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第九話 彼は誰 時の渡り鳥
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◯
私のこと。私の今の最大の悩み、それは――。
「……最近、会えてない」
「御影殿にか?」
私は小さく頷いた。神々廻さんにこんな話をしても仕方ないのに、何故か私の口は次々と言葉を紡ぐ。
「ほんっとあいつは酷い野郎よ。もう一分一秒が長くてたまんないわ」
「一日千秋というやつじゃな」
「そうね。やっぱり置いてかれるのは駄目みたい。でも……」
そこで一旦区切って呼吸を整え、声に出す。
「動けないの。足りない。多分……すべてを変えるための、覚悟が」
「ほう」
「私が動くのは、彼を裏切るのと同じ気がするのよ」
御影の居場所には心当たりがある。でも、何故わかったのかを問い詰められたら、『時の記憶の能力を隠していたこと』が知られてしまう。そんなの彼は良い気なんてしないだろう。
『御影にろくに気も許せぬ小娘が、この水神を一体どう救うつもりだ?』
水神さまが、御影のぞっとするほど整った顔でそう告げる。ああ、これぞ神様の言う通り。私はきっと心の底から彼を信じられていない。信用はしてるつもりだ。でも『助けたい』と思うことは、信頼できていないことの裏返しではないのか。
じゃあ私はどうすればいいのだろう? 悶々とする。そうしてなんとなく神々廻さんを視界に入れたとき、彼女の姿に誰かの面影が重なった。
あれは幼い私が湖に溺れかけた数日後のこと。今と同じ図書館の閲覧席でのシチュエーション。亜麻色の髪をポニーテールにした優しげなお姉さんが、私に筆談で話しかけてきて――――。
「おぬし、ご加護を受けておるのじゃな」
神々廻さんの声に、一拍反応が遅れた。
「…………え、ごめん、何て?」
「加護じゃ」
「かご」
私はおうむ返しする。神々廻さんは両頬を掌で支えた頬杖の姿勢で、こちらにおっとりと上目遣いを向けていた。その琥珀色の虹彩の真ん中、瞳孔が世にも珍しい十字型であることを私は初めて知った。
「霖羽には、先輩の背後に水神さまやおぬしの御祖の気が見えるのじゃ。巫でもないのにこれまで強く御神に寵愛されるとは、ほんに不思議じゃの~」
「それ、ほんと?」
「嘘はつけぬぞ。えっへん」
「あ、そうなの……ご先祖に、水神さまか……」
カイル王子。さらさらのブロンドをもつ、たおやかで清らかな陽だまりのような人。悠久の時を超えて、私に時の記憶の能力と水神救済の使命を託した。開拓と希望を象徴する血は、この私の体にも流れているのだという。
水神さま。霊泉『龍の睛』で血迷う私を追い返した。あれに悪意は感じられなかった。あの口づけも振る舞いも、夜に似た静かな優しさと厳しさを併せ持っていた。カイルに名前を貰った恩を返すとかで、子孫である私にも目をかけてくれたのだろうか。勿論、真意は彼?彼女?にしか分からないけど。
そう思ううちに、ある考えに辿り着く。
『私を助けてくれなかった』なんて、凝り固まった被害妄想か、自分を哀れっぽく思いたいだけの強欲だったのかもしれない、と。
水神ヒヨウ、だっけ。
「ねえ、一個質問があるの」
「む」
「巫って、水神さまのほんとの名前知ってるの?」
「おお、儀式で奏上する祝詞の中で、必ず御名を申し上げるぞ。ヒヨウ様、じゃったかの?」
――じゃあ、何故御影はそれを知らなかった?
確か干上がった湖の調査中に石碑を見つけたときは。
『ヒヨウだ。あんた、聞き覚えない?』
『恐らく初めてだ……と思う』
御影は巫の家の出身でいろんな知識を叩き込まれたそうだから、水神の真名なんてどこかで耳にしたはずだ。私みたいな興味関心の偏りの激しい一般人とは立場が違う。あれだけ長命で博識な彼だ。ましてや自分の職に関することを知らないというのは絶対におかしい。
そして御影の身体には、二百年前から現在に至るまで時の記憶が欠け落ちていた。私の未熟ではない。何度触れて確かめても、がらんどうでしかなかったのだ。二百年といえば脳の容量の限界だとか本で読んだことがあるけど、普段の彼を見る限り、彼自身が最近の行動を忘れているとは思えない。
――まさか、月夜見の水の影響を受ける『記憶』とイストリアの『記憶』は別物?
月夜見の水が作用するのは、人間の脳に蓄積されていく一般的な記憶。
イストリアは万物がもつ思念で、魂とやらに常に刻まれる特別な記録。もし、この予想が正しければ。
【《水神》には我らのような魂は無い。魂の器も然りである】
さっきの本の文面が脳裏に閃く。
思わず私は鞄を探り、愛用の手帳に挟んである紙切れを開いた。瞬間、私の頭は冴え渡り、心は明鏡止水に達する。
二百年もの魂の空白。御影自身の言葉。正体不明の『約束』。
――――あ。
時が止まった。神々廻さんの呼び掛ける声が、私を包む透明な壁の向こうで響いている。
私は生きるための呼吸そっちのけで、自分自身が導き出した答えに没頭しながら、真実の味を確かめていく。胸がばくばくとうるさく鳴る。口元が高揚に歪む。手足の小さな震えが次から次へと熱を生んで、この体を末端から中心までを燃え上がらせる。目尻から頬を流れる一筋の冷たさが、まるで氷のように感じられた。
ああ。私はもう彼を追うしかない。彼が危険に晒される前に、忘れたことを思い出させてやるのだ。恐れるものも失うものも無い。ただ挑むだけ。今まで何百何千と迎えてきた朝とは違う、本当の夜明けをこの目で見に往く。もう悩んでても仕方ない。私が助けたいから、助けるのだ。
彼には酷い逃亡癖がある。でも最後には損得勘定をかなぐり捨てて、自分を犠牲に立ち向かう。
だからその行方は、彼の記憶が見えなくても、記憶を見なくても分かる。
続
私のこと。私の今の最大の悩み、それは――。
「……最近、会えてない」
「御影殿にか?」
私は小さく頷いた。神々廻さんにこんな話をしても仕方ないのに、何故か私の口は次々と言葉を紡ぐ。
「ほんっとあいつは酷い野郎よ。もう一分一秒が長くてたまんないわ」
「一日千秋というやつじゃな」
「そうね。やっぱり置いてかれるのは駄目みたい。でも……」
そこで一旦区切って呼吸を整え、声に出す。
「動けないの。足りない。多分……すべてを変えるための、覚悟が」
「ほう」
「私が動くのは、彼を裏切るのと同じ気がするのよ」
御影の居場所には心当たりがある。でも、何故わかったのかを問い詰められたら、『時の記憶の能力を隠していたこと』が知られてしまう。そんなの彼は良い気なんてしないだろう。
『御影にろくに気も許せぬ小娘が、この水神を一体どう救うつもりだ?』
水神さまが、御影のぞっとするほど整った顔でそう告げる。ああ、これぞ神様の言う通り。私はきっと心の底から彼を信じられていない。信用はしてるつもりだ。でも『助けたい』と思うことは、信頼できていないことの裏返しではないのか。
じゃあ私はどうすればいいのだろう? 悶々とする。そうしてなんとなく神々廻さんを視界に入れたとき、彼女の姿に誰かの面影が重なった。
あれは幼い私が湖に溺れかけた数日後のこと。今と同じ図書館の閲覧席でのシチュエーション。亜麻色の髪をポニーテールにした優しげなお姉さんが、私に筆談で話しかけてきて――――。
「おぬし、ご加護を受けておるのじゃな」
神々廻さんの声に、一拍反応が遅れた。
「…………え、ごめん、何て?」
