残響ブルーム -bloom affection-

山の端さっど

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§02 葉噛みする葛藤ネイビー

まるで平穏エスケープシープ

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「きみ、どう見てものぼせてますよ。シャワーなのに」
っとけ……」
 響がバスルームから髪を拭きながら出てくると、影は寝室の椅子に腰掛けて優雅に紅茶を飲んでいた。知らない香りに知らないティーセット、どうやら影の私物のようだ。仄かに洋酒の匂いもする。
「……そんな事より、俺に、何をしたんだよ。『スケープゴート』って、何だ?」
 される前には聞かず、もう取り返しの付かなくなった後で聞く。響自身でも順番がおかしいと思ってはいるが、どうしようもない。
「そうですね。簡単に言えば、きみは私の下僕であり苗床であり犠牲であり逆鱗でもあり、まあ、当然非常食にもなります」
「……嫌なモノ色々混ざってるけど、結局どういう意味だよ?」
「つまり私の物になったんですよ。鈴のついた首輪を付けたと言っておきましょうか」
「OK死にさらせ。内臓ぶちまけて死ね」
「っふふふ、私に動物的な内臓があると思ってるんですか? それに、腹の内を爆破して撒いたくらいでは死ねませんね」
「じゃあどうすりゃ死ぬんだよ……」
「その生気溢れた目は好ましいですが、残念ながら、きみには私は殺せませんよ。絶対に」
 鋭い流し目が響を捉えた。影としては何気ない表情、一言だったのだろう。しかし響は、その目に捉えられただけで、その言葉を受けただけで、気圧されてしまう。
「おや、大人しいですね。もう少し言葉が返ってくるかと思いましたが」
「ああ、情けないことに何も出てこないよ。殺してやりたいのは変わらないけどな」
 響は「はあ……」と深く息をいた。
「で?」
「はい?」
「スケープゴートになった俺はこれからどうなる訳?」
「どう、ですか」
 影の口が細い三日月型を描く。笑んでいるのに、ピエロやお面に感じるような、恐怖を煽る表情だ。
「何も変わりませんよ。きみと私は、ね」
「その顔凶悪過ぎるだろ……」
「変わるのは周囲です。この私がきみのような苗床に首輪を付けて、誰も動かない筈がありませんから、ね」
「はぁ? 何なんだよそれ……」
「一つきみに要求するならば、よく観察することです」
 影は紅茶のカップをくるくると揺する。微かな酒の匂いが深く広がってきて、嗅いでいるだけでクラクラするような心地になる。
「きみを狙う、ローズヒップのような輩は多い。これまでは事で一種の均衡が保たれていましたが、これからはそうはいきません。隣の芝生は青い、と言うのでしょう?」
「……おい、話聞いてると、俺あんたのスケープゴートになった事で敵増えてないか?」
 響が半目で問いかけると、影はまた、笑った。
「忘れたんですか? 私が救ってあげなければ、きみ、ローズヒップに喰われていたんですよ?」
「っ……!」
「その時点で均衡など崩れ去っていました。きみが生きているのは……いえ、それどころか、人間社会で昨日も今日も活動できたのは、私のお陰という事は忘れないように。感謝しても良いんですよ?」
「……分かったよ。納得はいかないけど、理解はした」
 聞く事を聞いた響は、寝室から出ようとした。
「どこへ?」
「あんたと同じ部屋で寝ると思ってんのか? 俺は202号室に戻る」
「そんな事をせずとも、今日は何もしませんよ。折角のこの夜に別れて寝るんですか?」
「……生き延びちまったから、死にたくないんだよ。今は、ただ」
 響はドアを強く閉めた。うるさいほどの音がしたが、ドアの向こうから文句を言われる前に、響はさっさと玄関へ行き、出て鍵をかける。
「ったく」
「……どうか、したんですか?」
「あ」

 響の後ろから話しかけてきたのは、緩やかなウェーブのかかった明るい茶髪の女性、102号室に住む辻斑つじむら冴姫さきだった。明るくも知的な印象と、わずかに吊った大きな目が目立つ。確か大学4年生だったはずだ。遅めの時間だが、鞄などを持っているから大学帰りに見える。少なくとも、煩かったから部屋から出てきたという風ではないだろう。
「いえ、ちょっとしたトラブルがあっただけです。もう解決しました」
 入居者には敬語で話すと決めているので(というか全員年上だ)、響はすぐに口調を変えて話す。
「そうですか……あの、上の階って……出てないんですよね?」
「はい?」
「その、幽霊……」
「いえ、出てませんけど……」
「その、一昨日か昨日あたりに、上から何か聞こえたような気がして……」
「一昨日昨日と五月蠅くしてしまいましたすみません!」
 響は頭を下げた。一昨日からとなれば、ほぼ間違いなく影の一件だろう。他の部屋からは全くクレームがなかったので流していたが、普通に騒がしかったらしい。
(パフェ店の時みたいに、周囲に気づかれなくなる妙なコトしてるだろうとか思ってちょっと油断してたな……何か考えないと……)
 考えながら、響は辻斑にもう一度頭を下げて202号室へと階段を上っていった。

「……ただ五月蝿いっていうより、幽霊みたいな音だったと思うんだけどねぇ、あれは。やっぱり何か出たのかな?」
 民俗学でもキワ物の教授の元で学ぶうちに、幽霊が出ると噂の部屋の真下で毎夜記録を取るまでになったオカルト女子大生は、響の様子に勝手に疑惑を深めつつ、深く頷いた。
「あれ、でも怪現象起きてても202号室で寝泊まりするんだ?」



