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5章 stay with me
そして、私たちは
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仕事をしていても、力が入らない。
力が入らないというか、ここは自分がいる場所ではないような、疎外感を感じる。
ブイに掴まっていたはずが、大きな海に、何1つ持たずに彷徨っているような心細さ。
直哉さんと別れた私は、自分の存在理由を、直哉さんに押し付けて保っていたことを、別れてから知った。
「すみれさん、少し休んだら?」
小雨が降っているというのに、真梨子さんに心配されてしまう。本当は私が気を使わなくてはいけないのに。
「大丈夫です。最近、良く寝れていなくて……」
半分は本当で、半分は嘘だった。眠れなくてボロボロになっているのではなく、直哉さんがいなくてボロボロなのだと、言いたかったけれど言えない。
怪訝そうに眉をひそめた真梨子さんを遮って、私は付け加える。
「すみません。本当に大丈夫ですから」
そう言った時、ドアチャイムが鳴った。杖をついたおばあさんが、入ってくる。
「いらっしゃいませ」
真梨子さんが、さっと近寄り扉を開けるのを手伝う。おばあさんは、店内に入ると真梨子さんの方を向いて、お辞儀をした。
「先日、こちらでお買い物したの。これよ」
おばあさんは、左胸につけたブローチを見せる。こぐまの形をしたブローチには、星座が描かれている。確か、ポラリスの為に作ってくれた作品だ。
「それは……」
真梨子さんが、戸惑った顔になる。私は、真梨子さんの後ろに近づき、両手を体の前で合わせる。
商品に不備があったのかもしれない。咄嗟にそう思った。
「ありがとう」
おばあさんは、再びお辞儀をした。表情は柔らかだった。私は、真梨子さんを見る。
「これは、確か。お客様がプレゼントにと購入されたものですよね」
「そうよ。あなたに包んでもらった」
おばあさんは、微笑む。真梨子さんの戸惑いを楽しんでいるようだった。
「私ね。とっても嫌な事があった時、自分にプレゼントをする事にしているのよ」
そう言って、おばあさんはこぐま座のブローチに触れる。
「嫌な事があった自分が、"次の自分"に『次は良い事があるわよ』ってプレゼントを贈るの。そうして、私は立ち直る事が出来たの。
今までに何回かプレゼントをもらってきたけれど、今回のプレゼントは、とても温かい気持ちになれたのよ。ここに着けていると、お守りみたいに力が湧いてくる気がするの。だから、こうしてお礼にきたの」
おばあさんは、真梨子さんと私を見る。
「あなたの包装には、心がこもっていたわ。包装紙を1つずつめくっていく度、新しい気持ちになれた。ここの商品がとても大切にされていることが、伝わってきたわ。それから、この素敵な作品を作ってくれた人に、可能ならお礼を伝えて頂戴」
そう言うと、おばあさんはドアベルを鳴らして、店を出た。真梨子さんは、ドアが閉まっても頭を下げ続けていた。
『次は良い事があるわよ』
おばあさんの言葉が、頭の中でリフレインしていた。
次は良い事がある。
次は。
ポラリスを出て、小港荘へ向かっていると、坂の途中でひかるが立っていた。仁王立ちで、こちらを睨むようにして。
その姿が面白くて、私はくすっと笑った。汗をぬぐって、小さく手を振る。降っていた雨は止んで、代わりにムッとする暑さがあった。
ひかるが坂を下りてくる。怒ったような、むくれたような顔をしている。どうしたのだろう。
「ひかる、どうしたの?」
そう言い終わる前に、抱きしめられる。一瞬、直哉さんの姿が脳裏をよぎる。
「ごめんね」
私はすごい勢いで首を横に振っていた。あの日が、フラッシュバックする。心がえぐれそうだ。「ごめんね」
2度言われて、異変に気がついた。顔を覗き込むとひかるは、泣いていた。静かに、泣いていた。
手をひいて、小港荘へ案内する。
ひかるも、泣いたりするのだと不思議な気持ちになる。私は「ごめんね」の理由を聞かなかった。
グラスに氷をいれて、アイスティーを注ぐ。窓際で、外を見ているひかるにそれを渡す。
「坂の途中からでも、海、良く見えるね」
ひかるの隣に座って、私も窓の外を見る。グラスの中の氷が、涼しい音を奏でた。
「すみれに言ってなかった事がある。あたし、実は浮気されたんだ」
「えっ」
チクリ、胸に何かが刺さった。「早く別れた方がいい」と言った時のひかるの表情が思い出された。
「……ごめんね」
「違う。謝るのはあたしの方なんだ」
