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九落

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「うーん……ちょっと、なんか痛いんだけど……あ?」
「……」
「痛い痛い、えっ?! 何なになになになに?! あっ、や、八尋やひろ?」
「……よし。おはよう、揚羽あげは。お前の時計が正しければ今は午前3時だ。いい朝だな?」

 入っている寝袋ごと二の腕やみぞおちのあたりをひとまとめに強く縛ると人は起きる。想像に難くない。眠っている人を縛らせて大人しくさせておきたいときは軽く目覚めない程度に縛っておいて、起こしたいときに強い拘束をするべきだ。このように。

「えっ……や、、おはようだけど、今これ動けないんだけど! どうなってる……?」
「緊急措置で危険人物を縛っただけだ。気にするな」
「気にするよ!」
「そうだ、気になっていたことがあるんだ。教えてくれよ。この冥穴めいけつ内に罠をいくつ仕掛けたんだ? 私は2つしか見つけていない」
「……」
「罠のつもりではなかったなら、正しい呼び名を教えてくれ。考える時間はやるから」
「……」



 長いこと黙りこんでから、揚羽は、「うええ……」と泣き始めた。



「おしまいだァ……八尋に嫌われた……」
「正気か? 当たり前だろう。まさか嫌われないとでも思ってたのか?」
「バレないと思ってた……だって、ケガもしてなさそうだったし、置いたところ全部たまたま通らなくて気づかなかったのかなって……」
「いャ、しっかり掛かっていたよ。ほら、お望みの足の怪我だ」

 もう治りかけの跡を見せてやる。昨日は揚羽が油断するようにと、罠を見つけたとは一言も話さなかった。荷物を隠さずに寝るほど油断してくれたわけだ。

「あんまり怪我してない……」
「……優秀だからな。大怪我して死んで欲しかったか?」
「そうじゃない! じゃない、けど……その……」

 言いたくないのか意図を言語化できていないのか分からない。しばらく見守っていると、揚羽は「ちょっと考えまとめさせて」と言い出した。

「一応聞くが、お前今の状況理解してるか?」
「だって、八尋と違って僕、考えないと喋れないから! 誰でもそんなどんどん言葉出てくるわけじゃないじゃん!」

 全く立場の差を理解しているように見えないが、八尋は少し納得してしまった。力で勝っているのは八尋だが、揚羽の考えを知っているのは揚羽だけだ。旧友がどうしてこんなことをしたのか知りたければ、八尋も譲歩する価値はある。

「……なるほどな。それじゃあ少しは思考の整理を手伝ってやるよ。まず何を考えてるんだ、お前は」
「えっとさ……いつ気づいたの?」

 やはり危機感がない。自分が情報を得られる立場だと思っている。

「いつってなァ。そんなことを聞いてどうする? ……お前だとは思わなかったが、シューズを履いた人間がほぼ犯人だとは分かっていたから、靴で確信した。裏付けもいくつか取れたしな」
「え、それ最初からじゃん……昨日、超打ち解けたと思ってたんだけど……」
「とりあえず油断させることだけ考えてたからな」
「えっ」
「私が見張っている目の前ではさすがに悪事を働けないだろう。なら昨日は脅威にならない。だから後回しにした。結果、お前が寝ている間に私も睡眠が取れて助かったよ」
「えっ、あっ」
「色々と喋ってくれたしな」

 八尋は笑顔だ。筋肉の感覚では、冥穴に落とされてから一番楽しい顔をできている。心中は全く面白くないのに。

「結構急いでいたのに私に追いつかれたと言っただろう。あれでは、後から人が落ちてくると分かっていたから急いでいた人間の台詞に聞こえてしまう。私が生贄にされたことか、あるいは誰かが落ちてきたことには気づいていたのに罠を仕掛けたわけだ。私に会えて嬉しいだなんて、よくも言えたな。面白い皮肉じゃないか」
「違、違う」
「何が違う?」

「だ、だって八尋が追いかけてきてくれないといけないじゃん。どこに落ちるか分かんないのに」

「……ン?」
「僕が落ちたところが八尋の落ちるところより下で、八尋がずっとそこにいて下に来てくれなかったら、ずっと会えないんだよ?!」
「何を言って……ハ? いや本当に、何言ってるんだ……?」

 八尋は頭に手をやった。急に発熱が始まった気がする。熱の原因は目の前の寝袋から吐き出される怪言だ。

「バカじゃないよ。だから、八尋が落ちてきたとき、上に留まってたら僕とは会えないじゃん。でもああいうの置いといたら、八尋は誰がやったのか気になって下まで追いかけてくれるじゃん。僕、絶対八尋に会いたかったから。嬉しかったのは嘘じゃない」
「いや……最初にお前が降りついた場所より上に私が留まった場合、お前がいくら罠を仕掛けても絶対会えないと思うが……」
「そういう話じゃないじゃん! それに、八尋が僕より下に落ちてたら僕が降りなきゃ会えないから、僕はとにかく降りるしかなかったんだよ!」

 そういう話でないとして、こういう話にはならない。

(いや、なる理屈がどこかにあるのか……?)

