暖をとる。

山の端さっど

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-56℃ ピアニッシモの熱唱

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『ごめん! 今日行けなくなっちゃった。スーパーなソーリーのSだよー。後でね』
「えっ」

 電話はすぐに切れた。
 私は胸騒ぎを覚えながら携帯をしまう。急な用事が入ったにしても、一方的に喋って反応も聞かず切るなんて、あの子は一度もしたことがなかった。それと、汗の湿り気が伝わってきそうな少し緊張した声色。
 実は、今日もう会っているはずの「クライ」さんとも連絡が取れない。
 ああ、もう、どうしてこんな時に。どうしてこんな、友達とかを気にしてる余裕がない時なんかに、心配になるような事が起きるんだろう。

 私は必死に人混みの中に逃げ込んで、逃げて、走っている。知っている街とはいっても、把握しきれない人波をなんとか掻き分けて障害物をかわして、「視界」の外に出るために。



 人混みの中でだって、絶対に私は声を聞き取るし間違えない。距離も分かる。顔の向きも分かる。感情だって何となく分かることもある。
 さっき、前に聞いたことのある声が、確かにこっちを見て言った。

『あー!』

 たぶん、じゃない。間違いない。
 あの日の殺人者の声だ。
 追いかけてくる。



「はぁ……はぁ……」

 誰にも連絡が通じない。

「はぁ……はぁ……」

 さっきの声と紐づいた足音はずっと耳の端から消えない。

「は、はぁっ、ああ、」

 人混みを安全な場所なんて思ったことはなかった。危険な場所にはみ出して転んでも誰も助けてくれなくて、痴漢に遭って、……ううん、囲まれるだけで本当は怖い。いつだって集団になると、人は、余分な人を弾き出そうとする。私は動けないでいるうちに、勝手に集団に入れられて、勝手に、要らなくなったからって弾かれる。
 ああ、いつの間にか、音を聞き失った。いつの間にか近くに居たらどうしよう。回り道して待ち伏せされていたら。すぐ近くで立ち止まって息を殺して、私が来るのを待っていたら……?

 頭がクラクラして電柱に手をついたら、ふっと汗と体温が、香る。
 そして……



「嬢ちゃん、大丈夫か?!」

 力強い声と腕が、優しく私を抱える。



「た、」

 たすけて。その声は、恐怖で潰れてちゃんと出ない。
 心因性発声障害! どうして、どうして、こんな時に!

「お、おい、とりあえずどこか座れるところに連れてっていいか?」

 ああ、伝わって……

「参ったな。事務所までちょっと遠いし……まあ近くのカフェでも行くか……いいな?」

 い、ない……んだ……誰にも。
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