月鏡の畔にて

ruri

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第一話 北嶺の薄明

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 ○

 次の日、彼は呑気のんきに手を振りながら、粉雪を頭に乗せて正面玄関口からやってきた。
 姿を突然消した理由はかくれんぼをしたかったからだとか、馬鹿な子どもみたいなことを言った。私が焦ってる様子を死角から垣間かいま見て、おかしいとわらう彼を想像する。ひん曲がったしょうに好感度はだだ下がりだけど、あんした私もいた。彼が本当に消えたのではないかと思ってしまったらしい。もちろん、そんなのあり得ないのだけれど。

 それから毎日会う彼はいつもと変わらなかった。

 愛想あいそもなければ私を思いやる気持ちもない。お前呼ばわりで、傲慢で尊大な口調に、階級差別や偏見を全面に押し出す言葉の連鎖。一般常識的に残念な性格。そして一切私の顔を見ようとしない。

 ああ、避けられてる。と思った。

 突然なんの理由もなく様相を変えて、なぜ気づけたのかと思うくらい僅かな違和。
 いや、違う。彼はずっとこうだったんじゃないのか。
 浮かべる表情はうまいけど、取りつくろえていない深い自責。揺らぐ影。歌うように誤魔化すテノールに、彼の本音が滲んでいるようだった。
 
 私がからかいに対して悪口を返してやる。
 彼がここぞとばかりに食いつく。
 私が軽くののしる。
 彼があおる。
 私が騒ぎ立てて彼が嗤う。この作業の繰り返し。

 そしてその日もまた喧嘩をした。

「……いつまで居座ってンのよ、そこ」

 無視。分厚い本をぱらぱらめくったあと、表紙を氷のような横顔が見つめている。

「ちょっと。アンタに言ってるんだけど。聞こえてんでしょ、返事しろよ!」
「はあ。ひょっとしなくても、そのぼうな言葉はこの僕へ向けられてるようだな。何か不都合なことでも?」
「あるって言ってんでしょ。書庫への立ち入りは私たち司書以外許されてないの。あんた許可とった? つーかどうやって入ったのよ! 何回目よ、ホント」
「いいや。しかしこの本はここの所蔵書ではない。間違ってここへ納められてるんだ」
「は?」
「わからないか? この本は本来図書館の持ち物ではないが、何か手違いがあって置かれてるってことだ。即ち問題があるのは僕ではなくぞんざいに本を取り扱ってた君らだろうが。ここまで言っても理解できないか?」
「証拠はあんの」
「……この本の管理番号を台帳と照合してみるといい」

 顔色ひとつ変えずに言うのだから、きっと本当だと思ってしまう。私の勘も『そうだ』と告げている。
 けれど、なんで部外者のあんたがそれに気付いてるのか。この膨大な本が納められている図書館の中からたった一冊、しかも書庫のものを。
 おかしい、怖い、わけがわからない。しかし、その感情をいらちがりょうしてくる。

「…………私は立ち入り禁止の規則を破ったことについて喋ってるの! 話をすり替えんなバカ!」
「話の腰を折るな。たかが整理係がこの僕にたて突いたところで、一体何になる。君には不都合しかなかろうに。それとも司書というのは客と喧嘩をしてられるほど暇な職業なのか?」
「ああうるさい! もう面倒、さっさと出ていけよ。次はないから」
「なら次は見つからなければ良いわけだ。君相手なら赤子の手をひねるより簡単なことだよ」
「なに、もしかしてあんた本ドロボーすんの。いいの、密告しちゃっても」
「してみればいいさ」
「言ったな? あんたが不利益こうむるだけよ」
「だが君なんぞにそうは楽に見つけられるとは思わんがな。予告しようか? 今後僕がこの図書館を訪れたことにさえ、君は気付かないだろう」

 彼が云う。
 いつかのように分厚い本を脇に抱え、嘘みたいに冷たい目が私を見下ろしている。白い外套がいとうぎんを束ねて蒼い眼を向けられて――予感は拭えない。彼の眼は、何度見ても慣れないと思った。

「ずいぶん大きく出たじゃないのよ。いいわ、受けて立ってやる……後悔しても無駄よ」

 馬鹿。本当に気づかなかったら?

 前例がある。あの日彼は、私の前から本当にいなくなってしまった。
 彼にはが出来てしまうのだ。私は彼を見つけ出せなかった。分かっているだろう。同じことをして後悔するのは私だ。
 お願いだから、断って。あきらめてよ。

「君こそ、あとで文句を垂れるなよ、黒廼くろのさとる


「何で名前……知ってんの」
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