こちらを見たひかるの輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。ひかるも泣いているのかな。強くて、向日葵みたいなひかるも、笑顔の裏では泣いていたのに、気がつかなかった。
「嫉妬に、八つ当たりに、最低だよ、あたし」
鼻をすする音が聞こえた。首を振って俯いたら、ふふふっと声が漏れた。それは止められなくって、私は軽快に笑った。
「やっぱり、ひかるは坂の上の住人だね」
目尻の涙を拭いながら言うと「ナニソレ」と、ひかるも笑った。
目の前の海は、暗い。ビルの赤い光が生き物みたいだ。
「あたしはさ、結局のとこ、涼が恋しくて待ってるんじゃない。涼にフラれた自分が虚しくて、可哀相でさ、認めたくない気持ちがあったんだと思う」
ひかるは、グラスをぐるぐる回しながら言う。氷がキラキラと音を立てた。
「今日、火葬してきた。赤パンツ」
「火葬?」
「そう。燃えるゴミの日」
ひかるは、にいっと笑う。スッキリした顔。
「もう、必要ないから。それに、男のパンツ持ってるのも変態みたいで、嫌だし」
いつもの調子に戻ってきて、私もつられて元気が湧いてきた。心はまだ痛むけれど、そのままでいいと思えた。
「あのね、今日お客様が言ってたの。嫌な事があったら、次の自分の為にプレゼントを渡すって」
「自分で自分にプレゼントするってこと?」
私は頷く。
「『次は良い事があるわよ』って」
「次は、良い事が……。いいね」
私たちは黙って、窓の外を眺める。
夜空の中を、星を探す。こぐま座はどこだろう。北極星はどこだろう。
「坂の途中が好きなの。終わらない物語の中にいるようで。中途半端なところが、私に似ているから」
空に向かってそう言うと、隣のひかるはくすりと肩をふるわせる。
「あたしは坂の上が好き。何だって上の方が良く見えるから。憧れは、遠くにある方がいいから」
「青春っぽくない?」
とひかるが呟いて、
「そんな歳じゃないか」と互いに笑った。
「青春ついでにさ、お互いにプレゼント贈り合わない? 自分にプレゼントするのもいいけどさ、やっぱりプレゼントは貰いたいものだよ」
「いいね。今、行こう!」
私は立ち上がる。
「今?」
とひかるが変な声をあげたけれど、構わず玄関へ向かう。
『次は良い事があるわよ』
うん。きっと。
だから、大丈夫。
私たちが立ち直れる、目印のような、輝くプレゼントを選ぼう。
玄関のドアを開ける前に、私は飾り棚を見る。
その上には、瞬間接着剤で繋ぎ合わせた「恋を運ぶ鳥」がこちらを向いて、ちょこんと座っている。
力が入らないというか、ここは自分がいる場所ではないような、疎外感を感じる。
ブイに掴まっていたはずが、大きな海に、何1つ持たずに彷徨っているような心細さ。
直哉さんと別れた私は、自分の存在理由を、直哉さんに押し付けて保っていたことを、別れてから知った。
「すみれさん、少し休んだら?」
小雨が降っているというのに、真梨子さんに心配されてしまう。本当は私が気を使わなくてはいけないのに。
「大丈夫です。最近、良く寝れていなくて……」
半分は本当で、半分は嘘だった。眠れなくてボロボロになっているのではなく、直哉さんがいなくてボロボロなのだと、言いたかったけれど言えない。
怪訝そうに眉をひそめた真梨子さんを遮って、私は付け加える。
「すみません。本当に大丈夫ですから」
そう言った時、ドアチャイムが鳴った。杖をついたおばあさんが、入ってくる。
「いらっしゃいませ」
真梨子さんが、さっと近寄り扉を開けるのを手伝う。おばあさんは、店内に入ると真梨子さんの方を向いて、お辞儀をした。
「先日、こちらでお買い物したの。これよ」
おばあさんは、左胸につけたブローチを見せる。こぐまの形をしたブローチには、星座が描かれている。確か、ポラリスの為に作ってくれた作品だ。
「それは……」
真梨子さんが、戸惑った顔になる。私は、真梨子さんの後ろに近づき、両手を体の前で合わせる。
商品に不備があったのかもしれない。咄嗟にそう思った。
「ありがとう」
おばあさんは、再びお辞儀をした。表情は柔らかだった。私は、真梨子さんを見る。
「これは、確か。お客様がプレゼントにと購入されたものですよね」
「そうよ。あなたに包んでもらった」
おばあさんは、微笑む。真梨子さんの戸惑いを楽しんでいるようだった。
「私ね。とっても嫌な事があった時、自分にプレゼントをする事にしているのよ」
そう言って、おばあさんはこぐま座のブローチに触れる。
「嫌な事があった自分が、"次の自分"に『次は良い事があるわよ』ってプレゼントを贈るの。そうして、私は立ち直る事が出来たの。
今までに何回かプレゼントをもらってきたけれど、今回のプレゼントは、とても温かい気持ちになれたのよ。ここに着けていると、お守りみたいに力が湧いてくる気がするの。だから、こうしてお礼にきたの」