 この女子大生辻斑の疑惑は、翌朝、起きるなり影に添い寝されている事に気付いた響の悲鳴を漏れ聞いた事で謎の確信へと変わるのだった。



「殺す。絶対殺す。いつか方法を見つけて確実に塵も残さず殺してやる。その跡地にツバ吐いて踏みにじってやる」
「朝から物騒ですねえ、響くんは」
「あんたは朝から嫌がらせに余念がねーな!」
 当然、土曜日朝の響の気分は最悪だった。簡単な朝食を作りながら、ずっとこの調子だ。寝る前には影と口をきく気など無かったのだが、今はこの怒りの方が勝っている。
「あまり五月蠅くしては隣人が迷惑しますよ」
「近寄るな死ね。話しかけんな……はぁ、五月蝿いせいで追い出されたらどうしてくれるんだよ。実家にお前連れて戻るとか嫌だからな。そのくらいなら」
「では、責任を取って、け」
「あ゛? 変な事言ったらマジで殺すぞ」
「いえ、責任を取って消しますよ。隣人を」
「おいやめろ」
「文句を言う人が居なくなれば良いんですよね?」
「手段があるだろ、他にも」
 響は胡椒こしょうの瓶で影を殴った。頭はうまく届かないので肩だ。
「そこが分からないのですよ、響くん。何故人間は目的だけを共有しながら、心の中で勝手に(手段は選んでくれるだろう)なんて考えているのですか?」
「人間じゃないあんたには察せないかよ。多くの人には共通した境界線があんの。目的の話する時には大体その重要度で手段にも制限が掛かってるのが分かるんだよ。それが分かんない奴が『察しが悪い』って言われるの。あんたの事」
「ふむ……」
「分かったらテーブルの上、空けろ。朝飯できたから」
 響は冷たいナスのポタージュ、トーストの上に胡椒を掛けた目玉焼き、ジャムにヨーグルト、それに薄いインスタントコーヒーを少しだけ淹れてテーブルに置く。響はよくインスタント茶などコーヒー豆や茶葉がないものを使う。
「おや、私の分もあるんですね」
 二人分作っていた事にようやく気付いて響は舌打ちをした。無意識だった。
「食わないのか?」
「食べます」
「じゃそこ座れ。いただきます」
「はい、いただきます」
 予想外に丁寧に、影は正座して手を合わせた。彫りの深い英国系の顔立ちにはややミスマッチだ。……と思っていたら、テーブルナイフでトーストを切り分けてから食べ始めた。
「……粗野ですが、美味しいですね。あと響くん、私はもっとレアな卵に醤油が好きです」
「嘘だろ、膜も張ってない半熟だぞ?」
「ですから、白身が固まる前に火を止めてください」
「半生じゃねえか……自分で焼けよ……」
「キッチンに私が入ったり、鉄のフライパンを好きに使っても良いんですか?」
「それはダメだ」
 男たるもの、大事に油のコーティングを守りつつ鉄フライパンを弄られるのは誰しも嫌なものだ。そういうものなのだ。メカ戦士に憧れるのと同じだ(多分)。
「ってかあんた、なんでそういう俗なポイントにやけに詳しいんだよ」
「何千年人間に紛れて生きてみたと思ってるんです?」
「いや知らないけど。二千年とか?」
「もっと長いですね」
「最初に二千って言ったの俺だけど、サラッと紀元前から生きてるとか言うなよホント」
 ため息をついて響はトーストに乗せた目玉にかぶりついた。
「今日はガス点検に業者来るから余計な事すんなよ」
「それ以外に用事は?」
「多分無い」
「では出掛けましょう」
「なんで?」
「私が楽しいからです」
「嫌だ」
「むぅ」
「何その言い方気色悪。行かないぞ」

 こうしてやり取りしていると、何も昨日までと変化がないかのようだ。
(俺が逆らえなくなるって訳でもないみたいだし、胡椒の瓶で殴るくらいは出来る。相変わらず怖いのは変わらないし、といって、怖さが増したって訳でもないし。「スケープゴート」って何なんだよマジで)
 生贄の羊、下僕苗床犠牲逆鱗非常食。逆鱗はよく分からないとして、並ぶ言葉のおどろおどろしさ程には、待遇にも自分の体にも、例えば食の好みにも、変化は感じられない。しかし、何も起きていない訳がない。響は心の中で首を傾げた。ちなみに、バケモノと普通に会話し、同居を受け入れている点については、異変というより諦観ていかんだ。要は、言葉の通じない恐怖よりはマシ、という話で。
(いや、そんな事考えてたから昨日……)
 しかしこうして、話しかければ影が乗ってくるのも事実だ。様子を窺ってみるが、少なくとも今は、人間らしい対話とやらを嫌がっている様子はない。下僕というわりに対応も変わらない。
(……分かんない奴)
 響はそこで、一度思考を止めた。分からない事は、仕方がない。だって、仕方がないのだから。

「……あ、しまったシャンプー無え」
「これは買い物に行かなくてはいけませんね?」
「付いてくるなよ」
「何故です?」
「分かんないのか?」
「……さて」
「とりあえずここ二人暮らしNGだからこの部屋からそのつらで出入りすんなよ。それはともかく付いてくんな」
「つれないですねえ」
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