百一本目の蝋燭様と

山の端さっど

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十五燻十五本

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「……手間を、掛けさせるな、君は」

 沈黙の中、初めに口を開いたのは遠野とおの陽衣ひえだった。

 踏ん張れもしていない細身の男ひとりを力ずくで引いているにしては、陽衣の動きは悪い。いや、強く引かれている風なだけで一歩も動いていない。

 続けて蠟燭男も、縛られたままゆっくりと頭を起こして言う。……そりゃあ抵抗しますよ、と。
 こんなものをお持ちの方に捕まったんじゃあ、後が危ぶまれる。まさか逆さ捻子よりこの花粉を混ぜた呪い綿とは。たとえ火であれれるもんじゃあねえのに、をまともに腹に喰らっちまうとはね。

「知っているのか。門外不出にしていたんだが」

 元々自生していた植物を簡単に絶やせるなんて思わないことですぜ。

「そうか。では効能も知っているな。穢れを清めず、打ち消さず、増幅せず、ただ留めるだけの花。実物を見た事はないが美しい花だ」

 あっしらの間じゃ化け物泣かせのかせぐさり、枷鎖かさって呼んでましたがね。触れれば動きも妖気の流れもその場に封じる花。昔、悪さをした奴を軽い気持ちで100年ばかし封印したり、神所へのあっしらの立ち入りを禁じるのに神々が使ってましたっけ。

「それは初めて聞くな」

 昔ですからね。ま、いやあ、こんなもん使われちゃあ仕方ねえですよ。あぁた、本気ってわけだ。
 煙を掴む為に火の事もしっかりお勉強してなきゃ、あっし相手にこんな呪具を選んで使いこなす力は身につかない筈ですからねぇ。

「……よくも言う」

 綱引きのような有り様で、焦れたのか陽衣はため息をついた。

「陽衣さま。わたしに、おまかせを……」
「待て。君、その姿はどうした」
「え?」



 女の顔は、すっかり狐に変じていた。

「あぅ?」

 気づいて顔に手をやる間にも、腕が毛だらけになり、胴が縮み、ころんとその場に落ちる。
 うまく起き上がれないのか、服に身体を引っ掛けたままころころと何度も転がり、しまいに諦めて「きゅう」と鳴いた。



「何……っ」
「……私は何も」

 陽衣はハッとしたようにしるべを見やるが、青年はぼうっとした表情で腰掛けたまま、陽衣に空の手を見せてやるばかりだ。何かをした様子もない。……違う。手を、陽衣の背後を示すために差し出している。

「百一本さんですよ」

 ゆっくりと、得体の知れない蝋燭男の方を振り向けば、何の余裕かうすら笑っているばかり、



 ……ってえわけですよ。くっくっくっく。何がおかしいかって、人間ふぜいがだいぶあっしを楽しませてくれやしたこと。野心のあるのと戦うってえのは、何だかんだ楽しくはあるもんです。

「何をした」

 切り札を持ってんなら出すのが遅いんですよ。ついでに言やあ、妖気の流れを止めるのはいいが、それで無力化したって言い切れるんですかい?

 触れているだけで。
 吸い込むだけで。
 逆さ捻子みてぇに、一度撒かれればその場にあるだけで害になるものなんざ、いくらでもあるじゃあありやせんか。

「ぐっ……!」

 あら、酔いが後から回るたちですかい? 妖気で酔っぱらいかけてら。汐封しをかね

「……はい、百一本さん」

 うん、よし、素直に捻子の糸を解いてくれて何より。元気無えなぁ。
 にしても、最初っから忠告しといたんですがねえ。「赤舌あかした」ってのは凶運を運ぶ嫌ぁな雨雲の妖怪で、いわれを辿れば六曜ろくよう赤口しゃっこう、火の災難の暗示ですぜ。少しは警戒するもんじゃあねえですか? ……ってのは言い過ぎでしょうねえ。くいず番組でもなし、こんなのすぐに気づくもんじゃねえや。

