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七落
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「……確定かな?」
八尋は軟らかい肉の地面から針を拾い上げる。既に雨は止み、肉も静止しているが、まだ空間全体が湿っている。
針。1本2本ではない。小さな発泡スチロールの球に突き通された針が8方向に突き出ている。どこに置かれていたのか、今となっては分からない。肉が盛大にかき回されたせいで、埋められていたものは掘り返され、木の葉や冥銭と共に肉襞の隅の方に寄せられていた。
骨片の罠だけでは確信できなかったが、今はほぼ間違いない。
(殺意ありか)
肉襞の動きにより助かったことになるが嬉しくはない。整えられた肉の床からは足跡も滞在痕もすっかり消えてしまった。
だが雨宿りをした白い組織のエリアで見つけた火の跡を見るに、シューズ男は近い。だいぶ迫る事ができた。
(あの雨の中では装備があっても進みが停滞したはずだ)
まだ荷造りでもしている可能性もある。だいたいの位置が分かれば長めに飛び降りて先に下へ行ってしまうこともできるが、降りた時に肉壁に埋まりでもして、動けずにいる間に降りてきた男と鉢合わせしたら最悪だ。
何より、飛び降りで距離をショートカットできるのは相手も同じだ。相手に優位な下手を取らせたまま迫ってきたことに気づかれるのが最も悪い。
「……ん」
肉襞が崩れ、真下の襞へと降りられそうな大きさの穴が空いている。他の場所からも降りられるが下の様子が見えるのはありがたい。八尋はそっと下の様子を覗きこんだ。
チラリと人間の足元が見えた。スニーカー。
(ッ!)
八尋はすぐに動きを止めた。大きな音を立てる要因がないことを確認して後ずさり、静かに一番外側に着ていた装束を脱ぐ。決して音を立てないように、そっと息を整えた。
これほど近くにいたとは気づかなかった。肉の動きと音が止んでからは大声も大きな物音も八尋は立てていなかったはずだ。おそらくまだ、気づかれていない。
囁き声も息も出さずに、口だけを動かす。やれるか、と。やれる、と。
男はゆっくり歩き回っていた。まだだ。
穴の真上を男が通ろうとしたその時に、八尋は視界を塞ぐように広げた装束を落とし、そのまま自分も飛び降りた。
今。
首。
首だけだ。
狙うのは布で隠れる前に見えていた頭の位置だけ。
「動くな! 動けば首を刺す!」
揉み合うというより、八尋が一方的に胴を体重で抑え込む形になった。背はあるが軽い。鍛えていない。とりあえず場所は分かったので、布の上から首へ、かんざしの先を押し付ける。男がかすかに下で身じろいだので、悪いがもう少しねじ込んだ。
「痛づっ、いた、痛い痛い痛い!!!」
「……は?」
男は情けない声を上げた。だからといって推定危険人物に対し力をゆるめる必要は全くないのだが、八尋は力を抜いた。
「うぅ……話、話を聞いてよ、八尋……」
「お前……」
死にそうな声を出しておきながら、男は拘束が緩んだ隙に腕をしれっと引き抜いた。顔に被さった布を払う。
「揚羽!」
よく知っている顔だ。その前に、よく知っている声だった。
「……えっ、な、なんで君脱いでるの?!」
「お前を捕まえるための処置だ! お前こそ、何故こんな所に居る……なんで、こんな所に! 大学に帰っただろ!」
「い、痛い! 掴みかかるなよ」
「バカが! 上には二度と戻れないんだぞ! 分かるだろ! なんで落ちた! お前は落とされないだろ! 何故!」
男は……八尋の旧友、夜狩揚羽は、急におとなしくなった。
「知ってる。……だから来たんだけど」
「ハァ?」
「と、とりあえずさ、離してくれないかな。その、話をしようよ。今のままだと僕、ちょっと辛いんだけど……」
「話なら今しているが? それに、お前が危け……いャ、とにかく話を聞く方が先だ。今に至るまでの経緯全部吐け」
