月鏡の畔にて

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第八話 孤独な氷輪

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 ○

 御影はきつく結んだ髪を下ろし、持ち込んだ上等な酒をどんどんあおる。制止しても耳を貸してもらえず、「もう知らねー」と呆れながら私も何杯かいただいた。
 彼の白肌は血色が良くなり、乱れた銀髪から色気が立っている。一方の私も質問魔に変身。ガードが緩くなった彼にどんどん質問を投げる。

「ほんと別人だわ……200年以上でしょ。よく自分を見失ってないわね」
「そうかな。人格って自己暗示や認識次第で簡単に変容するって聞いたし、俺も例外じゃないと思うよ」
「説得力皆無よ。で、なんでキャラ作ってんの」
「約束だからさ」
「約束?」
のいちばん大切な人の遺志なんだ。もう顔も思い出せないけどね」
「?」
「あはは。酒呑みの戯言たわごとだと思ってよ」

 懐かしむ声が心の琴線に触れる。『約束』だなんて初めて聞いたような、なんか知っているような。

「ねえ、それもっと詳しく」
「……少し腹が空いたね。俺作るよ」

 また濁されてしまった。提案の後半部分には乗っかる気になれないので、私は台所を死守すべく腰を上げる。

「いい、私がやる。リクエストある?」
「水産物だと嬉しい」
炒飯チャーハンに焼き魚のほぐし身混ぜたげるわ」
「暁の手料理か。楽しみだ」
「ひっ……期待しないでマジで」

 手伝おうかと言われたけど丁重に断っておいた。御影はリビングのローテーブルを前に、胡座あぐらをかいて大人しく料理の完成を待つ。やがて私が炒飯二皿の片割れを机に置くと、彼は品良く手を合わせてから料理を口に運んだ。
 そしたら切れ長の蒼目がはらりと涙を溢していて。私はぎょっとした。

「み、みかげ?」
「……」

 彼が軽く頬を拭えば、涙の痕は魔法のように消える。

「……これじゃ格好つかないな」
「どうしちゃったのよ」
「驚いた。お金取れるよ、これ」
「急に褒めんなビビる……お母さんに習ったのよ、あの人お店に泊まり込みでシェフやってんの」
「そっか。道理で初めて食べた気がしないわけだ」

 彼は小さく目を細めた。そして米粒ひとつ残さず完食し、満足そうにごちそうさまを言った。

 *

「昔を思い出したよ」
「子どもの頃のこと?」
「いや、丁度二十歳はたちの時だ」

 水を一杯口にし、御影は視線を外す。左耳についた三日月型の耳飾りがちり、と鳴る。熱を帯びた目許は絹糸の銀髪に隠された。

は一度殺されたことがあるらしい」
「……ころ、された?」
「酷い目に遭ったが運良く一命を取り留めて、あれを境に目が蒼くなったそうだ」

 誰に。いつ。何故。
 疑問は次々に積み重なる。突然変わった彼の一人称が、どうしようもない不穏さを煽る。

「ことが済んでからが作ってくれた料理あじが忘れられない。……その美味しさに、初めて生を実感できた気がしたんだ」

 白銀の髪の陰から、蒼穹そら色の双眼がきらりと光って私を見る。

「君の料理はそれに似ていた」
「……」
「僕ばかりが、生き残った甲斐かいがあったかな」

 そう話してからの不自然な沈黙。虚空を凝視した不安げな銀睫毛。連想するのは孤独な氷輪ひょうりん――真っ黒な夜空にぽつんと浮かぶ、冷たい光を放つ青白い月だ。
 そして私は悟る。

 彼は恐れてるんだ。置いて逝かれることを。

 でも少し違和感がある。今の彼はまるで、他人の身の上話をするような口ぶりだったのだ。もしくは演劇で役者が感情を込めて吐く台詞セリフ。秘め事や悪意のある嘘とはまた違う、不調和で信じがたい声音。私と御影との間には、今も透明な壁がそびえてるみたいに思える。

