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ラヴリィ・ラヴリィ・リリー@アパートA一室
らゔりり⑷
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「何……で……なんで。どうして、あいつが。私が、リコが、こんな目に遭わなきゃいけないのっ」
郵便受けに入っていた紙を見て、雪佳は錯乱していた。叫んだと思えば怯えて縮こまる。
「あの、誘拐犯っ! 違う、あいつはもういない筈でしょ、だって、捕まった……はず……」
「誘拐犯?」
「捕まったの! だから、もうリコが狙われる訳ないのに……どうして、なんで、なんでなの、どうしてよ、ねえどうして?」
「落ち着け」
額に冷たいものを押し当てられて、雪佳ははっと我に返った。
「アイス……」
氷の代わりに氷枕として虚宮の上に載せていたチューブ型のアイスだった。かなり溶けてしまっている。
「まずはそれでも食って落ち着けよ。まだ8時にもなっちゃいない、何も逃げやしねえって」
雪佳は、ふいに虚宮に抱きついて泣き出したくなった。大して知らない、男子なのに。……ぐっと衝動を堪えて、虚宮の手からアイスを受け取ると、取っ手のところをひねる。
「じゃ、じゃあ、これ二本セットだから、虚宮くんも」
「! ……サンキュ」
ドロドロに溶けたフローズンスムージーはそれでも案外美味しかった。ゆっくり飲む雪佳に対し、虚宮は頭がキーンとしないタイプなのか一気に吸い上げる。
「頭回すにも糖分要るよな。単純にまだ暑いし。ま、分かってることまとめてみな」
「分かってること……うん、やってみる」
雪佳はちびちびとアイスを飲みながらなんとか言葉を紡ごうとした。
「その……さっきの紙、は、犯人の書いたもので間違いないと思うの」
「なんで?」
「『リリー』って……呼んでた、から」
「……そうか。……君たち姉妹に、一体、何が起きたんだ?」
「……何が起きそうだったのか、私にも分からないの。分かってるのは、犯人が最悪な……サイコパスの変態で、多分、リコの脚を狙ってたって事。リコの事をこ、殺そうとしてた。それで、誘拐まで、して……で、でも、犯人は、ギリギリのところで警察に捕まったはずなの。リコも無事だった」
「はず?」
「あ……ううん、ちゃんと捕まった。捕まった……から、こんな事あるはずない……」
記憶が曖昧になっているようで、雪佳はふるふると、ただ頭を振った。脳が嫌な出来事をはっきり思い出すのを拒否しているのかもしれない。
「……ごめん、これ以上詳しくは、ちょっと……」
「てことは、狙われてたリコってお前の姉なのか?」
「えっと……そ、そう……私の、たった1人の姉妹」
雪佳は胸の前で手を合わせた。
「犯人の人相とか覚えてるか?」
「ううん……大柄だった気はするけど、ずっとフード被ったり仮面をしたりしてたから……」
「いつ見たんだ? それ」
「え?」
何を聞かれているのか分からず雪佳が首を傾げると、「……まあいいか」と虚宮は頭に手をやった。
「んで、その状況から、なんで君と俺が巻き込まれたんだ? 君の姉だろ、真っ先に狙われるのは」
「そ、そんなの、知りたいのは私の方だよ……虚宮くんは、何か知らないの?」
「一切合切何も。そんな事件の存在も知らなかった……ただ、いくつか想像はつく事があるけどな」
「……何?」
「まずは、犯人について。酒瓶だの紙切れだの見つけてただろ、あれは多分他の犠牲者からのメッセージだ」
「ほ、他の犠牲者……?」
虚宮は小さい紙片を取り出すと並べた。部屋のあちこちで見つかっていた紙だ。雪佳の見つけていたものと合わせる。
「『み』『ぎ』『て』『を』『か』『え』『し』『て』……っ!」
「コイツは右手を奪われた。それから、こっちの札の『UNWISH YOU』って事は、これを記した奴は物理的な仕返しを考えられない体の状態になってる可能性が高いな。それと酒瓶の方は……エフェボフィリアって知ってるか?」
「えふぇぼ……?」
