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氷樹の森の大賢者
27.アイゼルネの禍月
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「……百五十、百四十、百三十」
アラクネのカウントに合わせて高まる緊張感、回りにいる誰もが森の奥を見据えて盾を構え、剣を持ち、弓に矢を番えている。
敵か味方かもわからない森の奥の集団は、ゆっくりと着実にその距離をこちらへと縮めていた。
「集団停止、一体だけ突出、斥候ね……距離百十、九十、七十、五十……足を止めたわ」
距離が近くなったことで向こうもこちらに気がついたようだ。
木陰からこちらを伺っているのだろう、私も展開下【探知】の刻印によって地図に位置を表示することはできている。
確かにそこに居る、というのはわかるのだ。
しかし、うまく森のなかに紛れているのか視覚に捉えることまではできない。
もう少し詳細に探知するために、私は刻印魔術の発展形の使い方、連結というのをためしてみることにした。
刻印魔術にはゲーム時代のスキル──魔法とは異なる技術が幾つもある、その拡張性は魔法の有用性を遥かに上回る可能性を秘めていた。
その一つが刻印の"連結"だ。
複数の刻印をつなげる事で、より目的に沿った効果にカスタマイズするその技術は、一流の術師になるうえで必要となる。
単独でもある程度、使い方に個性の出る刻印魔術だが、連結によって生み出される効果は本当に幅広く、うまく組み合わせ調整を施せばもっと精度の良い探知が行えるはずだ。
ぶっつけ本番にはなるが、探知ならば失敗してどうにかなるものでもないだろう。
まずは【探知】の印を宙に刻む。
大前提として中心に据える刻印に、続けて【収束】の刻印を重ねて展開していく。
対象の情報に絞ることで精度の向上を図る。
更に対象の位置をより詳細につかむため【追跡】の刻印を展開。
これで完成、三つの刻印の連結を終わらせ刻印魔術を発動させる。
同時に、私の視界にデジタルの補正が入ったように幾つもの線が入る。
十字に交錯するように入る線と、円周上に展開する線、横には距離を表す数字がこの世界の文字で表示されている。
そして森の木陰の向こう側に隠れる人の姿が浮かび上がる。
どうやら成功らしい、そこまで捉えてしまえば私の万物の叡智を用いて対象を確認することも可能だった。
そして表示された名前に、私は警戒を解いて前へと無防備に足をすすめる。
慌てて止めようとするノフィカは間に合わず、アラクネは何やら驚いてぽかんとしていて止めるタイミングを逸したようだ。
「ゼフィアでしょう、大丈夫だからでてきなさいな」
私の声に対して、少しの間のあとに森のなかから出てきたのは、随分久しぶりに会う気がするエウリュアレの守護剣士、ゼフィア・エフメネシアは、私の隣に居るノフィカの姿を見て険しい表情を浮かべたのだった。
騎士団の団長と副団長、そして信頼できる隊の部下数名。
私とアラクネ、ノフィカとゼフィア、カレンさんとガヴィルさん、そして村長とユナさん。
全員が集まり情報交換という場になっても、ゼフィアは不機嫌なままだった。
理由こそ口にしないものの、おそらくこの状況でノフィカが戻ってきたことに対して不満があるのだろう事は容易に想像がつく。
「ゼフィア、とりあえずこれを渡しておきます」
「ああ、ありがとな」
ゼフィアは受け取った木箱をなれた手つきで開き中にある剣を確認すると腰へと提げる。
これで彼は双剣が揃ったことになる。
それでも彼は不機嫌な様子のままで、ノフィカは理由を察しているのか何も言わずに少し距離をとった。
そんな二人の微妙な距離感が僅かに空気に残るまま、話は始まった。
「では、アイゼルネの本隊はまだ上陸していないのか?」
「不明ね。私たちは村の畑が焼かれたことに気づいて一旦離れることにしたの。罠を仕掛けてきたから、運がよければ多少の時間稼ぎにはなるかも。一応見た限り船は八隻だったらしいわ」
「随分と中途半端な行動だが……偵察ついで、か?」
カレンさんの説明に、ユリエルが首を傾げる。
確かに奇襲前に狼煙を上げるような行為に意味があるとは思えない、しかし意味のない行動をするような軍など常識的に考えて居ないだろう。
意図が読めないのは不安を煽るに十分だ。
「とりあえずこの状況は好都合だ、斥候を出して位置を確認しながら首都まで撤退しよう」
「俺らは下がる気はないぞ」
カレンさんの夫であるガヴィル・ラキウスの言葉に、ユリエルの眉間に皺が寄った。
地面に突き立てた斧の柄に手をやり、ドワーフ特有の身長の低さからやや見上げる形であったが、その様子に一切の迷いも、ユリエルに対して恐れる様子もない。
「……ガヴィル、正気か?」
ユリエルの反応は明らかに否定の意味を持ったものだった。
