月鏡の畔にて

ruri

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第六話 LUNAtic

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 ○

 私は不意に、かなり前の満月の夜に似通った状況があったことを回顧かいこしてしまった。それは『彼』――御影による抵抗。冴さんという全くの他人を装い、私を突き放そうとした事件である。
 では、この目の前にいる男は本当に冴さん本人なのか? 
 一瞬身構えるが、高精度な第六感はその疑いを否定している。待って、頭がおかしくなりそう。私が混乱しているのを察してか、冴さんが穏やかな声音で提案した。

「まァとりあえずアレだな。キミが襲われた理由ワケを話そう。場所を移すぜ」

 *

 ところ変わり、図書館の裏手。きらびやかな夜空と湖を背景に冴さんは伸びをして、呼び慣れたふうに「なあクロノちゃん」と声を発してきた。さっきのオレにしとけ発言がまだ心に残っていたせいで、反射で尖った声が出てしまう。

「私は嫌です」
「……あっ、さっきのは冗談。挨拶だって」
「…………」
「ごめんて」
「…………」
「えーと。キミはチカと付き合い始めた。そうだな?」
「…………」
「めっちゃ頷くじゃねえか……まいいや」

 冴さんは肩をすくめて自嘲気味に笑う。いてもたってもいられなくなったのか「オレの馬鹿! 手ェ出したら絶交案件だろーが。クソッやり過ぎた、調子乗ってちょっかい掛けんじゃなかった……」とか長々とぶつぶつ呟いてる。
 私はなんか申し訳なくて、黙って聞き流した。この人は他人の心を察せるのかと思ったらそうでもないらしく、よくわからない。不思議な人だが、彼とは違うタイプだ。
 もう一度頭を下げられたが「お気になさらず」と答える。気を取り直し、いざ話題の提示へ移る。

「チカは由緒正しいかんなぎん家系出身なのは知ってるか?」
「えっと、はい」
「そこんとこしか知らねえことなんだが、『月夜見つきよみの水』っつー禁忌の霊水がこの月鏡にあるんだ。それを飲まされたせいで、チカは歳をとれなくなった」

 突如始まった御影かれの身の上話。冴さんが真っ白な乱れ髪をかきあげると、透き通ったアクアマリンの柱状ピアスが揺れ、きらりと光を放つ。他人の秘密を急にさらっと暴露してるな~、と内心苦笑してしまった。

「あ、不老って……初耳じゃねえよな? ショック受けなかった?」

 気遣う声音で問われ、いくらか気分を持ち直した私は、小さい声ながらも胸を張りこう答えた。

「もともと予想はついてたし、自分で秘密を明かしてくれただけで満足で。彼を知れたことが負の感情を打ち消してるというか。好きな人が歳を取れないからといって、嫌いになんてなりません」
「へえ、熱いねぇ。もう本人から聞いてたか。盲目かってくらい好きなんだな」

 私の顔は急に熱をもつ。……恥ずかしい。顔を両手で覆って声にならない声を漏らす。冴さんには一体どんな顔で見られてるのか。あとで彼にからかわれるのもしゃくだし、頼むからこのことは伝えないで欲しい。
 しかし、復帰した視界の中で冴さんはやはり「微笑ほほえましいなァ」と頷いており、私はまたもだえた。でも、そのうち再び真剣な顔をキリリと作って、続きを語り出してくれる。ここからは深く重い話だ。

「巫ってのは、結婚相手が厳しく取り決められるものなんだとさ。まあチカ自身は神職ほとんどやってねえけど、一応それなりの血筋トコと交わんなきゃならんルールがある。別の巫や有力な貴族あたりが慣例らしいぜ」
「じゃあ許嫁いいなずけとか、既に……」
「そいつは居ねえ。そうゆう話は全部拒否ってる。あいつシンプルに人間キライなんだよ」

 断言され、何故だろうか、胸が晴れる心地だった。……こんな種類の不安を抱え、安堵するようになるなんて。私は彼と出会って中身が変わったのかもしれない。

 しかし、冴さんの話にどんどん不穏な色が現れる。問題は御影が誰かと結ばれることに反発する連中――水神信仰の過激派がいること。仮にも神に身を捧げる立場の人間が、一般人と共に過ごしたり交わったりすることが許せないのだという。どうやら冴さんがさっき超キックでのした男も、過激派の構成員の一人であったらしい。

 ああ。壁だ。生まれてから変わらずそこにある、貧困や差別、飲み込めない理不尽の壁。彼との決定的な差だ。私の過去を思い出すと、どす黒い感情が心を支配し始める。耳にこびりついた言葉が今さら『おまえのように血のけがれた奴はさっさと滅びるべきだ』と繰り返す。

 ――私の親は◾️◾️◾️だったから。

 私は、身分の壁とそれに従うこの世界が嫌いだ。私に無いものを持っていて『普通』以上でいられる人々は、みんな無意味でみにく羨望せんぼうの的となる。人は好きだ。信じられないのは、神様や国……どうすることもできない相手だけ。
 今沸き出たがいつか御影かれの前に晒される日を思うと、心がどこまでも落下していくようだった。

「ま、アイツに心ゆるされてるみてえだから。そんだけで強ェな」

 そこへ一筋の光のように唐突に飛び込んでくる、優しげな声。

「え、誰が?」
「キミが」
「でっ、でも。私よりあなたのほうが」
「そりゃどうかな。オレは顔馴染みなだけだと思うよ」
「え……」
「だから乗り越えねーとな。オレはキミんこと好きだよ。ただ、あれはマジでムズいぜ」

 冴さんが歯を見せてニカっと笑った。決して妖艶ようえんとかではなく、屈託のない笑顔。御影の旧友としての素顔だった。
 

 そっと背を押されるかのようだった。
 これが、私の覚悟が決まる瞬間だった。

 降りかかる逆境に気持ちが沈むことなどもう無く、もはや行く末を阻まれていることに高揚を感じている。彼の想いさえ変わらなければ、私は彼の特別になれる。そうだ、ネガティブになっちゃいけない。私はこれまでも、どんな窮地に立たされても、なんだかんだ生きてきたんだから。
 大丈夫だ。確信し、笑みさえ零れた。


「とんでもねえのに捕まっちまったな……」

 鈍い光を宿らせた金眼のくぐもった呟きは、特に私が気にすることはなく、無数の光がなす夜の空の彼方かなたへ消えていった。
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