「知らないならそれでいい、いや知らなくていい。ただこのメッセージから言えるのは、犯人は男で、被害者は皆、学生だって事だ」
何故か途中から早口になって言い切ると、虚宮は小さく息をつく。
「そして、郵便受けから出てきたあの腕、というか液体、多分主成分は化粧品なんかの……うん、大方パラベン系だな」
「け、化粧品の、何?」
「人体に害が少ない防腐剤って事」
「え……」
虚宮は光のない目を静かに雪佳に向ける。
「学生を狙い、体の一部を奪う異常犯の存在。そして、人間用の防腐液のプールに俺たちは沈められてる。その意味、言わなくても分かるよな?」
瓶詰めにされてピンクの液体の中に浮かぶ、自分の脚。そんなものを想像してしまい、雪佳はぶるりと身を震わせた。
「アイス溶けるぞ」
「あ……う、うん……」
虚宮は、雪佳より色々見えていそうなのに、怖がる様子ひとつ見せない。
(うう、私、年下の前で取り乱してばっかり……)
自分が不甲斐なくなると同時に、雪佳はちょっと考えてしまう。
(虚宮くんは、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう)
「ねえ、虚宮くんの事も聞いて良ーー」
その時、遠くから音楽が流れてきた。いつも夕方に流れる「夕焼け小焼け」だ。それと同時に、スピーカーで流したような放送が聞こえてくる。
◇
ーー大変お待たせしました。8時、工事が無事に終了しました事お知らせ致します。これより排水を行いますーー
◇
濁流が流れるような凄まじい音が、窓の外から響き始めた。
「な、何、この音」
「『排水』だろ。……ほら」
虚宮が窓の外を指差す。
「!」
窓の上端から、青い空が見え始める。窓の外を満たしていたあの液体が、ゆっくりと下へ流れ落ち始めていた。
「……消えた……」
目に痛いショッキングピンクの液体が全て下に消えていくまで、雪佳は呆然と外を見ていた。
「外の景色に違和感は?」
「ううん、無い……いつもの景色だよ」
それから、ハッとして虚宮の方を向く。
「ね、ドアが開かないの、水圧のせいって言ってたよね」
「あ? ああ」
「じゃ、今は、開くって事?」
「そう……なるな、多分」
「じゃあ、出られるよね!」
雪佳は顔を輝かせて、玄関に走った。
ドアの覗き窓から外を見れば、あちこちに少しあの液体が付いているものの、それ以外は見慣れたアパート前の光景だ。雪佳は内鍵を掛けていないのを確認して、そっとドアノブを回し、ゆっくり開けてみる。
ドアは、軽い感触で開いた。細く開いたドアの隙間から外の陽が射してきて、雪佳は顔中に喜びを浮かべる。
「虚宮くん、出られるよ!」
そして振り返ってーー
「そうか、そりゃ良かった。ところで……忘れてるぜ、このカギ」
「……!」
照明のカバーの中に入っていた、小さな、オモチャみたいなカギを、いつの間にか虚宮が持っていた。
何故か心がざわつく。
チャリ、という小さな音が、雪佳をまた密室の中に連れ戻そうとしていた。
「そ……そんなカギより、開いたんだよ、ドア。外に出られるよ、今なら」
「それはさっき聞いた。それで、出れたらどうするつもりなんだ?」
「え……?」
「警察にでも行くか? 何て言うつもりだ? いや、そもそも、窓の外全体があの液体に覆われてた事を考えてみろよ。この部屋を出れば変な現象が終わると思ってるのか?」
「それは……」
虚宮は怒った様子ではなかった。ただ真剣な様子で、淡々と雪佳に問いかけてくる。
「さっき郵便受けから……外から、あの腕は襲ってきた。さっきまでの状況を考えれば出たいと思うのは分かるが、外の方がむしろ危険だったよな?」
「っ……じゃ、じゃあどうしろって言うの。こんな所にずっといろって? そんなの嫌だよ」
雪佳は首を振った。
「そうじゃない。ただ……」
「虚宮くん、変だよ。まるで私を、この部屋に閉じ込めておきたいみたいに……」
自分で言った言葉に、雪佳は自分でハッとする。そんな事を考えていたとしたら……あの誘拐犯とまるで同じだ。
(まさか、虚宮くんが……犯人?)
