31 / 128
第四話 霞立つ湖
2
しおりを挟む
◯
「ダウト」
地理学の書架の前、すらりと立つ男に私は声をかける。
相手は、並んだ本の背表紙を順に眺めていた青年だ。漆黒のさらさら髪はセンター分けで、両耳には銀のリングピアス。そしてアーモンド型の瞳は深淵《しんえん》のような黒だ。少し高い位置にあるその双眸が、こちらに気づいて眠たげに私を見下ろす。
「オレに何か用ですか」
他人行儀な反応だ。それも無駄な足掻きだっての。
「なーんか前も見たわ」
「以前に会ったことあるかな。すいません、記憶になくって」
「その黒っぽい姿、確か私を泣かした時と同じよね。病んでるの見て、焦ってたアレでしょ!」
私はずばっと強気で指を差して、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「……参ったな。君にはお見通しか」
ほら、『彼』だった。やれやれと溜め息をつかれる。なんか心なしか嬉しそうだ。それにしても、なんで変装しているのだろう。
小言を連ねているけどギリギリ聞き取れない。彼は必要最小限の動きで辺りの様子を窺うと、口元に手をやってどうしたものかと唸った。
あ。私がぼんやりと彼を観察してる内に、いつの間にか普段の銀髪の白装束姿に変わってる。浮世離れしたこの姿を目にするたび、私の心臓がこの男の手に軽く握られるような錯覚に陥っている――ことに頭の片隅で気づいて、慌てて振り払う。
「や、やっぱ当たりだったか。つめが甘いのよあんたは! 馬鹿の御影でばかげって呼ぶわよ」
「なんだそれは。容認しかねる渾名だな……撤回しろ」
「嫌だ! あんたの言いなりなんてごめんだっての!!」
「静かにしないか」
うきうきで反論すると、『彼』が気だるげに顔を近づけてきた。体温が急上昇する感覚。こうして改めて至近距離で見ると、蒼い両目に被さる長い睫毛は雪のように白い。あとシンプルに顔が良い。ユーリじゃないけど私も結構器量好みだと思う。
それに、左耳の月形の耳飾りばかり目に入っていたけど、右耳にも銀のリングピアスがついていることに初めて気がついた。……さっきの黒髪男のものに似ているような。
「なんかあったの?」と声を落として訊いてみる。すると『彼』は、少しためらいながらこう答えてくれた。
「……仮病だよ。休みを取って新刊漁りをしに来たんだ。読みたかった本が入架すると聞いたんでね」
「え、じゃあ、そのためにわざわざ変装してここに? 間抜けじゃん。面白い、ふふ」
「単なる気分転換だ、何も面白くなんてない。まあ君は気づいてくれると思っていたが、君以外に目撃されるとまた説教されてしまうからな」
馬鹿にして笑ってみても『彼』の口調は平静そのものだ。ていうか『気づいてくれると思ってた』、だなんて。
「あんた、常に私待ちよね」
「……そうかもな」
微笑する気配に思わず手が出て、彼の腹を殴る。はっとして身構えたけど、特に何も起きなかった。
見上げると、冷徹なはずの顔がほんの少しだけ弱気に見える。「どうかしたのか」と訊く声も珍しい声音で、拍子抜けする。
「わっ、わかんないの? 私は不満なのよ」
「不満……やはり僕が逃げてばかりいるからか」
「自覚あんなら改善しなさいよ。でもそんだけじゃなくて消極的すぎるっていうか。私から話しかけなきゃ、私にどうこうする気もないみたいじゃん」
「僕が積極的になったとして、君はもつか?」
『彼』はニヤリと不敵に口の端を上げている。想像してみると語彙が消滅して、ヤバいという感想しか出てこなかった。けど私は強がって、「絶対大丈夫だわ」と笑ってやる。
「そうか、君の心情が直接聞けて良かったよ」
平然と言われた。やっぱり嫌な予感しかしない。
「えっ、ちょっと。私この先あんたにめちゃくちゃされるの?」
「どんな手を打てばいいか迷ってたんで待ちの姿勢を貫いていたが、もう抑制するのはやめにするか……」
「こわっ。そんな独り言みたいに言うな! てっ……撤回しろ!!」
「ダウト」