おばあさんは、真梨子さんと私を見る。
「あなたの包装には、心がこもっていたわ。包装紙を1つずつめくっていく度、新しい気持ちになれた。ここの商品がとても大切にされていることが、伝わってきたわ。それから、この素敵な作品を作ってくれた人に、可能ならお礼を伝えて頂戴」
そう言うと、おばあさんはドアベルを鳴らして、店を出た。真梨子さんは、ドアが閉まっても頭を下げ続けていた。
『次は良い事があるわよ』
おばあさんの言葉が、頭の中でリフレインしていた。
次は良い事がある。
次は。
ポラリスを出て、小港荘へ向かっていると、坂の途中でひかるが立っていた。仁王立ちで、こちらを睨むようにして。
その姿が面白くて、私はくすっと笑った。汗をぬぐって、小さく手を振る。降っていた雨は止んで、代わりにムッとする暑さがあった。
ひかるが坂を下りてくる。怒ったような、むくれたような顔をしている。どうしたのだろう。
「ひかる、どうしたの?」
そう言い終わる前に、抱きしめられる。一瞬、直哉さんの姿が脳裏をよぎる。
「ごめんね」
私はすごい勢いで首を横に振っていた。あの日が、フラッシュバックする。心がえぐれそうだ。「ごめんね」
2度言われて、異変に気がついた。顔を覗き込むとひかるは、泣いていた。静かに、泣いていた。
手をひいて、小港荘へ案内する。
ひかるも、泣いたりするのだと不思議な気持ちになる。私は「ごめんね」の理由を聞かなかった。
グラスに氷をいれて、アイスティーを注ぐ。窓際で、外を見ているひかるにそれを渡す。
「坂の途中からでも、海、良く見えるね」
ひかるの隣に座って、私も窓の外を見る。グラスの中の氷が、涼しい音を奏でた。
「すみれに言ってなかった事がある。あたし、実は浮気されたんだ」
「えっ」
チクリ、胸に何かが刺さった。「早く別れた方がいい」と言った時のひかるの表情が思い出された。
「……ごめんね」
「違う。謝るのはあたしの方なんだ」
こちらを見たひかるの輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。ひかるも泣いているのかな。強くて、向日葵みたいなひかるも、笑顔の裏では泣いていたのに、気がつかなかった。
「嫉妬に、八つ当たりに、最低だよ、あたし」
鼻をすする音が聞こえた。首を振って俯いたら、ふふふっと声が漏れた。それは止められなくって、私は軽快に笑った。
「やっぱり、ひかるは坂の上の住人だね」
目尻の涙を拭いながら言うと「ナニソレ」と、ひかるも笑った。
目の前の海は、暗い。ビルの赤い光が生き物みたいだ。
「あたしはさ、結局のとこ、涼が恋しくて待ってるんじゃない。涼にフラれた自分が虚しくて、可哀相でさ、認めたくない気持ちがあったんだと思う」
ひかるは、グラスをぐるぐる回しながら言う。氷がキラキラと音を立てた。
「今日、火葬してきた。赤パンツ」
「火葬?」
「そう。燃えるゴミの日」
ひかるは、にいっと笑う。スッキリした顔。
「もう、必要ないから。それに、男のパンツ持ってるのも変態みたいで、嫌だし」
いつもの調子に戻ってきて、私もつられて元気が湧いてきた。心はまだ痛むけれど、そのままでいいと思えた。
「あのね、今日お客様が言ってたの。嫌な事があったら、次の自分の為にプレゼントを渡すって」
「自分で自分にプレゼントするってこと?」
私は頷く。
「『次は良い事があるわよ』って」
「次は、良い事が……。いいね」
私たちは黙って、窓の外を眺める。
夜空の中を、星を探す。こぐま座はどこだろう。北極星はどこだろう。
「坂の途中が好きなの。終わらない物語の中にいるようで。中途半端なところが、私に似ているから」
空に向かってそう言うと、隣のひかるはくすりと肩をふるわせる。
「あたしは坂の上が好き。何だって上の方が良く見えるから。憧れは、遠くにある方がいいから」
「青春っぽくない?」
とひかるが呟いて、
「そんな歳じゃないか」と互いに笑った。
「青春ついでにさ、お互いにプレゼント贈り合わない? 自分にプレゼントするのもいいけどさ、やっぱりプレゼントは貰いたいものだよ」
「いいね。今、行こう!」
私は立ち上がる。
「今?」
とひかるが変な声をあげたけれど、構わず玄関へ向かう。
『次は良い事があるわよ』
うん。きっと。
だから、大丈夫。
私たちが立ち直れる、目印のような、輝くプレゼントを選ぼう。
玄関のドアを開ける前に、私は飾り棚を見る。
その上には、瞬間接着剤で繋ぎ合わせた「恋を運ぶ鳥」がこちらを向いて、ちょこんと座っている。
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