信じられない考えに、雪佳は一歩虚宮から離れて、その姿を見返す。
記憶にある犯人は、ずっと大柄で大人の男にしか思えなかった。でも、服などで大柄に見せることはできるかもしれない。何より雪佳は、犯人の顔を知らない。
(ずっと、知らんぷりして、私と同じ部屋にいた……? 私を騙して……)
心臓の音がうるさくて、何か訴えかけてくる虚宮の声が耳に入らない。信じられない。雪佳は、もう一歩後ろに下がって……その手が、ドアノブを掴む。
(素早く出て、走れば、逃げられるかも)
そこまで走りに自信はないが、雪佳が思いつけたのはそれだけだった。助けを求めようにも、スマホはリビングの米袋の中だ。
(やるしかない……)
雪佳は、ぎゅっと後ろ手にドアノブを握りしめた……まさに、その時。
ガァンッ!
部屋中に硬いもの同士を叩き合わせるような音が響いた。
「ひっ!!!」
「あ、悪い悪い。驚かせたか」
見れば、虚宮が、手に手錠を握って、バスルームに続くガラス戸を殴りつけていた。脅すため……にしては、あまりにもあっさりとした口調だ。
「んー……力技じゃ割れなさそうだな」
「ちょ、ちょっと! 何して……」
「だから、ここのカギも開けてないだろ。いくつか数字入れてみたけどダメだったんだよ。ここを確認するまでは、この部屋の外は安全かとか俺には判断できない。というか、別に急ぐ必要も無いだろ? 結論を出すのは、全部確認してからでも遅くはない。それで何もなきゃ、さっさと出る。俺も女子の部屋にカンヅメはちょっと世間体がヤバい」
言いながら虚宮は、今度はドアの枠を掴んでガタガタと揺らす。ドアをそのまま外せないか試していたようだ。
「せ、世間体って、そもそも女子のベッドに寝てたのに」
「俺の意思じゃないし……いややっぱりアウトか? さっさと出ないとマズいな尚更。そういうわけで開けって」
その言葉に、雪佳は全身の緊張が解けてしまった。
(やっぱり……虚宮くんが犯人だとは、思えない。もう少しだけ……この部屋に居よう)
雪佳の警戒をすっかり解いてしまった虚宮は、体当たりしたり何か工具のようなもの(雪佳の部屋には無かったはずだ)を隙間に使ったりしているが、ドアはびくともしない。
「これも無理か。やっぱりこういうドアって無駄に保護されてるよなー。んー、ダメ元でテープ?」
「ねえ、なんでそこまでするの……?」
「ん? 『なんで』って言われてもな」
虚宮は雪佳の言葉に、首をかしげた。
「気にならないか? 単純に」
「『気になる』って……嘘、それだけ?」
「ま、目の前でバッドエンドに進まれるのを見殺しにするのも嫌だしな」
「ば、ばっどえんど???」
「俺の目が黒いうちは君を守るつもり、って事」
雪佳は、顔を真っ赤にして硬直した。とてもとても幸いなことに、ドアのすりガラスにセロハンテープを貼り始めていた虚宮は雪佳に背を向けていて、気づかれる事は無かった。
________________
その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は存在しません
________________
◇◇◇
「はい無理知ってた」
「虚宮くん、何してるの?」
「すりガラスって、セロハンテープ貼ると向こうが見えるようになるんだよ。表面がデコボコしてるから光が散って見えないだけで、隙間をテープで埋めてやれば多少光が通るようになる。……今回は、反対側のガラスもデコボコだから結局見えないけどな」
虚宮がテープを貼った範囲は、他と比べればはっきり見えるものの、何があるか確認まではできない。ただ、ぼんやりと壁に赤い色が広がっているのが見えた。
「んー……」
「どうするの?」
「策は一応あるけど、やりたくないんだけどな……」
「というか、そもそも、数字錠の方をなんとかしようという気は……?」
「ない。だって6桁だし。3桁なら全通り試したけど1000000通りとかやってられるか」
