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十二落

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 肉に足を沈ませて歩く。素足ではなく草履を履いているが足の真裏以外は肉に触れ続ける。体感で約1日。道程にこれまでと大きな差はない。静かだと感じるのもうるさい時間を過ごしたからで、冥穴めいけつに何か変化があったわけではない。多分。
 異常といえば、先ほどからかすかに感じている何かのかれる臭い。それと人間のむせる音。

「ここか。揚羽あげは
「けほっ、八尋やひろ! 待ってたよ!」
「まず火を消せ。煙たいから少し移動するぞ」
「おかえり!」

 テンションがおかしくなっている。八尋は揚羽の腕をつかんだ。

「……朝8時か。おはよう」

 変則穴くだりルーティンを定めてから初めての合流だ。





 補足ルール、まずは互いの体調の確認から始めること。

「移動中に食事と睡眠は済ませてきた。お前は?」
「10時から4時くらいの間寝たかな。食事、も大丈夫」
「そうか。考えは?」
「まとまった……気がする」
「万全でないならまだ待つが」
「いや大丈夫! というか忘れる前に言わせて! 色々考えたけどさ、この『基本的には地上の法律と社会規範に従ったルールで生活する』って項目いらなくない?」

 1回目議題、ルールの見直し。

「最後まで意見を聞こう」
「ええとさ。八尋って、ここから出れると思ってる? 降りていった先に出口とかあると思うか、って意味だけど」
「……半々かな」

 八尋は軽く答える。

「冥穴から人が出られたとか出てきたって話、多分全く記録に残ってないんだよ」
「村の男子でも聞かされていないか。山のふもとにでも出て、気づかれずに逃げた者がいた可能性は?」
「麓に繋がってたらバレるよ。隣の県に繋がってるトンネルがあるとかじゃないと。あそこの村完全に交通機関見張れるじゃん」
「……そうだよな」
「でなきゃ、実は出てきた人はすぐ村人に殺されてるとか……それでも記録に残しそうだけどなァ……」

 そもそも麓には村の持つ氷室ひむろがあり、麓の村人も血縁関係の者が多い。

「……氷室なァ」
「?」
「いャ。……お前、風穴ふうけつについて話聞いたことあるか?」
「ふうけつ?」
「無さそうか。ならいい」
「えっ何?」
「話を戻そう。冥穴に出口がなさそうだとお前は思っているんだったな」
「そうそう! こんな所にいて、出れるかどうかも分かんないじゃん。八尋も半分はそう思うんでしょ? なら、外のルールって意味ないと思わない? ここで何が起きても誰も知らないんだし」

 なるほど、約1日の間に揚羽は考えを当人なりにまとめてきている。

「外に出られるかは置いておいて、法律はとても使いやすいルールだと思うんだが。実際に国家レベルの集団に運用可能なことが証明されて……」
「そうじゃなくて。外でやったら犯罪になるとかさ、ここでは意味ないじゃん」
「なるほど。私が社会的な常識に囚われているのが気に食わないわけか、お前は」
「気に食わないってことないけどさ」
「悪いが、私は考えを変えない。地上に戻ったら最低でもお前と泥川なずかわは警察に突き出す気だしな」
「えっ」
「私が人道にもとることをしていたらお前を気持ちよく送り出せないじゃないか。あるいは私も自首しなくちゃならなくなる」
「本気……?」
「ああ。今まで、冥穴から突き落とされるまでだが、私は環境に甘えすぎていたよ。クソみたいな村に慣れすぎて、何も変えられないと最初から諦めていた。変えなきゃ変わらないのにな。というわけでだ、揚羽。お前も変えてみせろ」
「え?」
「お前が捕まりたくないなら、冥穴からの脱出手段を見つける前に私の考えを変えるしかない。あるいは私の足でも折って冥穴を出られないようにするか。だろう?」

 喋ったり慌てたりという揚羽の反応をしっかりと確かめる。よく理解はしているらしい。

「とりあえず、2人の合意が取れなかった以上、ルールは破棄だ。今後はそれぞれ自分の信じる正しさに従って行動することになるな」
「まっ、待って八尋。もう少し話しない?」
「構わないが」

 思い返すほどに、短時間でよくも八尋に都合の良いルーティンを提案できたものだ。この話し合いを打ち切るのはタイミングの読めない風と冥穴を落ちる揚羽の決定。短気な八尋が短絡的に終わりを決めてしまうことにはならない。

 その後もしばらく話したが、「寝込みを襲わない」くらいの決定しかできなかった。ただ、互いの嫌うことをいくつか共有したのは進展だった。
 揚羽は冥穴を落ちることを嫌がらない。
 幻覚はないかと聞くと、しっかり感じたという。その上で問題ないと言った。

「お前は何を見たんだ?」
「秘密。八尋は?」
「……秘密にしておこうか」







「……悪い。遅くなった」
「心配したよ」

 2回目は1日半ほどの間を空けて始まった。

「道が荒れていた。それと」
「それと?」
「この近くに獣がいるかもしれない。足跡があった。それを探っていたら遅くなった」
「いるんだ……」
「こんな大口を開いていて枝葉ばかり落ちる訳がないだろう。初めての動物がこれというのは遅すぎるくらいだ」
「……うん……」
「揚羽?」
「何でもない! 始めよ!」

