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第八話 孤独な氷輪
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『神々廻さん巫だったのね』
『……怒っておるか?』
『私は別に気にしないわよ。ていうか、うちの御影がごめんね。怖がらせちゃって』
『怒りん坊かと思いきや、おおらかな人なんじゃのう』
『あれ? 鈍感??』
『だって霖羽にいろいろ助言をくれたのじゃ。して、うちの御影とな?』
『あ、それはスルーして』
*
今はからっと暑い午後の時間帯。街の人通りは少なく、夏場はみんな涼みに図書館を訪れる。図書の劣化を防ぐために温湿度を保つ必要があるので、ここは他の建物よりも快適な環境なのだ。こうして受付に座る私も過ごしやすいけれど、それは私の知り合いも例外ではないらしい。
「わー、涼しい。暁ちゃん、お疲れ様」
「きたっ……泉さん。ジャケット脱いだらどうですか」
「そうさせてもらおうかな~」
ご機嫌な泉さん登場。紺色のファー付きジャケットを脱いでるところを、私は初めて見た。中に着ていたのは胸元のところに紐を通してある、襟付きのお洒落服だ。というか、いくら寒がりとはいえ極端過ぎるな、この人。
「脱いだらなんか寒くなってきた」
「早っ」
「それどうしたの。忘れ物?」
「あー……」
視線の先を察しながら、私は紫がかった髪先を弄る。泉さんが気にしているのは、受付カウンターの内側に置いてある濃青色の折り畳み傘のことだろう。
「えっと、午前中に御影に貸してもらったというか」
「プレゼント?」
「ではないです、多分」
「ふうん。ねえ暁ちゃん、最近の御影さんはどう?」
興味津々の声音に私はうーと唸った。受付の机の木目とにらめっこしながら、普段密かに思っていたことについて話し出す。
「その……最近、あの人と相対してても、好きだ嫌いだ、って昔みたいにのぼせ上がる感覚がないんです」
「え! 嫌いになっちゃったの。蛙化現象ってやつ?」
「えーと。確かに一緒に過ごすのは楽しいし、可能ならずっと傍にいたいし、ドキドキもするんですけど」
「だけど?」
「刺激がないというか。安定した、みたいな。この幸せが当然になってて」
「ほほう。でもお姫様ごっこしてたよね~」
「なんで今朝のことまで……情報網どうなってるんですか!」
「御影さんてば、とんでもないからかい方するよねぇ。甘酸っぱいね」
ウキウキと語尾を伸ばす、喜色満面の泉さん。私は頬が赤く染まっている自覚があって、穴があったら入りたい。
「で、でも。恋じゃなくなったというか。いや元々違うか。今はもう悪友的な関係になっちゃってるような気がして」
「いいや暁ちゃん、それはもう愛だよ」
「あっ……い……?」
あい。あい。
生まれて初めて聞いたというように、この口が単語を何回も何回も繰り返す。対する泉さんはさっき脱いだ上着を手にウンウンと深く頷き、勝手に感慨にふけっているらしい。
「良いね~。愛しくて、くっついてたいんだろうなあ。ね、そうでしょ?」
……私は首を縦にも横にも振れない。でもこれ、肯定してると受け取られる沈黙だ。やってるわ、私。
「俺はずっと応援するよ。暁ちゃんのファンだから」
「……泉さんて、もしかしてヤバイ奴ですか?」
「いいでしょ」
「そんなに胸を張らなくても」
「そうだ、もし御影さんに泣かされたら言ってね、ぶん殴るから。『バカヤローー!!』って」
「お、恐ろしい」
「……あれっ、雨降ってきてない?」
「え?」
図書館の入り口の方向に顔を向け、急に泉さんが言った。私もつられて外の様子を確かめる。さっきまで晴れていた空はどんより曇り、白く細かい飛沫が地面を打ち跳ねる。サーッと鳴る爽やかな雨音に、私はちょっと鳥肌が立った。
「わ、あいつ予報当ててる」
「傘持ってきてないのにな~。どうしよう、上がるの待つしかないねー」
「そうですね……ん?」
雨から連想して御影から預かった傘を見やると、蛇腹に折り込まれた細い紙切れが挟まっていることに気がつく。大事に開いてみれば、なんと既視感のある字画が並んだ簡易な手紙だった。
【傘の返却は次回会う際に。あと神殿調査に行けそうな日も教えて】
真面目な内容なのに、彼の甘く軽やかな声で脳内再生された。あいつ、あらゆる手で私をノックアウトしようとしてるでしょ。許せん。
まあその激情はそれとして。
「…………とっとこ」
「なにそれ暁ちゃん」
「見せませんよ」
「あー、わかった。御影さんのでしょう」
向日葵の大輪のような笑顔を向けられる。もう怖いわ泉さん。黒幕説ある(?)。
「どんな内容だった?」
「秘密です。もっ、もう職務中なので散ってください!」
「はいはい、お熱いね~~もう上着要らないや」
「当たり前です、何言ってるんですか」
「……ついに暁ちゃんも惚気だしたかぁ~」
ヤレヤレ、と肩を竦められる。