 ま、とにかく、あぁたの勢力が大したことなくて安心しやした。妖気で包んじまえるくらいの頭数しか居ねえとは。
 ……あぁた、生まれた時期が悪かったんですねえ。たいそう苦労したでしょう。

「知ったような口をっ」

 千年の歴史でこんなに小さい組織ってことは、先祖どもが、神を蘇らすのに血の滲む苦労をしてこなかったって事でしょう? どんなに有能だって、あぁた1人の1代じゃ盛り立てるには限度がある。憤りもするでしょうさ。まさしく皆が動くのは常にあぁたの後。事が動くのは常にあぁたの行動の結果ってえ訳だ。

「っ……」



 ……ま、ひとの事情に踏みこむ気はないんでね。本題を済ませるとしましょう。

 法螺貝ほらがいを強く吹き鳴らして、さあて、さて!

 今この屋敷にお集まりの皆々様がた、逃がしゃしません。一緒にお付き合い頂きやすぜ。
 今からしばし、妖気の幕にのせて短な物語の上映開始だ。

 耳目揃えてじっとご覧あれ――





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ああーっ!」

 ーーあくびでもするような、緩んで響く人間の声。

「ああっ! 皆さあ! 良い奴過ぎるだろ! もしかしてこの世は善だけで出来てるのか?」

 大柄な男が盃を手に、巨木の中ほどにあるに腰掛けていた。うろの中の闇からは2つの動かない大きな目と、ちょろちょろ動く3組6つの目が光っている。

『……そんな事を素面しらふで言うのは人間以外を含めてもお前さんだけさなあ』
『さなあ』『さなあ』『さよさよ』

 うろの中から低い声が応えれば、ちょろちょろと高い声が3つ続く。

「ん? ちゃんと酒は入れてるだろ。もう半合も頂いた。まったく神の酒は旨いな。いや旨い!」
『……その程度呑んだうちに入らぬなあ』『な』『な』『なー』
「何だと? それは困る。ああ、もう一杯くれ」

 男は言うなり盃をぐいと飲み干した。小さな獣の手がうろの中から覗き、酒を注ぐ。

「今日は酔わなきゃならないんでな!」
『……ふむむ。酔わずとも言えばよかろうになあ』
「いや。酔うぞ。今はとことん酔わせてくれ! さ、もう一杯」
『……分かったともさ。確かにお前さんはよくよく酔っておる』
『よく』『よくよく』『おる!』
「そりゃどうも。それじゃ、これからとんでもない事を言っても構わないな?」
『……そうさなあ』『?』『?』『?』

 男は思いついたように、うろの中から子狸こだぬきを1匹ひょいと抱え上げた。ちょこちょこと鼻先をくすぐる。他の2匹も手を追いかけるように飛び出してくると男の腕に収まった。

大怪狸おおかいり殿。僕をうまく殺してくれ」
『なんで?』『だめ!』『やだ!』

 先に子狸たちが騒ぎ出すのを男は膝の上で受け止める。笑顔だ。
 じっと黙っていた大狸は、ゆっくりと大きな大きな手だけをから差し伸べた。

『……煙羅えんらや。死んだふりでは駄目か』
「それだといつかばれるさ。あー、あれだ。僕が必要以上に長生きするには今は時期が悪いだろ?」
『……それを時期と呼ぶのはやはりお前だけさなあ。誰のせいにもしようとせんで』
「誰のせいでもないだろう。僕はこれまでの人生で一度も誰にも迷惑をかけられちゃいないんだから」

