百一本目の蝋燭様と

山の端さっど

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十四潮十四本

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「もし、そこのお方。お間違えかと存じますが。ここは法要会場でございます」

 ああ、存じていますよ、受付のお方。本日は、一緒にご供養させて貰えないかと参りました。こちら、遠野とおの煙羅えんら様の御仏前にお供えください。

「……! それは」

 おっと、色々ご存知ですか。話が早くて助かります。
 こちら、まさか関係者立ち入り禁止の家族葬じゃあありませんよね?  施主せしゅが家族じゃあねえんですから。
 ……申し遅れました。あたくし、侏童子しゅどうじさんのご紹介で来た者です。ほら、あの一寸法師。こちらの証し文に手形がついているでしょう?
 これで足りないようでしたら、もう一つ、証になるものをお見せしましょうかーー



「何を出す気か知らないが、皆が混乱してしまう。僕が話を聞くから、ここは収めてくれないか」

 おや、あなた様が施主ですか?

「そうだ。他にも大抵の現場は僕が仕切っているよ。君、確か杜鵑草ほととぎすの部屋は空いていたね」
「はっ、はい、陽衣ひえ様」
「行こう。必要なら外に居る君の連れも呼ぶと良い」

 それじゃあ遠慮無く。







「遠野陽衣だ。君、では呼び辛いな。名乗れ」

 あっしの事は何とでも。まあ、困るってんなら「赤舌あかした」とかどうですかね。

「そうか。赤舌君、それからしるべ君。用件を言いたまえ」

 うん? お伝えしたじゃございませんか。煙羅の供養に……

「その名を知っているのは我々だけだ」

 でしょうねえ。「だいだらぼっち」ってえ呼ばせてんでしたっけ? そもそも、この場を本当に法要と思って来てる奴も、二十も十もいないでしょうし。
 ちゃんと死んだと認めてやらなきゃ、供養なんざできねぇんですから。

「不満か」

 不満ですよ。死者を弄ばれんのはね。あっし、人情派の妖怪として通ってるもんで。ほんものの供養なら、飛び入りなんて無粋は決して決していたしやせんが。
 ね、止めません?

「君は何者だ? そんな事を望んで君に何の利がある」

 ふう、この程度じゃ顔色は動かねぇな。

「ねえ、赤舌? さん、私が喋っても良いですか。少しだけ」

 ……良いぜ、汐封しをかね

「君か。導道祖教は妖怪信仰ではないな。何故妖怪の従者もどきをしている?」
「私が先に質問するべきでは? まあ、構いませんよ。妖怪なのに、ではなく、この方だからです。ついでに言えば、導だからではなく私だからでしょうか」
「それだけの価値があると?」

 おお、じろりと見てきますねえ。何に気付くかな。

「酷い混ざりようだな」
「それより私の質問ですよ。遠野煙羅の何がそんなに良かったんです? 軽く事情は聞きましたが、正直、私には全く理解できません」
「成程。許可するまで黙らせておくべき口だ」

 あっしの方を見ないでくだせえな。

「しかし良いだろう。煙羅は生きながらにして神に最も近づいた人間だと僕は考える。直接会った事は無いがね」
「ふうん。どんな人間だというんです?」
「小にして大なる男だったよ。請われれば一晩で山を平らげ湖を作り、苦しむ民に恵みを与えた。悪しき妖神大怪狸おおかいりを殺し、その毛と皮を清め切り分け、万の守り神に変じて国中に納めた。人ばかりの味方をしたのでもない。妖、霊、そして神までもの仲立ちとなり、争いを鎮めた。一方で百鬼夜行に混ざり妖怪らと騒ぐ一面もあったそうだが」
「雲を掴むような話ですね?」
「煙を掴む話さ」

 ……。

「彼の成した事の多くが真実と証明されている。しかし聞いた事はないはずだ。煙羅はその名を名乗りたがらなかった。煙のようにその名は消え、長い間に伝承は形を変えた。今では各々の土地の別の者の手柄に変わっている。微かに残る痕跡が大いなる法師だいだらぼっちだ。妖怪には別の伝わり方をしているだろうが、侏童子は大した事は知らなかったよ。君が長命の妖怪なら別の話を聞きたいものだな」
「そちらを見ないでください。減ります。つまり今噂になっている雲妖怪ではなく、煙の、現人神? を広めるつもりだったんですね、本当は」
「何が聞きたい」
「いえ、何がしたいのかと。こんな方法で神は創れませんよ」
「理解していないな。僕は煙羅の名を広めたいのではない。煙羅に、神に戻ってきて貰うのさ」