地理学の書架の前、すらりと立つ男に私は声をかける。
相手は、並んだ本の背表紙を順に眺めていた青年だ。漆黒のさらさら髪はセンター分けで、両耳には銀のリングピアス。そしてアーモンド型の瞳は深淵《しんえん》のような黒だ。少し高い位置にあるその双眸が、こちらに気づいて眠たげに私を見下ろす。
「オレに何か用ですか」
他人行儀な反応だ。それも無駄な足掻きだっての。
「なーんか前も見たわ」
「以前に会ったことあるかな。すいません、記憶になくって」
「その黒っぽい姿、確か私を泣かした時と同じよね。病んでるの見て、焦ってたアレでしょ!」
私はずばっと強気で指を差して、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「……参ったな。君にはお見通しか」
ほら、『彼』だった。やれやれと溜め息をつかれる。なんか心なしか嬉しそうだ。それにしても、なんで変装しているのだろう。
小言を連ねているけどギリギリ聞き取れない。彼は必要最小限の動きで辺りの様子を窺うと、口元に手をやってどうしたものかと唸った。
あ。私がぼんやりと彼を観察してる内に、いつの間にか普段の銀髪の白装束姿に変わってる。浮世離れしたこの姿を目にするたび、私の心臓がこの男の手に軽く握られるような錯覚に陥っている――ことに頭の片隅で気づいて、慌てて振り払う。
「や、やっぱ当たりだったか。つめが甘いのよあんたは! 馬鹿の御影でばかげって呼ぶわよ」
「なんだそれは。容認しかねる渾名だな……撤回しろ」
「嫌だ! あんたの言いなりなんてごめんだっての!!」
「静かにしないか」
うきうきで反論すると、『彼』が気だるげに顔を近づけてきた。体温が急上昇する感覚。こうして改めて至近距離で見ると、蒼い両目に被さる長い睫毛は雪のように白い。あとシンプルに顔が良い。ユーリじゃないけど私も結構器量好みだと思う。
それに、左耳の月形の耳飾りばかり目に入っていたけど、右耳にも銀のリングピアスがついていることに初めて気がついた。……さっきの黒髪男のものに似ているような。
「なんかあったの?」と声を落として訊いてみる。すると『彼』は、少しためらいながらこう答えてくれた。
「……仮病だよ。休みを取って新刊漁りをしに来たんだ。読みたかった本が入架すると聞いたんでね」
「え、じゃあ、そのためにわざわざ変装してここに? 間抜けじゃん。面白い、ふふ」
「単なる気分転換だ、何も面白くなんてない。まあ君は気づいてくれると思っていたが、君以外に目撃されるとまた説教されてしまうからな」
馬鹿にして笑ってみても『彼』の口調は平静そのものだ。ていうか『気づいてくれると思ってた』、だなんて。
「あんた、常に私待ちよね」
「……そうかもな」
微笑する気配に思わず手が出て、彼の腹を殴る。はっとして身構えたけど、特に何も起きなかった。
見上げると、冷徹なはずの顔がほんの少しだけ弱気に見える。「どうかしたのか」と訊く声も珍しい声音で、拍子抜けする。
「わっ、わかんないの? 私は不満なのよ」
「不満……やはり僕が逃げてばかりいるからか」
「自覚あんなら改善しなさいよ。でもそんだけじゃなくて消極的すぎるっていうか。私から話しかけなきゃ、私にどうこうする気もないみたいじゃん」
「僕が積極的になったとして、君はもつか?」
『彼』はニヤリと不敵に口の端を上げている。想像してみると語彙が消滅して、ヤバいという感想しか出てこなかった。けど私は強がって、「絶対大丈夫だわ」と笑ってやる。
「そうか、君の心情が直接聞けて良かったよ」
平然と言われた。やっぱり嫌な予感しかしない。
「えっ、ちょっと。私この先あんたにめちゃくちゃされるの?」
「どんな手を打てばいいか迷ってたんで待ちの姿勢を貫いていたが、もう抑制するのはやめにするか……」
「こわっ。そんな独り言みたいに言うな! てっ……撤回しろ!!」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる