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第三話 常夜は夢幻
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気づけば時は経ち、月鏡の夏、その終わり。雨の少ないこの季節は常人にとって気温も湿度も快適だというが、私は人より暑さに弱く、カラカラに渇きそうにへばっていた。
「軟弱だな。君は」とせせら笑いながらも、『彼』は立ち寄った喫茶店でかき氷と冷たい蜜柑ジュースを奢ってくれた。意外だった。どちらも美味しかったし、生き返る心地だった。
向かい合って座り、既に私のコップは空。器も空。この店に滞在する理由はもう無いけど、結構な時間彼と駄弁っている。
「時に……君に会ってからもう随分経つな」
「ん、ああ。そーね」
「君も飽きないな。喧嘩が好きなのか? 僕の言葉にもれなく腹を立てていては、さぞかし体力や精神を消耗するだろう」
「え、心配してくれてんの。珍しいわね」
「はあ……君を引き離す方法を幾多も考えてるが、ひとつも上手くいかないんでね」
私はついにやにやする。『彼』は相変わらず無愛想で、血の通ってないふりばかりだ。
「有言不実行でしょ! 本当は会いたがってるくせに」
「それはどうだろうか。たった今、鬱憤の晴らし方を提案してやったところだが」
「あっ! またそう言って突き放そうってのね。無駄よ」
「……そうだな」
高飛車な感じで大げさに反応すると、その端正な顔は悩ましげな表情になった。もちろん小さな変化ではあるが。
「君相手じゃ粗いと通用しないことを、改めて痛感している……」
「ふふ、図星でしょ。もう諦めたら? 私は執着する人間なのよー」
私が笑うと、眉間に皺を寄せた彼は大げさに息を吐き、腕を組み天を仰ぐ。愉快だ。自然に頬がゆるむ。
こんなふうに、食事のとき私たちは喧嘩をしない。『逢瀬の時間を縮めたくないのかな』とかときめいていたが、どうやら違うらしい。なんでも飯が不味くなるのだそう。分からなくもないが、期待外れで勝手にがっかりしたことを覚えている。
いつもは言い合いばかりの私たちに普通の会話ができている気がして、嬉しさまで感じていたのに。
「そういや、前々から訊きたいことがあったんだが」
彼が絶望から復活したようで、店の天井を見詰めたまま声をかけてくる。わりと早い。この人も相当精神がタフなのだろう。
「何よ」
「君はどうして、僕の秘密を暴こうとしない」
「え、ああ……あ、えーと、変装みたいなやつ?」
「それを筆頭に、諸々。ありきたりを逸脱したことは山の如くあるものを。何故簡単に見逃しているんだ?」
……忘れていた。彼の人外めいた不自然な一面のこと。ひた隠しにしている過去のこと。
日常を過ごす彼の人間的な面倒くささやら、くだらない『翻弄合戦』を通したささやかな幸せやら、表面的な趣味の話やら――最近の私を占めるのは、それだけだったからだ。
今この瞬間は願ってもない機会だ。でも、どうしてきっかけを与えるのだろう。彼は元の体勢に戻っている。その半月に似た切れ長の目が何を思っているのか分からない。
――――本当は私に暴いて欲しい?
あれだけ隠したがっているように見えたのに。ことあるごとに聞いても、本当に何も教えてくれないのに。
私の返答を静かに待つ彼は、不思議がっているというかは得体の知れない不安や迷いと戦っているような面持ちだった。そう、まるで言ったことを後悔しているかのような。
これまでの行動の意味を探る。もしそうなら――いや、まだ捌ききれない。少し怖い。情けないことに覚悟が足りないのだ。
「いいの、今は! そりゃいつかは知りたいけどさ」
だから強がって、胸だけ張っておいた。彼はほんの少しだけ――私じゃなきゃ見逃したくらいに、目を見開いた。
「……君らしくもない。好奇に思えば即行動に起こすのが君だったろう」
「そうよ。だから最初も、あんたを探したの。ま、その辺はあんたの自発的な返答を気長に待つわ」
「ああ、そうだ。確か、君の答えはまだだったな」
げ。突然彼の声の温度が低くなる。両目を閉じて冷ややかに唇の端を上げて。嫌な予感。一歩踏み出すと靴を泥で汚してしまうかのような、ささやかだが明確に嫌悪を抱ける事象。
この場を離れたくて思わず起立して背を向けた。ガタンと椅子の音。しかし、『彼』の言葉は待ってくれない。
「君は僕が好きか否か、だ」
ほら、予想的中。
迫り来る混乱と頭に押し寄せる熱の渦を全力で抑制する。目を閉じ、深く息を吸う。深く吐く。彼は私の返答を黙って待っている。いくらでも待たせてやるからな。
次に目を開けたときには、なんでこんなこと聞きやがる、という憤りだけが胸で炎を立ち上らせていた。そんな挑発に乗るもんか。
……言う訳ねーだろ。
私は振り返り、思ったままに言い放つ。
「はっ、あんた撤回したじゃん。だから私も言う義理ない! 帰る! じゃあね!!」
「……待て、暁!」
仄かに熱い顔を彼から背け、鞄を手にスタートダッシュ。店を飛び出て、街を往く人の群れをただひたすらに走り抜けた。夏の気温も相まって、額を次々に汗が流れていく。彼が私を呼び止める声が聞こえ、一瞬ちらっと振り返ると店前で立ちすくむ白い姿が見えた。だんだん愉快になってきて、私はお構いなしに逃げる。
お代はまた任せてしまうけど、これはあんたへの報復なんだからいいでしょ?
