海の成り上がり。王様ぶるの板についてるぅ」

 少女は私の後ろから顔を覗かせて揶揄からかうように挑発を続ける。

(この巨体の化け物に口先の挑発が効くのか?)

 その答えは、まさに手応えとして現れる。

「っ……効くのか」

 松の樹と私の体とを命綱で繋いでいなければ、一発で体を持っていかれただろう。
 引き絞られた筋肉が早くも痙攣クランプを始める。非力を嘆く気にもならない。
 りながら私は笑う。呼応するようにまた彼女も笑った。

「……ねえジャック、身体で理解できたでしょ? それとも、もうっと教えて欲しい?」
「いいや、親愛なる先人ディア・マイ・メンター。骨身に沁みて理解した」

 理解した。

 外科医ながら見当違いにも程があった。寒気もろくに感じないこの身体が、筋肉によって動いているなどと。
 そもそも私の生前の筋力では、ここまでの網引きもでき得ない筈だった。屍体カダヴァならば尚更。
 たかが海水がもつれて骨と筋とを作り、それを以て獲物を引き摺り込むというのなら。只人の屍体が人ならざる力で打ち勝って何が悪いのか。

 関節を外す感触。
 筋を千切り、腱を断つ感触。
 嗚呼、可能だ。只人の屍体にこの力を発しているのは紛れもなく、この私の身体だ。
 ローストチキンの骨を外すより容易く翼を引き裂く。
 紳士たるもの、いかなる時も紳士たれ。一度ひとたびマナーの異なる世界に降り立てば、誰よりも早くそれを察して肉塊にさえ食らいつくのだ。







【「落ちるなよ」もうふ蛹室へやも使えない路上の子らの決死の夜来る】





「っ!」

 ぎりり。
 半ば以上を裂かれたというのに、潮の翼が急に引力を増す。砂に沈んだ足が引き摺られる。波の羽が腕に絡みつく。
 認識イメージが鮮烈になれば、実態を得て強化されるのはお前も同じか。

 恐らく彼女の言葉一つ一つにも認識が籠っているのだろう。挑発だけが目的ではなく、あの言葉が絶えずこの怪物を弱化しているのだ。そこへ私の認識が、怪物モンスタァ、というその言葉が勢いを与えてしまった。
 腱が。あと一本の腱さえ外せば、確実に引き離せる。それが分かる。それなのに、その未来にあとわずか思いが及ばない。

(もしこれが手術オペならば――)



 その時だ。収めていたはずのメスが、つるりと腰から滑り出た。

「っーー」

 拾い上げる余裕など無い。
 拾い上げる必要もまた、無かった。

 流れるような軌跡を描きながら、メスが動く。触れられもせずに浮き上がり、触れてもいないのに、そこへと動いてゆく。
 そして、腱を滑らかに斬った。


 張り詰めた力を失った巨球が一気にどろりと崩れる。重力を思い出したかのように、波をふるい落とし、海水へと還って落下する。水柱が上がり、何かが泳ぎ去るような音はしたが、数刻を過ぎれば気配すらも感じ取ることは叶わなくなる。静寂だ。凍ったような水面。

「――実に簡単な断足術オペだった」

 疲労を抑えて静寂を破る。今にも崩れそうな波の形をして、海月くらげのごとく滑る翼を、私は腕に深く抱えていた。満足そうに少女は微笑む。



 さて、残るはこのメスだ。
 お前に一体何が起きた?







