一人語り

木ノ下 朝陽

文字の大きさ
上 下
16 / 28

駅前のカラオケルームにて(十四)・落語会の、前日までの支度準備

しおりを挟む
あ、でも、せっかちって、東京の人間に限らないみたいですよ?関西にも「いらち」っていう言葉があるくらいですし。
もうお亡くなりになられましたけれど、桂米朝師匠、…本当ですか?私もなんです。上方の落語家さんでは、米朝師匠が一番贔屓で。実際の高座は、機会がなくて、一度しか拝見したことがないんですけれど…。あ、そうなんですか?…私が拝見した高座は、お弟子さんの吉朝師匠との二人会、いわゆる「親子会」でした。私、当時まだ、十になったかならないかくらいの子供でしたけれど。米朝師匠、その時、もうあんまりお元気じゃなくて、録画映像にあるような、張りのある高座では決してありませんでしたけれど、でも何だか、ふわーっとした可笑し味があるなあ、って、子供心に思ったのは覚えています。祖母は「人間国宝には悪いけれど、お弟子の方が出来が良かった」なんて、辛辣なことを言っていましたけれど。
今思うと、その時、吉朝師匠、もうご病気が出ていらしたんじゃないのかな…。確か、胃癌でしたっけ?何だか突然、ばたばたって言う感じで、まるで桜の花が強い風で一気に散るように亡くなられた、って言うのは、後で聞いた話ですけれど…。
え!伍代さん、その、吉朝師匠の最後の高座、ご覧になっているんですか!?…大阪!?…良くチケット取れましたね。って言うか、良く大阪まで行こうっていう気になりましたね…。
「元々野次馬根性が旺盛だし、何と言っても若かったから」ですか?…そうですね。確かにその、野次馬根性って言うか、基本的に好奇心が旺盛でないと、ルポライターっていうお仕事は、きっと務まりませんよね。
あの、…その時の吉朝師匠の高座、どんな感じだったんですか?
…え、ええ、…そんな、そんなだったんですか?…吉朝師匠、良くその、高座に上がろうって…。私なら、絶対休演しますよ…。
あ、…そうですね。良く落語家さんの理想の亡くなり方で、高座を一席勤め上げて、そのまま楽屋でばったり、っていうのを聞きますけれど…。
え!…それから十日ちょっと、だったんですか!?…祖母もね、勿体ない、って、しきりに言っていたんです。そうですか…。
…あの、伍代さん。これは純然たる個人的アンケートなんですけれど、米朝師匠の持ち根太で、どれが一番お好きですか?
あ、『はてなの茶碗』ですか?…何だか、とても伍代さんらしい気がします。私の勝手なイメージかも知れませんけれど…。私もあの噺、好きです。昔話の『わらしべ長者』みたいに、どんどん話が大きくなっていくところが面白くて。
私ですか、『鹿政談』なんです。変でしょう?…そうですか?ありがとうございます。
あの、一番好きな場面は、ベタかも知れませんけれど、山場の、お奉行様が、悪徳役人を懲らしめるところなんです。「どうじゃ、どうじゃ」っていうところが、歌舞伎の『伽羅先代萩』の大詰、細川勝元が仁木弾正を追い詰める場面にそっくりで。……あの、これもお分かりになります、よね?…ああ、良かった…。
私が見た『先代萩』は、確か国立での通しで、勝元は梅玉さんでした。あの方、身の丈は、この間亡くなった播磨屋…吉右衛門さんや、上方の仁左衛門さんに比べたら、上背はあまりないですけれど、その代わり、「山椒は小粒でぴりりと辛い」っていうか、…独特の品があって素敵で…。祖母なんか、「福助名乗っていた頃は、そりゃあ水も滴るようだったよ」なんて言っていましたけれど、今でも充分過ぎるくらいお素敵、ですよね?とにかくその時の勝元は、威厳と知性と品格の、三拍子揃った勝元だったと思います。それこそ贔屓の引き倒しかも知れませんけれど…。
あ、そうですね、確かに『先代萩』の勝元は、小柄で、品格を備えた役者さんが演じられる方が似合うかも知れません。記録映像で見ただけなんですけれど、亡くなられた先代の又五郎さんとか。あの方の勝元も素敵でした。
…あ、そうでしたね。「いらち」の話でしたね。失礼しました。楽しくてつい…。
あのですね、これは伍代さんならご存じかも知れませんが、米朝師匠、その筋では有名な「いらち」だったんだそうです。…ねえ。あんなに品の良い高座なのに、意外ですよね。
息子さんの米團治師匠が、エッセイで書いていらっしゃるんですけれど、ホール落語なんかで、武庫之荘からちょっと遠出をする時なんか、少しでも道中の段取りが悪いと、すぐ米朝師匠の「いらち」が顔を出すんですって…。あ、そのエッセイですか?私、米團治師匠の、東京での襲名披露の時、そちらの物販コーナーで、その時持っていた自分のお小遣いと、祖母からもらったお弁当代やらを足した手持ちのお金、帰りの交通費と、最低限のご飯代だけ残して、ほぼ有り金叩いて買ったんです。…ええ、もう、それこそ、若かったから出来たんでしょうね。あ、その時は中等部の、確か二年生でした。十一月の初め、日にちまでは覚えていませんが、その日が月曜日だったのを覚えています。
ええ、一人で行ったんです。米朝師匠も、高座には上がらないけれど、出演されるって聞いて。生の米朝師匠、拝見するなら今しかないって思いました。
祖母はね、お教室、そんなことでお休みするわけにはいかないから、って。本当に律儀な人だったんです。お芝居や寄席は、必ずお教室がお休みの日って決めてました。そうしないと必ずずるずるべったりになるから、って。でも「普段はそうそう物ねだりをしないあんたが、どうしても行きたいって言うのを止めるわけには行かない。それに、確かに、こんな機会は滅多にあるこっちゃない。切符は必ず取ってあげるから、一人で行って来なさい。もう幼稚園児じゃない、仮にも本断ちの着物を着るお嬢さんなんだから」って。
当日はね、一旦家に帰って、着替えてから行こう、って思っていたんですけれど、祖母がね、「学校から真っ直ぐ行きなさい。一旦家に帰っていたら間に合わないかも知れない。出先は何があるか分からないからね」って。私、お祖母ちゃん、それじゃ「学問のすゝめ」じゃなくて「不良のすゝめ」だよ、って言って、二人で笑ったんですけれど。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【R15】母と俺 介護未満

あおみなみ
現代文学
主人公の「俺」はフリーライターである。 大好きだった父親を中学生のときに失い、公務員として働き、女手一つで育ててくれた母に感謝する気持ちは、もちろんないわけではないが、良好な関係であると言い切るのは難しい、そんな間柄である。 3人兄弟の中間子。昔から母親やほかの兄弟にも軽んじられ、自己肯定感が低くなってしまった「俺」は、多少のことは右から左に受け流し、何とかやるべきことをやっていたが…。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ママだいすきだよ

有箱
現代文学
一年前、突然シングルマザーになってしまった私は、娘のマコと二人で暮らしている。 娘には苦労を悟らせないよう、仕事や行事参加など何とか頑張っていたのだが……。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

好青年で社内1のイケメン夫と子供を作って幸せな私だったが・・・浮気をしていると電話がかかってきて

白崎アイド
大衆娯楽
社内で1番のイケメン夫の心をつかみ、晴れて結婚した私。 そんな夫が浮気しているとの電話がかかってきた。 浮気相手の女性の名前を聞いた私は、失意のどん底に落とされる。

処理中です...