その反応は当然のように思える。
船一隻にどれぐらいの人員が乗るかがそもそも私にはわからないが、それでも私達より多いことぐらいは想像に頑ない。
そんな状態で引かずに闘うなど、それこそ自殺行為に等しいだろう。
「ガヴィル、理由はなんだ。この状況でこの場にとどまる理由は?」
「未来を繋ぐためだ。今ここで村が完全にダメになってみろ、次はどうする」
「ガヴィルに賛成だね、今ここで村が壊滅すれば再建は厳しいだろう。そうなると次は首都が直接襲撃されることになる、それは私らの望む所じゃないさ」
ガヴィルさんのいうことにユナさんも同意を示す。
言っていることはわからなくもないんだけど、それは命を捨ててまで守るものなのだろうか。
「この十年で積み上げてきたものを完全に失ってしまえば、わしらの十年は無かったことになる……いや、今回の襲撃を防げたことは僥倖ですが、それを絶やすなどできませんな」
村長もその言葉に同意する。
カレンさん、ゼフィアにノフィカもどうやら同じ側に居るらしい。
対してユリエルさんは剣呑な面持ちというか、少し纏う空気に怒気をはらませている。
ただそれが向いているのはエウリュアレの皆と言うよりは……。
「それは、未だに正式な部隊の派遣もできず監視砦を作ることすらままならない、我らと王都の貴族たちへの言葉、でしょうか」
その言葉に対してエウリュアレの皆は何も言わず、アラクネが眉をしかめてその光景を眺めていた。
外部の者からすれば当然の反応といえるかもしれない。
なんとなく、という憶測でしかないけれど、エウリュアレがこれまでやってこれたのは一定の成果があり、順調に事が進んでいて大きな被害もなく、ある程度自立していたからなのだと察することができた。
今回のことでそれが崩れれば、それが軒並み悪いことへ転がっていってしまう可能性がとても高い、皆そう判断しているんだろう。
それでも、だからこそエウリュアレの人たちは引こうとしないし、ユリエルさんたちは撤退戦をしようとしているんだろう。
村の畑が全部焼き払われれば次の収穫まで食べるものがない、次の収穫がいつになるかもわからない。
その間、村を維持するならば他の場所から食料を持ってこなければならない、人通りが少なくろくに整備もされていない街道と呼べるのかも怪しい道を片道で五日もかけて。
隊商となればもう少しかかるかもしれない。
住処が全部壊されれば立て直しまでは野宿だ。
それを立て直すための資材をどこから手に入れるかというなら、周辺の採取の他には王都の商人に頼むしかなくなる。
周辺で取れるものだけでは足りないだろう。
十年でただ一度だけ王都への奇襲を防いだ、それだけのためにどこがどんな支援をするか。
それもある程度皆の頭のなかにあって、だからこそ……。
「アラクネ、船八隻って言ってたけど、実際に乗って闘う連中はどれ位居ると思う?」
「…船の大きさがはっきりわからないから乗員数の特定はできないわね。少なく見積もっても四百、多ければ千を超えるかも」
小声でした問いかけに、彼女はその意図を察したのか小さく返してくれる。
少なく見積もって四百、こちらの倍近くともなればやはり勝算は低いか。
大魔法が使えるのであれば多少の数なら強引に押すこともできただろうが、あいにくと私の職業にそういう魔法は自爆技のみだ。
まずは数を減らしでもしなければどうにもならないか。
「とりあえずさ、ガヴィルさんたちは何か考えている作戦はあるわけ?」
とりあえず聞いてみないと始まらない、そう思って声をかけたものの、芳しい反応はない。
引き下がれはしないけれど策は無し、か。
できるならあんまり大事にならない、皆と同じ程度のレベルで協力してなんとかなる方法があればいいんだけども。
「ここで村を空にすれば、村に火を放たない可能性もあると思うが」
少し場が落ち着いてからユリエルさんが放った言葉にそれぞれが注目する。
確かに理屈としてはそうだ、誰もいない村をわざわざ焼き払うことをするだろうか……。
そんな可能性を否定したのは、この場において一番の部外者であり、アイゼルネをおそらく最もよく知るだろう人物、アラクネだった。
「まず間違いなく焼き払うでしょうね」
確信を持って紡がれたであろう強い言葉に、全員の注目が集まる。
「奴ら、アイゼルネはまるで異教の文明全てを憎んでいるかのように、その痕跡の一切を消しにかかるのがこれまでの行動パターンよ。村を開ければ村を無視して追ってくる、というのはおそらく一番の楽観視だわ」
「だとしたらなおさら引き下がれん」
「しかし、我々としてもここであなた達を失う訳にはいかない。この付近の開拓の知識を一番持っているのは間違いなくあなた達だ、あなた達を失うことは村を失う以上の後退を意味する」
平行線だねぇ……この話グダグダ続けてる間に襲撃されるんじゃないか?