この季節でも上着着てることにツッコミ入れただけなのに、なんか勘違いされてしまった。
『神々廻さん巫だったのね』
『……怒っておるか?』
『私は別に気にしないわよ。ていうか、うちの御影がごめんね。怖がらせちゃって』
『怒りん坊かと思いきや、おおらかな人なんじゃのう』
『あれ? 鈍感??』
『だって霖羽にいろいろ助言をくれたのじゃ。して、うちの御影とな?』
『あ、それはスルーして』
*
今はからっと暑い午後の時間帯。街の人通りは少なく、夏場はみんな涼みに図書館を訪れる。図書の劣化を防ぐために温湿度を保つ必要があるので、ここは他の建物よりも快適な環境なのだ。こうして受付に座る私も過ごしやすいけれど、それは私の知り合いも例外ではないらしい。
「わー、涼しい。暁ちゃん、お疲れ様」
「きたっ……泉さん。ジャケット脱いだらどうですか」
「そうさせてもらおうかな~」
ご機嫌な泉さん登場。紺色のファー付きジャケットを脱いでるところを、私は初めて見た。中に着ていたのは胸元のところに紐を通してある、襟付きのお洒落服だ。というか、いくら寒がりとはいえ極端過ぎるな、この人。
「脱いだらなんか寒くなってきた」
「早っ」
「それどうしたの。忘れ物?」
「あー……」
視線の先を察しながら、私は紫がかった髪先を弄る。泉さんが気にしているのは、受付カウンターの内側に置いてある濃青色の折り畳み傘のことだろう。
「えっと、午前中に御影に貸してもらったというか」
「プレゼント?」
「ではないです、多分」
「ふうん。ねえ暁ちゃん、最近の御影さんはどう?」
興味津々の声音に私はうーと唸った。受付の机の木目とにらめっこしながら、普段密かに思っていたことについて話し出す。
「その……最近、あの人と相対してても、好きだ嫌いだ、って昔みたいにのぼせ上がる感覚がないんです」
「え! 嫌いになっちゃったの。蛙化現象ってやつ?」
「えーと。確かに一緒に過ごすのは楽しいし、可能ならずっと傍にいたいし、ドキドキもするんですけど」
「だけど?」
「刺激がないというか。安定した、みたいな。この幸せが当然になってて」
「ほほう。でもお姫様ごっこしてたよね~」
「なんで今朝のことまで……情報網どうなってるんですか!」
「御影さんてば、とんでもないからかい方するよねぇ。甘酸っぱいね」
ウキウキと語尾を伸ばす、喜色満面の泉さん。私は頬が赤く染まっている自覚があって、穴があったら入りたい。
「で、でも。恋じゃなくなったというか。いや元々違うか。今はもう悪友的な関係になっちゃってるような気がして」
「いいや暁ちゃん、それはもう愛だよ」
「あっ……い……?」
あい。あい。
生まれて初めて聞いたというように、この口が単語を何回も何回も繰り返す。対する泉さんはさっき脱いだ上着を手にウンウンと深く頷き、勝手に感慨にふけっているらしい。
「良いね~。愛しくて、くっついてたいんだろうなあ。ね、そうでしょ?」
……私は首を縦にも横にも振れない。でもこれ、肯定してると受け取られる沈黙だ。やってるわ、私。
「俺はずっと応援するよ。暁ちゃんのファンだから」
「……泉さんて、もしかしてヤバイ奴ですか?」
「いいでしょ」
「そんなに胸を張らなくても」
「そうだ、もし御影さんに泣かされたら言ってね、ぶん殴るから。『バカヤローー!!』って」
「お、恐ろしい」
「……あれっ、雨降ってきてない?」
「え?」
図書館の入り口の方向に顔を向け、急に泉さんが言った。私もつられて外の様子を確かめる。さっきまで晴れていた空はどんより曇り、白く細かい飛沫が地面を打ち跳ねる。サーッと鳴る爽やかな雨音に、私はちょっと鳥肌が立った。
「わ、あいつ予報当ててる」
「傘持ってきてないのにな~。どうしよう、上がるの待つしかないねー」
「そうですね……ん?」
雨から連想して御影から預かった傘を見やると、蛇腹に折り込まれた細い紙切れが挟まっていることに気がつく。大事に開いてみれば、なんと既視感のある字画が並んだ簡易な手紙だった。
【傘の返却は次回会う際に。あと神殿調査に行けそうな日も教えて】
真面目な内容なのに、彼の甘く軽やかな声で脳内再生された。あいつ、あらゆる手で私をノックアウトしようとしてるでしょ。許せん。
まあその激情はそれとして。
「…………とっとこ」
「なにそれ暁ちゃん」
「見せませんよ」
「あー、わかった。御影さんのでしょう」
向日葵の大輪のような笑顔を向けられる。もう怖いわ泉さん。黒幕説ある(?)。
「どんな内容だった?」
「秘密です。もっ、もう職務中なので散ってください!」
「はいはい、お熱いね~~もう上着要らないや」
「当たり前です、何言ってるんですか」
「……ついに暁ちゃんも惚気だしたかぁ~」
ヤレヤレ、と肩を竦められる。
この季節でも上着着てることにツッコミ入れただけなのに、なんか勘違いされてしまった。
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