得意になって、私は笑い声をあげながら駆けた。
気づけば時は経ち、月鏡の夏、その終わり。雨の少ないこの季節は常人にとって気温も湿度も快適だというが、私は人より暑さに弱く、カラカラに渇きそうにへばっていた。
「軟弱だな。君は」とせせら笑いながらも、『彼』は立ち寄った喫茶店でかき氷と冷たい蜜柑ジュースを奢ってくれた。意外だった。どちらも美味しかったし、生き返る心地だった。
向かい合って座り、既に私のコップは空。器も空。この店に滞在する理由はもう無いけど、結構な時間彼と駄弁っている。
「時に……君に会ってからもう随分経つな」
「ん、ああ。そーね」
「君も飽きないな。喧嘩が好きなのか? 僕の言葉にもれなく腹を立てていては、さぞかし体力や精神を消耗するだろう」
「え、心配してくれてんの。珍しいわね」
「はあ……君を引き離す方法を幾多も考えてるが、ひとつも上手くいかないんでね」
私はついにやにやする。『彼』は相変わらず無愛想で、血の通ってないふりばかりだ。
「有言不実行でしょ! 本当は会いたがってるくせに」
「それはどうだろうか。たった今、鬱憤の晴らし方を提案してやったところだが」
「あっ! またそう言って突き放そうってのね。無駄よ」
「……そうだな」
高飛車な感じで大げさに反応すると、その端正な顔は悩ましげな表情になった。もちろん小さな変化ではあるが。
「君相手じゃ粗いと通用しないことを、改めて痛感している……」
「ふふ、図星でしょ。もう諦めたら? 私は執着する人間なのよー」
私が笑うと、眉間に皺を寄せた彼は大げさに息を吐き、腕を組み天を仰ぐ。愉快だ。自然に頬がゆるむ。
こんなふうに、食事のとき私たちは喧嘩をしない。『逢瀬の時間を縮めたくないのかな』とかときめいていたが、どうやら違うらしい。なんでも飯が不味くなるのだそう。分からなくもないが、期待外れで勝手にがっかりしたことを覚えている。
いつもは言い合いばかりの私たちに普通の会話ができている気がして、嬉しさまで感じていたのに。
「そういや、前々から訊きたいことがあったんだが」
彼が絶望から復活したようで、店の天井を見詰めたまま声をかけてくる。わりと早い。この人も相当精神がタフなのだろう。
「何よ」
「君はどうして、僕の秘密を暴こうとしない」
「え、ああ……あ、えーと、変装みたいなやつ?」
「それを筆頭に、諸々。ありきたりを逸脱したことは山の如くあるものを。何故簡単に見逃しているんだ?」
……忘れていた。彼の人外めいた不自然な一面のこと。ひた隠しにしている過去のこと。
日常を過ごす彼の人間的な面倒くささやら、くだらない『翻弄合戦』を通したささやかな幸せやら、表面的な趣味の話やら――最近の私を占めるのは、それだけだったからだ。
今この瞬間は願ってもない機会だ。でも、どうしてきっかけを与えるのだろう。彼は元の体勢に戻っている。その半月に似た切れ長の目が何を思っているのか分からない。
――――本当は私に暴いて欲しい?
あれだけ隠したがっているように見えたのに。ことあるごとに聞いても、本当に何も教えてくれないのに。
私の返答を静かに待つ彼は、不思議がっているというかは得体の知れない不安や迷いと戦っているような面持ちだった。そう、まるで言ったことを後悔しているかのような。
これまでの行動の意味を探る。もしそうなら――いや、まだ捌ききれない。少し怖い。情けないことに覚悟が足りないのだ。
「いいの、今は! そりゃいつかは知りたいけどさ」
だから強がって、胸だけ張っておいた。彼はほんの少しだけ――私じゃなきゃ見逃したくらいに、目を見開いた。
「……君らしくもない。好奇に思えば即行動に起こすのが君だったろう」
「そうよ。だから最初も、あんたを探したの。ま、その辺はあんたの自発的な返答を気長に待つわ」
「ああ、そうだ。確か、君の答えはまだだったな」
げ。突然彼の声の温度が低くなる。両目を閉じて冷ややかに唇の端を上げて。嫌な予感。一歩踏み出すと靴を泥で汚してしまうかのような、ささやかだが明確に嫌悪を抱ける事象。
この場を離れたくて思わず起立して背を向けた。ガタンと椅子の音。しかし、『彼』の言葉は待ってくれない。
「君は僕が好きか否か、だ」
ほら、予想的中。
迫り来る混乱と頭に押し寄せる熱の渦を全力で抑制する。目を閉じ、深く息を吸う。深く吐く。彼は私の返答を黙って待っている。いくらでも待たせてやるからな。
次に目を開けたときには、なんでこんなこと聞きやがる、という憤りだけが胸で炎を立ち上らせていた。そんな挑発に乗るもんか。
……言う訳ねーだろ。
私は振り返り、思ったままに言い放つ。
「はっ、あんた撤回したじゃん。だから私も言う義理ない! 帰る! じゃあね!!」
「……待て、暁!」
仄かに熱い顔を彼から背け、鞄を手にスタートダッシュ。店を飛び出て、街を往く人の群れをただひたすらに走り抜けた。夏の気温も相まって、額を次々に汗が流れていく。彼が私を呼び止める声が聞こえ、一瞬ちらっと振り返ると店前で立ちすくむ白い姿が見えた。だんだん愉快になってきて、私はお構いなしに逃げる。
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