それは流石にバカバカしいな、ちょいと石投げてみるかね。
「結局のところ、守り切るのは無理だって、皆わかっちゃってるんでしょう?」
私の言葉にその場の全員が一応頷いてみせた。
結局のところ噛み合っていないのは村を守りたいエウリュアレ組と、全員まとめて一旦撤退したい騎士団組なわけだ。
「じゃあさ、守らなければいいんだよ」
私が提案した回答は非常にシンプルで、このいかに村を守るか、撤退するかを覆すものだった。
守り切ることが不可能なとき、普通は逃げることを選択する。
守り切れないとわかっていながら守ろうとするのであればそれは自殺と変わらない。
だから私は提案したのだ。
──攻めよう、と。
私は今アラクネと一緒に森のなかに潜んでいる。
理由は単純明快で、私とアラクネが遊撃部隊だからだ。
遊撃、そう……遊撃部隊なのだ。
「しかし驚いたわ、そんな服装で私と同じように駆け回れるだなんて」
「私からすれば術師っぽいあなたがやたら身体能力高いことに驚いてるけどね」
ふわりとしたローブを纏ったまま平気で森のなかを駆けまわる私に対してアラクネが言った言葉に、私も言葉を返す。
運動もできて頭もいいとかどんな嫌がらせだ、嫌に感じないのがなおのこと……なんかやり場のない感情が生まれそうである。
そんなことは置いておき、戦術として奇襲による一撃離脱で敵の戦力を削ぎつつ村から離れた森の中へ誘導する。
そう決まった時に奇襲を担当する遊撃として名乗りをあげたのがアラクネだった。
彼女曰く、私の得物は奇襲からの一撃離脱に秀でているから任せてほしい。
当然エウリュアレの者達は反対した、外部からの協力者にそんな危険なマネはさせられないと。
だが、他に適任者は居なかったのだ。
魔術が使えるユナさんはそこまで身軽に動けるわけでもない。
ガヴィルさんは斧であり奇襲と離脱には向かない武器を使っている。
ゼフィアは機動力もあり一つの部隊を率いて別所で動いている。
カレンさんは理想的だったものの身重ときた。
結果として遊撃部隊の数はごく少数である。
騎士団から何人か出ているものの、圧倒的に数が足りない。
そして何よりも、アラクネは【探知】の刻印術が使える為、奇襲について圧倒的に優位だということだ。
で、私が結局一人で行かせるのが不安で同行を申し出たわけだ。
この手の行動でツーマンセルは基本だろう。
最初アラクネは自分についてこれるとは思わないと行ったが、結果は現状の通りである。
ゲーム時代のステータスで一番高かったのは敏捷なのだから、この結果は概ね予想通りだ。
私としては、他の場所に居るよりかは力を使いやすい事も含めてなのだが、結果ふたりきりで森のなかである。
意識しないといえば嘘になる。
アラクネって、美人なのよね……ほんとに。
褐色属性は無かったはずなんだけどな、私。
「リーシア、本当にいいの?」
「ん、何が?」
「……危険だということを認識していないのかしら?」
「その言葉そのまま返してもいい?」
自分のことをサラッと棚上げしたねキミは。
「ま、私には私なりの理由がある、踏み込んじゃったしいまさら逃げ帰るつもりはない」
「そう、ならもう何も言わない。前は任せるわ」
「うまく合わせてもらえると助かるかな」
距離正面二十、数三、【探知】の刻印魔術で調べた情報を頼りに私は森の向こうへと躍り出た。
視界に入ったのは真っ黒で禍々しい、まるで洞窟の奥の湿り気を持った暗闇を練りあげて作ったような鎧を纏った人型の存在だった。
人間と言われればそう見ることもできるだろう、だが一目見た時私はそれを人間と認識したくないという気持ちに駆られた。
原因はわからないが、そこにあるのは確かな嫌悪感。
右手に風羽を、左手にスペル・キャストを逆手に構え森を駆ける。
数歩で彼我の距離をゼロにした私は至近距離から風羽を使って"瞬影閃"を発動し瞬く間に三連の斬撃を閃かせた。
だが、それらは全て漆黒の鎧に受け止められ、また弾かれる。
風羽の刃が通らないことを悟り左手のスペル・キャストを振るって"重剣撃"を打ち込んでみるもやはりこちらも通らない。
随分と高い防御力をしているようだ。
仕方なく滑るように合間を縫って、注意を引き付けながら向こう側へと駆け抜ける。
振り向きざまにスペル・キャストに込めてある"雷影閃"を開放。