【ショック死のさなぎどうしてお前らはそこまでしても変わりたかった】





「妖刀化、しちゃったのかな」

 少女は首をこくりと傾げた。首に手をやる。

「喉なんて切ったから。このあたしの喉を」
「君の喉を切った、妖刀になったと?」
おっそろしいあやし怪しなばけものを突っ切ったのよ? 化けもするわよ」
「恐ろしいばけもの、か」

 私は知らずのうちに口の端を吊り上げていたらしかった。気づいたのは彼女がぷっくりと頬を膨らませてからだ。

「ちょっと君、見た目で判断しないでよ。あたし怖あい妖怪なのよ~?」

 手首を揺らして、この国で「お化け」を意味する仕草ジェスチャをしてみせる姿は残念ながら愛らしい。紳士的に今度は笑みを押さえ込んだ。

「覚えておこう。……それにしても、とんだじゃじゃ馬の誕生だな」
「恐ろしい切れ味だよね。……ねえジャック、ちょっとこの刃で造ってみない?」
「造る?」







【さなぎ粉を食った魚の粉を食い育つ枝から知識の果実】





 刺身。魚などを生のまま捌き、技術をもって切り分けるその料理を、「お造り」とも呼ぶのだそうだ。

「私にそんな技術は無い」
「でも貴方、肉を切るのは得意でしょ。それにこの刃もやる気みたいよ?」

 鞘袋の中で、メスはカタカタと音を立てて震えていた。革を突き破りそうな勢いだ。

「……嗜みの無いことだ、文句は受け付けないよ」

 どうやら彼女の言葉には他者をその気にさせる力があるらしい。数奇チェッカー奇妙ストレンジ興味深いファシネーティング
 静かに柄を指に張りつける。刃先まで神経の通ったような感覚がする。どれだけ細やかな切開を求められようが、今なら叶えてみせるーー元より、そう思わずして人など切れない。
 できる。私はメスを引き抜いた。

「では、かぶこうか」




 切れる。肉から蕩けだす液状の油を潤滑剤に、刃は水流に乗った魚のように自ら肉を断ってゆく。骨も筋も見えないが刃先には繊維の感触がある。そこをうまく捌き断ち開いてゆく。時折少女の助言が入る。それを完璧に指先に落とし込む。薄く、余さず、上品に。何かが私の魂に憑依したかのようなひと時だった。

「……完璧ね。大海坊主の汐衣しおごろも、一丁上がりよ! さあ召し上がれ」
「……造ったのは私なのだが」
「教えたのはあたしだもんねー、良いじゃない。それより早く食べてみようよ」

 何故か空に刹那、目をやって少女は言う。

(……さて)

 私は微かに躊躇った。生魚ローフィッシュを食した経験は無い。活け造りと思えば鮮度に心配は無いが、これは魚ですらない。

「頂こう」

 メスの背に透ける身を載せ、私は口へ運んだ。

「っ!」

 滑らかな断面が貼り付き、塩気の強い脂が口内にまとわりつく。と思えば、じわじわと口内を侵し、頬へ、首へ、脳へと浸み出す。パンに染み込むバターのように、撫でられるような優しさで蕩けてゆく。意識を保とうと前髪をひっ掴めば、掌までもに染み込んだ。

「っはぁ、はぁ、はぁ……」
「溶け方がたまんないのよ、これだから……うーん、いい切り方したじゃない」
「ああ……光栄、だね……」

 息を忘れる快感。流木の上に深く座っていて正解だった。腰が抜けている。

「干しとくと、まぁた味わいが変わるのよ」
「干魚か」
「そうそう、だからしばしお預け」

 一反木綿の端切れと竹の皮でくるりと残りの切り身を包んだ少女は、ふ、と口を緩ませた。

「本当はも少し食べてたいけどね、そろそろお後がよろしいみたい」

 彼女が指さす方へ、私は何気なく目をやった。



「……嗚呼ああ

 山の輪郭が、うっすらと色づいていた。
 緑の閃光が一瞬、目を灼く。そして――







凍蝶いててふの半歩う乗り出して夜分やうやう年越してゆく】





 一瞬のうちに光が全てを染め上げた。白黒モノトーンの岩場に影が生まれる。あらゆる凹と凸が意味を持つ。命が私の耳元で囁く。

「ほら夜明け。年を越えたのよ、貴方。明けましておめでとう、なんてね?」

 やはり彼女には朱い陽が似合う。
 1890年1月1日。死後初めての日の出パスチュマス・ファースト・サンライズだった。
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