月鏡の畔にて

ruri

文字の大きさ
96 / 128
第十話 銀の彊弓

1

しおりを挟む
 ◯

 私は冴さんの記憶を見た。時間軸は、冴さんの手首に触れて時の記憶イストリアを発動したこの瞬間から十日前。場所は月鏡を臨む丘に建つ大病院である。

 顔の左半分を覆う長い前髪の麗人――冴さんの療養する病室に、二百年来の友人が見舞いに訪れていた。お決まりの丈長の白服に身を包み、つんと澄ました御影だ。冴さんは愉しげに指二本を唇に近づけ、にやっと笑って出迎える。

煙草たばこ無ぇ?」
「開口一番それか。ここは喫煙禁止だ」
「口がさみしいんだよ」
「止せ、骨の治癒ちゆが遅れるぞ」
「ヴッ……いんや箔が付くってやつさ。かっけえだろ」

 顔を引きつらせつつ強がる冴さん。御影は溜め息をついてベッド脇の椅子に座り、白い包帯で固定された旧友の左足をちらりと確認する。

「君が骨をやるとは珍しい」
「うるっせ蹴るぞ!」
「野蛮、いや素直に大人しくしてる辺りは常識人か……」

 相変わらず――というか、私の前にいるときよりも何割増しか堅めの口調だ。その低く抑揚の無い声を耳にするなり、冴さんは自分の乱れ放題な白髪をくしゃりとかして口を尖らせる。

「なァんで骨折っただけで入院なんだ。オレぁ吐きそうなぐらい忙しいってのに……」
「捜査の半途でも今は安静にすべきだと思うが」
「首尾聞く?」
「情報漏洩ろうえいだろう」
「おめーだから良いんだよ。それにだいぶ煮詰まってきたからさ、おたくにゃ是非とも協力を打診してェんだ」
「例の銀彊会関連の捜査か」

 冴さんは返事代わりにぺろっと唇を舐めると、月鏡を取り巻く現状を思う。迷宮入り寸前の氷漬け事件に、例年に無い渇水、突然の豪雨、大規模な氷閉。神がかりな自然現象は銀彊会の狂信者への制裁さながらに発生してきた。愚かな行いが水神さまの逆鱗げきりんに触れたのだ、と月鏡に住む誰もが思っている。

「チカちゃんは気象にも水神さんのカンナギにも詳しいだろ」
「……人並み以上には」
「専門家からのご意見も聞きてェわけよ」
「君の頼みなら構わないよ」
「んじゃ、先に情報共有だな」

 病室は窓が開け放たれ、白いカーテンが風に揺れている。部屋全体の色素の薄さが演出する非現実感に飲まれるのを嫌いながら、冴さんは怠けた身体をほぐすように首を鳴らし、やがて銀髪の旧友へニヒルな笑みを寄越した。

が来てるぜ」
「……そうか」
「なんと銀彊会の建物に入るのを目撃されてる」

 御影がこちらを見た。切れ長の蒼眼の奥に鈍い光が宿る。冴さんはその鋭い沈黙の雰囲気をかわすように、長髪を色っぽく耳に掛ける。

「そいつが『水神気取り』だ」

 水神気取り。つまり、水神さまをかたって銀彊会に出入りし、組織の暴走に加担した不届き者。ユーリの聴取にも出てきた単語だ。
 ちなみに私は神々廻さんの時の記憶イストリアで裏を取れてる。身分を隠して平然と組織上層部の会合に出るの姿は、間違いなく私も視た。

「そんでもって氷閉食らって生き残った構成員に吐かせたんだが、大規模集会をやるっつー話が出た」
「日時は?」
「ちょうど二週間後の夜。『石英せきえい館』貸し切るってさ」
「湖の南西に建つ築二十年の講演ホールだな」
「おうよ。これほどのチャンスは無ぇし、ぜひとも潜入したいね」

 冴さんは再び舌なめずりして、心の内で水神気取りへ照準を合わせる。会場の間取りも頭に入れたのだから一斉摘発が最大目標! と思いきや、がっくり頭を抱えて「でもなァ……」と泣き言を溢し始めた。

「余計にあり得ねえよ、氷で滑って骨折るとか。あーオレの足!」
「あの宗教集団に忍び込むには、いささか松葉杖は目立つだろうな」
「それな! 氷閉もほっとけねーってのに、水の泡だぜ……」



 しかし。歓談する冴さんの黄金の眼は、試すように諦めるように、いつの間にか爛々らんらんと御影へ向けられていた。

「おかしい」
「僕がか」
「……なんか隠し事してんな? 目線の置き場がビミョーに違う」

 御影は答えない。一見沈着している。しかし冴さんは知っていた。これが切羽詰まった時の――今更焦りを覚え出したとかではなく、長らく頭の片隅をむしばむ懸念がある時の態度であることを。

「おいチカ。一人でしょい過ぎだ」
「そうか?」
「おめーはずっとそうだろうが。仏頂面の裏でいろんな思考巡らせてんの知ってるぜ」
「……表情の変化はあると思うが」
「いんや雀の涙だ。熱出しても動揺しても平気な顔してやがる。たまにゃ肩の荷下ろさねえと、ぶっ飛ぶぞ!」

 冴さんの怒鳴りを皮切りに、二人は沈黙する。しばらく経って、黒手袋が御影自身の顔に近づいたと思うと、静謐せいひつ紺青こんじょうの瞳がふっと伏せられた。

「この頃、記憶が飛んでる」
「…………ハア?」
「ただの疲れとは違う。無意識に体を支配されてる感覚がある」

 冴さんの胸はざわついた。「マジかよ」と話を冗談めかそうとする声がかすれた。踏み出しかけた足をさっと引くような、危機察知にも似たためらいの感情。

「だが心配は無用だ。直感だが、この症状は近い内に良くなると思う」
「……はあ~~根拠無ェなァ」
「病とは気分に左右されやすいものだそうだ。僕はひとりじゃない。だから簡単にはぶっ飛ばないよ」

 御影はふっ、と表情を綻ばせた。
 お前、そんなふうに笑えたんだな。ぽつりと沸いた感情を誤魔化すかのように、冴さんの口はくるくる回り出す。

「ま、潜入は本職に任せとけ。おめーにゃ危険だ」
「それはこちらの台詞だ。あの子が危険にさらされている以上、僕も無視はできない」
「オレぁな、お前が何しでかしてようが――」

 御影の顔に書かれた渾身の疑問符を目にする。

「――――いや、なんでもねぇ」

 息をぐっと飲み込み、冴さんは窓の外へと視線を移した。

 御影が帰った病室で、冴さんは勘が当たらないのを神に祈りながら呟いた。オレは本当に甘ぇな、なんて。そして、動けないのに余計なことをまくし立てる自分を呪っていた。



「……無駄にはしません。冴さん、私があなたの記憶で道を切り拓きます」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

処理中です...