一条の電撃が迸り漆黒の鎧を舐めるように駆け巡る、肉の焼け焦げる匂いとともに一体が崩れ落ち反応がなくなるのを確認し、そのまま森の奥へと翔ぶ。
ゆらりと、残る二体がひどく緩慢な動作で私へと向きなおった。
その動きには生気というものが感じられず、言うならば死人のような気味の悪さを纏っている。
「…………セヨ……コウセヨ………ウセヨ」
微かに何かのつぶやきのような物が耳に届いたが、正確に聞き取ることはできず薄気味悪さだけが滞留する。
二体が私の方へと注意を向け、彼女に背を向けた。
次の瞬間、完全に死角となった背後から無数の糸が二体に絡みつく。
アラクネの呼び名の由来となったという武器、アラクネウェブを使った攻撃は寸分違わず二体を拘束しきっていた。
手はずではアラクネの武器を使って寸断するはずだったのだが──二体はその動きを拘束されただけでにとどまっている。
どういうことか考えるよりも前に直感が、アラクネの糸で断ちきれなかったのだと告げた。
アラクネの武器の攻撃力はスペルキャストと65の差がある、それはかなり高いと思われるがこいつらの鎧がそれを上回っているのかもしれない。
敵性存在だから正確な値を万物の叡智こともできないしどうするか……。
そう思っていて、ようやく異変に気づいた。
動けないように拘束された二体のアイゼルネ兵士は、あろうことかその状態で無理やり体を動かそうと──剣を振るおうと──足を進めようとしつづけているのだ。
動けるはずもないぐらい、アラクネの拘束は盤石で、周囲の木々を介して作られたそれはまさに蜘蛛の巣のごとくだ。
抜けられるはずもなく、現に糸は緩みもしない。
だというのに、軋む音とひしゃげる音と……何かがちぎれる音が響く。
その光景を私は見ている、目の前で目の当たりにしている。
だというのに、それに理解が追いつかない。
思考がまるで目の前で起きているものを受け付けないかのように……。
拘束されたまま腕を無理やり振るおうとした結果、アイゼルネの兵士二人は自身の腕を引きちぎり、ちぎれた腕をぶんぶんと、まるで剣を振るっているかのつもりで振り続けた。
吹き出した血が飛び散り地面を赤黒く染める。
その光景が、何か悪い冗談のようだった。
右腕も、左足も、無理やり込められた力によって緩やかに自壊していく。
まるで操り人形が自分からねじ切れようとしているようだ。
なんなの、こいつらは……。
思わず"雷影閃"で二体とも焼き払らおうと考えたものの、その場合アラクネまで感電する可能性がある、アラクネの武器はミスリルの糸、電気を通さないなんてことはありえないだろう。
現状で速やかにことを終わらせるにはアラクネの攻撃を成立させるのが最も手っ取り早い。
「"武器威力増大"!」
私の中から開放されたマナがたしかに力を発揮した次の瞬間、アラクネの糸で拘束されていた二人の鎧の姿がバラバラになって崩れ落ちた。
鎧ごと断ち切られた体が散らばり大量の血を溢れさせ地面を赤黒く染める。
その段階になってようやく、この兵士たちは動くことをやめた。
木の上から降りてきたアラクネはその有様に顔をしかめたあと、私に対して詰め寄ってきた。
「リーシア、貴女何をしたの? 私の糸ではあの鎧は切れそうも無かったのだけれど」
「……ちょっと切れ味を良くしただけよ。そんなに長く持たないけどね」
確か持続時間は1百五十秒ぐらいだったか。
これもしかしたら何度もかけ直さないといけないかもしれないな。
そんなことを考えながら、私は先ほど見た光景を忘れようと必死だった。
アラクネのカウントに合わせて高まる緊張感、回りにいる誰もが森の奥を見据えて盾を構え、剣を持ち、弓に矢を番えている。
敵か味方かもわからない森の奥の集団は、ゆっくりと着実にその距離をこちらへと縮めていた。
「集団停止、一体だけ突出、斥候ね……距離百十、九十、七十、五十……足を止めたわ」
距離が近くなったことで向こうもこちらに気がついたようだ。
木陰からこちらを伺っているのだろう、私も展開下【探知】の刻印によって地図に位置を表示することはできている。
確かにそこに居る、というのはわかるのだ。
しかし、うまく森のなかに紛れているのか視覚に捉えることまではできない。
もう少し詳細に探知するために、私は刻印魔術の発展形の使い方、連結というのをためしてみることにした。