 男はきっぷ良く笑う。

「ああ、人の一生を短いと思うのは当然。幽霊仲間になれというのも分かる。駒としてまだ使えると思われるのも嬉しいさ。皆僕を買いかぶってくれる。こんな甘い奴らに迷惑なんか感じるものか!」
『脅されたのは?』『呪われたのは?』『恨まれたのは?』
「良いじゃないか! 人も妖怪も幽霊も神も、他にも色々生きてる世界だ。立場や生き方や話が噛み合わなくて互いが軋むだけの事だろ。皆がそれぞれのやり方で生きてるだけだ。なんとかうまく隙間を見つけて噛み合わせる方法を考えるのも楽しいしな。ただ僕は、死んだらすっきりと終いになる方が好きだ! 皆には悪いが、その先は要らない」

 清々しく盃を空けた男は、しばらく泣きつく子狸とじゃれてやった。

『……さればなあ、煙羅。この私と刺し違えるのはどうかな』
「ん?」



 雷が轟く。
 黒い雲が、すっと流れ去る。



「は、は、失敗しちまったな! いや大失敗だ! すまん狸殿! 僕の身ではどう償ったものか、今度ばかりは思いつかない!」
『……いいや、私の落ち度さな』
『ひぅ』『なぁ』『ぎゅー』
「ああ、ああ、泣くなって。どうにかするからさ。とりあえず逃げる姿は見せずに済んだ」

 闇に溶け闇を駆ける大きな大きな狸の毛並みに埋もれて男は子狸を抱く。

『……あのざまを見られたからには、今宵、煙羅が私を決闘で殺した事にするほかなかろうなあ』
「ええ? 狸殿、一緒に死んでくれよ! 差し違えの呪いとかで僕を連れて行った事にしてくれ」
『むり』『だめー』『ふるふる』
『……そうさな。手遅れだ。既に騒ぎを聞きつけた者の監視がついた。お前に死が近づいたと知られた以上、今後はずっと見張られる事になるなあ。ただの死に方ではすぐに誰かに魂を捕らえられる』
「うーん参った! 寿命までにうまく消えたいんだが」
『……私の願いだけ叶えられたのでは神の名が廃るなあ』
「名なんて無いぞ」
『……む』
「大怪狸神は今晩をもって『死んだ』んだろう? ならここに居るのはただの出自不明の狸殿だ。神の責任を負う奴は居ない」

 憑き物が落ちたように、どうっ、と大狸の身が千切れて転がり落ちた。
 次々に肉が剥がれ落ちて、新しい毛皮が剥き出る。狼ほどの大きさになったところで、男はひらりと背から降りて狸を撫ぜた。普通と比べれば大きい狸は、ふるりと不思議そうに身を振るう。

『……軽いな』
「だろう? いやはや、神を辞めるのがこれほど厄介なら尚更、神なんざには成りたくないもんだ」
『……そうさなあ。なれば友として1つ、意地を見せようかな』
「何だ?」
『……お前の望んだ、すっきりした死は与えられぬがな。煙のように曖昧に、誰にも捕まらないように、お前をいつの間にか消してやろうか』
「そんな方法があるのか!」
『……神の身では挑むこともできない妖術もあるのさなあ。訳あってその仔細、今は伝えられぬが、信じてくれるなら必ずやってみせようさ。いかがかな?』

 男は迷いもせずこくりと頷いた。

「よし、頼む! 友よ!」

 ふと、子狸が1匹、こちらを丸い目で見やる。
 景色が揺らぐ、揺らぐ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 ーーさあて!
 上映はここで終了だ。皆々様、さっさとうつつに戻って来なせえ。ほら早く。

「煙、羅……」

 あっしが狸族から聞いていた話は以上。

 狐の。理解したら、一族郎党まとめて失せな。
 あぁたに言ってるんですぜ、嬢さん。遠野煙羅は親狐派じゃあない。それどころか、あの大怪狸の恩人だ。
 嘘じゃないぜ。勝手にあぁたらが狸をいじめてくれたと思いこんでただけだ。ほんとうは、他の奴を助けるのと同じくらいにしかあぁたらに気をかけてくれちゃいなかった。蘇らせても迷惑なだけさ。
 去りな。
 ただでさえ狐の中じゃはみ出し者のあぁたらが、これ以上の損をしたくねぇならな。