 無視してしまいたいが、その理屈を知らずにいるのは今後の不都合になりそうだ。

「……罠ではなく、お前の書き置きでも良いだろう」
「だって……その、怒るでしょ、僕がいるって分かったら。それで口聞いてくれなくなったら……あれ? えーと、うん、だから……かな?」

 口ぶりが明らかに嘘だ。しかし、何を隠した結果嘘をついているのか分からない。

(何なんだ、この受け答えは……)

 昔からこんな性格だっただろうか。八尋が気づいていなかっただけか。記憶を美しい思い出にパッキングした際に違和感を抜いてしまったか。信じられない理屈で考えた結果出てきた結論だと思うと推測する気が失せる。

「アー、突っこみどころが多いが、まず。お前、私が冥穴に落とされることは知っていたんだな?」
「……うん。八尋がその、『花嫁』に決まったって聞いて、助けなきゃと思って先に降りてた」
「なぜだ……?」

「聞いて」以降が全く分からない。ちょうど冥穴に竜巻が巻き起こったので、お互いしばらくの間黙った。八尋の考えはまとまらなかったが、揚羽の方は説明が浮かんだらしい。

「……あのさ、何が伝わんない原因か分かった気がするから、なるべく簡単に言うね」
「ああ」
「まず僕は、八尋のことが好きで」
「ハア?」
「好きです」
「そんな訳ないだろう」
「いや、本当に。本気で。嘘じゃなくて。小学生の頃から好き。待って、まず聞いて。だからさ、八尋が落とされるって聞いて、しかも冥王の花嫁とかいうアレで、僕じゃ止められそうにないし、嫌で……他にどうしたらいいか思いつかなくて……」

 また泣きそうになっている。

「だってお前、ヒナ子が好きだろう」
「誤解だよ! 一度でもそんなの言ったことあった? ないから!」
「ンンン? 言ってなかったか? そうだ、この前、ヒナ子とコソコソ何してるのかと追求してきたのは」
「君と話したかったのにずっとヒナ子に取られるし2人でなんか、その、怪しい感じだったじゃん」
「ああ、そう言いたかったのかお前。村の奴らと態度が似ていたから、てっきりヒナ子と付き合うのに私が邪魔か仲人なこうどになって欲しいのかと。最近ますます美人になっただろ」
「美人は分かるけど違うから! 絶対! ヒナ子は絶対ないです! だからヒナ子のこといったん忘れて! ただの友達なんでしょ?」

 動けないのに噛みついてきそうだ。

「ああ、分かった。まだ信じがたいが、とりあえずお前が私を好きだということにするよ。それで……」
「ちょっと息整えさせて……それで、そうだ。この前会ったとき、八尋は僕のこと嫌いになったのかと思って。じゃあ会うときまで僕がいるって伝えない方がいいと思って、あと、危ない人がいるって思って怪我してたら、僕と一緒に行動してくれるようになるかなって……い、まのは嘘です……」
「なるほど」
「……と、とにかく、君にそんなに危ないことする気はなかったから……ごめん。怪我するとちょっとでも危険とか考えてなくて……」
「それはここまでの話でよく伝わったよ。謝らせる気も失せた」

 話が繋がった。とんでもないものを一つ見落としていたわけだ。

「細かいところはまだ分からないが……ン。時間か」
「時間?」

 冥王の囁き弱い旋風が冥穴内に吹き上がった。八尋は身だしなみを整える。リュックの中で見つけた骨片は八尋の懐に。アイスピックは普通に使えるだろうと何もせずリュックに戻してある。

「さよならの時間だよ。私は先に下に降りて、お前より早く進む。お前の拘束は頑張れば解ける程度にしてあるから、ゆっくり解いてくれ。これ以上会うこともなければ、お前がどんな危険思想を抱いていようと私に関係ない。それじゃあ」
「僕に何もしないの……?」
「何をしろって? ここは通報したら警察や救急が来てくれる場所じゃないんだぞ。怪我で死にたいなら私に頼るな。そしてつまらないことで死ぬな」
「許すってこと……?」
「許しはしないが、こんな生死の保証がない場所で文明的な犯罪の償いは求められない。生きて冥穴を出たら訴えてやるよ」

 余計なことを言っているうちにだいぶタイミングを逃してしまった。しかし、1分おきに吹く風はまだしばらく続く。八尋はただ待つ。

「待って! やだ、絶対やだ」
「仕方がないだろう。私はお前の思想に付き合ってやる気はない」
「というか僕、告白の答えも聞いてないんだけど!」
「ああ、悪いが付き合わない。これで答えになったな」
「やだやだやだやだ、そんな、やだよ八尋、話を」
「話す機会は昨日から十分あっただろう。正直私は、少しでも早く降りたいんだ。お前の罠の件が下へ行く動機じゃないんでね。そう決めている」

 またチャンスを逃す。次。この後は風が続く保証がないから、次は絶対に飛び降りなくては。

「ま、待って…………そうだ!」
「……」
「八尋! 君が『花嫁』になって冥穴に落とされる原因を作ったの、ぼ、僕なんだけど。それでも僕を許せる?!」

「……何だって?」



 風は止んだ。
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