刻印魔術にはゲーム時代のスキル──魔法とは異なる技術が幾つもある、その拡張性は魔法の有用性を遥かに上回る可能性を秘めていた。
その一つが刻印の"連結"だ。
複数の刻印をつなげる事で、より目的に沿った効果にカスタマイズするその技術は、一流の術師になるうえで必要となる。
単独でもある程度、使い方に個性の出る刻印魔術だが、連結によって生み出される効果は本当に幅広く、うまく組み合わせ調整を施せばもっと精度の良い探知が行えるはずだ。
ぶっつけ本番にはなるが、探知ならば失敗してどうにかなるものでもないだろう。
まずは【探知】の印を宙に刻む。
大前提として中心に据える刻印に、続けて【収束】の刻印を重ねて展開していく。
対象の情報に絞ることで精度の向上を図る。
更に対象の位置をより詳細につかむため【追跡】の刻印を展開。
これで完成、三つの刻印の連結を終わらせ刻印魔術を発動させる。
同時に、私の視界にデジタルの補正が入ったように幾つもの線が入る。
十字に交錯するように入る線と、円周上に展開する線、横には距離を表す数字がこの世界の文字で表示されている。
そして森の木陰の向こう側に隠れる人の姿が浮かび上がる。
どうやら成功らしい、そこまで捉えてしまえば私の万物の叡智を用いて対象を確認することも可能だった。
そして表示された名前に、私は警戒を解いて前へと無防備に足をすすめる。
慌てて止めようとするノフィカは間に合わず、アラクネは何やら驚いてぽかんとしていて止めるタイミングを逸したようだ。
「ゼフィアでしょう、大丈夫だからでてきなさいな」
私の声に対して、少しの間のあとに森のなかから出てきたのは、随分久しぶりに会う気がするエウリュアレの守護剣士、ゼフィア・エフメネシアは、私の隣に居るノフィカの姿を見て険しい表情を浮かべたのだった。
騎士団の団長と副団長、そして信頼できる隊の部下数名。
私とアラクネ、ノフィカとゼフィア、カレンさんとガヴィルさん、そして村長とユナさん。
全員が集まり情報交換という場になっても、ゼフィアは不機嫌なままだった。
理由こそ口にしないものの、おそらくこの状況でノフィカが戻ってきたことに対して不満があるのだろう事は容易に想像がつく。
「ゼフィア、とりあえずこれを渡しておきます」
「ああ、ありがとな」
ゼフィアは受け取った木箱をなれた手つきで開き中にある剣を確認すると腰へと提げる。
これで彼は双剣が揃ったことになる。
それでも彼は不機嫌な様子のままで、ノフィカは理由を察しているのか何も言わずに少し距離をとった。
そんな二人の微妙な距離感が僅かに空気に残るまま、話は始まった。
「では、アイゼルネの本隊はまだ上陸していないのか?」
「不明ね。私たちは村の畑が焼かれたことに気づいて一旦離れることにしたの。罠を仕掛けてきたから、運がよければ多少の時間稼ぎにはなるかも。一応見た限り船は八隻だったらしいわ」
「随分と中途半端な行動だが……偵察ついで、か?」
カレンさんの説明に、ユリエルが首を傾げる。
確かに奇襲前に狼煙を上げるような行為に意味があるとは思えない、しかし意味のない行動をするような軍など常識的に考えて居ないだろう。
意図が読めないのは不安を煽るに十分だ。
「とりあえずこの状況は好都合だ、斥候を出して位置を確認しながら首都まで撤退しよう」
「俺らは下がる気はないぞ」
カレンさんの夫であるガヴィル・ラキウスの言葉に、ユリエルの眉間に皺が寄った。
地面に突き立てた斧の柄に手をやり、ドワーフ特有の身長の低さからやや見上げる形であったが、その様子に一切の迷いも、ユリエルに対して恐れる様子もない。
「……ガヴィル、正気か?」
ユリエルの反応は明らかに否定の意味を持ったものだった。
その反応は当然のように思える。
船一隻にどれぐらいの人員が乗るかがそもそも私にはわからないが、それでも私達より多いことぐらいは想像に頑ない。
そんな状態で引かずに闘うなど、それこそ自殺行為に等しいだろう。
「ガヴィル、理由はなんだ。この状況でこの場にとどまる理由は?」
「未来を繋ぐためだ。今ここで村が完全にダメになってみろ、次はどうする」
「ガヴィルに賛成だね、今ここで村が壊滅すれば再建は厳しいだろう。そうなると次は首都が直接襲撃されることになる、それは私らの望む所じゃないさ」