 2回目議題、これまでの様々な出来事共有。

「僕は僕がいない間の村での八尋の話が滅茶苦茶聞きたい」
「あ、そっちか。冥穴内でのことを想定していたんだが」
「その話も後でしよ。でもまずさ。覚えてないんだけど、その喋り方始めたのいつだったっけ」
「? 中学の頃だったか? お前もいたよな」
「八尋とヒナ子が堂々としてるからそんなものだと思ってたんだよ……高校行ってみたら男装系女子なんていないじゃん……というか制服だから見れないけど口調だってみんな普通だし……」
「男装してるつもりはなかった。というか、私は最近までLGBTも知らなかったバカだぞ。そんな機微を解するか」
「じゃあなんで……?」
「ヒナ子が滅茶苦茶喜ぶんだよな。持ってきた服とか何かの作品の台詞? とか繰り返してたら、いつの間にか癖になった。今も時々持ってくるしな」
「ヒナ子ッッ! わざとだよそれ! 確かに昔から王子様がどうとか言ってたけど……」
「……?」
「八尋は八尋で、今までなんで気づかなかったの……」
「悪い」
「悪くはないけど!」
「そういえば最近、ひと昔前の女子校ものの本を持ってくるんだが、あれはエスが題材になっていたんだな」
「完全に誘導してるじゃん……」


「次は私の質問だ。お前、冥穴内では実際どう過ごしてたんだ?」
「どう……といっても、ほんとにキャンプ気分だったから……本当はもっと荷物多かったんだけど減らしたんだよね。懐中電灯とか電池無くなって」
「無計画すぎる」
「そんなことないよ! 食料とかも一応持ってきてるんだから。ほら」

 携帯食料だ。箱入りのブロック状のクッキーなど。

「冥穴の肉は味がしないって伝承だったから飽きたとき用にさ。でも」
「飲み水がなければ食えたものじゃないだろう、これは」
「そう!」

 それで今まで残っていたらしい。

「冥穴の中には水が湧くとか言われてたのか?」
「いや別に」
「……」

 それからは自然と、揚羽が村の外で見つけたり学んだことの話になった。冥穴内では役に立たないだろう、八尋にとってはひたすらに目新しい話。

「……いいャ、地下鉄と車が隣を並んで並走するというのはさすがに嘘だな。安全性が保てるとは思えない」
「うん、まあ、嘘だけど。八尋、意外と知ってることは知ってるね」
「一応高校には通ってるんだよな。捕まえると雑学を吐く教師がいる」
「ゲームみたいなこと言うじゃん。そうだ、今度はそっちの学校の話してよ」
「話すことが何ひとつ思い浮かばない」
「じゃあ僕が質問する」

 他に話すことはいくらでもあったはずだが、知識欲を満たし、警戒する相手と何もなかったかのように話せる機会を優先した。揚羽も他に話したいこと、聞きたいことはあったはずだ。楽しかったから。それ以外に理由はない。

(疲れている。いヤ、このままでは疲れきると自覚している、か)

 一人で過ごす時間の間に揚羽も感じているはずだ。冥穴の中は、退屈すぎる。待機時間が長い揚羽はなおさらだろう。ガス抜きをしなければ協力関係などやっていけない。







 3回目。議題、は何だっただろうか。



「ヴゥ……ッぐ、ヴ……ッぎ……ぎぃ……」

 頭をにぶく振る。筋肉はカクカクときしみ動くのに思うようには少しも動かせない。

「ごめん、八尋」

 警戒していたからなんだと言うのだろう。ひび割れる知覚で歪んだ男の顔を見る。見えただけだ。体勢を変える余裕はない。低く壊れた機械のような音が口から流れ続ける。踏ん張っても数秒音を止めるのがせいぜいだ。頬に柔らかい感触があった。身体の痛みでろくに分からないが、多分。

「ごめん、八尋。ごめん。1人でいたとき、肉の奥の方にたまに黒い虫が埋まってるのに気づいててさ。試しに食べてみたら、味はしないし、何時間も身体がしびれて動けなくなるし……ごめん。でも、その後しばらくしたら元気になったから……」

 たしかに油断した。揚羽の持っていた固形携帯食を分け合って口にしたのは、油断以外の何でもない。効果が出るまでの時間をただ揚羽と共に過ごしてしまったのも油断だ。注意深ければその虫に気づいていただろうし、警戒していれば盛られるのは避けられただろう。
 揚羽の言い訳はほとんど耳に入らない。入ってもろくに理解しえない。おそらく服を脱ぐ音がする。痙攣けいれんする身体から少しずつ紐を解かれ、服を脱がされる感触がある。「ごめん」と繰り返す揚羽の言葉が引き攣れたリズムで聞こえる。
 腕か胴かを蹴り払ったが、意図しての動きではない。もだえた脚がぶつかっただけだ。ろくな力もない。痛がっている風もない。多分。何か言ってやろうと噛み締めていた口をなんとか開く。うめき声しか出てこない。歯がかち合う。今は舌は入れられないだろう。
 今は全身で暴れているようなものだが、これが数時間続いたあと、まだ痺れたままの身体で、抗える力は残っているだろうか。

(無理、か……)

 頭まで振り回されるように痛い。猿の鳴き声のような幻聴もある。





「痛っ、ちょ、なな何っ?! 猿?!」

 ……幻聴ではなかった。驚いて逃げた揚羽も、八尋のことも引っ掻いて、鮮やかな赤毛の猿は首を傾げる。

「ヌヌー」

 そしてもう一つ。
 もたつくような口調の、女の子どもの声がした。
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