 ひたすらにかなしい。

 私はひとりぼっちな彼の全部を知って、その永遠の夜のような闇を一緒に抱えたい。なんならもう、不老になって添い遂げたいとさえ思ってしまってるというのに。

 目頭に押し寄せる波。鼻の奥をつんと衝く痛み。ああ、どうやら今度は私の番らしい。ふいに御影が困ったように笑う。

「何故君が泣くんだ……」
「……うるさい」
「触れても?」
「別に!」

 つんけんした返事を寄越すと、御影はすぐに手袋を外し、骨張った右手を私の頬に添えた。掌が冷たい。私の体温ねつが少しずつ彼に移っていく。けれど不思議と私の体はぽかぽか温かくて、とても心地が良い。
 この人、普段はあんなに冷徹で無愛敬なふりをしてるくせに。そんな風に見つめられると、理性が飛んで心から「好きだ」と思ってしまう。
 まあ、直感は別だけど。

「……あんたさ、何してんの」
「?」

 とぼけたふうな彼の右手首を軽く掴む。白服の袖を一気に捲り上げ、赤黒い染みの滲む包帯を白日の下に晒してやった。

「怪我してる!」
「……やはり気付くか」
「甘い。くだらなすぎてビックリする。いい加減にしろ!」

 頬を膨らませて叱っても、御影は平然として取り合ってくれない。

「なんなの、これ」
「さあ?」
「だからはぐらかすなっ、」
「こうでもしないと、君を守れないからね」
「…………え?」


 なんで、
 私の名前が出てくんの?


銀彊ぎんきょう会は難儀で困る。相当君を気に入らないらしい。……これは多分奴らにつけられた傷だ。酷かったのは腕だけだし、もう治りかけてるよ」


 ――絶句した。
 実際に私が襲われたのは一回きり。冴さんに助けられたあの時だけだったからだ。
 私の知らないところで。私が平和ボケの生活を送りながら幼稚な願望を温めている間に。図書館で疲れきって寝落ちたり、仕事の帰り道に偶然っぽく付き添ったりしていたのも。人知れず怪我をしながら裏事情を今まで一切勘づかせなかったのも。
 一種の天才。なんて人だ。私のためだったなんて。
 

「もう私をあざむくな。そんであなどんな」
「暁。僕は君を放っておけない。『逃げない』約束を、取り付けた君が忘れたのか」
「じゃあ私も連れてってよ!」
「……どこへ?」
「なんでわかんないの。私はあんたが好きなの」
「知ってるよ」
「違う! 違うって……」

 何故、私の想いは音になってくれないのだろう?
 結局彼は遠くに去って行く。やっと掴めた気がしたのに、元から幻だったかのように掌をすり抜ける。

『こんなやつなんて知らなくていい。どうか君は無知で居てくれ……!』

 かつて私は、彼の凍りついた心を垣間見てしまった。あの儚い叫びが忘れられないのだ。あれが私の想いを強くした。そして今まさに、星の無い冬の夜のような闇が、彼の深い青眼の中で渦巻く幻覚を見る。
 彼は何かを忘れて何かを伏せている。私自身も『知りたい』という欲に頭と胸を巣食われている。そのはずが、立ちはだかる透明な氷壁を壊せない……。

 何が怖いのだろう。
 得体が知れなくて、おぞましい。


 ああ。私は正気か……?


 外に漂う夜霧の気配が、急速に寒さと寂しさを錯覚させる。さっき彼がくれた、心が発する熱だけが頼り。その小さな火が消えてしまわぬように、今だけはそばにいてとこいねがった。


 **

 孤独な氷輪

 **


 ……夜明け前。ソファで一人眠る彼を置いて、動きやすい服を選び私は家を出る。これは無鉄砲じゃない。彼を試すためでもない。私の好奇心とずっと前からの野望と小さな計画に基づく行動だ。

 街中に漂う霧の中、向かうのは東。『水』のありかは冴さんの記憶を見て把握済み。生半可な覚悟じゃ死ぬかもしれない。普通の靴で登山するのは危険らしいけれど、それと私の願いを天秤にかけたらどっちに傾くかなんて、とっくのとうに分かりきっていた。

 続
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