ガヴィルさんのいうことにユナさんも同意を示す。
言っていることはわからなくもないんだけど、それは命を捨ててまで守るものなのだろうか。
「この十年で積み上げてきたものを完全に失ってしまえば、わしらの十年は無かったことになる……いや、今回の襲撃を防げたことは僥倖ですが、それを絶やすなどできませんな」
村長もその言葉に同意する。
カレンさん、ゼフィアにノフィカもどうやら同じ側に居るらしい。
対してユリエルさんは剣呑な面持ちというか、少し纏う空気に怒気をはらませている。
ただそれが向いているのはエウリュアレの皆と言うよりは……。
「それは、未だに正式な部隊の派遣もできず監視砦を作ることすらままならない、我らと王都の貴族たちへの言葉、でしょうか」
その言葉に対してエウリュアレの皆は何も言わず、アラクネが眉をしかめてその光景を眺めていた。
外部の者からすれば当然の反応といえるかもしれない。
なんとなく、という憶測でしかないけれど、エウリュアレがこれまでやってこれたのは一定の成果があり、順調に事が進んでいて大きな被害もなく、ある程度自立していたからなのだと察することができた。
今回のことでそれが崩れれば、それが軒並み悪いことへ転がっていってしまう可能性がとても高い、皆そう判断しているんだろう。
それでも、だからこそエウリュアレの人たちは引こうとしないし、ユリエルさんたちは撤退戦をしようとしているんだろう。
村の畑が全部焼き払われれば次の収穫まで食べるものがない、次の収穫がいつになるかもわからない。
その間、村を維持するならば他の場所から食料を持ってこなければならない、人通りが少なくろくに整備もされていない街道と呼べるのかも怪しい道を片道で五日もかけて。
隊商となればもう少しかかるかもしれない。
住処が全部壊されれば立て直しまでは野宿だ。
それを立て直すための資材をどこから手に入れるかというなら、周辺の採取の他には王都の商人に頼むしかなくなる。
周辺で取れるものだけでは足りないだろう。
十年でただ一度だけ王都への奇襲を防いだ、それだけのためにどこがどんな支援をするか。
それもある程度皆の頭のなかにあって、だからこそ……。
「アラクネ、船八隻って言ってたけど、実際に乗って闘う連中はどれ位居ると思う?」
「…船の大きさがはっきりわからないから乗員数の特定はできないわね。少なく見積もっても四百、多ければ千を超えるかも」
小声でした問いかけに、彼女はその意図を察したのか小さく返してくれる。
少なく見積もって四百、こちらの倍近くともなればやはり勝算は低いか。
大魔法が使えるのであれば多少の数なら強引に押すこともできただろうが、あいにくと私の職業にそういう魔法は自爆技のみだ。
まずは数を減らしでもしなければどうにもならないか。
「とりあえずさ、ガヴィルさんたちは何か考えている作戦はあるわけ?」
とりあえず聞いてみないと始まらない、そう思って声をかけたものの、芳しい反応はない。
引き下がれはしないけれど策は無し、か。
できるならあんまり大事にならない、皆と同じ程度のレベルで協力してなんとかなる方法があればいいんだけども。
「ここで村を空にすれば、村に火を放たない可能性もあると思うが」
少し場が落ち着いてからユリエルさんが放った言葉にそれぞれが注目する。
確かに理屈としてはそうだ、誰もいない村をわざわざ焼き払うことをするだろうか……。
そんな可能性を否定したのは、この場において一番の部外者であり、アイゼルネをおそらく最もよく知るだろう人物、アラクネだった。
「まず間違いなく焼き払うでしょうね」
確信を持って紡がれたであろう強い言葉に、全員の注目が集まる。
「奴ら、アイゼルネはまるで異教の文明全てを憎んでいるかのように、その痕跡の一切を消しにかかるのがこれまでの行動パターンよ。村を開ければ村を無視して追ってくる、というのはおそらく一番の楽観視だわ」
「だとしたらなおさら引き下がれん」
「しかし、我々としてもここであなた達を失う訳にはいかない。この付近の開拓の知識を一番持っているのは間違いなくあなた達だ、あなた達を失うことは村を失う以上の後退を意味する」
平行線だねぇ……この話グダグダ続けてる間に襲撃されるんじゃないか?