「わ、私の誕生日とかかもしれないし」
「そのあたりは大体試したけど無駄だったぜ」
「そう……って、え? なんで私の誕生日知ってるの」
雪佳が驚くと、虚宮は平然とした顔のまま、分厚い本を取り出した。
「これに書いてあったし……」
「え、これ、アルバム?」
それは、雪佳の幼い頃からの家族写真が収められたアルバムだった。部屋の中にあったのかもしれないが、さっきの大捜索で雪佳は見ていない。
「な、なんでこれを虚宮くんが持ってるの」
「さっきベランダで見つけた」
「ベランダ……?」
「外の液体が消えて行けるようになるのは外とベランダだろ」
雪佳が玄関の方に向かった時にチェックしたらしい。
「で、これ錠掛かってたんだよ。それを開けたカギがこれ」
虚宮がまた見せたのは、あのちゃちなカギだった。アルバムについている程度のカギなら、簡単な構造なのも当たり前だ。
「~~っ、待って。勝手にアルバム見たの?!」
「表紙じゃアルバムかどうか分かんなかったし、適当に開けたページが誕生日とか載ってるとこだったんだよ」
「他は見た?」
「……少しだけ」
「ああもう最悪! 返して!」
「……悪い悪い、はい」
雪佳は奪うようにアルバムを取った。虚宮に背を向けて、見られないよう中を確認してみる。
そこには懐かしい写真が幾枚も収められていた。〈1.12雪佳、生後1ヶ月〉〈9.31梨子、ほとんどずっとおねむ〉〈7.7雪佳・梨子、七夕まつり〉……所々に母の字でメモが書かれている。雪佳の誕生日どころか家族しか知らないような事が色々と分かってしまうだろう。
「うう……絶対よだれ垂らした写真見られた……」
「見てないって」
「もう最悪……」
「悪かったってば」
虚宮は雪佳の頭にポンポンと手を乗せた。普段の雪佳なら子供扱いされているようで嫌だっただろうが、今はそんな気力もない。
「……早くこんな所出たい」
「だよな。……よし、ちょっとそこに居て、しばらく動くなよ」
虚宮は手を離して立ち上がると、雪佳から距離をとった。不思議に思った雪佳が顔を上げると、バスルームのドアに背を向けて、斜め上を睨みつけるように見上げている。
そして、口を開いた。
「おい、見てるだろお前。よく聞け、『このゲームをプレイヤーが操作できる状態に戻す為には、俺がゲームクリアしなきゃならない。でなきゃお前も困るだろ? 今から少しだけお前に主導権を渡してやるから、その鷹の目で鍵を開けろ』」
ーーその言葉は、ほとんど雪佳には理解できなかった。
言い終えるや否や、虚宮は脱力したように首をガクリと前に落とした。腕もだらりと垂れ下がる。十秒ほど、そのまま動かない。
________________
操作説明 矢印キーで上下左右移動
Zキーで決定/Xキーで戻る
アイテムは特定の場所でアイテム欄から使用できる(一部のアイテムは自動使用。アイテム説明参照)
________________
「虚宮くん? どうし、」
雪佳に応える事なく、虚宮は急に顔を上げると歩き出した。それも、雪佳から離れたり、左右に短い距離を一直線に行き来したり立ち止まったりと、どこか不自然な動きだ。そして不意に雪佳の方へ近づいて……うつろな目が、雪佳をぼんやりと見た。
「ひっ……」
雪佳は小さな悲鳴をあげてしまう。
人形のような目。雪佳は、虚宮の目を最初見たときそう思っていた。光の灯らない、どこか生気のない目だった。でも今の目は違う。光という意味では、光の灯った目と言えるのかもしれない。しかしその光は、不気味なノイズに見えた。死んだ目なんてものじゃない、ソレが本当に目なのかすら分からない……そんな二つの目が、無表情のまま、瞬きもせず雪佳を見続ける。
「っ……な、何……?」
かと思えば、虚宮? は、すぐに雪佳から離れて歩き出す。バスルームのドアに向かって、例の数字錠を手に取る。その手首には、今度ははっきりと、赤い糸が絡まっているように見えた。
