月鏡の畔にて

ruri

文字の大きさ
上 下
9 / 91
第一話 北嶺の薄明

7

しおりを挟む
 ○

 しかし案の定といったところか、彼は雲隠れを続けた。
 北方さんと一緒にいるときを狙っても、仕事場の研究室に突撃しても、図書館を張ってもてんで駄目だった。よほど私に会うことが怖いらしい。相変わらず逃げ腰できょうだ。情けない。
 時々私の様子を伺いに図書館に来てることはこれまでの経験から分かっていたし、気配からもなんとなく気付いた。問題はどう会いに来ているのかだ。彼という存在の根幹に関わる秘密を知る人を探さなければならない。

御影みかげさんの友達?」
「そうです」

 うーん、と北方さんは首を捻る。

「俺より仲の良い人ね。いるにはいるよ。暁ちゃん」
「教えてください」
「幼馴染みにね、熾火おきびさえって人が、あっ駄目だ口止めされっ……まいっか、御影さんと長い付き合いになってる人だよ。腐れ縁だって言ってた」
「おさな……てか、え。口止めされてるって、今」
「いいのいいの。暁ちゃんの恋を成就じょうじゅさせるためなら俺なんでもするよ。外堀埋めてこう」

 *

「悪ィな。御影チカんことはあんまり喋れねえよ」

 月鏡は静かな水面に満月を映し、その畔に私ともうひとり。
 満月の光を乱反射させた真っ白な長髪に、人外じみた美しさを放つ容姿。黒いシャツとスラックスですらりと立ち、黄金の目を細めハスキーボイスでくつくつと笑うこの人物(多分女性だ)。彼の最も旧い友人だというが、どうしてこう中性的で人間ぽくないのが多いのか。

「そう言わず教えてください、彼のこと」
「んー? あんなのやめとけって。めちゃくちゃややこしいから、あいつ」

 いくら食い下がろうと冴さんは首を縦に振らなかった。この口の固さを知っていて、彼は彼女にだけ本当に隠しておきたい秘密を打ち明けてきたのだろう。そして、そのお陰で御影公慈は自身の心臓部分をとくしてこれた。
 この場は言わばとりでだ。ここを落とさないと彼への近道は拓かない。しかし、冴さんの口から出てくるのは彼を貶める言葉ばかりだった。

「仲良いオレんこともお前呼びだし。粗暴だし基本偉そうなんだよなァ」
「本質的に人を見下してんだ」
「人に暴言吐くか悪口言うかからかうかしてるだけだぜ、あいつ。人にも合わせらんないしダメダメだ」
「今まで何回も棄てられてきたんだ。それだけの奴ってことさ」
「人間の一般常識とか、人の気持ちやら感情やらがわからねぇんだよ。生まれも育ちも持ってる才能も特殊でさ、違いすぎるんだ」
「あんたももうわかってるだろ。あいつは人間じゃない――」


「うるせぇっ!!」

 
 私の叫びに、場はしんと静まりかえる。

 友人の悪口や愚痴ぐちを連ねていた彼女が一瞬で黙り込んで、呆気あっけに取られた表情をする。私の中を渦巻いていた感情――これは多分怒りだ、喉が潰れそうになるくらい叫んでも収まりそうにはなかった。言葉が腹の奥でぐつぐつと煮えたぎる。
 胸が重い。泣きそうだったけど、深呼吸と一緒に涙を飲み込んだ。


「そんなに私を遠ざけたいの!?」


 怒鳴り散らした。返答は……ない。しかし、叫んだ私を見る彼女の雰囲気はよく知ったものに違いなく、確信を得る。少し呼吸をおいて、もう一度声を上げる。

「馬鹿ねえアンタ! 私、アンタのこと嫌いすぎて見た目違ってもわかるようになったのよ」

 声の端々が可笑おかしさやらむなしさやらで揺れる。私とあんたのやってることは文字どおりの茶番劇。馬鹿なだ。それに執着してしまった私も馬鹿だ。

「逃げんなよ、腰抜け」

 背を向けようとしていた相手の腕を強く掴む。目の前の人間は、声を発さず息を殺して呼吸を繰り返している。私は伏せられた黄金の目を覗き込んで続ける。

「またいつもの魔法でしょ、あんた」
「……」
「姿変えて、喋り方も違ったし……仕草なんかも別人みたいにできるんだぁ、へえ~、できるんだ~……」

 私がニヤリと笑うと相手の長い睫毛が僅かにびくつく。恐怖か申し訳なさからか、すっかり目を閉じてしまう。まるで悪戯が見つかった子どもが叱られているみたいで可笑しい。
 当たりだったようだ。
 なら、あとひと押し。ゆっくりとに問い掛ける。

「ねえ公慈さん? 煽られて、追い詰められるのってどんな気持ちなのか教えてくれる?」

「少なくとも良い気はしないな」

 ちゃんと彼の声だった。
 冴さんの立ち姿は、霧が晴れるように見慣れたものに変わった。前も見た魔法だ。結んだ銀髪に、ゆっくりと開かれた眼は澄んだ青。後ろめたさがあるようで、視線は非常に分かりやすく逸らされていた。でも逃げる気はなさそうなので、掴んでいた手を離してやる。
 私は意を決して彼に問うた。

「私のこと、そんなに嫌いなの?」

 少し待って返答。

「もうわからない。でも…………今も君が気になって仕方ない」
「好きなの? 嫌いなの?」

 被せるように問い詰めると、彼の眼が不安そうにこちらを捉える。あれだけ苦手だったそれも、怯える無垢むくな子どものように揺らいで、はかなく綺麗だと思った。
 癖で眉をひそめた彼が、うるさいなと鬱陶うっとうしそうに小さく呟く。

「好きで悪いか?」



 …………ん? なんて?



「少しくらい反応を寄越せ。聞こえてる癖して卑怯な真似をするんじゃない……」


 情けなく震えた声が次第にしぼんでいく。
 口元を手で覆い、顔を背ける彼の――青い三日月型に宝石の散りばめられたイヤリングがついた耳。
 それが真っ赤になっていて。


 これは、やっちまったと思った。




 続
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

腹黒宰相との白い結婚

恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

処理中です...