 けっ。

「……もう大昔に死んだ人ですよ」
「その最期を知る者は居ない。死期も居処も悟られる事なく雲隠れた。霊も妖も神さえも、誰も煙羅を捕まえられなかった。あれだけの傑物が人でなくなる時を、誰もが狙っていたろうに。そのような業、神にしか成せない。煙羅は知られずの神に成った」
「と、信じたい訳ですか」
「確信しているさ。千年ほどの根拠はある」

 ああ、千年くんだりも前から遠野を名乗ってこそこそとこんな事してたんですか、おたくら。ご苦労なこって。

「存在しない宗教を千年続けられるノウハウだけは学びたいですね」
「その必要は無い」
「はい?」
「君には必要無いだろう。神を得る術も、金を集める空虚な神体も君には必要がない。違うかな、導君。そんな物が君の望みではないだろう。君の望みは様子を見るにそこの赤舌君かな」
「まあ確かに、私自身は貴方の空虚な宗教も遠野煙羅も知った事ではありませんが」
「何だ。赤舌君が人情派とやらを止めれば、三者共存の道があるわけか」

 あっしら相手に損得の商談でもなさる気で?

「存外につまらない事も言うね。君が始めに言葉での解決を提案しただろう、赤舌。何にせよ、導君からだ」
「私?」
「君はいつまで博愛主義者に付き合って貴重な人生を浪費する気だ」
「……浪費しているとは、思っていませんが」
「しかし無駄な時を過ごしていると感じている」
「……感じていません」
「素直ではないな。魂の求める相手にはよく知りもしない煙羅に目を向けられるより、己に全てを注いで欲しいだろう」
「そ」
「君のような眼は百と見てきた。目的のために一時いっとき雌伏しふくは出来るが、時の至るを待つ事はできない。その事をよく自覚している。誰も彼も遅すぎる。事が動くのは常に、君が動いた時。君が動いた結果だ」
「そんな事は」

 ……ん、この振動音。あぁたのスマホからですか。

「失礼。……成程。君の名は赤舌ではなく百一本ひゃくいつというのか。普段は蝋燭頭というのは本当かな?」

 ……まあ、汐封の顔から辿って調べさせりゃあ分かる事でしょうね。こいつ大して隠しやしませんし。ほぉら、こいつが普段のあっしの顔ですよ。どこから見ても男前な蝋燭頭。ゆらびゅらも燃えてやすぜ。

「百一本さん、もしかして私、足を引っ張りました?」

 いんや別に。あっしの名前と面相以外に何を調べられたか聞いてみたら答えが変わるかもしれやせんがね。

「この短時間でそれほど調べられる環境があれば良かったな。追加情報は無しだ」

 ……言いたい事があるならさっさと言えば良いでしょう。声を出さずに笑いやがって。

「では遠慮無く。百一本君は百鬼夜行の常連ではないかな。蝋燭頭の妖怪が現れるという話は各地で聞く。そしてその隣には、よく長命の狸囃子たぬきばやしが居る」

 ……つるんじゃいませんぜ。狸の旦那とは、たまたま祭りの趣味が似てるってだけ。

「大怪狸を知る狸囃子から煙羅の話を聞いたな」

 あんな長生きの与太話なんざ覚えちゃいませんよ。

「いや、君からは良い話が聞けそうだ。協力しないか?」

 しませんったら。

「『商談』の余地は?」

 何言われてもですね。

「ふむ。では導君、君はどうだ。協力しないか」
「先程から何ですか。何故私が貴方と……」
「説明したくないな。君は賢いから考えれば分かるだろう」
「……」

 はぁーあ。
 小細工はしなくても大丈夫ですぜ。あぁたはお人の心を読むのが得意らしいが、あっしは手の掛かる連れの心を読むのに慣れさせられてるんでね。汐封に直接言っても言わなくても同じだ。

「ふむ。では簡単に。僕と君で百一本君を捕らえよう。直感だがそれで戦力は足りる」
「は……」
「僕は必要な情報を聞き出す。君は彼の心を折りたまえ」
「な」
「そうだな、彼がこれまで助けた人間と妖怪を少しずつ捕らえ、少しずつ殺そう。博愛で守ったつもりの者がそれ故に苦しみ死ぬというのは想像以上に堪えるものだよ。彼が全てを諦め、僕の邪魔を止め、残った君を慈しむようになるのが理想だな。なに、多少の時間は掛かるだろうが、その過程で神現しの儀式に必要な工程も稼げる。長く協力できそうだ」
「何を」
「君にとっても最適解だろう。こういう者は何度痛い目を見てもなかなか改めない。幾らでも無謀な善行を繰り返す。それを眩しいと思っただろう? 欲しいと思っただろう。独り占めしたいと。僕も同じだ。僕にとっての煙羅もね」
「違……」
「なあ、飢えを満たせよ。君だけの光にしなくては。誰の事も見せない。誰もあの光を見る事がない。それでようやく、安心するだろう?」
「それ、は」
「もう少し考えたいか? とりあえず今は、邪魔をするなよ」

 戸の隙間から、触手のようななみが怒涛と噴き込んだ。瞬く間に波打ち、渦を作り、蝋燭頭の男を閉じ込めようとする。来るのが分かっていたように、ちっ、と口にした蝋燭男は天井のはりへと飛び上がり、まだ波が上へ持ち上がろうとするのを見て、あぁ全くねぇ、と呟く。この部屋、鳥じゃなくて草のほととぎすって名前じゃあなかったですかい?