それは流石にバカバカしいな、ちょいと石投げてみるかね。
「結局のところ、守り切るのは無理だって、皆わかっちゃってるんでしょう?」
私の言葉にその場の全員が一応頷いてみせた。
結局のところ噛み合っていないのは村を守りたいエウリュアレ組と、全員まとめて一旦撤退したい騎士団組なわけだ。
「じゃあさ、守らなければいいんだよ」
私が提案した回答は非常にシンプルで、このいかに村を守るか、撤退するかを覆すものだった。
守り切ることが不可能なとき、普通は逃げることを選択する。
守り切れないとわかっていながら守ろうとするのであればそれは自殺と変わらない。
だから私は提案したのだ。
──攻めよう、と。
私は今アラクネと一緒に森のなかに潜んでいる。
理由は単純明快で、私とアラクネが遊撃部隊だからだ。
遊撃、そう……遊撃部隊なのだ。
「しかし驚いたわ、そんな服装で私と同じように駆け回れるだなんて」
「私からすれば術師っぽいあなたがやたら身体能力高いことに驚いてるけどね」
ふわりとしたローブを纏ったまま平気で森のなかを駆けまわる私に対してアラクネが言った言葉に、私も言葉を返す。
運動もできて頭もいいとかどんな嫌がらせだ、嫌に感じないのがなおのこと……なんかやり場のない感情が生まれそうである。
そんなことは置いておき、戦術として奇襲による一撃離脱で敵の戦力を削ぎつつ村から離れた森の中へ誘導する。
そう決まった時に奇襲を担当する遊撃として名乗りをあげたのがアラクネだった。
彼女曰く、私の得物は奇襲からの一撃離脱に秀でているから任せてほしい。
当然エウリュアレの者達は反対した、外部からの協力者にそんな危険なマネはさせられないと。
だが、他に適任者は居なかったのだ。
魔術が使えるユナさんはそこまで身軽に動けるわけでもない。
ガヴィルさんは斧であり奇襲と離脱には向かない武器を使っている。
ゼフィアは機動力もあり一つの部隊を率いて別所で動いている。
カレンさんは理想的だったものの身重ときた。
結果として遊撃部隊の数はごく少数である。
騎士団から何人か出ているものの、圧倒的に数が足りない。
そして何よりも、アラクネは【探知】の刻印術が使える為、奇襲について圧倒的に優位だということだ。
で、私が結局一人で行かせるのが不安で同行を申し出たわけだ。
この手の行動でツーマンセルは基本だろう。
最初アラクネは自分についてこれるとは思わないと行ったが、結果は現状の通りである。
ゲーム時代のステータスで一番高かったのは敏捷なのだから、この結果は概ね予想通りだ。
私としては、他の場所に居るよりかは力を使いやすい事も含めてなのだが、結果ふたりきりで森のなかである。
意識しないといえば嘘になる。
アラクネって、美人なのよね……ほんとに。
褐色属性は無かったはずなんだけどな、私。
「リーシア、本当にいいの?」
「ん、何が?」
「……危険だということを認識していないのかしら?」
「その言葉そのまま返してもいい?」
自分のことをサラッと棚上げしたねキミは。
「ま、私には私なりの理由がある、踏み込んじゃったしいまさら逃げ帰るつもりはない」
「そう、ならもう何も言わない。前は任せるわ」
「うまく合わせてもらえると助かるかな」
距離正面二十、数三、【探知】の刻印魔術で調べた情報を頼りに私は森の向こうへと躍り出た。
視界に入ったのは真っ黒で禍々しい、まるで洞窟の奥の湿り気を持った暗闇を練りあげて作ったような鎧を纏った人型の存在だった。
人間と言われればそう見ることもできるだろう、だが一目見た時私はそれを人間と認識したくないという気持ちに駆られた。
原因はわからないが、そこにあるのは確かな嫌悪感。
右手に風羽を、左手にスペル・キャストを逆手に構え森を駆ける。
数歩で彼我の距離をゼロにした私は至近距離から風羽を使って"瞬影閃"を発動し瞬く間に三連の斬撃を閃かせた。
だが、それらは全て漆黒の鎧に受け止められ、また弾かれる。