「待って無理! 集中できないから!」
せっかく使える手を、揚羽はわざわざ自分の目を隠すのに使った。その意味に気が付いて、八尋は反射的に下着だけ着た上半身を腕で隠す。全部は隠れない。装束を引っ掴むと揚羽の上から飛びのいた。すぐに羽織って前を閉じ帯をかける。ゆっくりと上半身を起こした揚羽は、「ふーっ」と息をついて額に手を当てた。アウターは防水性のウィンドブレーカー。この体力の無さで八尋より長くサバイバル生活をしていたにしては、疲労が少なそうに見える。
「……お前、落ち着いてるな」
軽く探りを入れてみると何故か頬が赤くなった。
「そりゃ、もうガキじゃないから、僕。別に君の、はっだ、裸くらいでそんな……」
「そうか」
今度は丁寧に、型通りに八尋は揚羽の腕を極めた。まだ立ち上がっていない人間相手なのでたやすい。
「痛い痛い痛い! や、八尋……さん……?」
「落ち着いたなら話が出来るだろう。話せ。何故ここに居る」
「お、落ちたから」
「いつ? どうやって?」
「……1週間くらい前? 冥穴の社殿に入ったことないから、探検しようと思って中入ったら落ちた」
「ガキか」
「ガキって言わないで!」
「分かったよ。それからは?」
「え……頑張って生きてた……ホント八尋に会えてよかったぁ! 寂しかったから……」
「ああそう」
八尋は腕を離した。
「……お前、怪我はしてないか」
「今腕ひねられた……」
「暴力を受けたかじゃなく怪我をしたか聞いてる。ここまで降りてくる間には?」
「特に怪我はしてないけど……なんで?」
「傷口からの感染からの破傷風とかガス壊疽を最も警戒すべきだろう、こういう状況では。くたばりそうか確認したかっただけだ……」
口が滑る。一度八尋は口を閉じて、正面に回ると揚羽に手を差し出した。
「……口が悪いのは許してくれ。今のは悪かった。何にせよお前が生きていて良かったと思ってる」
「いや、気にしてないよ。僕も八尋と会えて良かった……けど、なんでそんな怒ってるの……?」
手を掴んで立ち上がった揚羽はまだ隙が多い。また腕をねじられる可能性は考えていないらしい。
「ここにお前がいるからだよ。バカだ。お前はバカだ……」
「……ヒナ子の方が良かった?」
「ハァ? お前実は殺されたいのか? ヒナ子をこんな所に来させたいわけないだろ?!」
「そ、そういう意味じゃなくてえ……八尋って話通じるまでに時間かかるんだよ……」
八尋は軟らかい肉の地面から針を拾い上げる。既に雨は止み、肉も静止しているが、まだ空間全体が湿っている。
針。1本2本ではない。小さな発泡スチロールの球に突き通された針が8方向に突き出ている。どこに置かれていたのか、今となっては分からない。肉が盛大にかき回されたせいで、埋められていたものは掘り返され、木の葉や冥銭と共に肉襞の隅の方に寄せられていた。
骨片の罠だけでは確信できなかったが、今はほぼ間違いない。
(殺意ありか)
肉襞の動きにより助かったことになるが嬉しくはない。整えられた肉の床からは足跡も滞在痕もすっかり消えてしまった。
だが雨宿りをした白い組織のエリアで見つけた火の跡を見るに、シューズ男は近い。だいぶ迫る事ができた。
(あの雨の中では装備があっても進みが停滞したはずだ)
まだ荷造りでもしている可能性もある。だいたいの位置が分かれば長めに飛び降りて先に下へ行ってしまうこともできるが、降りた時に肉壁に埋まりでもして、動けずにいる間に降りてきた男と鉢合わせしたら最悪だ。
何より、飛び降りで距離をショートカットできるのは相手も同じだ。相手に優位な下手を取らせたまま迫ってきたことに気づかれるのが最も悪い。
「……ん」
肉襞が崩れ、真下の襞へと降りられそうな大きさの穴が空いている。他の場所からも降りられるが下の様子が見えるのはありがたい。八尋はそっと下の様子を覗きこんだ。
チラリと人間の足元が見えた。スニーカー。
(ッ!)