「草でも鳥でも必要があれば鳴かせるものだろう」

 あぁ全く、嫌なもんだ。

「陽衣様、その、ご首尾は……」
「残念ながら説得は終わっていない。君、これらは使い慣れているか」
「こ、ここに居る者の中では一番かと」
「そうか」

 浪の隙間を縫って遠野陽衣の元に辿り着いたのは、蒼く光る珠を手にした受付の女。その頭にはいつの間にか、狐の耳が突き出て見える。首をふるりと振って、女は高くひと鳴きする。

「こん!」

 女の持つ珠が光ると、浪がうねる。狸殺しの英雄を崇めてきた、狐混じりの末裔の一族ってえ訳ですか、と蝋燭頭が浪を避け、天井の梁へ掴まって言う。やあれやれ。

「百いつ……さん……」

 天井へ水の塊が叩き砕けると、そこには既に誰も居らず、ひらりと机の上へ飛び移る焔の残像が糸を引く。呪具なんざ軽々しく使うもんじゃあございやせんぜ、と言う蝋燭男の腕にはどこから取り出したのか、大きな法螺貝が抱えられている。

「避けろ」

 するりと蝋燭頭が人型に変じて、まだらに空気とさまざまな妖気が混ざった蝋燭男の息吹が法螺貝から吹き出される。この世のものとは思われない音が響き、浪を音の波で打ち砕く。
 音はそのまま術者の元へと響いていくが、陽衣が女の頭を押さえ、身を屈めて掻い潜る。続く衝撃を前に、小さく舌打ちして女の襟首を掴んで引き戻す。間一髪で音の波が畳床を叩く。
 避けながら陽衣が二言三言唱えれば、喪服のポケットから小さな固い実が飛び出し、綿の塊が大きく弾け咲いて襲い来る衝撃を殺した。その隙に、陽衣は女から珠を受け取り、代わりに掌形の綿の葉を女に手渡す。

「こん!」

 葉を震わす女の鳴き声をトリガーにして、綿は人魂に化け襲いかかる。法螺貝の音色を受け止め、衝撃を殺しつつ迫る。蝋燭男がぎりぎりで躱したところを、水飛沫を撒きながら向き直って追いかけてくる。浪も巧みに退路を塞ぐ。
 は、と驚きとも呆れともつかない声を漏らして、蠟燭男は迫り来る人魂を法螺貝でち落とした。

 びちゃり。

 無理矢理こじ開けた隙間から、蠟燭男は飛ぶように脱出する。汗のような蝋の雫が飛んで浪の中に落ちる。その足が床や壁やに触れるよりも速く、法螺貝の音が女を掠めた。

「ぎゃんっ……」
「君!」

 葉が女の手から落ちる。操り手を失った人魂は砕けた綿の塊に戻り、制御なく畳に落ちる。綿の欠片が微かに宙に舞うのを嫌ってか、蠟燭男は法螺の音で吹き飛ばそうとする。
 しかし、それよりも速く、女の落とした葉の端を陽衣の指がとん、と叩いた。
 
 かすかに舞った糸屑が、つうっと蝋燭の肌を撫でると、そのまま食い込んだ。漂っていた糸が一瞬で動きを取り戻し、全身に絡み付く。
 しつこいですってえの。
 浪もぐるぐると渦巻いて蝋燭男を取り囲んだ、が、それは法螺貝のひと吹きが軽々と弾き飛ばす。離れないのは糸だけだ。蝋燭男は纏わり付いた綿糸を燃やし払おうとする。



「繋がった」



 瞬時に燃え上がった炎は、紫に色を変える。おいおい、と言う蝋燭男の声には初めて焦りの色が滲む。燃え上がる糸を、その瞬間、陽衣の手が掴み、手繰り寄せていた。

 糸は燃え尽きることなく身を縛り続ける。蝋燭男の服も蝋の肌も陽衣の手も傷つけることはない。それなのに、力を急に失ったように法螺貝を取り落として、蝋燭男がぐらりと引き寄せられる。今度は逃さぬよう、蠢く浪も周囲を取り囲み水牢を成した。

 しん、と部屋は静まり返る。汐封だけが途方に暮れた顔で、捕えられた百一本を見上げた。


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