風羽の刃が通らないことを悟り左手のスペル・キャストを振るって"重剣撃"を打ち込んでみるもやはりこちらも通らない。
随分と高い防御力をしているようだ。
仕方なく滑るように合間を縫って、注意を引き付けながら向こう側へと駆け抜ける。
振り向きざまにスペル・キャストに込めてある"雷影閃"を開放。
一条の電撃が迸り漆黒の鎧を舐めるように駆け巡る、肉の焼け焦げる匂いとともに一体が崩れ落ち反応がなくなるのを確認し、そのまま森の奥へと翔ぶ。
ゆらりと、残る二体がひどく緩慢な動作で私へと向きなおった。
その動きには生気というものが感じられず、言うならば死人のような気味の悪さを纏っている。
「…………セヨ……コウセヨ………ウセヨ」
微かに何かのつぶやきのような物が耳に届いたが、正確に聞き取ることはできず薄気味悪さだけが滞留する。
二体が私の方へと注意を向け、彼女に背を向けた。
次の瞬間、完全に死角となった背後から無数の糸が二体に絡みつく。
アラクネの呼び名の由来となったという武器、アラクネウェブを使った攻撃は寸分違わず二体を拘束しきっていた。
手はずではアラクネの武器を使って寸断するはずだったのだが──二体はその動きを拘束されただけでにとどまっている。
どういうことか考えるよりも前に直感が、アラクネの糸で断ちきれなかったのだと告げた。
アラクネの武器の攻撃力はスペルキャストと65の差がある、それはかなり高いと思われるがこいつらの鎧がそれを上回っているのかもしれない。
敵性存在だから正確な値を万物の叡智こともできないしどうするか……。
そう思っていて、ようやく異変に気づいた。
動けないように拘束された二体のアイゼルネ兵士は、あろうことかその状態で無理やり体を動かそうと──剣を振るおうと──足を進めようとしつづけているのだ。
動けるはずもないぐらい、アラクネの拘束は盤石で、周囲の木々を介して作られたそれはまさに蜘蛛の巣のごとくだ。
抜けられるはずもなく、現に糸は緩みもしない。
だというのに、軋む音とひしゃげる音と……何かがちぎれる音が響く。
その光景を私は見ている、目の前で目の当たりにしている。
だというのに、それに理解が追いつかない。
思考がまるで目の前で起きているものを受け付けないかのように……。
拘束されたまま腕を無理やり振るおうとした結果、アイゼルネの兵士二人は自身の腕を引きちぎり、ちぎれた腕をぶんぶんと、まるで剣を振るっているかのつもりで振り続けた。
吹き出した血が飛び散り地面を赤黒く染める。
その光景が、何か悪い冗談のようだった。
右腕も、左足も、無理やり込められた力によって緩やかに自壊していく。
まるで操り人形が自分からねじ切れようとしているようだ。
なんなの、こいつらは……。
思わず"雷影閃"で二体とも焼き払らおうと考えたものの、その場合アラクネまで感電する可能性がある、アラクネの武器はミスリルの糸、電気を通さないなんてことはありえないだろう。
現状で速やかにことを終わらせるにはアラクネの攻撃を成立させるのが最も手っ取り早い。
「"武器威力増大"!」
私の中から開放されたマナがたしかに力を発揮した次の瞬間、アラクネの糸で拘束されていた二人の鎧の姿がバラバラになって崩れ落ちた。
鎧ごと断ち切られた体が散らばり大量の血を溢れさせ地面を赤黒く染める。
その段階になってようやく、この兵士たちは動くことをやめた。
木の上から降りてきたアラクネはその有様に顔をしかめたあと、私に対して詰め寄ってきた。
「リーシア、貴女何をしたの? 私の糸ではあの鎧は切れそうも無かったのだけれど」
「……ちょっと切れ味を良くしただけよ。そんなに長く持たないけどね」
確か持続時間は1百五十秒ぐらいだったか。
これもしかしたら何度もかけ直さないといけないかもしれないな。
そんなことを考えながら、私は先ほど見た光景を忘れようと必死だった。
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