そのまま迷いなく、その手は6つの数字を合わせる。
カチャ
簡単な音を立てて、鍵が、外れた。
郵便受けに入っていた紙を見て、雪佳は錯乱していた。叫んだと思えば怯えて縮こまる。
「あの、誘拐犯っ! 違う、あいつはもういない筈でしょ、だって、捕まった……はず……」
「誘拐犯?」
「捕まったの! だから、もうリコが狙われる訳ないのに……どうして、なんで、なんでなの、どうしてよ、ねえどうして?」
「落ち着け」
額に冷たいものを押し当てられて、雪佳ははっと我に返った。
「アイス……」
氷の代わりに氷枕として虚宮の上に載せていたチューブ型のアイスだった。かなり溶けてしまっている。
「まずはそれでも食って落ち着けよ。まだ8時にもなっちゃいない、何も逃げやしねえって」
雪佳は、ふいに虚宮に抱きついて泣き出したくなった。大して知らない、男子なのに。……ぐっと衝動を堪えて、虚宮の手からアイスを受け取ると、取っ手のところをひねる。
「じゃ、じゃあ、これ二本セットだから、虚宮くんも」
「! ……サンキュ」
ドロドロに溶けたフローズンスムージーはそれでも案外美味しかった。ゆっくり飲む雪佳に対し、虚宮は頭がキーンとしないタイプなのか一気に吸い上げる。
「頭回すにも糖分要るよな。単純にまだ暑いし。ま、分かってることまとめてみな」
「分かってること……うん、やってみる」
雪佳はちびちびとアイスを飲みながらなんとか言葉を紡ごうとした。
「その……さっきの紙、は、犯人の書いたもので間違いないと思うの」
「なんで?」
「『リリー』って……呼んでた、から」
「……そうか。……君たち姉妹に、一体、何が起きたんだ?」
「……何が起きそうだったのか、私にも分からないの。分かってるのは、犯人が最悪な……サイコパスの変態で、多分、リコの脚を狙ってたって事。リコの事をこ、殺そうとしてた。それで、誘拐まで、して……で、でも、犯人は、ギリギリのところで警察に捕まったはずなの。リコも無事だった」
「はず?」
「あ……ううん、ちゃんと捕まった。捕まった……から、こんな事あるはずない……」
記憶が曖昧になっているようで、雪佳はふるふると、ただ頭を振った。脳が嫌な出来事をはっきり思い出すのを拒否しているのかもしれない。
「……ごめん、これ以上詳しくは、ちょっと……」
「てことは、狙われてたリコってお前の姉なのか?」
「えっと……そ、そう……私の、たった1人の姉妹」
雪佳は胸の前で手を合わせた。
「犯人の人相とか覚えてるか?」
「ううん……大柄だった気はするけど、ずっとフード被ったり仮面をしたりしてたから……」
「いつ見たんだ? それ」
「え?」
何を聞かれているのか分からず雪佳が首を傾げると、「……まあいいか」と虚宮は頭に手をやった。
「んで、その状況から、なんで君と俺が巻き込まれたんだ? 君の姉だろ、真っ先に狙われるのは」
「そ、そんなの、知りたいのは私の方だよ……虚宮くんは、何か知らないの?」
「一切合切何も。そんな事件の存在も知らなかった……ただ、いくつか想像はつく事があるけどな」
「……何?」
「まずは、犯人について。酒瓶だの紙切れだの見つけてただろ、あれは多分他の犠牲者からのメッセージだ」
「ほ、他の犠牲者……?」
虚宮は小さい紙片を取り出すと並べた。部屋のあちこちで見つかっていた紙だ。雪佳の見つけていたものと合わせる。
「『み』『ぎ』『て』『を』『か』『え』『し』『て』……っ!」
「コイツは右手を奪われた。それから、こっちの札の『UNWISH YOU』って事は、これを記した奴は物理的な仕返しを考えられない体の状態になってる可能性が高いな。それと酒瓶の方は……エフェボフィリアって知ってるか?」
「えふぇぼ……?」
「知らないならそれでいい、いや知らなくていい。ただこのメッセージから言えるのは、犯人は男で、被害者は皆、学生だって事だ」
