一人語り

木ノ下 朝陽

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取材対象の自宅にて(一)・彼女との初顔合わせ

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……はい、少々お待ちください…。すみません、大変にお待たせを致しました…。
あ、小宮先生。こんにちは、今日はどうもわざわざ…。はい、…ええ、こちらの方が、伍代智世さん…。
はじめまして。…ええ、はい。私が立花葵です。どうぞよろしくお願いいたします。
あの、初対面から大変に失礼ですけれど、…本当に伍代智世さん、ですよね?
いえ、あの、私が勝手に想像していたより、ずっと、その…雰囲気の柔らかい方で、それに溌剌とした物言いをされるんだな、って…。その、お借りしたご本の著者略歴やら、それに、あの、不躾ですけれど、ネット検索で調べさせて頂いた範囲内では、その、少なくとも私よりも、その、お姉様でいらっしゃいますし、それに、あの、私…良い歳の上に、曲がりなりにも出版業界に携わる身で、本当に世間知らず、物知らずで申し訳ないんですけれど、相当のキャリアもおありみたいですし、…何より、その、私が拝見した限りでは、お顔立ちが、何と言うか、もっときりりとした印象だったので、きっと、その、…一昔前の女子校の先生みたいな方かと…。大変失礼を申し上げました。…いえいえ、本当にどうぞよろしくお願いいたします。
あの、まずはお上がりになりませんか?立ち話も何ですし、…何しろまだ、春は名のみの風の寒さ、ですから。
あ、…先生、もうお帰りですか?…え、もう次のお仕事の?それはどうも、…わざわざありがとうございました。…ええ…。あの、先生、どうぞお気をつけて…。
……ええと、伍代さん、とりあえず中へどうぞ。独り住まいで行き届きませんが…。
…いえ、そんなことは。広いだけの、古い家で。
…どうぞこちらへ。よろしければ、どうぞこちら、お当てください。…え、…あの、いいんですか?ありがとうございます。せっかくですし、遠慮なく頂戴いたします。実は私、これ大好物で…。
あ、後藤さんに聞いていらしたんですね。すみません、わざわざお気遣い頂いて。
お祖母ちゃん、これ、こちらの伍代さんに頂きました。お祖母ちゃんもこれ、大好きだもんね。良かったね。嬉しいね。
あの、伍代さん、これは大変に不躾なお願いなんですけれど、…もしよろしければ、ちょっとお線香を上げてやって頂けませんか?今日、祖母の月命日なんです。祖母も珍しいお客様は、きっと喜ぶと思います。
よろしいですか?ありがとうございます…。ええ、どうぞ。お願いいたします…。

お待たせしました、どうぞ、本当に粗茶ですけれど…。お茶請けはお持たせで、…どこまでも行き届かないことで、大変に申し訳ありません。
いいえ、どうぞご遠慮なさらず。私もお相伴させて頂きますから…。
…ええと、その、拝見した企画書や、それに後藤さんから伺ったお話ですと、伍代さんは、その、…あの事件について、私の話をお聞きになりたい、とのことでしたけれど、…伍代さん、後藤さんに伝手をお持ちなら、調書の大まかな内容くらいは、とっくにご存じなのではないですか…?
あ、…「直接話を聞く」って、やっぱり大事なことなんですね…。分かりました。私の話が、どの程度お役に立つのかなんて、正直全く見当が付きませんけれど…。
……え、…私,世間ではそんな言われ方を…?
え、…ええ、私、そんなことは全然…。元々ワイドショーなんかはあまり見ませんでしたし…。ええ、祖母も。…マスコミに携わってる伍代さんのような方の前で、大変に恐縮ですけれど、うちの祖母、自分のお弟子さん達を初めとした余所の方にはともかく、唯一の同居家族の私には良く、「こんな、ワイドショーなんぞで言われてるような、ちゃちな常識なんて、ある日あっという間に引っ繰り返ったって可怪しくないんだから。昭和20年の8月15日が良い例だ。その証拠に、毀誉褒貶は世の習いとは言え、いくら持て囃されてる人間だろうが、何かひとつでも問題を起こせば、たとえそれが、いわゆる犯罪を犯したんじゃなくでも、あっと言う間に世の中総出で、袋叩きの上に爪弾きの目に遭わされるんだから。世間に大きく顔が売れてる身で問題引き起こす方にも、まあ、まるっきり問題がない訳じゃないけれど、『報道の自由』を盾に、家族でも直接の関係者でも何でもないのに、散々持て囃した相手を、『一家の内事』を種にあっさり日和って、地面に叩き付けて踏んづけて、たとえ誤報だったとしても、補償どころ謝罪もしないで口を拭う側は、隣組より質が悪い。それに、『公正と中立』とやらを謳い文句にしながら、実質はスポンサー様や大手芸能事務所様辺りの提灯持ちなのは、視てるこっちがちょっと考えれば判る。その上に、自分のところに都合の悪い報道は後回し、問題が大きくなってどうしようもなくなってから、やっとおもむろに、謝罪を兼ねた特別番組なんてのを組むだろう。あれもみっともない。大本営発表のラジオニュースや新聞記事と同じだ。結局それが玉音放送に、…敗戦に繋がったんだから」って、心底胸糞悪そうに。何しろ、それこそ先の大戦の経験者ですから、言うことが、…あ、あの、…お説いちいちごもっとも、ですか?…いえ、こちらこそ、門外漢の素人が口幅ったいことを申し上げまして、恐縮です。
まあ、そういう下地の上に、祖母の介護の大騒ぎに再就職、それに祖母が亡くなってからは一層…。少し落ち着いたと思ったら、今度はあの事件でしたから…。後藤さんや小宮先生、それに病院の先生にも、あの事件は過去のこと、曲がりなりにももう済んでしまったことなんだから、無闇に掘り返すもんじゃない、特にマスコミ経由の情報は止めておけ、私の傷が大きく深くなるだけだから、って…。幸い、って言うか何と言うか、少なくとも当分の間は、こうやってこの家に引き籠っていても、誰からも文句を言われない立場ですから…。
あの、…これは凄く不遜な物言いかも知れませんけれど、私、基本的に世間の人にどう思われようと構わないんです。
私の大切な、少なくとも私が大切に思ってる相手が、私のことを大きく誤解してさえいるのでなければ。
ああ、やっぱりお気に障りました?でも、そうでも思っていなければ、私みたいな立場の人間は、生きていることが、…いえ、呼吸をすることさえも、辛くてやっていられないんです。
だから、そのことを正そうとお思いなら、…え、違う…?…私の考えには、ジャーナリズムの観点からは多少は言いたいこともないわけじゃないけれど、それは個人の思想・信条に関わることだから、取り敢えず一旦脇に置いておくとして、まず第一に、あの一件において、あんな状況から、ともかくも生還した、私という人間に、純粋に興味がある?…だからこそ、私の話を聞きたい、んですか?…ええ?…ご自分の興味を第一に優先した取材だから、もし気が進まないなら、今すぐこの場で断っても構わない…?
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