八尋はすぐに動きを止めた。大きな音を立てる要因がないことを確認して後ずさり、静かに一番外側に着ていた装束を脱ぐ。決して音を立てないように、そっと息を整えた。
これほど近くにいたとは気づかなかった。肉の動きと音が止んでからは大声も大きな物音も八尋は立てていなかったはずだ。おそらくまだ、気づかれていない。
囁き声も息も出さずに、口だけを動かす。やれるか、と。やれる、と。
男はゆっくり歩き回っていた。まだだ。
穴の真上を男が通ろうとしたその時に、八尋は視界を塞ぐように広げた装束を落とし、そのまま自分も飛び降りた。
今。
首。
首だけだ。
狙うのは布で隠れる前に見えていた頭の位置だけ。
「動くな! 動けば首を刺す!」
揉み合うというより、八尋が一方的に胴を体重で抑え込む形になった。背はあるが軽い。鍛えていない。とりあえず場所は分かったので、布の上から首へ、かんざしの先を押し付ける。男がかすかに下で身じろいだので、悪いがもう少しねじ込んだ。
「痛づっ、いた、痛い痛い痛い!!!」
「……は?」
男は情けない声を上げた。だからといって推定危険人物に対し力をゆるめる必要は全くないのだが、八尋は力を抜いた。
「うぅ……話、話を聞いてよ、八尋……」
「お前……」
死にそうな声を出しておきながら、男は拘束が緩んだ隙に腕をしれっと引き抜いた。顔に被さった布を払う。
「揚羽!」
よく知っている顔だ。その前に、よく知っている声だった。
「……えっ、な、なんで君脱いでるの?!」
「お前を捕まえるための処置だ! お前こそ、何故こんな所に居る……なんで、こんな所に! 大学に帰っただろ!」
「い、痛い! 掴みかかるなよ」
「バカが! 上には二度と戻れないんだぞ! 分かるだろ! なんで落ちた! お前は落とされないだろ! 何故!」
男は……八尋の旧友、夜狩揚羽は、急におとなしくなった。
「知ってる。……だから来たんだけど」
「ハァ?」
「と、とりあえずさ、離してくれないかな。その、話をしようよ。今のままだと僕、ちょっと辛いんだけど……」
「話なら今しているが? それに、お前が危け……いャ、とにかく話を聞く方が先だ。今に至るまでの経緯全部吐け」
「待って無理! 集中できないから!」
せっかく使える手を、揚羽はわざわざ自分の目を隠すのに使った。その意味に気が付いて、八尋は反射的に下着だけ着た上半身を腕で隠す。全部は隠れない。装束を引っ掴むと揚羽の上から飛びのいた。すぐに羽織って前を閉じ帯をかける。ゆっくりと上半身を起こした揚羽は、「ふーっ」と息をついて額に手を当てた。アウターは防水性のウィンドブレーカー。この体力の無さで八尋より長くサバイバル生活をしていたにしては、疲労が少なそうに見える。
「……お前、落ち着いてるな」
軽く探りを入れてみると何故か頬が赤くなった。
「そりゃ、もうガキじゃないから、僕。別に君の、はっだ、裸くらいでそんな……」
「そうか」
今度は丁寧に、型通りに八尋は揚羽の腕を極めた。まだ立ち上がっていない人間相手なのでたやすい。
「痛い痛い痛い! や、八尋……さん……?」
「落ち着いたなら話が出来るだろう。話せ。何故ここに居る」
「お、落ちたから」
「いつ? どうやって?」
「……1週間くらい前? 冥穴の社殿に入ったことないから、探検しようと思って中入ったら落ちた」
「ガキか」
「ガキって言わないで!」
「分かったよ。それからは?」
「え……頑張って生きてた……ホント八尋に会えてよかったぁ! 寂しかったから……」
「ああそう」
八尋は腕を離した。
「……お前、怪我はしてないか」
「今腕ひねられた……」
「暴力を受けたかじゃなく怪我をしたか聞いてる。ここまで降りてくる間には?」
「特に怪我はしてないけど……なんで?」
「傷口からの感染からの破傷風とかガス壊疽を最も警戒すべきだろう、こういう状況では。くたばりそうか確認したかっただけだ……」
口が滑る。一度八尋は口を閉じて、正面に回ると揚羽に手を差し出した。
「……口が悪いのは許してくれ。今のは悪かった。何にせよお前が生きていて良かったと思ってる」
「いや、気にしてないよ。僕も八尋と会えて良かった……けど、なんでそんな怒ってるの……?」
手を掴んで立ち上がった揚羽はまだ隙が多い。また腕をねじられる可能性は考えていないらしい。
「ここにお前がいるからだよ。バカだ。お前はバカだ……」
「……ヒナ子の方が良かった?」
「ハァ? お前実は殺されたいのか? ヒナ子をこんな所に来させたいわけないだろ?!」
「そ、そういう意味じゃなくてえ……八尋って話通じるまでに時間かかるんだよ……」
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