何故か途中から早口になって言い切ると、虚宮は小さく息をつく。
「そして、郵便受けから出てきたあの腕、というか液体、多分主成分は化粧品なんかの……うん、大方パラベン系だな」
「け、化粧品の、何?」
「人体に害が少ない防腐剤って事」
「え……」
虚宮は光のない目を静かに雪佳に向ける。
「学生を狙い、体の一部を奪う異常犯の存在。そして、人間用の防腐液のプールに俺たちは沈められてる。その意味、言わなくても分かるよな?」
瓶詰めにされてピンクの液体の中に浮かぶ、自分の脚。そんなものを想像してしまい、雪佳はぶるりと身を震わせた。
「アイス溶けるぞ」
「あ……う、うん……」
虚宮は、雪佳より色々見えていそうなのに、怖がる様子ひとつ見せない。
(うう、私、年下の前で取り乱してばっかり……)
自分が不甲斐なくなると同時に、雪佳はちょっと考えてしまう。
(虚宮くんは、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう)
「ねえ、虚宮くんの事も聞いて良ーー」
その時、遠くから音楽が流れてきた。いつも夕方に流れる「夕焼け小焼け」だ。それと同時に、スピーカーで流したような放送が聞こえてくる。
◇
ーー大変お待たせしました。8時、工事が無事に終了しました事お知らせ致します。これより排水を行いますーー
◇
濁流が流れるような凄まじい音が、窓の外から響き始めた。
「な、何、この音」
「『排水』だろ。……ほら」
虚宮が窓の外を指差す。
「!」
窓の上端から、青い空が見え始める。窓の外を満たしていたあの液体が、ゆっくりと下へ流れ落ち始めていた。
「……消えた……」
目に痛いショッキングピンクの液体が全て下に消えていくまで、雪佳は呆然と外を見ていた。
「外の景色に違和感は?」
「ううん、無い……いつもの景色だよ」
それから、ハッとして虚宮の方を向く。
「ね、ドアが開かないの、水圧のせいって言ってたよね」
「あ? ああ」
「じゃ、今は、開くって事?」
「そう……なるな、多分」
「じゃあ、出られるよね!」
雪佳は顔を輝かせて、玄関に走った。
ドアの覗き窓から外を見れば、あちこちに少しあの液体が付いているものの、それ以外は見慣れたアパート前の光景だ。雪佳は内鍵を掛けていないのを確認して、そっとドアノブを回し、ゆっくり開けてみる。
ドアは、軽い感触で開いた。細く開いたドアの隙間から外の陽が射してきて、雪佳は顔中に喜びを浮かべる。
「虚宮くん、出られるよ!」
そして振り返ってーー
「そうか、そりゃ良かった。ところで……忘れてるぜ、このカギ」
「……!」
照明のカバーの中に入っていた、小さな、オモチャみたいなカギを、いつの間にか虚宮が持っていた。
何故か心がざわつく。
チャリ、という小さな音が、雪佳をまた密室の中に連れ戻そうとしていた。
「そ……そんなカギより、開いたんだよ、ドア。外に出られるよ、今なら」
「それはさっき聞いた。それで、出れたらどうするつもりなんだ?」
「え……?」
「警察にでも行くか? 何て言うつもりだ? いや、そもそも、窓の外全体があの液体に覆われてた事を考えてみろよ。この部屋を出れば変な現象が終わると思ってるのか?」
「それは……」
虚宮は怒った様子ではなかった。ただ真剣な様子で、淡々と雪佳に問いかけてくる。
「さっき郵便受けから……外から、あの腕は襲ってきた。さっきまでの状況を考えれば出たいと思うのは分かるが、外の方がむしろ危険だったよな?」
「っ……じゃ、じゃあどうしろって言うの。こんな所にずっといろって? そんなの嫌だよ」
雪佳は首を振った。
「そうじゃない。ただ……」
「虚宮くん、変だよ。まるで私を、この部屋に閉じ込めておきたいみたいに……」
自分で言った言葉に、雪佳は自分でハッとする。そんな事を考えていたとしたら……あの誘拐犯とまるで同じだ。
(まさか、虚宮くんが……犯人?)