「加護じゃ」
「かご」
私はおうむ返しする。神々廻さんは両頬を掌で支えた頬杖の姿勢で、こちらにおっとりと上目遣いを向けていた。その琥珀色の虹彩の真ん中、瞳孔が世にも珍しい十字型であることを私は初めて知った。
「霖羽には、先輩の背後に水神さまやおぬしの御祖の気が見えるのじゃ。巫でもないのにこれまで強く御神に寵愛されるとは、ほんに不思議じゃの~」
「それ、ほんと?」
「嘘はつけぬぞ。えっへん」
「あ、そうなの……ご先祖に、水神さまか……」
カイル王子。さらさらのブロンドをもつ、たおやかで清らかな陽だまりのような人。悠久の時を超えて、私に時の記憶の能力と水神救済の使命を託した。開拓と希望を象徴する血は、この私の体にも流れているのだという。
水神さま。霊泉『龍の睛』で血迷う私を追い返した。あれに悪意は感じられなかった。あの口づけも振る舞いも、夜に似た静かな優しさと厳しさを併せ持っていた。カイルに名前を貰った恩を返すとかで、子孫である私にも目をかけてくれたのだろうか。勿論、真意は彼?彼女?にしか分からないけど。
そう思ううちに、ある考えに辿り着く。
『私を助けてくれなかった』なんて、凝り固まった被害妄想か、自分を哀れっぽく思いたいだけの強欲だったのかもしれない、と。
水神ヒヨウ、だっけ。
「ねえ、一個質問があるの」
「む」
「巫って、水神さまのほんとの名前知ってるの?」
「おお、儀式で奏上する祝詞の中で、必ず御名を申し上げるぞ。ヒヨウ様、じゃったかの?」
――じゃあ、何故御影はそれを知らなかった?
確か干上がった湖の調査中に石碑を見つけたときは。
『ヒヨウだ。あんた、聞き覚えない?』
『恐らく初めてだ……と思う』
御影は巫の家の出身でいろんな知識を叩き込まれたそうだから、水神の真名なんてどこかで耳にしたはずだ。私みたいな興味関心の偏りの激しい一般人とは立場が違う。あれだけ長命で博識な彼だ。ましてや自分の職に関することを知らないというのは絶対におかしい。
そして御影の身体には、二百年前から現在に至るまで時の記憶が欠け落ちていた。私の未熟ではない。何度触れて確かめても、がらんどうでしかなかったのだ。二百年といえば脳の容量の限界だとか本で読んだことがあるけど、普段の彼を見る限り、彼自身が最近の行動を忘れているとは思えない。
――まさか、月夜見の水の影響を受ける『記憶』とイストリアの『記憶』は別物?
月夜見の水が作用するのは、人間の脳に蓄積されていく一般的な記憶。
イストリアは万物がもつ思念で、魂とやらに常に刻まれる特別な記録。もし、この予想が正しければ。
【《水神》には我らのような魂は無い。魂の器も然りである】
さっきの本の文面が脳裏に閃く。
思わず私は鞄を探り、愛用の手帳に挟んである紙切れを開いた。瞬間、私の頭は冴え渡り、心は明鏡止水に達する。
二百年もの魂の空白。御影自身の言葉。正体不明の『約束』。
――――あ。
時が止まった。神々廻さんの呼び掛ける声が、私を包む透明な壁の向こうで響いている。
私は生きるための呼吸そっちのけで、自分自身が導き出した答えに没頭しながら、真実の味を確かめていく。胸がばくばくとうるさく鳴る。口元が高揚に歪む。手足の小さな震えが次から次へと熱を生んで、この体を末端から中心までを燃え上がらせる。目尻から頬を流れる一筋の冷たさが、まるで氷のように感じられた。
ああ。私はもう彼を追うしかない。彼が危険に晒される前に、忘れたことを思い出させてやるのだ。恐れるものも失うものも無い。ただ挑むだけ。今まで何百何千と迎えてきた朝とは違う、本当の夜明けをこの目で見に往く。もう悩んでても仕方ない。私が助けたいから、助けるのだ。
彼には酷い逃亡癖がある。でも最後には損得勘定をかなぐり捨てて、自分を犠牲に立ち向かう。
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