一人語り

木ノ下 朝陽

文字の大きさ
上 下
3 / 28

駅前のカラオケルームにて(一)・取材開始

しおりを挟む
失礼します。…大手さんで本当に禁煙ルーム、やってるんですね。部屋ごとに空気清浄機まで…。
ええ、本当に苦手なんです。祖母はもちろん、父も母も吸う人じゃありませんでしたし。それに、その、…あの人も…。あと、その前に付き合っていた人もそうでした。
…そうかも知れません。あらかじめ、煙草を吸わない人って、私、無意識に。
あ、一杯目フリーの飲み物ですか?…じゃ、ジンジャエールを。
ええ、子供の時はそれほどでもなかったんですけれど、高校生くらいから好きになって。「辛い」って言う子もいましたけれど、その辛さがいいんだって力説してました。…本当はラムネも好きなんですけれど。
…うふふ、そうですね。確かにラムネの美味しさは,「お祭りマジック」なのかも知れませんね。

あ、ありがとうございます。ええと、こちらは伍代さんの分。で、こちらがジンジャエール…。頂きます。…ああ、ジンジャエール、久しぶり…。
え、禁酒が明けた人みたいですか?…そうですね、確かに、ここのところ、ジンジャエールの味なんてすっかり忘れてました。お買い物、今、ネットスーパーの宅配便でお願いしているんですけれど、食料ばかりで、嗜好品というものが世の中にあるなんてこと、すっかり頭になくて…。
ええと、…伍代さん、わざわざこんな話をしにいらしたわけではないんですよね?事件のことを聞きにいらしたんでしょう?
…あの、まずは私のこと、ですか?私のことなんかどうして?……ああ、すっかり忘れてましたけれど、伍代さんは、「生還者」の私本人にもご興味があるんでしたっけ…。
え、それだけじゃない、って…。……いやだ、私、しっかりなんてしていませんよ!二十七にもなって、ひたすら頼りないばっかりです。…あの、人間としての興味、ですか?
分かりました。取り敢えず、すぐ記事にするわけじゃない、と仰るなら…。あ、一応レコーダーは回されるんですね?分かりました。…ええ、大丈夫です。
ええと、…どのあたりからお話すればいいですか?…私の子供の頃の話から?分かりました。
私、元々住んでいたのは隣町です。父と母と、三人暮らしでした。小学二年の冬までのことですが…。両親が離婚して、その後祖母に引き取られて、今住んでいる家に。
どうして両親のどちらかが、結果的に私を引き取らなかったかというと、二人とも、それぞれ再婚相手が決まっていたんです。父は会社の部下と、母は職場の同僚と…。
私が祖母に引き取られるまでの経緯と、母の再婚相手に関しては、実は非常に嫌な思い出があるんです。…いいですか、こんな話?
では申し上げますね。…その、両親の離婚が決定すると同時に、住んでいたマンションと、それから私の親権は、母のものになることも決まりました。私の親権は、まあ、この国では母親の方が有利、ということと、…ぶっちゃけた話、再婚相手と新しい生活を立ち上げるっていう大仕事を控えていた父には、離婚した相手の子供、しかも女の子である私は、はっきり言ってお荷物だったという理由からなのでしょう。マンションの方はと言うと、購入資金の大方は祖母が出していて、名義は祖母と母の共同だったんです。母は、祖母の一人娘で、父は昔でいうところの入り婿、いわゆる「マスオさん」の、そのまた一歩進んだ状態、母と結婚した段階で、自分の名字も変えることになった人でしたから。…ええ、母と離婚した時点で旧姓に戻って、その名前で新しい家庭を…。ですから、その協議なり裁判なりで出た決定は、妥当と言うか、当然のものだったのでしょう。それにそもそも、そんなところで新しい生活を送るなんて、父はともかく、父の再婚相手が嫌がったでしょうから。
それはともかく、父が家から出て行った後、母の再婚は、当時まだ六ヶ月だった再婚禁止期間の後で、同居も、少なくとも私の小学校二年の学年が終わるまでという条件の下で、母と二人で暮らしていたんです。そこへ、休みのたびに母の再婚相手がやってくるわけです。あちらには、もしかしたら、私と親睦を深めようと言う考えもあったにはあったかも知れませんが、私から見れば、まだ頑是ない子供の自分なりに精一杯愛している、唯一無二の自分の母の元に、…嫌な言い方をすれば、「しけこむ」とでも言うのでしょうか?小学校低学年の娘からすれば、その、母の再婚相手は、私の最愛の母を誑かして、父と母と、それにほんの子供とは言っても、他でもないこの自分とで、一生懸命築いてきた家庭を、家族を、あっさりと破壊し、私の父の座に勝手に居座り、私から母の愛情を取り上げた当の相手にしか見えませんでした。
…そうですね、今思うと、まるっきり小型版の『ハムレット』です。それで思い出しましたが、また母が、…恋をしている女性なら当然のことなのかも知れませんが、父が出て行ってからは、ハムレット王の死後、王弟クローディアスに求婚されてからの王妃ガードルードよろしく、何だか、…大っぴらにと言うか、子供の私の目にもはっきり分かるくらいに、あからさまにそわそわし始め、家にいる間も、あまり私のことは構わなくなりました。私がたまに甘ったれてみせても、態度が何だか上の空で…。もしかしたら、自分は父に続いて母にも見捨てられるのではないか…っていう、ほとんど恐怖にも似た暗い感情に囚われて、夜中、自室の布団の中で、何度も一人で涙ぐんだ記憶があります。
とにかく、そんな相手ですから、私としては出来る限り顔を合わせたくなんてありません。昼間は学校の図書室なんかで時間を潰すわけですが、日が暮れたら帰らなきゃいけない…。また、季節は冬で、日が暮れるのが早いんです。薄暗くなった帰り道をたどりながら、子供心にも情けなくなったのを覚えています。
しおりを挟む

処理中です...