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三落

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睦山むつやまヒナ
八尋やひろの一つ下で夢見がちな女子。美人のため男子の人気を集めているが本人は特に好ましく思う相手がいない様子。

 “ “ “ “ “ “ “ “
  ” ” ” ” ” ” ” ”



 壁の肉を軟らかい部分だけ簪でえぐり落とす。浅く掘られた穴に潜り込み、身体を足先から薄く肉で埋める。
 睡眠の為に出来ることは少ない。ほのかに温かく保たれているここでは、これ以上必要がなく、これ以外どうしようもない。

 どうやら八尋の数日前にこの道を通ったシューズの人間も、同じ結論に至ったらしい。
 人の寝た痕跡のある浅い穴を、八尋はそのまま使った。楽だ。それに大体、想像がつく。
 穴の大きさからして背は八尋より頭ひとつほど大きい。頭の上にへこみがあるのは一定量の荷物を置いていたからだろう。歩き回るのに苦にならない程度の重量。
 穴の形や浅さ、かすかに残るへこみから考えて、さほど大柄ではない。しかし八尋と比べると決定的な違和感がある。

「……男か」

 そしてシューズ。
 好意的に見れば、着のみ着のまま放り捨てられたか、誤って転落した普段履きの靴のよそ者。
 悪意で解釈すれば、肉の洞と言い伝えられるこの縦穴を進むため、用意周到にスポーツシューズを履いた者。この肉の抉り方も、何か道具を用いたように見える。少なくとも骨を加工できるだけの獲物は持っている。

(不気味だ)

 言い換えれば中途半端だ。こんな閉ざされた場所で人を罠にはめる理由は、八尋にはピンと来ない。
 思いつかないわけではない。貴重な服や持ち物を奪うとか。

(ならば、罠に落ちたところを待ち伏せて実際に奪うべきだ。人が来なかったので諦めて撤収するとしたら、武器になる骨は置き去りにせず持っていくべきだ)

 あるいは、上から何かに追われていたか。

(悠長にこんな罠を仕掛けて偽装する余裕があるなら逃げたほうが早い。それに、偽装が必要とすれば追手は知能のある生物。人間? 同じ足跡の者が実は2人居た?)

 しかしシューズ跡は急いで逃げたり追ったものには見えない。隠れてやり過ごそうとした痕跡もない。結局罠が乱れずに残されているのも説明しにくい。ついでに当然、人間以外の動物の足跡も見当たらない。それなら、いもしない者に追われている妄想を抱いた者が狂乱の中で仕掛けたと考えた方が納得感がある。

(いや、その説はかなり納得できるな)

 確かなことは、今、安全だということだ。
 一度この下の肉襞へ降りたら、距離からしてもう上へは戻れない。この軟らかすぎる肉は掴んで這い上れないし跳躍ができない。鉤縄かぎなわのような道具があっても、鉤爪かぎづめが引っかかる硬い場所がない。

(分厚い肉襞の中心には赤黒い肉や白く硬い組織の層があるだろうが、本物の忍者でもあるまいし、そこまで見事に投げ具を扱えるものか)

 八尋にも自信はない。そもそも、そんな芸当が出来るのなら勝手に地上へ戻るだろう。

「あ」

 もう一つあの罠を仕掛ける理由を思いついて、八尋は口の端を歪める。
 ただ人を傷つけたい狂人。悲鳴を聞き届ける事すら求めず、いつ訪れるかも分からない誰かをいつか傷つける事を、夢想的に狙った加害欲求者。

「……ハッ。だったら、どうしろと?」








 “ “ “ “ “ “ “ “


「……ヒナ子と……」
「アァ? 女ひとり乱暴に捕まえておいて、そんなか細い声で喋るなよ、揚羽あげは
「ヒナ子だよ! 君はヒナ子と何をしてる?」
「何を? 要領を得ないな。ただの友人同士の付き合いじゃないか。昔はそれにお前も混ざっていただろう」
「昔だよ。今の君は、君達はさ……」
「はァ。揚羽、お前が外の高校へ行っている間に、私とヒナ子も少しは変わったのさ。もう背の伸びたお前をクソガキ呼ばわりしないから、お前もガキのような戯れをするな」
「ガキ?!」
「今がそうだろう。私が女だてらに鍛えているのは、押し相撲ずもうを挑まれる為じゃない。離せ。退いてくれ。ヒナ子と親交を戻したいなら私に絡まず直接ヒナ子に言えよ」
「そんな事は言ってない」
「友人以上になりたいのなら、なおさらだ。もっとも、その気があるならもう少し紳士的に振る舞うべきだが、なッ!」
「っ!」
「……武道だって護身術のつもりで学んじゃいない。揚羽、私は行くが追いかけてくるなよ。進学校とやらは暇じゃないだろう」


 ” ” ” ” ” ” ” ”







「……ッあぁ……」

 何時間寝ただろう。目覚めは悪かった。
 睡眠中に襲われる事はなかった。肉に含まれる消化液に衣服や身体を溶かされる事も、呼吸器をただれさせる気体が低く漂ってくる事もなかったらしい。鼻腔に違和感のある臭いはないが嗅覚に異常が出ている可能性はある。穴の外から大規模な空気の循環があるのは確認済みとして、意識を失って窒息する程度の短時間だけ別の気体が溜まる可能性もあった。

(考えても無駄な事が、多いな)

 事実そうだったとして、大した対策は取れない。危急で考えなければならない事は、あと一つだけだ。

 腹が空いた。

 この洞窟の肉は食べられるか。消化できるか。栄養はあるか。致命的なものをもたらさないか。
 落ちてきた時にたまたま口に含んだ限り、刺激や違和感はなかった。が、いやに小綺麗で自然の動植物が見当たらない場所だ。枯れ葉は所々にあるのに雑草の一本も生えていない、虫の一匹も見えずたからない場所だ。

(体力があるうちに試すべきか)

 念のため壁の高めの場所の肉にする。表面は落とし、中ごろでえぐった肉を小さく千切り、舌に乗せる。

 軟らかい。
 舌と鼻が壊れたかのように味も臭いも感じない。口に入れてしまえば分かるのは触覚と聴覚だけだ。ハンバーグの肉だねを手で混ぜているような感覚。油分はあまり感じない。噛むとほぼ抵抗無く細切れになる。
 八尋は一息に飲み込んで息を吐く。嫌になる前に手元の他の肉も口に入れる。流し込む水もない。

「あァ……そうか……」

 無。
 この穴の底までに活路がなければ、最後の晩餐はこの肉だ。次に腹が減るまで多少生きながらえたとしても、大して変わりはしない。
 近くに落ちていた葉を一枚拾って噛めば、青臭い嫌な味と臭いが口内に広がった。吐き捨てる。

「きついな……」
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