信じられない考えに、雪佳は一歩虚宮から離れて、その姿を見返す。
記憶にある犯人は、ずっと大柄で大人の男にしか思えなかった。でも、服などで大柄に見せることはできるかもしれない。何より雪佳は、犯人の顔を知らない。
(ずっと、知らんぷりして、私と同じ部屋にいた……? 私を騙して……)
心臓の音がうるさくて、何か訴えかけてくる虚宮の声が耳に入らない。信じられない。雪佳は、もう一歩後ろに下がって……その手が、ドアノブを掴む。
(素早く出て、走れば、逃げられるかも)
そこまで走りに自信はないが、雪佳が思いつけたのはそれだけだった。助けを求めようにも、スマホはリビングの米袋の中だ。
(やるしかない……)
雪佳は、ぎゅっと後ろ手にドアノブを握りしめた……まさに、その時。
ガァンッ!
部屋中に硬いもの同士を叩き合わせるような音が響いた。
「ひっ!!!」
「あ、悪い悪い。驚かせたか」
見れば、虚宮が、手に手錠を握って、バスルームに続くガラス戸を殴りつけていた。脅すため……にしては、あまりにもあっさりとした口調だ。
「んー……力技じゃ割れなさそうだな」
「ちょ、ちょっと! 何して……」
「だから、ここのカギも開けてないだろ。いくつか数字入れてみたけどダメだったんだよ。ここを確認するまでは、この部屋の外は安全かとか俺には判断できない。というか、別に急ぐ必要も無いだろ? 結論を出すのは、全部確認してからでも遅くはない。それで何もなきゃ、さっさと出る。俺も女子の部屋にカンヅメはちょっと世間体がヤバい」
言いながら虚宮は、今度はドアの枠を掴んでガタガタと揺らす。ドアをそのまま外せないか試していたようだ。
「せ、世間体って、そもそも女子のベッドに寝てたのに」
「俺の意思じゃないし……いややっぱりアウトか? さっさと出ないとマズいな尚更。そういうわけで開けって」
その言葉に、雪佳は全身の緊張が解けてしまった。
(やっぱり……虚宮くんが犯人だとは、思えない。もう少しだけ……この部屋に居よう)
雪佳の警戒をすっかり解いてしまった虚宮は、体当たりしたり何か工具のようなもの(雪佳の部屋には無かったはずだ)を隙間に使ったりしているが、ドアはびくともしない。
「これも無理か。やっぱりこういうドアって無駄に保護されてるよなー。んー、ダメ元でテープ?」
「ねえ、なんでそこまでするの……?」
「ん? 『なんで』って言われてもな」
虚宮は雪佳の言葉に、首をかしげた。
「気にならないか? 単純に」
「『気になる』って……嘘、それだけ?」
「ま、目の前でバッドエンドに進まれるのを見殺しにするのも嫌だしな」
「ば、ばっどえんど???」
「俺の目が黒いうちは君を守るつもり、って事」
雪佳は、顔を真っ赤にして硬直した。とてもとても幸いなことに、ドアのすりガラスにセロハンテープを貼り始めていた虚宮は雪佳に背を向けていて、気づかれる事は無かった。
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その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は選択できません
その選択肢は存在しません
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◇◇◇
「はい無理知ってた」
「虚宮くん、何してるの?」
「すりガラスって、セロハンテープ貼ると向こうが見えるようになるんだよ。表面がデコボコしてるから光が散って見えないだけで、隙間をテープで埋めてやれば多少光が通るようになる。……今回は、反対側のガラスもデコボコだから結局見えないけどな」
虚宮がテープを貼った範囲は、他と比べればはっきり見えるものの、何があるか確認まではできない。ただ、ぼんやりと壁に赤い色が広がっているのが見えた。
「んー……」
「どうするの?」
「策は一応あるけど、やりたくないんだけどな……」
「というか、そもそも、数字錠の方をなんとかしようという気は……?」
「ない。だって6桁だし。3桁なら全通り試したけど1000000通りとかやってられるか」
「わ、私の誕生日とかかもしれないし」
「そのあたりは大体試したけど無駄だったぜ」
