一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(二十一)・「駆け込み訴え」の件の結末と、「有名人」の遅刻癖

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翌日の昼休み、河近さんは生徒指導室に呼ばれました。「駆け込み訴え」の彼女達が、教室の隅で固まって、首尾をあれこれ想像して、お昼を片付けた後も噂話に花を咲かせながらせせら笑っていると、河近さんが出て行って十五分もしないうちに、最大の歩幅と最速の歩調でもって、疾風の勢いで教室に戻って来た当の河近さんに、自分達の囲んでいた机をいきなり蹴り飛ばされて、「アンタ達、生徒指導室でセンセが待ってるよ。『大至急』だって。校内放送掛けるなんて、アンタらごときに放送委員のお姉様方のお手間掛けさせるの勿体ないから、私がわざわざ直接知らせに来てやったんだよ?…分かったらとっとと行って来い!」って、…私も後で話に聞いただけですけれど、その場に居合わせた子によると、それはもう、生身の仁王様が顕現したかのような迫力だったそうです。
彼女達が泡を喰って、取り敢えずあたふたと教室を出て行くと、それまで物凄い面付きで彼女達を睨みつけていた河近さんは、途端にふにゃりと力が抜けたようになって、思い切り伸びをするなり、「あー、お昼まだだったぁー。お腹空いたー」って、肩を交互に回しながら自分の席に戻って、おもむろに自分のお昼ご飯の、惣菜パンやらおにぎりやらを引っ張り出して食べ始めたのだそうです。
皆が河近さんを遠巻きにする中、合議…要するに、女の子同士の無言の肘のつつき合いですけれど、その結果、代表者として、最初の質問者の彼女が恐る恐る事の次第を尋ねたところ、河近さんはごくごくあっさりした口調で、「ん、…何か色々訊かれたけど、私に携帯買い与えた、当の本人にすぐ連絡ついたから。…あー、うちの父ね?」ですって…。まあ、…考えてみれば、実のお父上だろうと、「男性」には変わりない訳ですし。
生徒指導室に呼ばれて行った「駆け込み訴え」の彼女達は、…これも聞いた話では、そこで待ち構えていたのは、前日に彼女達が訴えに及んだ、クラス担任の先生一人には収まらなかったそうですけれど、その「先生方」に、雁首揃えた上でぎっちり油を絞られて、やっと、それこそ這う這うの体で解放されたその後で、今度は口を揃えて「紛らわしい!!」って歯噛みしていたそうですけれど、…私が聞く限りでは、きちんと事実を確認しないまま、自分達の想像…って言うより、妄想だけで突っ走ったのが、少なくとも彼女達の「敗因」だったんじゃないか、って思いますけれど…。

そしてもうひとつ、河近さんで有名なのが、ほぼ毎日、遅刻間際になって校門を潜るっていうことでした。単なる遅刻魔っていう訳では決してなくて、例えば学校の、文化祭や体育祭、それに校外行事なんかの時、あと、休日に皆で待ち合わせてどこかに遊びに行く、なんていう時には、絶対遅刻しないどころか、ほぼ毎回一番乗りなんだそうですけれど、普段の登校に限っては、大抵、紙一重の時間になって校門に飛び込んで来るっていう、…おかげで、週一の校門当番のある風紀委員は、たとえ立候補したところで彼女には絶対に回されない、本人は、却ってそれで喜んでいる、って聞いたことがあります。
たまに、朝の始業すれすれに、廊下をふうふう言いながら走って行く河近さんに、彼女のクラス担任の先生が「河近ー!廊下は走るなー!」って注意しているところを、私も何度か目撃したことがあります。「いいじゃん、見逃してよー」って、へらっていう感じで笑う河近さんに、「河近、また遅刻ギリギリかよ。お前、あんなすぐ近くに住んでるのに…」って先生がぼやいて、…って、そこまで思い浮かべたところで、私は、その、河近さんの住んでいる、学校から「すぐ近く」のお家、っていうのが、他でもないこのマンションのことではないか、ということに、遅蒔きながらようやく気が付きました。
私は恐る恐る、自分の右隣に、エレベーターのパネルの前で、昔のエレベーターボーイみたいに立っている青司君に、…ねえ、これから行くの、河近さんのお家?って訊くと、青司君は「そうだよ?…あれ、俺、言ってなかったっけ?ごめんねー…。あ、…この事はアネさんには内緒にしといて?大事なお客さんに失礼があったってアネさんが知ったら、俺、酷い目に遭わされるから」って、何だか世にも情けない表情で顔を顰めてみせるので、分かった、助けてくれた人の迷惑になることは絶対に言わない、約束する、って、私が右の握り拳を胸に当てて請け合うと、右隣からは「……なんだかさ、立花サンって、見掛けによらず男前だよね…。ホント頼むよ?」っていう応答が返ってきました。
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