「……こん……」



 ……行ったか。倉稲うかのお狐派閥に捕まらねえと良いですがねえ。

 さて、遠野を名乗る人間。あっしらは帰りますよ。
 少なくとも今の状況じゃ、あぁたには色々理解して、去った戦力でどうするか考える時間が要るでしょう。

「百一本君、今のは、本当に」

 汐封、行くぜ。







 しばらく歩きますか。ひと仕事終えた帰路だってのに、まあじとじと湿って重ぇこと。

「……………………」

 ふう。
 汐封、こっち向きな。言った筈ですぜ。

「……何をですか」

 色々と。

「え、どれですか?」

 ……だっから、色々ですよ。ひとつ一っつ解説しなくともあっしの考えが全部間違いなく伝わるように、散々さんざ言を変え時を変え繰り返してきたつもりですぜ。さっきのもあぁた、分かってただろ?

「ええ……。百一本さんは虚事虫うろこむしを使わずともあの程度の雑魚に負けたりしません。それなのに先ほど、アレを場に放っていたのは、私が動き易いようにです……アレは敵の手の内も喋りますから、聞いていれば擬似的に予知ができる」

 そんじゃ落ち込む事は無いだろ。よく気配を隠して、良い仕事だった。物の怪のあっしには本当に逆さ捻子の縛りは解けないんだぜ。

「……私は、本当に貴方を裏切ろうとしました」

 汐封。

「魅力的な言葉でした。あの時、貴方が欲しいと思った。その為にはあの男の言葉に乗るのが一番良いと、本気で思ったんです」

 知ってる。

「っ……今も間違ってないと思ってますよ! 貴方を手に入れるのにはただ付いていくだけじゃ足りない。今すぐ貴方を滅茶苦茶にしてやりたい。壊して捕まえたい。私は外道です。それを悪いとも思わない。どうせ煙羅のような人間じゃないんです!」

 だから何だよ。あっしは別に煙羅に恋も焦がれもしてませんぜ。

「……でも、今、煙羅の為に働いてるんでしょう」

 世話になってる狸の旦那に頼まれて動いてんですよ。それに5年前、うっかりだいだらぼっちの名を口にしちまった事の尻拭いでもある。単純に奴らや「ソウ様」のやり口が気に食わねえってのもあるし。

「……でも」

 なあ、あぁたが煙羅に惚れてどうすんだい。妬けちまうだろ。

「え」

 ……このあたりは、もう少し話さにゃいけねえかな。

 煙羅は、あっしがこのなりに成ってから、ほとんど初めて関わった人間でね。それだけの仲っちゃ仲さ。ただ、どうしても人間というと、煙羅を例にして考えちまうのは悪い刷り込み。人間でいられるんなら、誰だって人間のまんまの方が善いんじゃねえかと思っちまう。

 あぁたの話だぜ。人間の短い一生に付き合って、その後はすっぱり忘れてやる気でいたのに、あぁたがあんまりしつこいから、こっちが本気になっちまったじゃねえの。
 ……今さら人間の生にあっしを道連れにするだの、潔くなりたいのと言われちゃ困りますよ。

「……それって」

 煙羅にはならせねえし、人の一生程度じゃ済まさねえってこと。

 あぁたを化け物にしてやる。ずっとあっしから逃れられないようにしてやりますよ。あっしを捕まえる? 冗談じゃあない。あぁたはずっと、あっしの掌の上さ。
 怖いかい?

「……嬉しい、です……」

 それでいい。



 さ、すっきりしたら帰りやしょう。実家で派手にやらかしたんで今はあのかぎって男の家に寝泊まりしてるんでしたっけ?

「そうですけど……今の雰囲気、このままかくり世にでも拐ってくれる流れじゃありませんでした?」

 馬ぁ鹿。これは間違いなく言ったでしょう。酔っ払ってるうちは相手にしねえって。
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