「そう……って、え? なんで私の誕生日知ってるの」
雪佳が驚くと、虚宮は平然とした顔のまま、分厚い本を取り出した。
「これに書いてあったし……」
「え、これ、アルバム?」
それは、雪佳の幼い頃からの家族写真が収められたアルバムだった。部屋の中にあったのかもしれないが、さっきの大捜索で雪佳は見ていない。
「な、なんでこれを虚宮くんが持ってるの」
「さっきベランダで見つけた」
「ベランダ……?」
「外の液体が消えて行けるようになるのは外とベランダだろ」
雪佳が玄関の方に向かった時にチェックしたらしい。
「で、これ錠掛かってたんだよ。それを開けたカギがこれ」
虚宮がまた見せたのは、あのちゃちなカギだった。アルバムについている程度のカギなら、簡単な構造なのも当たり前だ。
「~~っ、待って。勝手にアルバム見たの?!」
「表紙じゃアルバムかどうか分かんなかったし、適当に開けたページが誕生日とか載ってるとこだったんだよ」
「他は見た?」
「……少しだけ」
「ああもう最悪! 返して!」
「……悪い悪い、はい」
雪佳は奪うようにアルバムを取った。虚宮に背を向けて、見られないよう中を確認してみる。
そこには懐かしい写真が幾枚も収められていた。〈1.12雪佳、生後1ヶ月〉〈9.31梨子、ほとんどずっとおねむ〉〈7.7雪佳・梨子、七夕まつり〉……所々に母の字でメモが書かれている。雪佳の誕生日どころか家族しか知らないような事が色々と分かってしまうだろう。
「うう……絶対よだれ垂らした写真見られた……」
「見てないって」
「もう最悪……」
「悪かったってば」
虚宮は雪佳の頭にポンポンと手を乗せた。普段の雪佳なら子供扱いされているようで嫌だっただろうが、今はそんな気力もない。
「……早くこんな所出たい」
「だよな。……よし、ちょっとそこに居て、しばらく動くなよ」
虚宮は手を離して立ち上がると、雪佳から距離をとった。不思議に思った雪佳が顔を上げると、バスルームのドアに背を向けて、斜め上を睨みつけるように見上げている。
そして、口を開いた。
「おい、見てるだろお前。よく聞け、『このゲームをプレイヤーが操作できる状態に戻す為には、俺がゲームクリアしなきゃならない。でなきゃお前も困るだろ? 今から少しだけお前に主導権を渡してやるから、その鷹の目で鍵を開けろ』」
ーーその言葉は、ほとんど雪佳には理解できなかった。
言い終えるや否や、虚宮は脱力したように首をガクリと前に落とした。腕もだらりと垂れ下がる。十秒ほど、そのまま動かない。
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操作説明 矢印キーで上下左右移動
Zキーで決定/Xキーで戻る
アイテムは特定の場所でアイテム欄から使用できる(一部のアイテムは自動使用。アイテム説明参照)
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「虚宮くん? どうし、」
雪佳に応える事なく、虚宮は急に顔を上げると歩き出した。それも、雪佳から離れたり、左右に短い距離を一直線に行き来したり立ち止まったりと、どこか不自然な動きだ。そして不意に雪佳の方へ近づいて……うつろな目が、雪佳をぼんやりと見た。
「ひっ……」
雪佳は小さな悲鳴をあげてしまう。
人形のような目。雪佳は、虚宮の目を最初見たときそう思っていた。光の灯らない、どこか生気のない目だった。でも今の目は違う。光という意味では、光の灯った目と言えるのかもしれない。しかしその光は、不気味なノイズに見えた。死んだ目なんてものじゃない、ソレが本当に目なのかすら分からない……そんな二つの目が、無表情のまま、瞬きもせず雪佳を見続ける。
「っ……な、何……?」
かと思えば、虚宮? は、すぐに雪佳から離れて歩き出す。バスルームのドアに向かって、例の数字錠を手に取る。その手首には、今度ははっきりと、赤い糸が絡まっているように見えた。
そのまま迷いなく、その手は6つの数字を合わせる。
カチャ
簡単な音を立てて、鍵が、外れた。
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